388 お仕事のお誘い (5)
「さっぶ! ナオ、湯、湯をかけてくれ!」
「がははっ! トーヤ、情けないぞ!」
やはりペトシーの粘液はしつこかったようで、トーヤとサイラスが戻ってくるまでにはかなりの時間が必要だった。
ずぶ濡れになっても胸を張り、笑いながら歩いているサイラスに比べ、トーヤの方は濡れて萎れてしまった尻尾や、ぺっとりとしてしまった耳も相まって、かなり寒々しい。
「熱め、温め、どっちが良い?」
「熱めで!」
「了解。――『水噴射』」
名前を付けるなら『温水噴射』なのだろうが、魔法の効果は術者の意識次第。
魔法名はあんまり関係ないので、あえて変えたりはしていない。
風呂に入れるよりは少し熱め。
それを意識して魔法を使い、トーヤとサイラスにぶっかける。
「「熱ぃ!?」」
「熱すぎんぞ、コラァ!」
「身体が冷えてるからだろ? 火傷はしないから我慢しろ」
サイラスの抗議を聞き流し、適当なところで湯を止める。
お湯をかけるのなんて、所詮は応急処置。
樽で風呂を作りでもしなければ、これだけで身体を温めるなど無理なのだから。
そのために用意したのが、焚き火である。
トーヤたちの水浴びが長引いたこともあり、他の四人で作った焚き火はそれなりに大きい。なかなか芯から温まるとはいかないだろうが、お湯をかけ続けるよりは現実的だ。
「こっちに来て火に当たってください」
「あぁ、ありがとう。メアリは優しいな」
「いえ、薪はみんなで集めましたから」
「ほら、かけた湯が温かいうちに服を脱げ。乾かしてやるから。――あ、ミーティアとメアリはあっち向いていてな。見苦しい物を見る必要はないから」
「解ったの」
「は、はい」
素直にメアリたちが後ろを向いたところで、サイラスたちがブツブツ言いながら服を脱ぎ始めた。
「見苦しいとは酷ぇなぁ」
「サイラス……お前が幼女にナニを見せつける趣味があるヘンタイとは知らなかった。今後、ウチの子に近付かないでもらえますか?」
「ねぇよ! つか、上だけじゃなく、下着もかよ!?」
「サイラス……お前が濡れた下着が嬉しいヘンタイとは知らなかった。今後、ウチの子に――」
「違うわ! で、脱いだ物をお前に渡せば良いのか?」
「いえ、勘弁してください。触りたくないです」
「さっきから酷ぇ! つか、丁寧語ヤメロ。むかつくから。じゃあ、どうすんだよ」
「お前の剣にでも引っ掛けて突き出せ」
着たままの服を『乾燥』で乾かすのは難しい。
『空間分断』による攻撃が難しいように、身体のすぐ傍にある服に効果を及ぼすのは魔力が多く必要だし、やりすぎれば着ている本人にも悪影響が出かねない。
ミイラ化は大袈裟だとしても、肌の乾燥やドライアイぐらいにはなりそうである。
それを理解しているトーヤの方は慣れたもので、さっさと濡れた服を脱ぐと、それを洗濯物を干すように、自分の剣に掛けて俺の方に「ほい」と差し出してきた。
それを俺が『乾燥』で乾かしてやると、トーヤは自分の身体をざっと拭いて水気を取ってから、すぐに服を着込んで焚き火で身体を温め始めた。
「……なるほど、あれでいいのか。ナオ、頼む」
「はいよ」
トーヤの行動で要領を理解したサイラスにも『乾燥』をかけてやれば、サイラスは嬉しげに乾いた服を着始めた。
「いやぁ、さすがに便利だな、魔法。普段ならこんなとき、絞っただけで冷たい服を着ることになるんだが」
「着替えとかは持ち歩かないのか?」
「ナオ、それはなかなか難しいっすよ。ナオたちはマジックバッグがあるから意識しないみたいっすけど、そんなのを持てるのは高ランクだけっす」
「だな。食糧、水、各種道具、それから魔物の素材を持ち帰るための空きスペース。何日も着替えねぇなんて、冒険者なら普通のことだな。余分な着替えを持ち歩くのは大変なんだよ」
「……そういえば俺たちも、最初の頃は着替えなんか持ってなかったな」
というよりも、下着以外の服を買えるようになるまで、それなりの期間が必要だった。
その頃は日帰りの仕事しかしていなかったから、さして問題もなかったのだが、獲物を持ち帰るのにはそれなりに苦労した。
しかし最近は、マジックバッグのおかげで使いそうな物は全部持ち歩けるし、それで荷物が多くて困るなんてこともなかった。
ゴーレムの素材だけは、全部は持ち帰れなかったが、あれは特殊な事例だろう。
「そう思うと、俺たちはかなり恵まれているな」
「あぁ、かなりな。メアリやミーティアも、運が良かったな。――いや、そんなお前たちだからこそ、ただの孤児を引き取るなんて選択をできたのか」
「うん。ミーはお兄ちゃんたちに感謝してるの」
「はい。この町の孤児院に入っていたら、きっと楽ではなかったと思いますから。そもそも、生きていなかったでしょうし」
「やっぱ、子供を引き取る冒険者っていねぇの?」
「いないっすよ。普通の冒険者は自分の生活すらやっとっすから。引退した裕福な冒険者で結婚もしてない人が、たまに引き取るぐらいっすね」
「まぁ、コイツみたいに新人の面倒を見てやるぐらいが関の山。むしろ、金にならねぇのにやってるフレディが特殊だな」
「サイラスさん、俺は酒の代金として、ちょろっと話しているだけっすよ」
「お前からすりゃ、酒の一、二杯ぐらい、大した額じゃねぇだろ。ギルドで待ち構える時間がありゃ、十分に稼げんだろうが。普通に声を掛けりゃ良いのによ」
「いや、そうっすけど……」
やや照れくさそうに、フレディは笑う。
安物のエールの値段なんて、イメージ的には缶ジュース一本程度。
ここ数日のフレディの腕前などを勘案すれば、わざわざ新人に声を掛けておごってもらう必要性など、まったくないだろう。
つまり、俺たちに出会ったときのあの言動は、一応、俺たちを心配して声を掛けてきたということなのだろう。
一年前とは違い、これでもそれなりの冒険者に見えるぐらいには装備を整えているつもりだが、メアリとミーティアという存在もあるし、心配になったのも解らなくはない。
「フレディ……お前、面倒くさい性格をしてるな?」
「う、うるさいっすよ! そ、それより、そろそろペトシーの処理をするっす。暗くなったら面倒っす」
「あぁ、そうだな。トーヤたちもそろそろ身体が温まっただろうし」
「確かに身体は温まったんだが……考えねぇとダメだよなぁ」
トーヤはとても嫌そうな顔で、しぶしぶとペトシーの死体に振り返る。
川から引き上げて測ってみれば、ペトシーの直径は大きいところで一・五メートルほど、胴回りは五メートル近く、全長は二〇メートル以上。
その全身を白濁したヌトヌトの粘液が覆い、正直、ちょっと近付きたくない有様である。
「ナオ、さっきの魔法で、洗い流せねぇか?」
「『水噴射』か? 使うことはできるが、流れるか? この粘液が」
「さっき身体を洗うときも苦労したしなぁ」
こういう粘液って、大抵は保水性が高く、流れにくい。
何故なら、粘液が外敵から身を守る役割を持っているから。
水生生物であるペトシーのそれが、水であっさり流されてしまっては、その役割を果たせるはずもない。
蛸のヌメヌメを取るときには、塩揉みをしたり、大根下ろしで洗ったりすると、ハルカに聞いた覚えがあるが……塩はないよな。
この巨体を塩揉みするとか、誰も喜ばないヌルヌルフェスティバルである。
大根下ろしの方は、含まれる酵素でタンパク質を分解するんだったか?
つまりこのヌルヌル成分はタンパク質か。
詳しくは知らないが、実行できるわけもなし、知っても何の意味もない。
「ナオさん、逆に火で焼いてしまってはどうですか? 普通なら難しいですが、ナオさんの魔法なら……」
「おぉ、メアリ、賢い。水よりはよっぽど効果が期待できるな!」
意味がなくもなかった。
タンパク質は熱に弱い。
粘液がタンパク質なら、火で炙るのは有効かもしれない。
さすがに芯まで火を通すのは『火炎放射』では難しいが、表面を炙る程度なら、きっとなんとかなるだろう。
長さが長さだけに、かなり疲れそうではあるが、ヌトヌトと格闘するよりは余程マシだし、効果がなくとも試すだけならタダである。
「それじゃ早速――『火炎放射』」
俺はペトシーの死体に手をかざすと、呪文を唱えた。
明日は「新米錬金術師の店舗経営 四巻」の発売日です!
どうぞよろしくお願いいたします。
 









