吸血鬼ヴォクス再び
裏の戸口から僕たちを怒鳴りつけたのは、テヒブさんだった。
家の部屋で、ドアを閉じて女の子とこういうことをしていたら、こういうことになるのかもしれない。
リューナも僕も慌てて身体を離したけど、今、はっきりと言えることが一つだけあった。
……リューナは、何が起っても僕が守る。
でも、テヒブさんの怒りようは尋常じゃなかった。
「オオオオオオ!」
叫んで突進してくるのは仕方ない。
一応、保護者的な立場なんだし。
留守のうちに娘にちょっかい出した男をボコボコにする、みたいな……。
……でも、これはないんじゃない?
頭の上に掲げてるのは、さっき薪割ってた手斧だった。
「テヒブさんちょっと、タンマタンマ!」
日本語が通じるとか通じないとか考えてるヒマはなかった。
当たり前だけど、昼間にあの男たちと戦ったときより怖い。逃げようと思ったけど、膝が笑って動けない。
手斧が降ってくる瞬間、いろんなことを考えた。
……異世界転生してリューナとキスして、ここでゲームオーバー?
……どっかで選択肢間違えた?
……って、ギャルゲーじゃないしコレ。
そうだ。これはゲームじゃなかった。異世界だけど、現実なんだ。
すると、死ぬのは確定だ。
僕は覚悟して目を閉じた。最初で最後のキスを思い出す。
……ありがとう、リューナ。
って、やっぱり死ぬのイヤだ! 死ぬの……。
ムダとは分かってたけど頭を両手でかばった。
手斧が降ってきたら、手首ごと頭一つイかれるけど、やらないよりはマシ、いや、どっちみち死ぬんだから同じか?
どっちか分かんなくなっちゃったけど、結局どうなったかといえば、僕は死ななかった。
……え?
目を開けると、テヒブさんが吹っ飛んでいた。
足下に手斧がくるくる回って滑ってきたとき、リューナの悲鳴が聞こえた。
「アアアアアア!」
慌ててそっちを見れば姿がない。
いや、あった。
黒い影が、暗い床の上でリューナを押し倒している。
それを見た瞬間、僕の頭の中に、あの馬小屋で見たものが浮かび上がった。
「やめろ!」
あの時と同じように叫んだけど、言葉はもともと通じない。ニンニクをかじっていないから、息も無力だった。
「シャント、シャント、……!」
最後の言葉は、助けてという意味だろう。そうじゃなくても、僕は助けるつもりだった。
……でも、どうやって?
相手は吸血鬼だ。じゃあ、十字架?
探しても、それっぽいものはない。あるのは、足下の手斧だけだ。
……これで!
拾おうと思ったけど、まだ笑っている膝はガックリ折れた。
……立てよ、立てよ僕!
ダメだった。手を伸ばして、何とか手斧は拾えた。でも、リューナに近づけないんじゃ意味がない。
……いや、できる!
立てないんなら、這えばいい。僕は右と左の肘をかわりばんこに前に出して、リューナを襲う影へと近づいていった。
でも、抵抗するリューナの力にも限界ってものがある。だいたい、吸血鬼の力が人間なんかと比べ物にならないのは、あのテヒブさんが簡単に吹っ飛ばされたのを見ても分かる。
……そうだ、テヒブさんは?
床の上をあちこち眺めてみたけど、見当たらなかった。
探しているヒマなんかない。吸血鬼の影の下で、まだリューナはもがいていた。でも、だんだんぐったりしてきているのも分かる。
……早くしないと!
肘と一緒に、膝を突っ張ってみた。なんとか動く。足は震えたけど、なんとか立てた。
……やってやる!
リューナはというと、もう暴れるのをやめて、影に抑えられた手足をひくひくと震わせていた。服が乱れて、肩の辺りがむき出しになっている。
白くぼんやりと浮かぶ首筋に、白く光る牙が近づくのが見えた。その辺りに、最初に血を吸った跡があるんだろう。
……させるか!
息を思いっきり吸い込む。吸血鬼は完全にナメきっているのか、こっちを見もしない。
……今だ!
怖くて、肌がびりっと震えた。でも、やるといったん覚悟したら、その感触を引きはがすみたいに身体が動く。
僕は目を閉じて、吸血鬼の首の辺りへと、思いっきり手斧を振り下ろした。
……命中!
そう思ったとき、僕の身体は壁に叩きつけられた。腹から床に落ちると、ゆらりと立ち上がった背の高い吸血鬼の影が見えた。
「ナメるな、小僧!」
ギンとした声が頭に響いた。
……日本語?
違う。そうじゃないけど、吸血鬼の言いたいことはちゃんと分かった。
「お前……吸血鬼か?」
頭が混乱して、日本語で話すしかない。でも、返事はギンとした声で返ってきた。
「私に通じるとは異界の言葉か……まず名乗れ」
言葉が違っても、アンデッド相手なら意味が通じるらしい。
こっちが名乗らないでは聞き出せないみたいなので、僕は日本語で答えた。
「山……シャント・コウ」
つい自分の名前を言いそうになったけど、この異世界では、僕は山藤耕哉じゃない。ギンギン声が偉そうに言った。
「覚えておいてやろう」
名乗らせといて、自分の名前は言わない。バカにしてる。そんなら、こっちにだって考えがある。
「お前は?」
言わなきゃ言わせるまでだと思ってたけど、割と素直に返してくれた。
「私の名は……」
これがチャンスだった。壁に叩きつけられたときに落とした手斧をもう一回拾った僕は、全力で突進した。
助走をつけて打ち込んだつもりの手斧には、全然手応えがなかった。まるで、霧か煙を相手にしてるみたいだった。
……しまった!
吸血鬼は、いろいろなものに変身できる。コウモリとか、霧とか。
家に入るときに、コウモリが飛んでた。RPGによっては、吸血鬼は夕暮れ時か
ら動き出す。あれは吸血鬼本人か、そうでなければ偵察の使い魔だったんだ。
やっぱり2階の窓は閉めておくべきだったけど、十字架もニンニクもないんじゃ、やっぱり霧になって侵入されてしまう。
村長や男たちとのゴタゴタで、すっかり忘れていた僕がバカだったのだ。
……まあ、もともとだけど。
吸血鬼の後ろに横たわってるはずのリューナもいなかった。きょろきょろ探してると、後ろから声がする。
「死んでゆくものが知ってどうする」
振り向くと、リューナを片手に抱えた背の高い影が、手を振り下ろしてきた。長い爪が縦に光る。
でも、その手は僕には降ってこなかった。