399 翳る月 (4)
一方、ナオたちと別れて行動を開始したハルカたちは、その日のうちにディオラの所へ駆け込んでいた。
「み、皆さん、どうされたんですか?」
既にこの町にはいないと思っていたハルカたちが慌ただしく駆け込んできたことで、ディオラは目を丸くし、すぐに困ったように眉尻を下げた。
「もう町を離れられたはずでは? 報告書、既に送ってしまったのですが……」
「ちょっと問題があってね。またすぐに出て行くわ。申し訳ないのだけど、またディオラさんの知識を借りたくてちょっと戻ってきたの。この近くでオッブニアが採取できる場を知らないかしら?」
「私でお力になれることならまったく問題ないですが……オッブニアというと、グレスコ熱ですか? 過保護な貴族からでも依頼されましたか?」
そう言って苦笑を浮かべたディオラだったが、ハルカが「ちょっと体力に不安のある子が罹って」と付け加えると、すぐに真面目な表情になって頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。この近くであれば、サールスタットとその東にあるキウラの町の間、山手にある泉で採取された実績があります。ただ、私では詳しいところは判りかねますので、一度キウラまで足を伸ばして話を訊かれた方が、結果的に早いかもしれません」
ユキたちも経験した通り、サールスタットの冒険者ギルドはかなり貧弱であり、ほとんど用を為していない。
それに加え、サールスタット以東は別の貴族の領地ということもあり、そのあたりで活動する冒険者はサールスタットやラファンではなく、キウラを拠点にして活動しているため、情報も入りにくい。
それでいながら、ハルカの問いに即座に答えられるあたりディオラの優秀さを示しているのだが、さすがに彼女でも細かな場所までは把握していなかった。
「それは、泉を見つけづらいと?」
「どちらかと言えば、見つけやすすぎる、でしょうか。あの辺りは水の手が豊富な地域なので、多くの泉があるんです。オッブニアが採取できる泉を把握しているかは不明ですが、なんらかの情報は得られるでしょう」
「そう、ありがとう。すぐに行ってみるわ」
「あと、ご存じかもしれませんがオッブニアは採取した後、マジックバッグには入れない方が良いかもしれません」
「え、そうなの? ナツキは何も言ってなかったわよね?」
「うん。綺麗な水の中に生えることと、花の色ぐらい、だった、よね?」
「信憑性は不明ですが、マジックバッグで保存すると、効果が落ちるとか。その他にも、採取の注意点として――」
驚いた様子のハルカたちを見て、ディオラは念のため、自身の知るオッブニアに関する情報をハルカたちにすべて伝える。
「助かったわ。それじゃ――」
ディオラの話を真剣に訊いていたハルカたちは、話が終わるなり急いでギルドを出ようとしたが――。
「ハルカさん!」
そんな彼女たちをディオラは慌てたように呼び止め、言葉を続ける。
「私たちとしては、報告を多少遅らせることはできますが、虚偽報告はできませんし、なんらかの命令を受けた後でハルカさんたちがおいでになった場合、必ずお伝えすることになります。それはご承知おきください」
「えぇ、解ってるわ」
「ディオラさんもお仕事だもんね。ありがと」
「いえ。それでは、お気を付けて」
暗に顔を出さない方が良いと伝えるディオラにハルカたちは頷き、お礼を口にする。
その言葉に、ディオラは改めてにっこりと微笑み、ハルカたちを見送ったのだった。
ラファンの自宅で一泊し、早朝から町を出たハルカたちだったが、その頃から降り出した雨は、サールスタットに着く頃には本降りになっていた。
『防雨』の魔法があるため、濡れ鼠になることなく移動はできていたが、雨音と視界の悪さから来る索敵のしづらさは如何ともしがたい。
特に索敵を得意としているトーヤとナオがいないことの影響は少なからずあり、ハルカたちがサールスタットの門へと駆け込んだ時には、肉体的よりも精神的疲労が大きくなっていた。
その余裕のなさは少し不審さすら感じさせる物だったが、サールスタットの門番はどこか心得たかのように彼女たちに声を掛けた。
「嬢ちゃんたち、渡しに乗る予定か? ならもう少し頑張って急いだ方が良い。この雨ならそろそろ止まるぞ?」
そう、雨。
サールスタットは、川を渡るため天候待ちをする人たちが集まってできた町。
雨や風などで、結構頻繁に渡しは運休するのだ。
「あ、ありがとうございます。これ、ギルドカードです」
ハルカたちから慌てて差し出されたギルドカードにさっと目を通すと、門番は頷いて港の方を指さした。
「おう、確認した。さあ、急げ」
「解りました」
「ありがとうなの!」
門番へのお礼もそこそこに再び走り出したハルカたちは、サールスタットの大通りを駆け抜ける。
さほど大きくもない町故にすぐに港が見えてきたが、そこでは船の出航を知らせる鐘の音と共に「今日の最終便となりまーす」という声が響いていた。
その声を聞き、荷物を持っていないため一番身軽なミーティアがダッシュした。
「ちょっと待って欲しいのー!」
手を振りながら近付いてくるミーティアの姿を認め、鐘を振っていた若い男が手を止め、取り外そうとしていた渡し板を再び船に架ける。
「お嬢ちゃん、乗るのかい?」
「うん。四人お願いします、なの」
男は確認するように、ミーティアに追いついてきたハルカたちにも視線を向け、彼女たちが頷くと「四人で大銀貨二枚だ」と言って手を差し出した。
「それじゃ……これで」
「確かに。濡れていて滑りやすい。落ちないように気を付けてくれ」
そう言いながら、ミーティアに手を差し出した男だったが、ミーティアの方はその手を取ることもなく、ぴょんぴょんと楽しそうに船に乗り込んでしまう。
「み、身軽だな……。ただ、静かに乗ってくれると助かる。揺れるからな」
「す、すみません」
苦笑する男に妹の行動を謝罪したメアリは、素直に彼の手を借りて静かに乗り込み、ハルカとユキは渡し板を使うこともなく船へ。
それを確認した男はすぐに渡し板を取り外し、舫いを解いて鐘を鳴らした。
そしてすぐに動き出す船。
「な、なんとか間に合ったね」
「ですね。ギリギリでした」
船の出航時間もそうだが、川面の様子も荒れ始めており、あまり詳しくないハルカたちの目から見ても、かなりギリギリの状態であった。
ここの渡し場で使われている船は、少し大きめの漁船程度の大きさでしかない。
喫水も浅く、安定性もあまり高くないため、川の流れの影響をもろに受ける。
「水が茶色になってるの」
「ミーティア、危ないから身を乗り出さない」
それ故、興味深そうに船縁から川を覗き込むミーティアの首根っこを、ハルカが引っ張って船の内側に引き戻したのも当然のことだろう。
「ごめんなさいなの……」
「はっはっは、心配しなくとも、滅多にひっくり返ったりはしねぇよ」
しゅんとしたミーティアに、船頭をしている屈強な男が笑い声を上げるが、その中に含まれた不穏な情報に、ハルカが眉を顰める。
「滅多に……? たまにはひっくり返るんですか?」
「本当にたまに……月に一、二回程度だな。心配は要らねぇ」
「ミーはおとなしくしてるの!」
思った以上に高い事故率に、泳げないミーティアは船の中央でピシッと固まる。
初めての船は興味深いが、水に落ちるのは怖い、そういうことだろう。
「心配しねぇでも、人が落ちても、船が転覆しても、すぐに救助は来るぞ? まぁ、こんな天候のときは稀に運の悪い奴が――おっと、もう半分はすぎたな。もう少しで着くぞ」
「いや、運が悪いとどうなるの!?」
不自然に切り替わった話題にユキのツッコミが入るが、船頭は雨に打たれながらも朗らかに「はっはっは」と笑って、何も言わない。
何も言わないが、既にそのことが答えになっているとも言えるだろう。
モーターボートもないこの世界、なんらかの事故が起きたときに岸辺から救助に向かったとしても、それなりの時間が必要になる。
激流とまではいかずとも雨で増水した川に、泳げない人間が救命胴衣も身に着けずに落ちて、救助が来るまで持ちこたえられるかなど考えるまでもない。
それが、金属製の武器・防具を身に着けた冒険者なら、尚更である。
「……ミー、やっぱりおとなしくしてるの」
「わ、私もおとなしくしています」
顔色を悪くしてしゃがみ込む、ミーティアとメアリ。
そんな二人を安心させるように、一応は泳げるハルカとユキが隣に寄り添ったが、結局のところ、何事もなく船は対岸へと辿り着いたのだった。









