195 依頼とピクニック (3)
前回のあらすじ ------------------------------------------------------
立ち入り禁止の森の奥にあったのは、火口跡と思われる場所の底にある池。
その池の水は上から見れば澄んでいて、サファイアブルーに輝いている。
ナオには水の問題点は判らなかったが、トーヤの鋭い嗅覚では僅かに臭い。
「トーヤ、温泉っぽい匂いとか、ある? そうならもう、完全にお手上げだけど」
ハルカの問いに、トーヤは少し考えて首を振る。
「さすがに水脈は動かせねぇからなぁ。だが……多分、違う? いや、温泉、あんまり行ったことねぇし、臭いなんて良く判んねぇけど、硫黄っぽい臭いは無いな。味も知らねぇし」
「正確には、あれ、硫化水素の臭いだけどね。あたしが行ったことのある他の温泉だと、単純炭酸泉とか、含鉄泉とか? 含鉄泉はちょっと匂いがあるかな」
「あんまり、温泉を飲む機会って無いものね」
「私は、有馬温泉や下呂温泉などで飲んだような記憶がありますが、あんまり印象に残っていませんね……。味が無かったわけじゃないですが」
俺は行ったこと無いのだが、ナツキによると有馬温泉や下呂温泉には、温泉が飲める場所があるらしい。
まぁ、鮮明に記憶に残るほど強烈な味だと、飲むには適さないか。
「結論としては、水脈が原因とは言えないが、違うとも言えない、と。う~む……」
どうしたものか、と悩んでいると、そこに「きゅるる~~」と可愛い音が響き、全員の視線がミーティアに集まった。
「えへへ、お腹、減っちゃったの」
照れたようにお腹を撫でるミーティアに、俺たちの顔も緩む。
そういえば、もうそろそろお昼の時間だった。
大人である俺たちはある程度我慢もできるが、ミーティアたちはまだ子供である。食事や体力をきちんと考えて行動すべきだろう。
「調査は一時中断して、先にお昼にしましょうか」
「そうですね。随分歩きましたし、メアリもお腹減ってますよね?」
「はい、少し……」
やはりまだ遠慮があるのか、メアリの応える声は小さい。
「遠慮せず、『腹減った。飯食わせろ!』って言っても良いんだぜ?」
「そ、そんな……!」
「トーヤ、逆に言いづらくなるだろうが。ま、腹が減ったら減ったで、普通に言えば良いから。行こうか」
「は、はい」
池周辺には木が生えていないので、メアリの背中を押して、少し離れた場所にある木陰に移動し、シートを敷く。
その上に、ハルカやナツキがいくつもの料理を並べていく。
「わぁ、たくさんあるの!」
「凄い……お昼にこんなに食べるんですか?」
「普通の依頼ならもっと簡単に済ませるけど、今日はピクニックも兼ねてるからね」
普段であれば手軽に食べられるサンドイッチやハンバーガー、それも立ったままやそのまま地べたに座って食べることも多いのだが、今日はしっかりシートを敷き、その上に置かれているのはスープの入った鍋や大皿など。
前回ダンジョンに閉じ込められたとき、かなり消費していたから、これらはあれ以降、新たにストックした料理なのだろう。
「さ、座って、座って。食べましょ」
シートの上に座った俺たちに、配られる食事。
俺たちからすれば食べ慣れた味だが……。
「すっごく美味しいの!」
「お菓子も美味しかったですが、ご飯も……。料理のお手伝い、ちょっと自信が無くなりそうです」
目を輝かせ、両手をフリフリして喜ぶミーティアに対し、メアリの方は嬉しさと不安、両方が入り交じった表情を浮かべる。
基本的には俺たちの舌に合わせて作っている料理だが、メアリとミーティアの舌にも合うのであれば、一緒に生活する上では色々と楽になる。
「そういえば、本格的な料理を食べるの、初めてか」
よく考えればメアリたちを拾って以降、ハルカたちの作った料理を食べるのは初めてだった。
ちょっとしたお茶菓子や軽食程度なら休憩の時にも振る舞っていたが、それ以外は宿で出される料理と街で入った食堂の料理。
それらのプロが作った料理よりも美味しいのだから、“雑用”として、料理の手伝いをする予定のメアリとしては、ちょっと気になるところだろう。
「心配しなくても大丈夫ですよ。お願いするのはお手伝いですから」
「そうそう。教えてあげるし。あたしだって、小さい頃は料理なんてできなかったんだから」
「小さい頃はみんなそうよね」
「そう、ですよね! よろしくお願いします!」
女性陣のフォローにメアリは笑顔になって、ぺこりと頭を下げる。
庶民が食べる屋台の場合、大半が味よりも量という部分があるので少々不安だが、ハルカたちに任せておけばきっとそれなりの腕にしてくれるに違いない。
そうなれば、将来的には料理人という選択肢も出てくるか……?
ま、先のことは判らないが、選択肢が広がるのは良いことだよな?
◇ ◇ ◇
「さて、そろそろ調査を再開しましょうか」
ハルカがそう言って立ち上がったのは、昼食を終えて30分ほど経った頃だった。
寝っ転がって食休みをしていた俺たちもまた立ち上がり、伸びをする。
正確には、寝ていたのは俺とトーヤ、それにミーティアで、それ以外は座ってお茶を飲んでいたのだが。
「ふー、それじゃ、頑張るか!」
「頑張るの!」
よいせっ、と立ち上がったトーヤが池へと向かい、ミーティアもその後に続く。
別にミーティアは何もする必要は無いのだが、耳をピンと立てて、尻尾をフリフリ。なんだがやる気一杯の彼女を見ていると、あえて止める気にもなれない。
俺はハルカと共に手早く敷物を片付け、トーヤの後を追う。
そして、全員で池の周りをぐるりと回りながら、問題点を探していくのだが……見て判るような物は何も無い。
池の岸から1メートルほどは草も生えていないし、池の中は岩盤のようになっていて、水草はおろか砂すら溜まっていない。
何かゴミが落ちている様子も無いし、生き物の死体が浮かんでいるとか、そんな事も当然無い。
「湧き水自体が問題という可能性を排除するなら、あとは唯一流れ込んでいる小川という事になるわね」
「アレも見た感じはきれいな水だったが……」
とは言え、それに原因が無ければお手上げに近くなるので、改めて小川まで行き、水を汲んでみる。
「トーヤ、どうだ?」
「……あ、結構臭い。多分、原因はこれだな」
「臭いの!」
今回は口に含むまでも無く、トーヤは汲んだ水に鼻を近づけただけで、すぐに答える。
ミーティアもトーヤの真似をして声を上げる。
俺も同じようにしてみるが……やっぱり判らん。
「そんなはっきり判るのか?」
もう1人の獣人、メアリにも訊いてみるが、メアリもまた水を掬い取るとすぐに頷いた。
「そう、ですね。水に鼻を近づければ判るレベルです」
「多分、獣人ならすぐに判るレベルだぜ、これ。依頼者も、わざわざギルドに依頼を出さずとも、知り合いの獣人でも連れてくれば終わったんじゃねぇのかね?」
「かも知れないが、知り合いに獣人がいなかったら?」
「そりゃ、多少のバイト代でも払って、適当な獣人を――あぁ、そっか、それがオレたちか」
「そういう事になるでしょうね。それに、ここに水を汲みに来るときには、一応護衛を連れてくるみたいだから、絶対に安全とは言えないわけだしね」
俺たちが来るときには、特に何かに襲われたりはしなかったが、たまには危険な動物に遭遇することもあるらしい。
であるならば、やはり冒険者に依頼を出すのは間違っていないのだろう。
「臭いの原因は小川の上流、山の中か」
この小川は火口っぽい擂り鉢の外縁部を越え、山の上から流れてきている。
目に見える範囲に特別な物は何も無いので、俺たちは時々水の臭いを嗅ぎながら、小川を遡っていく。
そして外縁部を越えて山の中に入り、森の中を数百メートルほど。
何かを見つけたのか、トーヤが足を止めた。
「原因はここだな」
「ここ?」
トーヤが指さした位置を見て、俺たちは首を捻る。
見た感じ、普通の小川なのだが……。
「ああ。一番匂いがきつい。ちょっと待ってろ」
そう言ったトーヤは、ショベルを取り出して小川の川底を掘り出した。
小川の底に溜まっていたのは粒の粗い砂で、見る見るうちに穴ができあがっていく。
そしてやがて、それが見えてきた。
「あ、下水スライムなの!!」
それを見て声を上げたのはミーティアだった。
灰色から黒のような、濁った色のスライムが数匹?
ごちゃっとしていてよく判らないが、そんな物がそこには埋まっていた。
「下水スライム? もしかして水を汚すのか? そのスライム」
「いえ、違いますね。逆に水を綺麗にする役目があったはずです。正式な名前は……トーヤくん、何でしたっけ?」
「オレ? ……あぁ、そっか。えっと、“クリア・スライム”だな」
ナツキに訊かれて思いだしたのだろう。【鑑定】で調べたらしいトーヤが、スライムの名前を口にする。
はっきりと記憶していなくても効果を発揮する【鑑定】スキル、やはり便利である。
もちろん、スキル無しでも素早く記憶を引き出せるナツキの方が凄いのだが。
「見た目は汚泥みたいなのに、クリア……」
「汚れた水を綺麗にしますからね」
「でも、原因はこれだよな? 微妙に臭いし」
さすがにこの状態であれば、俺にも僅かに臭いが感じ取れる。
この臭いが混ざったせいで、あの池の水が汚染されたのだろう。
「そうでしょうね。最終的にはその名前の通り、綺麗になるはずですが、汚れたところに発生するため、ゴミや汚れを取り込んでしまいますから……」
「これって、人為的だよね、やっぱ」
「綺麗な場所では発生しないスライムですからね。ここだと、どこかから持ってこないと」
「目的はあの池を汚染することなんだろうが……微妙だなぁ」
「ホントね。普通、気付かないでしょ、あの程度の汚染」
池に何か放り込むわけでも、このあたりにゴミを捨てるわけでもなく、クリア・スライムを埋めておくだけ。
この程度の汚染でも、エールにすると判るぐらいの違いになるのだろうか?
俺だと絶対に判らないと思うのだが……目的がよく判らない。
嫌がらせという意味であれば、こうして俺たちに調査依頼が来ているのだから、確かに効果はあったのだろうが、なんとも中途半端である。
「ま、これを討伐すれば依頼完了――」
「ストップ! それはダメ!」
ショベルで取り出したクリア・スライムをそのへんに放り投げようとしたトーヤを、ハルカが慌てて止めた。
「え? なんで?」
「私たちの仕事は、原因の調査。解決じゃないわ」
「いや、まぁ、そうだけどよ……」
斃してしまえばよくね? みたいな表情を浮かべたトーヤに、ハルカは少し困ったように言う。
「確かに斃せば一時的には問題が解決するかもしれないけど、これって、明らかにおかしいでしょ? 普通こんな所にいないはずのスライムがいるんだから。しかも、隠すようにして」
「まぁ、明らかに何らかの目的があるよな」
「でしょ? なら、ここでこのスライムを斃しても意味が無いじゃない。またやられるかもしれないんだから」
「……あぁ、なるほど。色々調査するなら、これはこのままの方が良いのか」
「危険な魔物がいたなら別だけど、このスライムなら放置しても問題ないでしょ? 現場の保存は重要だからね、犯罪捜査には」
「確かにな」
納得したように頷いたトーヤは、ショベルに乗っていたクリアスライムを穴の中に戻すと、適当に砂をかけて、再び埋める。
この状態で生存できるのか、と思わなくもないが、これまで生きていたのだから問題は無いのだろう。
スライム、不思議な生態である。
「それでは、地図にこの場所をマーキングだけして、帰りましょうか」
「そうね。依頼としてはこれで問題ないでしょ」
少々すっきりしない部分はあれど、後は依頼主が考えることなので、依頼自体は無事完了。
自然豊かな森でのピクニックで、気分のリフレッシュも完了。
メアリとミーティアもちょっと明るくなって良い感じ。
俺たちは足取りも軽く、ピニングへと戻ったのだった。
◇ ◇ ◇
「そんなわけで、この場所に所謂“下水スライム”がいました。水の臭いが問題となっているなら、原因はこれでしょう」
池から帰ってきた翌日、俺たちはギルドへと報告へ訪れていた。
昨日はのんびりとしていた関係で、宿へと戻った時間が遅かったため、報告は今日へと先送りしていたのだ。
「下水スライム……確かにそれはおかしいですね。解りました。依頼内容は完了と認めます。ありがとうございました」
“調査”と“解決・討伐”は違うときちんと理解しているらしく、受付嬢は特に文句を言う事無く、依頼料を支払ってくれた。
「確かに。受け取りました」
ただ、原因が人為的な物と判明してしまったことで、渋い顔を浮かべている。
自然現象であれば、それを解消すれば済む話だが、人為的となると、一度なんとかしてもまた同じ事をされる可能性が出てくる。
それも、次はもっと判りにくい方法に出る可能性もあるのだから、件の醸造所を贔屓にしていると思われる受付嬢にとっては、歓迎できない事態だろう。
尤も、自然現象は自然現象で、解決不可能という事も考えられるのだから、どちらが良いとも言いがたいとは思うが。
「――今回の依頼主、何か恨みでも?」
「恨み、とはちょっと違いますが……オフレコですよ?」
小声で受付嬢が教えてくれたところによると、同業他社が件の醸造所を狙っているらしい。
資金繰りの面ではダメダメな醸造所だが、そのネームバリュー、そして例の池の独占を認められているという事実は非常に大きい。
もし上手く傘下に収めることができれば、そして、まともな経営者が運営することができれば、大きな利益を出すことは確実。
今は正に、何人もの人が、熟れて落ちてくるのを、木の下で待ち受けている状況なんだとか。
「なるほど、致命的に汚染させないのは、それが原因ですか」
「可能性は高いです。今期失敗すれば、決定的ですから」
少し呆れたようなハルカに、受付嬢も困った笑みを浮かべる。
そんな危機的状況であれば、普通の人なら気付かない汚染なんて無視して、酒造りに励めば良さそうなものだが、それができないのが職人なんだろう。
俺からすれば、それで醸造所を潰してしまっては、何の意味も無いと思うのだが……。
もちろん、俺がどうこう言う事じゃないとは思うのだが、自分のこだわりで周囲に迷惑をかけるのはどうなんだろう?
「そこまでして、こだわる物なんですかね、エール作りって」
「そのこだわりが“ピニングのエール”を作ってきた部分もありますから、私としてはなんとも……」
「こだわりかぁ……噛み合ったときにはスゴいんだろうけど、噛み合わなくなったら、地獄の一丁目?」
「日本企業、それで結構やられてるからな」
高品質が良いのは当然だが、多少品質が悪くても、安ければ売れる。
そういう物も案外多い。
エールにしても、いくら美味くても、それを感じられるのが極一部でしかなければ、過剰品質とも言えるわけで。
「妨害工作はダメだと思いますけど……う~ん、頑張ってください、ぐらいしか言えないですね」
これがアエラさんのお店とか、ガンツさんや微睡みの熊の様な知り合いなら、色々手を尽くすところだが、あった事も無い相手で、俺たちからすればあまり興味の無いエール。
なるようになるんじゃない? というのが正直なところ。
何だかなー、とは思っても、青臭く「不正は許せない! 絶対に潰す!!」みたいな事を言うつもりも無い。
それをやるのは俺たちの仕事では無いのだから。
「ははは……そうですよね。取りあえず今回は助かりました。ありがとうございました」
複雑そうな笑みでお礼を言う受付嬢に見送られ、俺たちは冒険者ギルドを後にする。
エールのファンには悪いが、労多くして功少ない事が判りきっている物に、首を突っ込むのはちょっとな。









