377 旅立ちの前に (2)
さて、準備万端整えてラファンを離れた俺たちだったが、その日のうちにあっさりと、最初の目的地まで辿り着いていた。
ケルグの町。
すぐお隣である。
とても近いが、ただ立ち寄っただけではなく、歴とした目的があったため。
強く希望したのは、ハルカ、ユキ、ナツキの三人だったが、スケジュール的にはまだまだ余裕があるので、俺たちとしても断る理由もなく、そのまま受け入れている。
そして、町へ到着するなり俺たちが向かったのは、そんな目的となる人のいるお店。
「いらっしゃい!」
昼のピークを過ぎた時間でも、その食堂の席は半分以上が埋まっていた。
元気の良い声と、客たちの喧噪。
その間を縫うように、空いたお皿を手に素早く動き回る女の子。
いや、もう女の子と言うと失礼かもしれない。
そのお腹は、はっきりと判るほどに膨らんでいたのだから。
そんな彼女は持っていたお皿をカウンターに置くと、俺たちの方を振り返って目を丸くした。
「あれ? ハルカたちじゃん。ひっさしぶりー!」
「うん、久しぶり――って! ちょっ! 何してるの!?」
「何って、お仕事?」
コテンと首を傾げるのは、この店の女将とでも言うべきヤスエ。
この辺りではちょっと見ないような美人ではあるが、以前に比べ貫禄が出ているように感じるのは、子供ができたからか、それともこの世界に慣れたからか。
「いや、そうじゃなくて――!」
「あ、ゴメンね、今ちょっと忙しいから。その辺に座って少し待っててくれる? もう少ししたら落ち着くから」
慌てて反駁するハルカにヤスエは軽く言葉を返すと、せかせかと仕事を再開。
大きなお腹でテーブルの間を縫うその姿は、見ているこちらとしてはハラハラするのだが、無理に止めるわけにもいかず、俺たちは顔を見合わせると隅のテーブルに腰を落ち着かせた。
「アイツ、妊娠してたんだな。ハルカたちは知っていたのか?」
「可能性としては。確定じゃなかったから、ナオたちには言わなかったけど」
「その確認のためか。ここに来たいと言ったのは」
今回、町を離れるにあたってケルグに寄りたいと希望したハルカたち。
『ヤスエに会っていきたいから』とは聞いていたのだが、その理由は彼女の妊娠にあったらしい。
以前から、『マークスさんのダンジョン調査が終わったら、時間を取って欲しい』とは言われていたのだが、その理由はこれだったのだろう。
「確認とサポートね。一応、今は友達だし?」
「こちらは医療体制に不安がありますので……。その点、私かハルカがいれば、少しは手助けができると思いますから」
「あとは、あたしたちの経験のため、だね。こっちのお産に関する知識、常識的な範囲では持っていても、立ち会った経験はないからね」
普通であれば親や隣近所など、お産のときに手助けしてくれる知り合いがいるのだろうが、俺たちの場合、その繋がりが薄い。
大人の女性の知り合いとしては、ディオラさんとアエラさん、ルーチェさんにイシュカさんがいるが、それだけといえばそれだけ。
こう言っちゃ何だが、経産婦ではないので、お産に関して頼れるかといえば、少し微妙。
あえて言うなら、ガンツさんの奥さんであるシビルさんもいるが、残念ながら繋がりとしては顔見知り程度である。
「つまり、ヤスエのサポートがてら、経験を積もう、と?」
「なるほどな。オレはともかく、ハルカとナオは気になるところだよな」
揶揄うようにそう口にしたトーヤだったが、ハルカは真面目な表情で頷く。
「ええ。やっぱり、相談できる相手がいた方が安心だから。初めての経験になるわけだし」
「マタニティブルーとか、そういう話も聞きますし」
「あたしたちも、何時なるか判らないもんね? トーヤも気を付けた方が良いよ、色々と。考えなしに種蒔きしてたら――」
「お、おう、そうか……。大丈夫だぞ? たぶん」
予想外に三人が真剣なことに、トーヤは少し気圧されたようにコクコクと頷く。
よくは知らないが、そういうお店なら対策をしていると思うのだが、可能性がないとはいえないよな。
俺は……まぁ、うん。一応、考えてはいる。
ただ、エルフ同士だと普通より確率が低いらしいので、しばらく先だろう、きっと。
◇ ◇ ◇
ヤスエから『これでも食べながら待ってて』と言われて出されたランチを、俺たちが平らげて待つことしばらく。
店のテーブルが半分以上空いた頃、彼女は「お待たせ~」と言いながら、カップを乗せたトレーを手に戻ってきた。
それを俺たちの前に並べ、「よっこいしょ」と椅子に腰を下ろしたところで、ハルカが口を開く。
「まずは、おめでとうと言わせてもらおうかしら。やっぱり妊娠してたのね」
「「おめでとうございます」」
「「「おめでとう」」」
「えっと、その、ありがとぅ」
口々にお祝いを述べる俺たちに、ヤスエは少し照れたように視線を彷徨わせながら、小声で応える。
それを見たハルカが「ふふっ」と小さく笑い、大きく息を吐く。
「なんだか感慨深いわねぇ。まさか、同級生がこの年にして妊娠するとは……」
「ちょ、言わないでよ! なんか、恥ずかしいから!」
チラチラと視線を向けるのは俺やトーヤ。
こっちの世界では普通のことだが、いうなれば高校生で妊娠しているわけで……そう思うと、確かにちょっと不思議な感じがする。
だが、こういう話題だと、男としてはちょっと入りにくい。
かといって、あまり話を振られても困るので、俺とトーヤは口を噤んで、静かに影を薄くする。
「でも、順調そうで安心しました」
「旦那さんとも良い感じなのかな?」
「まぁね。あんたたちのおかげで、料理も手伝えるようになったし? 問題ないわよ」
厨房の方にチラリと視線をやって笑うヤスエは幸せそうで、その表情に最初に会った時のような険はない。
「というか、本当に来てくれたんだ? あんまり期待してなかったんだけど。あんたたちにも仕事はあるだろうし」
「見に来るって言いましたよね。私たち、約束は守りますよ?」
「最初に別れた時のままなら気にもしなかったけど、和解したわけだしね」
「そうだけど……ま、まぁ、あ、ありがと」
少し照れたように視線を逸らし、口を尖らせながらも礼を言うヤスエ。
ツンデレか。
そんなヤスエに、俺たちは思わず口元が緩む。
「ま、同級生が産褥死とか、寝覚めが悪いもんねぇ~」
「ちょっ、縁起でもないこと言わないでよ!」
「でも、案外身近だよ? 庶民の場合」
治癒魔法使いを呼べる金持ちや貴族であれば、お産に伴う妊婦、胎児の死亡率はかなり低いらしいが、それができない庶民の場合、決して無視できない割合の危険性がある。
光魔法に『浄化』や『殺菌』があるように、“清潔さ”に関する認識はあり、手を洗いもせずに医療行為をしたり、子供を取り上げたりするようなことはないが、庶民では風呂すらまともに入れないという現実もある。つまり、自ずと限界はあるのだ。
「そうだけど……私の心情も考えて」
「ゴメンゴメン。ま、ヤスエは大丈夫だよ。何かあってもなんとかするから。ハルカとナツキが」
「他力本願!?」
「あたしたち、一心同体なので! 一緒の家に住んでるしね」
「……ふ~ん? 上手くいっているんだ?」
「それなりかな? ま、順調だよ?」
ニマニマと笑いながら俺たちを見回すヤスエに、ユキはコクリと頷く。
まぁ、上手くいっているのは間違いないか。
俺には経験がないが、寮の共同生活なんかよりよっぽど過ごしやすいと思う。
元々幼馴染みで気の置けない仲だったこともあるが、やはり個室を手に入れたことも大きい。
意見の相違がゼロとは言わないが、普通に話し合って解決できる範囲。
俺たちとは生活環境が異なっていたメアリたちも、下がるならともかく、大幅に上がった生活レベルに文句を言うことはない。
この状況で仲違いするのは、コミュニケーション能力に問題がある人ぐらいだろう。
「ちなみに、予定はあるの?」
「あたしはないけど、ハルカは――」
ユキは首を振り、意味ありげな視線をハルカへと向けた。









