俺のラッキースケベとネトゲ廃人の成長と残された謎
文化祭発表のときはファンタジー劇のネタにツッコむだけで何もしなかった山藤だったが、シャントとして異世界に転生してからはとりあえず変わった。それはリューナというCGの(山藤にとっては現実だが)美少女を救うためだ。今まではやることなすこと見当外れで何の効果もなかったが、さっきの一撃は鮮やかだった。
……今のお前ならできる!
CGの女の子が現実であるところの異世界から、異世界の女の子がCGに過ぎない現実に帰ってきても、山藤はやっていけるはずだ。もう、スマホの中に逃げる必要なんかない。
倒れた男の手元には、カギが転がっている。これが手枷のカギならいいのだが、シャント…山藤がベッドの上から取りに飛び降りたところで、拾えるわけもなければ自分で外せるわけもない。
協力者が必要だが、この異世界にはただ一人しかいない。
隣の部屋のリューナだ。
ドアにカギはかかっていないから、出てこようと思えば出てこられる。あの聡明な少女なら、さっきの物音で異変には気付いただろう。肝の据わった彼女なら、何とかしようとするはずだ。
視点を変えてみると、案の定、ドアは微かに開いていた。その隙間から覗いていたリューナのあられもない姿に、俺はドキッとした。
露わになった身体が、頭のてっぺんから爪先までもろに見えている。
身体を起こして思わず辺りを見渡したが、そこは異世界ではなく、山藤を連れ戻すべき現実世界の、高校へ向かうバスの中だった。
川沿いの狭い道で立ち往生して、ほとんど進んでいない。降りるには、まだ時間がかかりそうだった。
誰も俺を見ていない。窓ガラスをコツコツ叩きながら苛立ち気味に外の雪を眺めたり、下を向いてスマホやら本やらを眺めている。
未成年者がアダルトサイトを見ていると誤解され、学校にクレーム入れられたりする危険はなさそうだった。
俺はスマホを見ないで、画面上の指を滑らせた。たぶん、リューナは部屋の中で服を脱いだところだったのだ。
……何で?
たかがCGに、俺は結構、動揺していた。シャント…山藤のピンチそっちのけで、見てはいけないものを見てしまった自分に言い訳する。
……ええと。
今までも着替えなんかなかったはずだから、たぶん、誰も見ていないのをいいことに、身体が汗でべとつくのを、服を脱いで、しのいでいたのだ。
道理で、このゴタゴタにも外へ出てこなかったわけだ。ドアや壁を叩いて、リアクションを待つが精一杯だったろう。
スマホの中の異世界は、そのくらい暑いのだった。
窓を開けても、部屋の隅にしゃがんでいれば、外からは見えないだろう。人が入ってきても、女同士なら気にすることもない。
そう考えたとすると、リューナは男たちが出払っていることを知っていたのだ。僭王の使いに村長が人質にされたということは、それくらいの大騒ぎだったのだろう。
それはいいとして、再び眺めたスマホの画面上では、背中で手枷のはまった姿勢で、山藤が床の上にある何かを蹴ったところだった。
カギが、開いたままのドアを抜けて滑ってくる。
2階の廊下を突っ切り、その端にある手すりの下を抜けて、落ちた。
……バカかお前は。
前言撤回だ。これで、グェイブを振るうチャンスはなくなった。できるのは、廊下まで出て床に転がって拾うことぐらいだ。
もし、カギを拾えるとしたらリューナだけだが、どうしているか。
恐る恐る視界を動かしてみると、ドアは閉まっていた。当然だ。俺から見えたということは、向こうからも見えたということだ。
……完全に、セクハラだ。
これで嫌われたと思ったが、よく考えたら、見たのは俺でも実行犯はマーカーのついたモブだ。気にすることはない。
いや、そういう問題でもなかった。恐らく、最低限の露出を避ける程度の服ぐらいは慌てて着ているだろう。
俺はモブを動かして、ドアの前に立たせた。開かないように、背中で押さえる。シャント…山藤にピンチを切り抜けさせるためには、カギを拾ってもらっては困るのだった。
ほどなくして、モブの身体が微かに揺れた。外へ出ようとするリューナが、ドアを押し開けようとしているのだろう。それでも出てこられないのを確認して、俺はモブの視点を横へ動かした。
……さあ、どうする山藤?
どうするもこうするもなかった。
シャント・コウは廊下に目の辺りまで出して、こっちを眺めていた。ただし、その頭は床に転がっている。
……何やってんだお前。
意味不明の行動に呆れたとき、シャント…山藤は叫んだ。
《リューナ!》
なぜ、壁やドアを叩くだけだったのか分かったのだろう。今まで揺れていたモブの身体も止まった。脱出は断念されたようだった。
それ以上、台詞のウィンドウは現れなかった。
リューナは返事をしようにも、シャントの呼びかけに答えることはできないのだ。できるのは、ドアの向こうで泣くことぐらいだ。いや、きっとそうしていることだろう。
身体を起こしもしないで目をそらしたシャント…山藤に、おれは心の中で語りかけた。
……今は諦めろ。
たぶん、立つこともできないのだ。部屋の中で、タックルか何か食らったのだろう。カギ男が出てこないところを見ると、まだ立ち上がれないらしい。あの手枷の一撃は、たいした奇襲だったわけだ。
頼みの綱のカギを蹴飛ばしたのは信じられないバカだったが、冷静に考えてみたら、俺でも敵の手元からは離して、安全なところで拾うだろう。自分で手枷を外すのは無理だが、カギが手元にあれば、チャンスとしては充分だ。
まあ、そのチャンスも水の泡と消えたわけだが、俺はシャントにも山藤にも、慰めの言葉をかけてやりたくなった。
……お前が必要になるときが来る。
シャント・コウがグェイブを振るうべき時がきたら、村人は自ら手枷を外してやるだろう。今はおとなしくして、その時を待つしかない。
そう判断して、俺がスマホをカバンのなかにしまおうとしたときだった。
突然、バスがガクンと揺れて、俺の手が滑った。
スマホを落として画面ガラスを割ってしまってはたまらない。こんな田舎では、修理も交換も手間がかかるのだ。
慌てて引っ掴んだところで、俺は画面上の異変に気付いた。
女がひとり、階段を上がってきた。何か手に持っている。拡大してみると、さっきのカギだった。
あまりに都合の良すぎる展開に、俺が真っ先に考えたことは1つしかなかった。
……沙羅か?
バスの運転席は、真後ろに利用約款を示した掲示板があって、その真上には小さな時計がある。
まだ、2時間目は終わっていなかった。
いかに沙羅でも、没収のリスクを冒して授業中にスマホ操作はしないだろう。
その証拠に、女は開いたドアの向こうにいるカギ男に尋ねた。
《家から出るなってどういうこと?》
姿は見せないで、答えだけが返ってきた。
《テヒブが見つからなかったら、僭王の兵隊が探しに来る》
その一言がウィンドウに現れた瞬間、リューナが出て来られないように部屋の前で俺が立たせておいたモブは、力任せに開けられたドアに吹き飛ばされた。
モブが叩きつけられて壊れそうに揺れる廊下の手すりは放っておいて、すでにいつもの服を着込んでいたリューナが女に歩み寄った。
そこで手を突き出したのは、カギをよこせ、と言っているのだろう。
部屋の中から男が叫んだ。
《渡すんじゃねえぞ》
自分で止めないのは、シャントから手を離すわけにはいかないからだ。解放してやれば、魔法のかかった武器であるグェイブは目の前だ。後ろ手に拘束されているとはいえ、どんなやり方で使われるか分かったものではない。
男が口にしたことが理解できたのかどうかは分からないが、シャント…山藤も叫んだ。
《ダメだ、リューナ!》
自由への手段を敢えて拒むのは、彼女の安全を思いやってのことだろう。
リューナもまた、シャントの言葉を理解しているのかどうか明らかではなかった。
ただ、足下のシャントを指差し、次いで俺の動かすモブを指しただけである。何のことやらさっぱり分からなかったが、男には通じたようだった。
《このガキを解放すれば、テヒブが死んだことにする?》
リューナが指したのはこっちではなく、そのはるか向こうにある壁のようだった。壁の向こうに行ってそう告げるということなのだろうが、それは、首を横に振ったことではっきりした。
そうだ、のサインである。
シャント…山藤は再び止めた。
《ダメだ、リューナ!》
だが、これはカギ男とリューナの問題だった。
男が立ち上がったのか、シャントは女を押しのけて廊下へ飛び出す。グェイブに向かって突進したが、リューナに抱き留められた。
《放せ! 放せ! リューナ!》
金色の髪が、首を縦に振るたびに跳ねる。背中で手枷が外されたのか、すらりとした腰と背中に、少年の腕が回された。
《ほら、入れ!》
リューナを抱きしめるシャントを、カギ男が引き剥がした。部屋に放り込んだが、ドアのカギはかけない。ちらりと見つめられたリューナが、それでいいと言うように首を振ってドアを背中で押さえた。
その向こうで、シャントは絶叫し続ける。
《リューナ! リューナ!》
階段を下りていく男は、途中で立ち止まった。やがて、疲れのせいか喚き声が収まると、無言で顎をしゃくる。リューナも後に続かざるを得ないようだった。
一歩踏み出したところで、ドアが開いた。シャントが飛び出してきたが、リューナは振り向きざまに平手打ちを食らわす。
《リューナ……?》
その顔に、光るものが見えた。拡大するまでもない。
涙だ。
シャントは、すぐ目の前のグェイブに目もくれず、部屋の中に飛び込んだ。ドアが音を立てて閉まると、リューナは階段を下りていった。残されたのは、さっき上がってきた女だけだ。
そこで、俺は急なアナウンスで我に返った。
「次は、高校前、高校前」
そろそろ高校前のバス停だった。リューナが決断したところで、俺も次の行動を決めなくてはならない。高校の敷地に入る前にスマホの電源を切らなければならない以上、ある程度の決着はつけておかないと不安で仕方がない。
山狩りでも始まろうかというときに、このモブ男だけがここから動かないというのは、後でトラブルの種にもなりかねない。こいつは解放するしかないだろう。
すると、動かせるのはこの女だけだ。俺はマーカーを移動した。
……え?
マーカーは設定されなかった。
沙羅の説明によれば、画面上での行動に介入しない限りで、モブはマーカーを設定して動かせるはずだった。それができないということは、誰かが動かしているということだ。
……ということは、沙羅か?
時計を見ると、授業が終わるまで5分あった。教室に入る頃には、もう休み時間だろう。沙羅が動いたかどうか確かめるには充分な時間だ。
……仕方がない。
モブには泣いてもらうしかない。俺はとりあえず、モブを夏の光の眩しい外へ出た。ここなら、家の中よりも言い訳は立つだろう。
そこでバスは急に止まり、ドアが開いた。凄まじい吹雪が吹き込んでくる。
俺はスマホの電源を切ってカバンにしまうと、運転手に定期券を見せるのもそこそこに、横殴りの雪の中へと飛び込んだ。




