379 旅立ちの前に (4)
「あ、でも、確か……トミー、だっけ? あいつがいるじゃん」
その言葉にナツキとユキが困ったように眉尻を下げる。
「あの、差別するわけじゃありませんが、さすがにドワーフはちょっと……」
「うん、あたしもそれはなし、かなぁ? 元のままならまだしも」
「……だよね。ゴメン。しかしそうなると、余程相手を愛してないと、こっちの人とは結婚できないか」
ポツリと呟くように言ったヤスエに、ユキが面白そうにニマニマと笑う。
「あれ? もしかしてそれは惚気かな? ヤスエ」
「ち、違うわよ!」
そう言いつつも、ヤスエの頬が赤く染まるが、すぐに遠い目になって、しみじみと呟くように言葉を漏らす。
「そもそも私の場合、こっちに来てからもっと酷い状況にいたから……」
「「「………」」」
重い言葉に、無言になる俺たち。
詳しくは聞いていないが、俺たちに喧嘩を売って以降、かなりの苦労があったらしい。
あの状況で敵対的な他人を受け入れるような余裕は俺たちにもなかったので、後悔はしていないが、少し可哀想には思う。
「ま、それはどうでも良いわ。今は幸せだから。あの苦労があってこそだし」
そう言って笑ったヤスエは、無意識か、その手で自分のお腹を優しく撫でている。
そして話が途切れたのを見てか、これまでじっと黙っていたミーティアが、ヤスエを見上げて口を開いた。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん。ここに、赤ちゃんがいるの?」
「そうよ。あと一、二ヶ月、長くても三ヶ月以内には生まれる予定よ」
「ミー、赤ちゃんが生まれるの、初めて見るの!」
ミーティアの問いに答えるヤスエは、なんというか、母親だった。
「それならタイミング的にはちょうど良かった、ってことかしら」
「そうですね。でもそのお腹で、ここで働くのはさすがに危なくないですか?」
「そもそも、なんで働いてるのよ? 事務仕事程度ならまだしも、食堂の給仕なんて、何時人にぶつかって転けるかも判らないのに」
咎めるように、やや強い口調で言ったハルカの言葉にヤスエが少し不満そうな表情になるが、そこに別の声が口を挟んだ。
「言ってやってください、皆さん。僕が止めても聞いてくれなくて……」
俺たちが無駄話をしている間に、大半の客は食事を終えて帰ったため、手が空いたのだろう。店の奥から手を拭きながら出てきたのは、俺たちと同い年ぐらいの男だった。
「だって、私が抜けたら人手が足りないじゃん! ――あ、紹介するね。知っている人もいると思うけど、私の旦那のチェスター」
「どうも。妻がお世話になっています」
そう言って挨拶するチェスターは穏やかで人の良さそうな男だった。
俺との面識はほとんどないが、ハルカたちは一応、紹介されたことがあるらしい。
「いえ、こちらこそ。仕事の邪魔をしてしまって……」
俺たちがヤスエのお世話になっているかは別にして、営業時間中に話し込んでいたのは確かなので、そう挨拶してみれば、チェスターはニコリと笑って首を振った。
「大丈夫ですよ、この時間帯なら。むしろ、妻が動かないでくれて、助かったぐらいです」
「旦那さんも、やっぱり心配ですよね? ヤスエ、人手ぐらい、ギルドに依頼すれば確保できるでしょ?」
「いや、でも、ちゃんと働いてくれる人が来るとは限らないじゃん?」
「――喧嘩売って仕事放り出した誰かみたいに?」
本人が言うと説得力が違う。
揶揄うように笑うハルカに、ヤスエは口をぎゅっと一文字に結んで首を振る。
「それは忘れて。過去の汚点だから」
「ギルドから斡旋されたら、大抵は真面目に働くと思うけど……特殊事例を除き」
「むむむぅ……」
「心配なら、非正規雇用ではなく、正規雇用すれば良いんじゃないですか? それぐらいはお客さん、入ってますよね?」
「だよね? はっきり言って、いつでも辞めさせられる状態だと、やる気がおきないもん。給料も安いし」
「あれはなかなか酷かったですよね……」
そう言って、ユキとナツキが遠い目になる。
確かにあの待遇でやる気が出るのは、かなり特殊な人であろう。
「でも、子供が生まれることを考えたら、節約しないとダメでしょ? ここだと、教育を受けさせるにもお金がかかるんだから」
「それはそうだけど、まずは無事に生む方が大事でしょ? それに裁縫とか教えてあげたわよね? ヤスエが座ってできる仕事をしてでも、従業員を雇うべきだと思うけど?」
躊躇うヤスエに、ハルカがそんな提案をする。
教えるというのは、おそらく【スキルコピー】のことだろう。
スキル持ちなら、十分に仕事として成り立つだけの腕があるのだから、ヤスエが裁縫仕事をして、その報酬をすべて使ってでも人を雇うべきであると、ハルカはそう言いたいのだろう。
「……そっか。その手があったわね。雇った給仕の給料と同じだけ稼げればトントン、それ以上に稼げれば今より収入アップ、になるのよね」
最初の頃のナツキとユキのことを思い出せば解る通り、給仕の給料はかなり安い。
おもてなしなんて言葉とは程遠いこの辺の食堂で働く給仕なんて、ある意味、誰にでもできる、底辺に近い職業。
技能職とは言い難く、仕立屋の方が余程高給取りなのだ。
もちろん、技術があっても仕事があるかは別問題なので、そう単純ではないのだが、給仕の給料分を稼ぐ程度なら、そう難しくはないだろう。
「ヤスエさん目当てで来るお客さんは減るかもしれませんけどね」
「ナツキ、以前ならともかく、結婚した妊婦目当てで来る客なんていないわよ」
そう言ってヤスエは笑うが、彼女は十二分に美人。
下心なく、目の保養として来ている客がいないとは限らない。
「そのへんどうなの? チェスターさん」
「正直に言えば、かなり多いですね。最初の頃など、仕事に支障を来すぐらいに声を掛けられていましたから」
「ちょっと、チェスター……」
「もっとも、この店は常連が多いですから、私の妻と周知してからはだいぶマシになりましたが……人気はありますね。さすがに妊婦に手を出す非常識なのはいませんが」
一見の客などもいるのでゼロではないが、そういうのは常連が対処してくれるらしい。
「なるほど、外見は良いものね、ヤスエって」
「ハルカ、それって外見以外はダメって聞こえるんだけど?」
「……ごめんなさい。否定できないわ」
「酷っ!」
「いえいえ、ヤスエは良くやってくれていますよ。最初は不慣れだった接客も、ずいぶんと熟れてきましたし」
「チェスター……」
「ヤスエ……」
「はいはーい、イチャイチャは夜にしてくださ~い」
見つめ合いを始めた二人の間に、ユキがさっと手を差し入れ、話を戻す。
「ですね。今は、妊婦であるヤスエに無理をさせないためにどうするか、でしょう?」
「そ、そうだったわねっ。あなたたちの言う案を採用するなら、冒険者ギルド以外で求人しないといけないんだけど……。チェスター、心当たり、ある?」
「そうだね、幸いと言うべきか、私の身近な親族には仕事にあぶれている人はいないけど、少し範囲を広げれば、手当てできないことはないかな? 多少時間はかかるけど」
「それまでは、私が頑張れば良いわね」
「ダメよ。万が一、酔っ払いにぶつかられて転倒、早産にでもなったら目も当てられないわ。未熟児に対処する方法なんてないんだから」
「でも……」
「心配しなくても、それぐらいの間なら、私たちが手伝ってあげるわよ」
「良いの?」
「構わないわよ。幸い、こっちの二人は経験者だし。ねぇ?」
「うん、良いよ。三人なら、一人の負担はそこまでじゃないだろうし」
「ヤスエさん一人分ぐらいなら、賄うことはできると思います」
まさかハルカたちがそんなことを言うとは思わなかったのか、ヤスエは丸くした目を潤ませ、お礼を口にした。
「あ、ありがとう……」
「皆さん、本当に申し訳ありませんが、よろしくお願いします。両親も扱き使って、できる限り負担にならないようにしますから」
深々と頭を下げたチェスターに、ハルカたちは「任せて」と、力強く頷いた。









