386 お仕事のお誘い (3)
「早すぎんぞ、オイ! 俺が肉を食うまで待てなかったのかよ!」
「バカ、そんなことを言ってる場合じゃないだろ!」
悔しそうにペシンと額を叩いたサイラスの背中をどつき、俺はそこに向かって走る。
やや離れた場所から川を覗けば、わざわざ【索敵】で確認するまでもなく、巨大な影が存在し、川面が激しく波打っていた。
「なんだ、あれは……」
「判らん。が、かなり長いな」
川の水は綺麗なのだが、激しく暴れるペトシーのせいで川底の泥が舞い上がって濁ってしまい、その姿をはっきりとは確認できない。
ただ、その影の長さだけでも一〇メートルは軽く超えている。
「そんなことより、引っ張るぞ! 木が折れる!」
「お、おう、そうだな!」
厚手の革手袋を付けたトーヤとサイラスが、すぐにワイヤーを握り引っ張り始めるが、ワイヤーはピンと張ったまま、ほとんど動かず。
慌てて俺たちも参加するが、かなり重い。
全然動かないわけじゃないのだが、多少引っ張って余裕ができても、すぐに引き戻されてしまう。
「これ、ワイヤーは大丈夫なのか?」
「大丈夫、なはずだぞ? 一応、かなり良いやつを頼んだからな。白鉄製の」
俺の問いにサイラスはそう答えたが、その表情はとても自信満々とは言えないものだった。彼自身、ちょっと不安になっているのだろう。
ワイヤー故に、引っ張りにはかなり強いはずだが、俺たちは全員冒険者。
最も幼いミーティアですら、大の大人ぐらいの膂力はあるのだ。
サイラスやトーヤなど、一般人とは比較にもならない。
そんなのが六人、力一杯引っ張っているのだから、ワイヤーに掛かる力はかなりのものになっているはず。低く見積もっても、おそらくはトン単位。この細さのワイヤーで支えられるのか、かなり危うく感じる。
「オイ、ナオ。お前、魔法が使えるんだよな!? なんとかならねぇ?」
「無茶を言うな! そんな都合の良い魔法があるか!」
水中にいる時点で、火魔法と風魔法は敵まで届かない。
光は基本、攻撃に向いていないので、問題外。
単純な重量だけなら時空魔法の『軽量化』が使えそうだが、相手の魔法抵抗力と泳ぐ力を考えると、多少軽くなったところであまり意味はないだろう。
水魔法なら、レベル10の『潮流操作』が少し効果がありそうだが、当然、俺は使えない。
土魔法なら実体があるので水中まで届くだろうが、ダメージがあるかどうかは別である。
浮力を考えれば、一抱えあるような岩を飛ばしたところで、効果は薄そうである。
雷撃魔法でもあれば良いのだが、少なくともそんな魔道書は持っていないし、試したこともない。
得意魔法に特化する方向に訓練を重ねていたんだが、こんなことなら、練習してみるべきだったか? 使えるかどうかは不明だが。
「ちっ。餌に毒でも仕込んでおけばよかったか?」
あまりの引きの強さに、サイラスがそんなことをぼやくが、即座にミーティアから苦情が入った。
「毒を使ったら、食べられなくなるの!」
「ミーティアちゃん、心配しなくても食べられるっすよ! 俺たちが、っすけど!」
「誰が上手いこと言えと!? つか、食われねぇよ!」
だが、もしもワイヤーを木にしっかりと結びつけていなければ、既に川の中に引き摺り込まれて、フレディの言う通りになっていた可能性、大である。
「どうする? このままやってれば、そのうち弱るか?」
「かなりキツいっす! これ、手を離して放置じゃダメなんすか?」
「緩めたら、バレる! 気張れ!」
ここでサイラスが言う『バレる』は、釣り針が外れる方のことだろう。
魚釣りだって、あたりに上手く合わせて針を引っ掛け、竿とリールを操作して、糸を緩ませないことが重要なのだ。
ちょっとサイズに差はあるが、これだって同じこと。
――まぁ、駆け引きなんて考える余裕もなく、全員で引っ張っているだけなのだが。
どうしたものかと思いつつも、良い考えが浮かぶこともなく、ワイヤーと格闘することしばらく。
肉体派のトーヤとサイラスはともかく、俺を含めた他の四人には疲れが見え始めていたが、状況に変化はなかった。
このままでは埒が明かない。
そう思ったのは、どうやら俺たちだけではなかったようだ。
引っ張っていたワイヤーが急に緩んだ。
針が外れたか、と思ったのも一瞬。
次の瞬間、川から飛び出すように、巨大な生物が現れた。
「デカいな」
「ふ、太いです……」
「黒くてテカテカしてるの」
地響きすら立てて川岸に胴体を打ち付けたのは、そんな生き物。
胴回りの直径は一メートル以上、長さは一〇メートルを軽く超え、黒く細長く、うねうねとした細長い魚。その口元からは俺たちが引っ張っているワイヤーが延びている。
解りやすく言うなら、ペトシーの正体は巨大な鰻だった。
川から距離を取っていたから良かったようなものの、下手に近付いていたら、冗談じゃなく食べられかねない大きさである。
そんな物が、身体をくねらせながら俺たちの方へと這い寄ってくるのだから、フレディがビビったように後退ったのも、仕方のないところだろう。
「な、なんすか、あれ!?」
「たぶん、モンスター・イールだな。ただ、普通は直径三〇センチに満たねぇはずなんだが……」
俺は初めて見る生き物だったが、サイラスは心当たりがあったらしく、剣を手に取りつつ、怪訝そうに眉を顰めた。
「どう見ても、一メートルは超えているっす! 人間も丸呑みされるっす!」
「うーむ、さしずめ、メガ・モンスター・イールか?」
「ヤメレ、トーヤ。ギガ・モンスターとか出てきたら、シャレにならんから」
不吉なことは言うべきではない。
フラグが立つから。
「俺もこの辺りを拠点にして長いが、こんなのは見たことねぇ。おそらくは特殊個体だと思うぜ?」
「なら、やっぱりペトシーで良いか」
「こんなのが複数いたら堪らねぇからな。ま、のこのこと川から出てきたのが運の尽きだな!」
「どっちかと言えば、のこのこじゃなくて、にょろにょろなの」
「「「確かに」」」
図らずも、声が重なる。
踏み出そうとしていたサイラスが、一瞬、カクリと膝を折りかけたが、すぐに立て直し、剣を担いで走り出した。
「どっちでも良い! すぐににょろにょろもできなくなる!」
俺たちが持つワイヤーに引かれるまま、近付いてきたペトシー。
そのペトシーの首の部分に向かって、サイラスが剣を振り下ろした。
だが――。
「なっ!?」
言葉にするなら、『にゅるんっ』だろうか。
サイラスの剣がペトシーの表面を滑り、地面へと叩きつけられた。
俺の知る鰻のヌメリ具合とは一線を画す、ヌルヌル感。
喩えるならば、沼田鰻みたいなヌメヌメ。
更には現在進行形で表面から分泌される粘液が増え、ペトシーがうねるのに従い周囲をドロドロにしている。
予想外の状況に、僅かに動きが止まったサイラスに向かってペトシーが頭をもたげ、そのまま振り下ろした。
「くっ!」
それは避けたサイラスだったが、地面に残る粘液に足を取られ、体勢を崩す。
そこに迫るペトシーの口。
サイラスは咄嗟に剣を頭上に掲げたが、その直前にメアリがワイヤーを強く引いたことで攻撃位置がずれ、サイラスはその場から逃げ出すことに成功した。
「すまん!」
「いえ! ですが、気を付けてください。かなりの範囲に粘液が」
「クッソ! ペトシーが動いた場所全部が滑る!! フレディ、目を狙えるか!?」
「了解っす!」
「ミーも行くの!」
駆けだしたフレディがペトシーの右目にナイフを突き立てるのとほぼ同時、ミーティアの小太刀が左目を切り裂いた。
視界を奪われ、滅茶苦茶に暴れ始めるペトシー。
そこに追撃をしたのはトーヤだったが、その攻撃はサイラスのときとほぼ同じ。
僅かに表面を切るだけで、ダメージを与えるには程遠い。
「これ、私が参加しても、あまり効果はなさそうですね」
「サイラスですらあれだからなぁ」
言い方は悪いが、メアリの攻撃はサイラスの劣化版みたいなもの。
彼の攻撃が効果を発揮しないのなら、メアリが同じことを試したところで、結果は同じだろう。
「メアリはワイヤーを保持しておいてくれ。無理する必要はないが、さっきみたいにサポートできるようなら頼む」
川から出たためか、先ほどはメアリ一人が引っ張っただけで、ペトシーの頭を動かすことに成功している。
多少邪魔する程度でも、意味はあるだろう。
「解りました」
さて、俺はどう行動すべきだろうか?









