281 二一層は…… (1)
前回のあらすじ ----------------------------------
レッド・タイラント・ストライク・オックスを倒して得られたのは、テントだった。
二一層へと続く長い階段を下りると、そこにはとんでもなく大きな滝があった。
「これだけ立派な観光名所、これは、リタイアしても、ツアーガイドとしてもやっていけるかも? ――いや、観光の需要なんて無いかしら?」
滝を見上げながら、少し考えるように言ったハルカに、ナツキが苦笑を浮かべた。
「ハルカはいつも堅実ですね。今からリタイアした後の事まで考えなくても。まだ若いんですから」
「でも、リタイアしなくても働けなくなるかもしれないでしょ? その、アレとか……」
曖昧なハルカの言葉に、ナツキは少し首を傾げ、何かに思い至ったのか、ズバリとそれを口にした。
「アレ? あぁ、妊娠ですか。兆候、あるんですか?」
「無いけども! 暈かしたんだから、言わないでよ!」
頬を染めて苦情を申し立てるハルカに対し、ユキは納得したように頷く。
「あー、確かにそれは困るよねー。人数も減るし。確かにツアーガイドぐらいなら、あたしとナオ、それに護衛としてトーヤがいれば十分かぁ。それでも生活費ぐらいは稼げそうだし」
頼むから、口を挟みづらい会話は止めて欲しい。
トーヤのニヤニヤが鼻につくし。
頷きながら肩を叩くな。
「んんっ、ん! さてー、ここからはどこへ進めば良いのかな~」
「フッ。わざとらしい話の逸らし方だな」
「黙れ、トーヤ」
お前の娼館通い、ハルカたちにぶちまけるぞ?
笑っているトーヤの腹にパンチ。
――クソ。腹筋、硬いし。
「そ、そうね。この狭い棚は向こうに繋がってるけど、これが道なのかしら?」
だがそれを契機に、少し困ったような表情のハルカもユキたちから離れて、俺の隣へと立ち、崖に張り付くような棚を指さした。
俺たちが出てきた穴がある場所は少しだけ広く――といっても、やや大きめの部屋程度だが――なっているが、そこから滝から離れる方向に延びている棚はかなり狭い。
イメージ的にはアレ。
黒部ダムを造る時に作ったという、岩壁をくりぬいた歩道。
落ちたら普通に死ぬ。
一応、大人二人が並んで歩ける程度の幅はあるのだが、現実的には一列で移動するのが限界だろう。
「これは、なかなかスリルがあるねぇ。正直、ワイヤーでも張って、カラビナを使いたいところ」
恐る恐る下を覗き込みながら、ユキがそんな事を言うが、正にそんな感じである。
高さだけを言うのなら、ディンドルの木も十分に高かったのだが、感じる恐怖感は圧倒的にこっちが上である。
「……まさか、いきなり足下が崩れるような罠なんか……ねぇよな? ダンジョンだけに」
「「「………」」」
トーヤの不安そうな言葉に、沈黙する俺たち。
無いと断言できないところが怖い。
「――さて、先頭はいつも通り、トーヤよね」
「おぉぉい! この場面でその台詞!? マジ、怖いんだけど!?」
「冗談よ。罠の感知はナツキに期待して、万が一のために、互いをロープで結んでおきましょ。落ちたのが一人なら……まぁ、何とかなる……と、期待したいわね」
「一番危険性が高いのがトーヤ、というのがなぁ……」
ハルカの台詞が、なんとも曖昧な言い方になるのも仕方ないだろう。
体重、筋力共に一番なのはトーヤなのだ。
他の誰が落ちようとも、トーヤなら一人で支えられるかもしれないが、トーヤが落ちてしまうと、俺とハルカの二人ではたぶん無理。
装備を含めたトーヤのウェイトは、俺たち二人を確実に超える。
ナツキが参加すれば、ギリ耐えられる、か?
もし落下加速度がついていれば、ユキが加わっても引きずられるだろう。
地味に頼りになりそうなのはメアリだが、ウェイト面はどうしようもないしなぁ……。
「……マジでやばければ、ロープを切ってくれても良いからな?」
微妙に悲愴な顔をするトーヤに、ナツキは首を振った。
「いえ、先頭は私が行きましょう。トーヤくんはその後ろで。それなら落ちても支えてもらえますから。あと、万が一誰か落ちたら、全員即座にその場にしゃがんでくださいね。立っているとバランスが崩れますから」
「良いの? ナツキ」
「この場では、それが最善でしょう。それに、私も一応、前衛ですし」
トーヤほど硬くはないが、ナツキも分類としては前衛。
それでいて、罠を調べる事もできるのだから、合理的ではあるのだが、女の子を先頭に立たせる事に、少し気になる部分が無いでもない。
だが、基本的には平等の俺たち、積極的に反対するだけの理由にはならず、俺たちは互いをロープで結びあった。
ある程度は動けるが、転落した時に、加速度がつきすぎない程度の間隔でしっかりと。
ナツキを先頭に、順番はトーヤ、俺、ハルカ、メアリ、ミーティア、最後がユキである。
「それじゃ、行きますね」
一度俺たちを振り返り、一つ頷いたナツキは、慎重に足下を調べながら、その細い道を歩き始める。
その道の幅は時に広がり、時に狭まり。
最も狭い場所では幅五〇センチほどしかなく、しかも微妙に崖下に向かって傾斜した状態。
そんな道が一〇メートルほども続いている箇所があった。
正直、めっっっちゃ怖い。
高所恐怖症という自覚は無かったが、この状況ではかなり足がすくむ。
ハルカなどは、やや血の気の引いた、かなりマジな表情で、「こんな事なら、もっと真面目に『空中歩行』を練習しておくべきだった……」と漏らしていたのだが、正にそんな魔法が欲しくなる状況。
そんなスリリングな道を三〇分ほども歩いた頃だろうか。
俺は気になる反応を感知し、慌ててナツキに声を掛けた。
「ナツキ! ちょっとストップ!」
「ナオくん、どうしました?」
「いや、何か気になる反応が……」
即座に立ち止まり、こちらを振り返ったナツキの隣に、俺は移動。
と言っても、俺が移動すると、全員が移動する事になるのだが。
ロープで結ばれているので。
崖に張り付くように団子になった状態は少々不格好だが、それも安全のためには仕方ない。
「【索敵】の反応がな。ちょっと気になったというか……」
明確な反応ではないのだが、ナツキの前方の右壁面、そこがなんだか気になる。
喩えるならば、ナツキたちが【隠形】を使っている時のような?
俺の【索敵】もレベルアップしているので、かなり精度は上がっているはずだが……。
「この辺りが……」
槍を手に、気になる岩壁――どう見ても岩にしか見えない部分を突くと――。
カンッ!
「うわっ!」
「「えぇっ!?」」
岩壁が突然弾け飛び、俺の槍を跳ね返した。
崖の方へ流れそうになる槍を咄嗟に掴み直すと、俺の槍を弾いた岩の塊はそのまま崖の下に――。
いや、アレから敵の反応がある。なんだ!?
「ロック・スパイダー、敵よ! ……と言っても、落ちて行っちゃったけど」
体当たりで俺の槍を跳ね返し、そのまま落ちていった敵……。自殺志願者?
「いえ、よく見るとここ、糸がありますよ」
「え、ホント? ……ホントだ」
「すっごく細いの。これは見えないの」
ナツキの言ったとおり、よく見るとロック・スパイダーが張り付いていた場所から糸が伸びている。
ミーティアが目を細め、その糸を摘まんで引っ張るが、少し離れてしまえば何も無い場所を摘まんでいるようにしか見えないほど、その糸は視認しづらかった。
「えっと、つまりこの敵はアレか? 気付かずに前を通った敵に体当たりして、崖から突き落とすと? ……怖っ!」
ロック・スパイダーの攻撃方法に思い至ったのか、トーヤが『げっ』と顔を歪める。
先ほど、俺の槍を弾いた速度はかなりのもの。
あれはトーヤぐらいの体格であっても、突然ぶつかられれば危ない。
「しかも、自分はきっちりと命綱を付けてね。……戻ってくるのかしら?」
ハルカの言葉に、慎重に崖下を覗き込むと、細い糸の先には、先ほどの岩に脚が生えた生物が繋がっていた。
こうやって見ても、脚が無ければ本当に岩にしか見えないな。
マジで【索敵】が無ければ見つけられないぞ。
「あ、ぶら下がって、揺れてやがる。――切ってやれ」
俺同様に下を覗き込んでいたトーヤが、その糸を引き千切ろうとしたが案外丈夫なようで、簡単には千切れず――。
「くそっ。ナオ、火!」
「はいはい」
いらついたトーヤに要求され、俺が『着火』で軽く焙ってやると、糸はあっさりと焼け落ち、その先に繋がっていたロック・スパイダーは風に流されて崖下、滝の水で煙る中へと消えていった。
「ふぅ。ちょい、すっきり」
「何も得るものは無かったけどね」
汗を拭ったトーヤに向けられたのは、ハルカの白い視線。
あれによってロック・スパイダーは斃せたかもしれないが、魔石は得られないし、他の素材も同様。残ったのは、壁から延びた僅かなクモの糸だけである。
「でも、引っ張り上げて倒すのも面倒なだけじゃないか? 得られるのって、魔石と出糸腺だけだぞ?」
トーヤも一応、【鑑定】はしていたらしい。
魔石の価値は三千レアなので、どれぐらい硬いかによるが、先に発見して斃す事ができれば、案外悪くないかもしれない。
「出糸腺、良いじゃない。確か、かなり良い素材よ。ねぇ、ナツキ?」
「はい。先ほどの様子を見ても判るとおり、かなり強固な糸が作れますから、普段着が防具として使えるレベルになります」
「その代わり、炎には弱いから、処理が必要だけどねー」
炎に弱いとは言っても、普通の繊維――綿や絹と比べて特に弱いわけではなく、防具として使うには弱いというだけ。
錬金術で出糸腺から糸を作る時、特別な処理を行えば補えるため、ナツキが言ったように、防具としてはかなり良い素材になるらしい。
もちろん、普通の服を作れば、綿などよりも丈夫で長持ちの服になるし、先ほどトーヤが引っ張っても切れなかったように、柔軟性も兼ね備えているのだから、かなり高機能な繊維と言えるだろう。
「と言うわけで、次からはしっかり回収していくわよ?」
「了解――というか、ダイブする前に斃したいところだな。なので、ナオ、よろしく。正直、オレは判らなかった」
「うん、あたしも。擬態のレベル、かなり高いよね?」
「匂いもしませんでした。動物なら、あの距離まで近づけば気付くんですが……」
トーヤ同様、メアリたちも魔物の気配には敏感で、これまでも俺が指摘する前から魔物に気付く事は多々あったのだが、今回のロック・スパイダーには通用しなかったようだ。
「見て気付くのは難しそうよね。……慣れれば判るようになるのかしら?」
「どうだろう……? 事前に指摘するから、頑張ってみてくれ」









