S010 トミー釣行へ挑む (1)
今回は番外編です
その日、師匠のところから帰って部屋で休んでいると、僕の部屋の扉がノックされた。
訪ねてくる人なんていないはずなんだけど、と思いながら扉を開けると、そこに立っていたのはトーヤ君だった。
「あれ? 帰ってきたんですか? 釣りに行っていたんですよね?」
「ああ、ついさっきな。で、トミーには世話になったし、お土産を持ってきてやったぞ。ほら」
そう言ってトーヤ君が差し出した桶の中には、なかなかに立派なヤマメが2匹。
カチンコチンに凍り付いているけど。
「へぇ、凄いですね! このサイズはなかなか釣れませんよ!」
普通だと20センチぐらい。でも、トーヤ君の釣ってきたヤマメはその1.5倍はある。身の張りも良く、なかなかに美味しそう。
良いなぁ、これだと釣りごたえもあっただろうなぁ。
「釣れたって事は、毛針は上手く行ったって事ですか?」
「ありがたい事にな。ただ、毛針の出来が良かったかどうかは……」
トーヤ君は頷きながらも、苦笑を浮かべる。
このサイズを2匹も分けてくれるって事は、それなりの数、釣れたんじゃないのかな?
「――? 釣れたんですよね?」
「釣れる事は釣れたんだが、あまりに簡単に釣れたからなぁ。俺たちはもちろん、ハルカたちも簡単に釣ってたし。ある意味、釣り好きのヤツには物足りないかもな」
「技術がなくても釣れるって事ですか。それだと、一部の人は楽しくないかもしれませんね」
魚との駆け引きが楽しみで、釣果は二の次、と言う釣り人もいることはいる。
釣った後はリリースして持ち帰らない人もいるからね。
僕は釣った以上は食べる! ってタイプだけど。
「危険性の方はどうでしたか? 僕が行けるぐらいでしょうか?」
「今回に関しては危険はなかったが、安易に連れて行けないのは変わらないな。トミーが冒険者になって自己責任で行くのは自由だが、オレたちが連れて行くという形では、な」
そう言ってトーヤ君が少し困ったように笑う。
やっぱり、他人の命は預かれないよね。
僕だって魚釣りのために死にたくは無いし、トーヤ君たちも僕に死なれたら寝覚めが悪いだろう。
少し冷たいようにも感じたハルカさんだって、実際にはそんな人じゃないみたいだし。
せめて足手まといにならない程度に、僕自身が強くなるしかないか。
「ねぇ、トーヤ君、強くなるためには何からするべきだと思う?」
「ん? 行くのか? トミーの場合、筋力自体はスキルもあるし、毎日鍛冶をしてるから問題ないと思うぞ。後は持久力と敏捷性、戦う経験か。そうだな、まずは毎日走ることから始めたらどうだ?」
訊いてみると、トーヤ君たちは雨の日を除くほぼ毎日、朝食前にかなりの距離を走るようにしてるらしい。
ハルカさんの方針が『とにかく生き残る』なので、敵を斃す技術よりも、むしろ逃げ切る方に重点を置いて鍛えているのだとか。
「尤も、今まで逃げたことは無いんだけどな! はっはっは」
「えっと、それはトーヤ君たちが強いって事ですか?」
陽気に笑うトーヤ君に尋ねたが、返ってきたのはちょっと予想外の答えだった。
「いや、違う。危険そうな物には近づかないだけ。逃げる状況にならないのが一番だろ? 常に格下しか戦わない。言うなれば弱い者イジメだな」
「ははは……。それでもかなり稼いでますよね?」
露悪的な表現を使ったトーヤ君だけど、それで安全を確保して稼いでいるのだから何の問題も無いよね。多分、それがハルカさんの方針なんだろう。
単純に安全だけを考えるなら、街中での仕事や薬草採取をしていれば良いわけだけど、それだけでは何とか暮らしていける程度の賃金しか得られない。
あんまり稼げなかったけど、僕が最初に受けた仕事なんて、まだ割が良い方。
それでもこの宿に泊まっていたら、装備を調えるというのは難しい。
対してトーヤ君たちは最初からこの宿に泊まり、立派に装備を調えて、冒険者をやっているわけで……。
「どうだろ? 今は金に困ってないが……もちろん最初は大変だったぞ? オレの最初の武器、ただの棒だぞ?」
「え、そうなんですか?」
ただの棒? 本当に?
棍棒で魔物に立ち向かったの? それなんてチャレンジャー?
「ああ。まともな武器を買う余裕なんか無かったからなぁ。思えばあの頃が一番危なかった? ……いや、そうでも無いか。どうこう言っても、ハルカはかなりの安全マージンを取って行動するし」
考えてみれば、みんな最初の所持金は大銀貨10枚のみ。
僕の場合はハルカさんにお金を貸してもらえたけど、トーヤ君たちは当然そんな相手はいなかったわけで。
何とかやりくりして、すぐに生活を安定させたハルカさんの手腕は凄いと思う。
「ちょっと慎重すぎる部分はあるが、それで上手く行ってるからなぁ……」
「危ない目には遭ってない、と?」
「……いや、ゼロでは無いな。強敵と戦う事もあったし。多分、オレたちの中で一番命の危険を感じたのは、ナオじゃないか?」
「そうなんですか?」
「ああ。一番前に立つのはオレだけど、キャラ的には頑丈だろ? それに対してナオはエルフ。本来なら後ろで魔法を使っているタイプのキャラだが、一応男だし、ハルカたちが危ない時には、身体を張るからなぁ」
身体の頑丈さだけを比べるなら、恐らくナオ君よりも、ナツキさんやユキさんの方が上、らしい。種族的に。
その時は腕の骨折で済んだみたいだけど、タイミングが悪ければかなり危ない状況だったとか。
やっぱり、気楽な商売じゃ無いんだね、冒険者って。
◇ ◇ ◇
それから僕は、ランニングを日課に加えた。
随分と短くなった手足で走る姿は、ドタドタという感じであまり格好良くは無かったが、『逃げ足こそ重要』という意見には同意するものがあり、頑張って続けた。
時折、トーヤ君たちと会うこともあったけど、その速度は段違い。
軽く走っている感じなのに、そのペースは非常に速く、あっさりと置いて行かれる。
確かにここまで差があれば、完全に足手まといだよね。
万が一の時、僕の足が遅いせいで逃げ遅れるなんて事、ハルカさんたちからすれば受け入れられないだろうし。
一応の目安として、『フルマラソンをオリンピックレベルで走れれば大丈夫』らしいけど、なかなか無茶を言ってくれるよね。そんなの一般人にできるわけない。
――と思ったんだけど、トーヤ君たちはそのレベルで走っても十分に戦闘をこなせる余力があるって言うんだから、文句も言えない。
逃げ足を鍛えることと並行して取り組んだのは、戦う技術の向上。
何ら攻撃スキルを取らなかった僕は完全な素人なので、筋力や鍛冶スキルが少しは活かせそうな、バトルハンマーを武器として選んだ。
ドワーフだから、斧とどちらにしようか悩んだんだけど、師匠に「斧よりもバトルハンマーの方が扱いやすい」と言われたので、こちらに決めたのだ。
まずバトルハンマーは、手入れが殆ど不要で丈夫というメリットがある。
使った後に軽く洗って拭いておけばそれで良いし、ミスって地面を叩こうが、岩を殴ろうが壊れない。そして、硬い敵にも効果がある。
力任せに振り回すだけでも、ゴブリン程度なら問題ない、という話なので、僕にはちょうど良いんじゃないかな?
それに何より、バトルハンマーであれば、師匠が軽く手解きしてくれると言ってくれたのが一番の選択要因。
それ以来、昼休みには師匠にバトルハンマーの扱いを習い、素振りを欠かさずやっている。
やっているんだけど、ある程度訓練したら、実際に戦ってみたくなるよね?
でも、1人で行くのは不安。
なので、やって来ました、トーヤ君たちの家!
数日前に引っ越したみたいで、宿を引き払う前に場所は訊いていたんだけど……。
「……これ、広すぎない?」
教えてもらった場所にあったのは、巨大な敷地。
トーヤ君は「広い土地だからすぐに解る」って言ってたけど、正に。
周囲の家の敷地とは比べものにならない広さで、そこに建っている家も十分に大きいのに、土地と比べると小さくすら見えてしまう。
「ここ、間違ってないよね? 入っても良いのかな?」
勝手に入れないように敷地はきっちりと塀で囲まれ、入口には立派な門が付いている。
内側から閂がかかっているから開けることができないし、呼び鈴なんて物は付いていないので、呼び出すこともできない。
いや、扉自体は鉄柵みたいになっているから、手を突っ込めばかんぬきを開けることはできそうだけど……良いのかな?
不法侵入にならないかな?
日本だと勝手に敷地に入っても警察に捕まることすら希だろうけど、ここの場合、下手したら殺されても文句が言えないところがあるんだよ、怖いことに。
『勝手に侵入したら盗賊ですよね? じゃあ、殺されても仕方ありませんね』という感じなのだ。マジで。
まぁ、実際は殺してしまうと面倒なこともあるので、本当に強盗するつもりで武器を持って侵入でもしない限り、運が悪くても大怪我程度で済むみたいだけど。
「ホント、どうしようか……」
門を開けておくか、せめて呼び鈴ぐらいは設置してくれても良いのになぁ。
僕がそんなことをぼやきながら門の中を窺っていると、遠くの方で剣を振っている人影が見えた。
「トーヤ君!」
この機会を逃すわけにはいかない。
門を掴んで大きな声で叫ぶと、トーヤ君の方もこちらに気付いたらしく、手を止めて近づいてきた。
「何だ、トミーじゃないか。遊びに来たのか? 入って良いぞ?」
手ぬぐいで汗を拭いながらそんな気楽なことを言うトーヤ君に、僕は苦笑を浮かべた。
「閉まってて入れないよ。呼び鈴も無いし。人が訪ねて来たら困らない?」
「おお、すまん」
閂を外して門を開いたトーヤ君に招かれ、僕は敷地の中に入る。
門から見えたとおり、正面にはやや横長の立派な屋敷が建っているものの、それ以外の場所はやや荒れた庭。
見通しもあんまり良くないので、トーヤ君の姿が確認できたのは、案外幸運だったかも知れない。
「あんまり人が訪ねてくる予定も無いんだが、呼び鈴ぐらいは必要、か?」
「と、思うけど。それとも、門の所で大声で呼ぶべき?」
「実際、家を訪ねてきたのはお前だけだしなぁ」
知り合いの数は、少なくとも僕より多いはずなんだけど、突然自宅を訪ねてくるような相手となれば、皆無らしい。
でもまぁ、そんなものなのかな? この世界、基本的には毎日働くのが当然なだけに、『友達の家に遊びに行く』なんてイベント、そうそうないんだから。
「それでトミー、用件は? 別に『遊びに来た』でも良いんだが、普通は仕事の時間だよな?」
「うん、今日は午後から休ませてもらってて。……あの、図々しいお願いなんだけど、ゴブリンの討伐に行きたいから、付き合ってもらえないかな?」
「ゴブリン……なるほど、釣りに行くために努力しているってワケか」
「うん。もちろん、それ以外にも、多少は身を守れるようになりたいというのもあるけど」
そう言った僕に、トーヤ君は少し悪戯っぽい笑みを浮かべて口を開く。
「しかし、あれだな。付き合うって言っても、実質、護衛してくれって話だろ? オレたちにゴブリンを斃すメリットなんか無いんだから」
「うっ……そう、なるかな?」
ズバリと指摘され、僕は気まずくなって視線を逸らす。
討伐に行こうと思っただけに、ゴブリンについては事前に調べてみたんだよね。
その結果判ったのは、ゴブリンを斃してもお金にはならないって事。
利益になるのは魔石のみで、その値段はわずかに250レアほど。
初期の頃ならともかく、今となってはゴブリンを斃したところで、トーヤ君たちに何のうまみも無いと思う。
だから、僕の言っていることは、『1人で行くのは怖いから、護衛として付き合って。ロハで』という都合の良い話。
普通なら報酬を払って、護衛依頼を出すところだ。
「ダメだよね、やっぱ」
「そうだな。普通なら金払え、と言うな。オレたち、冒険者だし」
「だよねぇ」
僕だって、『友達だからタダで剣を作れ』とか言われたら、嫌な気分になる。
そう考えれば、やはり報酬は出すべきだよね。うん。
「わかった。それなら――」
「いいぞ。付き合ってやる」
「――え?」
「タダで付き合ってやる」
言われたことが理解できず呆ける僕に、トーヤ君はもう一度、その言葉を繰り返した。









