ネトゲ廃人、男の責任に目覚める
劇の小道具を何も作らなかった僕は、女子から集中砲火を浴びたのだ。特に、メチャクチャ気の強い、ベタなメガネでカチューシャ頭の「委員長」が黒板に大きく書いたのが、この言葉だった。
……「山藤君、この漢字読めるかな?」
言い方は丁寧だったけど、明らかに上から目線でムカッときたのを覚えてる。
……「せきにん」
いくら勉強ができなくたって、そのくらい読めた。
委員長はにっこり笑うと、いきなりキレた。
……「取れやオマエ好き放題ナメくさりやがってアア?」
胸ぐら掴まれそうになって、何か担任だけじゃなくて男子がみんな止めに入ってくれた覚えがある。
それを考えると、元の世界のほうが楽だった。何で異世界転生なんかしちゃったんだろう。
もちろん、綾見沙羅のせいだ。
でも、もう恨む気はなかった。どっちみち、帰れやしないのだ。どうやったらいいのか分からないし、帰るわけにはいかなくなった。
ベッドの中にいるはずのリューナに、閉めた窓の枠に十字架を立てかけて教えてやった。
「ジュウジカっていうんだ」
僕しか守れない。テヒブさんだって無理だ。
ファンタジー系RPGなら、吸血鬼の犠牲者を救う方法はただ一つ。
血を吸ったヤツを倒すしかない。
それができるのは、僕だけだ。
振り向くと、リューナはやっぱり寝ていた。
……聞けよ。
ヴォクス男爵は、テヒブさんとの戦いで手傷を追った。その時の武器は魔法がかかってるから、たぶん、すぐには治らないだろう。RPGで言ったら何ターン稼げるかは分からないけど。
それにしたって、リューナは無防備すぎた。窓も閉めないで寝ちゃったんだから。
ゆっくりとした寝息が聞こえる。ヴォクス男爵に襲われてからこっちまともに寝てなかったんだ。昨日も今日も、ぐっすり寝るといい。
夕べはテヒブさんが守ってくれたけど、今夜は僕が守らなくちゃいけない。
気を引き締めてかかろうと、ちょっと頬を叩いてみた。ぴしゃっという音がして、リューナを起こしちゃったんじゃないかと気になった。
ベッドのほうを見てみると、ポール・ウェポンの光が届かない闇の向こうでは、まだ寝息が聞こえていた。
どのくらいよく寝ているかというと、上下する胸の気配が分かるくらいだ。
その時、つい一昨日見た光景が僕の脳裏によみがえった。
……露わになった胸元を隠して震える、雨に濡れたリューナの身体。
暗闇の中でホームシアターの映画を見ているみたいに、その様子が目の前にくっきりと浮かぶ。
僕はその場にゆっくりとしゃがんだ。
……落ち着け落ち着け落ち着け。
あの連中とは違う。同じ家の中で、一晩中、リューナを守らなくちゃいけないんだから。
僕はあぐらをかいて、淡い光を放つポール・ウェポンを抱え込んだ。でも、何も見えないとかえって、音がはっきり聞こえる気がする。
バサッ。
今度は、シーツをはだける音がした。夜になったとはいえ、暑いといえば暑い。しかも、窓を閉めてるんだから風通しも悪い。部屋に熱気がこもっても仕方がない。
……もしかして、結構、寝相悪い?
でも、いくら暑くても、お腹を冷やすことはある。僕も中学生のときは、夏休みが終わった後はそれでお腹が痛くなって、よく学校を休んだ。不登校とか自己管理が甘いとか、親や先生に言われたけど、本当に痛かったんだからしかたがない。
……直してあげたほうがいいよね。
ポール・ウェポンの柄を懐中電灯代わりに差し出して、僕はベッドがどの辺りにあるか探った。近づいてみると、リューナはやっぱりシーツをはねのけている。
床に落ちそうなのを広げて、片膝立てて両腕を投げ出した身体の上にかけてやる。よほど暑さに暴れたのか、服が乱れて胸元がむき出しになっていた。
直してやろうと、指が近づく。
……おい、何やってんだ僕は!
はっと手が止まったところで、リューナが寝返りを打った。僕は慌てて飛び退る。自分でも、こんなに素早く動けるとは思ってなかった。
……やばい、気づかれた?
リューナは、背中を向けたまま動かなかった。暗闇の中に、首筋から肩にかけての白い肌が露わになっている。
鼻の奥を何かがジンと打ったけど、首をブンブン降ったら収まった。
たぶん、夜は長い。自分に言い聞かせなくちゃいけなかった。
……テヒブさんがいないうちは、僕が!
でも、一晩中立ってるのは無理だ。ベッドの端にはちょうど、人間ひとりくらい横になれるスペースは開いている。
リューナの背中があった辺りだ。
……腰かけるくらい。
寝るんじゃないからいいだろうと思ったのを、ポール・ウェポンにしがみついてこらえた。
……だめだ、これをやったら完全に嫌われる。
それでも、目はついリューナに向いてしまう。ベッドのそばにしゃがんで、ぎゅっと目を閉じた。
でも、だめだった。その瞬間、連想しちゃったのはあれだ。
リューナとのキスの感触。
思い出すと、唇がとろっとなって、背中に電気が走る。
首をブンブン振って、ポール・ウェポンに頭をガンガン叩きつけて、妄想を頭から追い出した。
このままじゃ絶対に危ないと真剣に思った。もう、僕は僕自身を信じられなかった。何とかしなくちゃいけない。
カッコ悪いけど。
気を取り直して、前向きなことを考えることにした。
……そうだ、下に行こう、下。
窓は閉めたんだから、ヴォクス男爵がコウモリになってくることはない。十字架だって置いてあるし。
もしかすると、ドアをぶち破ってくるかもしれない。戸口で寝ていれば、そんなことになったとき、絶対に目が醒めるだろう。
自分で自分を納得させて、階段を降りようとしたけど、その時にまた思い出したことがあった。
明かりがないと、窓際の十字架は見えない。
ここで光を放つものは、魔法のかかったポール・ウェポンしかなかった。
ということは、僕は階段を下りないほうがいい。ヴォクス男爵が上がってきたら、頭から叩けるからだ。
……でも、リューナが。
振り向いたら、さっきの繰り返しだ。僕は足を踏ん張ってこらえたけど、リューナが呻く声で、僕の頭の中で何かが囁くようになった。
ヴォクス男爵とは違う、甘い声で。
……これって、もしかして。
その続きを聞く前に、僕はベッドのそばに立っていた。
魔法の淡い光の中で、シーツの上のリューナが寝返りを打つと、金色の髪が顔の上にこぼれて、唇が微かに開いた。
頭の中の囁きが、それまで黙っていた答えを出してくれた。
……2回目だって、OKだよね。
その声に、僕は負けた。
ポール・ウェポンを床に置く。
何にも知らないリューナは、静かに寝息を立てていた。
僕はこれ以上は呼吸しないですむように、思いっきり息を吸い込む。
……これって、計画的犯行?
そんなことを一瞬だけ考えたけど、身体はもう、リューナの上に覆いかぶさっていた。
甘い言葉と考えが、僕をせきたてていた。
……いや、男の責任。




