307 落下 (1)
前回のあらすじ ----------------------------------
真夜中、フライング・ガーの襲撃を受ける。
地道に崖を登ったハルカたちは、二日あまりかけて二一層を脱出した。
落下するにつれて濃くなっていく水煙。
視界は急激に悪化していた。
異常に深い谷。
それが良かったのか、悪かったのか。
だが、それだけの高さがあったおかげで、俺たちは地面に激突する前に、体勢を整えることができていた。
ナツキが俺の首に手を回し、俺もナツキの腰を引き寄せて支える。
「ナオくん! 転移は!?」
「無理!」
色々と便利な転移魔法ではあるが、この魔法、現在地と転移先を把握して発動する必要がある。
だが今の俺たちは、秒以下で位置が変化している状態。
つまり、魔法の準備から発動までの間に現在地が変化してしまい、確定できない状態。
馬車でゴトゴト移動してるぐらいなら、何とかなるだろうが、この速度ではとても無理なのだ。
だからといって、俺も考え無しに飛び出したわけではない。
「『空中歩行』!」
やってて良かった、魔法の練習。
二一層の状況を知って以降、俺はひたすらこの魔法の練習を重ねていた。
風魔法の、それ以下のレベルの魔法をすべてすっ飛ばして。
その結果、無事に使えるようになった――かと言えば、そうじゃないんだよな、うん。
世の中そんなに甘くはない。
けれど、努力もまた無駄ではない。
足下にグググッと抵抗が生まれ、僅かに落下速度が低下。
その直後、その抵抗がフッと失われ、また落下が始まる。
「ナツキ、下に『光』を!」
「はい!」
応えると同時、ナツキが一定間隔で三つの『光』を、下方に向けて飛ばした。
「ナイス!」
濃霧で底は見えないが、光は確認できる。
『光』の魔法は、術者から一定の距離を保って移動させる事ができるため、あの光が消える、もしくは動かなくなれば、そこが地面。
一〇メートルほどの間隔で光が浮いているため、地面から三〇メートルほどになればそれが判るだろう。
「『空中歩行』、『空中歩行』、『空中歩行』!」
不完全な魔法。
効果は半端で、使用魔力は半端ない。
通常、人間が落下した場合、自由落下での加速には限界があり、比較的すぐに終端速度に到達する。
つまり、地面さえ見えているのなら、チマチマと速度を落とすのは非常に効率が悪いのだが、現状では、終端速度――およそ時速二〇〇キロ――から、無事に着地可能な速度にまで減速するための、必要距離が把握できない。
だって、時速二〇〇キロって、一秒で五〇メートル以上落下するんだぜ?
一〇〇メートル上空で地面が見えたとしても、魔法を一回使えるかどうか、である。
故に落下速度を緩め続けるしか、取れる選択肢が無いのだ。
――あぁ、こんな事なら、パラシュートでも用意しておくべきだった。
不完全な物であっても、多少は足しになっただろうに。
今更ながらに気付いても、後の祭り。
「『空中歩行』……『空中歩行』」
うむ。ちょっとヤバい。
今日は、これまでにも魔力を消費していただけに、残りが心許ない。
「『精神回復』。頑張ってください」
「おう。『空中歩行』」
ナツキの魔法でちょっと気分が楽になる。
だが、さすがにそろそろ――見えたっ!
「水面っ!? ナツキ!」
「はい!」
考えてみれば当たり前。
崖下が岸辺ではなく、川である可能性も当然にあった。
不幸中の幸いなのは、明らかに深そうに見える川であることか。
逆に不幸なのは、かなり流れが激しそうなところ。
バシャン!!
そんな川の湍流に、俺とナツキの身体は落下、深く沈み込む。
こんな事なら、『水中呼吸』も練習しておくべきだったかもしれない。
だが、『水中呼吸』の練習に時間を使っていたら、『空中歩行』で減速もできず、溺死以前に墜落死していたかもしれないわけで。
練習時間が無限に有るわけでもなし、それは無い物ねだりというヤツだろう。
着水直前に息を吸い込み、水中に深く潜る事になった俺たちだったが、それでも川底に足が付く事も無く、激しい流れに水中を流される。
だが、ナツキの『光』があったのは幸運だった。
俺はそれを頼りに、水面に向かって水を蹴る。
「ぷはっ! ナツキ、大丈夫か!?」
「え、えぇ、何とか……」
抱き締め合った状態では身動きが取れず、かと言って離れれば、はぐれてしまい兼ねない流れの中、俺とナツキは指を絡めた状態で手を握り合う。
「『光』を周囲に飛ばせるか?」
「はい、ちょっと待ってください」
水面に頭だけ出した状態で流されつつ、俺はナツキの放った『光』を頼りに、周囲の状態を確認する。
ちなみに、もしもの時に溺れないようにするコツの一つとして、無駄に水上に手を出したりしない、という物がある。
人間の身体は水中にあれば浮力になるが、水上に出すと逆に荷重となる。
つまり、水上に腕を上げれば、腕一本分の浮力が減少する上に、それが逆に荷重となり、沈みやすくなる。
一番良いのは、頭――正確には顔の部分だけ水面に出して救助を待つ事なのだが、それは救助が望める状況、それも海の場合。
今の俺たちのように川に流されている状況では、少々当てはまらない。
先の状況が判っていれば、穏やかな流れになるまで流されるというのも一つの選択肢だが、何があるか判らない状況で、それはかなり怖い。
この先に滝があるかもしれないという危険性、更に流れが激しくなって岩に叩きつけられるかもしれないという危険性、フライング・ガーのような魔物が川の中にいるかもしれないという危険性。
考え出すときりが無い。
なので今俺にできるのは、頑張って川から這い上がる事である。
どこか上がれそうな場所は無いかと周囲を見回すが――。
「砂地は……無いか」
俺たちが今流されている場所の川幅は二〇メートルは超えているだろう。
その両岸は切り立った崖で、その下にあるのはゴツゴツとした岩場。
掴める場所も無い崖よりはマシでも、砂地に比べれば怪我をしそうでちょっと危ない。
「岩場があるだけマシと思いましょう。ナオくん、あちら側に」
「ああ」
上流を向いて左側。俺たちが落ちてきた方の崖へと泳いで近づき、何とか岩を掴む。
「ナツキ……!」
「はい!」
ナツキを岩の上へと押し上げ、俺も彼女の手を借りてその上に。
一先ずは安全な場所に移れた事に対する安堵と、流れの速い川からの脱出に成功した事に、「ふぅ……」と息を吐く。
そんな俺にシンクロするように、ナツキもまた息をつき、俺たちは顔を見合わせて軽く笑う。
「結構、流されたか……?」
「私も結構必死だったので、良く判りませんが、流れは速かったですね」
上を見上げても、見えるのは白い霧に閉ざされた空。
俺たちがどれぐらい落下したかはもちろん、崖の高さすら判らない。
また、上流を見ても滝すら見えず、ただ轟々という音が聞こえるのみ。
「とりあえず、連絡しておくか」
「はい。二回で良いですか?」
そう言いながらナツキが取りだしたのは笛。
笛と言っても、呼子とか、ホイッスルとか言うようなタイプの笛で、楽器としての笛ではない。
この笛は俺たちが各自持っている緊急用の笛で、所謂緊急持ち出し袋とかに入っている笛と同じ用途で用意した物である。
ちなみに二回鳴らすのは、無事を知らせる合図。
他にも、光や鏡を使った連絡方法も決めているのだが、現状では役に立たない方法である。
まだ完全に安全になったわけでは無いが、俺たちの生死が定かではない状況では、ハルカたちが無理しかねない。
「うん、それが妥当だろうな」
「それでは、吹きます」
ナツキが大きく息を吸い込み笛に口を当てると、トミーに頼んで作ってもらった特注の笛が、甲高い音を響かせる。
滝の轟音、その重低音を切り裂くように、谷に響く高い音が二回。
そしてしばらく耳を澄ませていると、遠くから二度、同じような音が響いてきた。
それを聞き、俺とナツキは顔を見合わせて表情を緩め、大きく息を吐いた。
「向こうも、無事みたいだな」
「ですね。崩れた時、上にいたトーヤくんが心配でしたが……」
「なんとか落下は回避していたぞ? 地面に剣を突き立てて」
ナツキが下りたのは最後から二番目。
上に残っていたのはトーヤのみだったのだが、岩が崩れた瞬間、一瞬身体が宙に浮いたように見えたものの、地面に突き立てた剣に掴まってぶら下がっていた。
やや危なそうではあったが、あの状況での素早い判断は、素直に感心する。
「しかし、転移で戻るにしても、魔力の回復を待つ必要があるわけだが……ここは狭いな」
「はい、ちょっと落ち着きませんね」
俺たちが這い上がった岩は畳一畳にも満たない広さな上に、四角いブロックというわけでもないので、実質的に座れる場所は、少し斜めになった半畳ほどのスペース。
そこに俺たち二人が身を寄せ合うようにして座っているわけで、ナツキの言うとおり、かなり落ち着かない。
更に俺たちは、川に落ちてずぶ濡れ、周囲は霧に包まれ、気温もやや肌寒いほど。
この状態で魔力を回復しろと言われても、無理がある。
「まずは服を乾かしましょう。私はともかく、ナオくんの方は風邪をひくかもしれませんし」
「【頑強】も過信はできないよなぁ」
高レベルの【頑強】に【病気耐性】まで持つナツキに対し、俺にあるのは【頑強】のみ。
幸いな事にこの一年間、俺たちの中に病気になった奴はいないが、それは俺たちが、あまり無理をしないようにしていた事も影響しているはず。
どんな状況でも病気にならないほど、【頑強】が強力なスキルとも思えない。
「それじゃ、ナツキ、頼む」
「はい。『浄化』」
ナツキの魔法で、下着までぐちょぐちょだった状態が解消され、一気にすっきり。
まぁ、その状態も僅かな時間で、上に着ている服に関しては、すぐに霧によってジメッとしてしまうのだが。
「サンキュ。ナツキがいてくれて、助かった」
「いえいえ。ナオくんだって『乾燥』で乾かす事もできるでしょう?」
「できるが、あれは服を脱がないと、厳しいからなぁ」
ハルカが作った水魔法の『乾燥』。
これを使えば濡れた服を乾かす事はできるのだが、着ている状態で使うには少々危険な魔法なのだ。
肌が乾燥する、程度なら笑い話で済むのだが、失敗するとちょっとシャレにならない。
まぁ、無生物と生物。
比べれば後者の方が圧倒的に魔法が効きづらいため、よほど変な失敗をしない限り、致命的な事にはならないのだが。
かといって、ナツキの前でストリップを披露するのは避けたいし、そもそもこんな狭い場所で素っ裸になるのは、いろんな意味で危険すぎる。
俺たち、鎖帷子なんかも着ているのだから、もし手を滑らせて川に落としたりなんかしたら……イメージ的には、高級車がどんぶらこっこと流れていくようなもの。
お財布的に致命傷な上に、確実にハルカに怒られる事だろう。









