370 海辺にて (1)
「ま、それはそれとして、海だな。……うむ、確かに海だ。塩っぱい」
雑談をしながら辿り着いた浜辺。
打ち寄せる波を掬って味見したマークスさんは、納得したように何度か頷く。
「塩が得られることは間違いないな。あとは、どんな魔物が出てくるかだが……お前たち、この辺りで戦ったか?」
「いえ、前回は海を確認した後は、すぐに帰りました」
「エルダー・トレントとの戦いで、消耗してたもんね、あたしたち。魔物の情報もなかったし」
「はい。私たちが買った魔物事典にも記載がなかったので。ディオラさんに取り寄せてもらったのですが、冒険者ギルドの魔物事典には、海の魔物は含まれないのですか?」
尋ねるナツキに、マークスさんは少しばつが悪そうに頭を掻く。
「あー、そいつはすまん、と言うべきかもな。一応、海の魔物が載った巻もあるんだが、この国、内陸国だろ? だから、大半のギルドでは常備してないんだよ。需要がないから、在庫もないしな。王都や大都市のギルドなら持っているはずだが……」
俺たちが手に入れようと思うと、それらから写本してもらうか、沿岸国のギルドから取り寄せるかのどちらか。
いずれにしても簡単には手に入らない。
ディオラさんも、ほとんど使う可能性がないような本――しかも、金貨が何十枚も飛んでいくような代物を、あえて取り寄せようとはしなかったのだろう。
この世界の本、ついでに買うには、ちょっと高すぎる。
「ただ、こうなるとウチのギルドでも常備する必要があるだろうな。お前たちが必要なら、一緒に取り寄せるが?」
「是非、お願いします。相手のことを知りもせずに戦うのは、危険ですから」
「判った。伝えておこう。――これで今回の目的は達したことになるんだが、少し魔物の姿も確認しておきたいな」
「マークスさんは、沿岸国で活動していたこともあるんだよな? 海の魔物に関しても、詳しいのか?」
「詳しいとはいえない。海には出なかったからな。せいぜい、海岸で何度か戦っただけだ。何種類か注意すべき魔物はいるが、砂浜だと“ホッピング・レザーシェル”が厄介だったな」
「レザーシェル……貝ですか?」
「あぁ。砂の中に潜む細長い貝でな、暢気に砂浜を歩いていたら危ないぞ?」
長さは三〇センチで直径三センチほどの棒状。
上部は硬く鋭く、人が歩く振動を感知して、突然足下から飛び出してくるらしい。
裸足であれば、足の裏から甲まであっさりと貫通し、靴を履いていても柔な靴底程度ならあっさり貫いてしまうとか。
マジ危険。海水浴が遠のく。
「鉄板入りの靴ならさすがに大丈夫だが、かなりの勢いで飛び出るからな。多少丈夫な程度の革のズボンでは防げないし、運が悪ければ尻に刺さる。……いや、尻ならまだマシだな。最悪は……」
言葉を濁し、下半身に視線をやるマークスさん。
地面から飛び出た物が刺さりそうな場所で、足と尻を除いた場所。
……うん、刺さったら最悪だな。
男としての人生が終わる。
「マ、マークスさん、オレたち、鎖帷子のズボンを穿いているんだが、それなら大丈夫か?」
「あぁ、それなら大丈夫だ。さすがに鎖帷子を貫いたりはしない。そもそもホッピング・レザーシェルは、対応が簡単な魔物だからな。ちょっと長めの棍棒があればそれでいい」
「棍棒……木剣でも良いですか?」
「構わないぞ。ちょっと貸してみろ。こんな感じにな」
ハルカがマジックバッグから取り出した木剣を手渡すと、マークスさんはそれでポンポンと砂浜を叩きながら歩き出す。
「ここにいるのかは判らないが、危険なのは波打ち際だ。乾燥している場所にはいない。こんな感じに叩いていると、飛び出してくるんだが……ここにはいないようだな。慣れれば、ちょっとした小遣い稼ぎになるんだが」
飛び出す高さは一メートルあまり。その後は砂浜に落下するので、再度砂に潜り込む前に、殻を砕いてしまえば簡単に斃せるらしい。
「久しぶりに食いたかったんだがなぁ」
マークスさんはそんなことを言いつつ、少し残念そうに砂浜を叩いているが、飛び出してくる物はない。
ちょっとだけ、海水浴が近付いた。
「そんな怖い貝なのに、美味しいの……?」
砂浜に潜む魔物を警戒してか、俺たちの後ろを歩いていたミーティアが興味深そうに聞けば、マークスさんは振り返り、深く頷く。
「あぁ、美味いぞ? 酒の肴にちょうど良い。あの頃は日が暮れる前に何匹か集めて、宿に帰ったもんだ。そのまま炭火で焼いてな、こう、ナイフで切り分けて食べたら、ほどよい塩味で酒が進むんだ」
マークスさんは、そのときのことを思い出しているのか、目をつむって語り、唇を舐めた。
話を聞くだけで、俺も唾がわいてくる。
貝なんてしばらく食べてないからなぁ……。
「貝が手に入ったら、料理の幅も広がるわね。……海が危険なのはちょっと困るけど」
「貝は食べたことないです。機会があれば、食べたいかも……」
「ここの砂浜は広い。どこかにはいるかもしれないぞ? 逆に言うと、気は抜けないってことだけどな」
「やっぱ、海水浴は無理かぁ」
誰かの水着姿を想像したのか、やや暢気に、残念そうな言葉を漏らしたトーヤに、マークスさんが目を剥いた。
「お前、死にたいのか? ここはダンジョンだぞ? いつ魔物が復活するかも判らん場所で無防備になるなど、自殺願望があるとしか思えん」
「うっ、だよなぁ、やっぱ。ダンジョンじゃない海なら、海水浴ってあるのか?」
「まぁ、ごく一部だな。魔物が少ない場所、且つ定期的に掃討して管理されている場所だけだ。金持ち向けの保養地だな」
平民お断りの、貴族や王族、一部の豪商のみが使えるエリアがあるらしい。
大抵は入り江で、危険な魔物や生物が入ってこないように管理、運営されているんだとか。
サメ避けネットでお手軽に、とはいかないだろうし、なかなか大変そうである。
「普通の平民が泳げるような場所は、ごく一部の安全な川や湖ぐらいだな。……まぁ、ランク一〇のバケモノなら、魔物が出現する海でも平気で泳ぐかもしれないが」
「そんなに?」
「あぁ。素足でもホッピング・レザーシェルを撥ね返すぞ、あいつら。サメに噛まれても、笑いながら振り払ってたからな。ふざけた奴らだぜ」
その言葉からして直接目にしたことがあるのか、マークスさんは顔を顰め、ため息をつく。
「高ランクって、そこまで理不尽なんだ?」
「理不尽だな。つーか、お前らも一般人からすりゃ、十分理不尽だろうが。普通なら骨折するような攻撃を食らっても、ピンピンしてるだろ?」
「あ~、そういえば、そうかも?」
少し考え込んだユキが、曖昧に笑う。
思えば、俺も最初の頃はオークに殴られて骨折とかしたわけだが……今なら大丈夫そうな気がする。
最近はオークから攻撃を喰らうことがないので、単純には比較できないのだが、オークよりも強い敵とは戦っているわけで、それと比較すれば、なんとなくは解る。
包丁で刺されても大丈夫になる日も近いかもしれない――いや、刺されないように注意すべきなんだが。
「ま、ランク五か六ぐらいまでなら、真面目に頑張ればなんとかなるんだがな。だが、それ以上は違う。ランク七になるには、才能がある奴が努力しても、早くて五、六年、ランク八なら一〇年以上が必要だ。普通は、な」
「えっと、私たち、一年ほどでランク六なんだけど……?」
「お前たちは特殊だよ。登録した時からある程度の技術を持っていて、魔法使いが多い。それに加えて、時空魔法まで使える。俺もエルフの事情はよく知らないが、こんな田舎にいる奴らじゃないだろ、と正直思ってるからな。ギルドとしてはありがたいが」
遠慮がちなハルカの言葉に、マークスさんは苦笑して、肩をすくめる。
「う~ん、でもそれだと、九、一〇になる頃には、体力的に落ち目になってるんじゃ? エルフならともかく、人間や獣人なら」
「だからバケモノなんだよ。ランクが上がるのも早いが、体力も落ちない。何なんだろうな、あれは。自分で言うのもなんだが、俺たちのパーティーもかなり優秀と言われてたんだぞ? それでも、引退時でランク八だ」
ブチブチと文句を口にしたマークスさんだが、思わず俺は、それに異を唱えた。
「いえ、マークスさん。はっきり言って、マークスさんも大同小異、同類じゃないですか」
「アイアン・ゴーレムを一撃とか、ちょっとあり得ねぇよな」
おそらくマークスさんも五〇は超えていると思うのだが、俺たち以上のスタミナと筋力をしっかりと保持している。
これで『かなり衰えた』とでも言われたら、現役時代はどんだけだったのかと。
もしかしてレベルアップは、防御力の向上以外に、そのあたりにも影響があるのだろうか?
「いや、気持ちは解るが、小異じゃねぇよ? 比べものにならないから。ランク一〇は。そうそう出会うこともないだろうが、出会ったらお前らも同意するとおもうぞ?」
そんなものなのだろうか?
楽しみなような、少し怖いような。
それでも一度ぐらいは見てみたい気はするな。









