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つながる言葉と心

 家の中に突然やってきたテヒブさんは、まるで小さい頃に見たテレビの特撮ヒーローみたいに見えた。

 テーブルを足場にして跳んだかと思うと、壁に掛かったポール・ウェポンを手に取る。そのまま柱を蹴り、僕の眼の前に舞い降りたのだ。

 その武器の先っぽは、僕に向けられている。何でかは分かってた。包丁なんか持ってるせいだ。

 でも、それは仕方なかったと思う。いきなりやってきた女が、ホウキ片手にリューナを部屋の端っこまで追い詰めたんだから。

 そりゃ、その時は僕も逃げた。恥ずかしいと思う。あれはたぶん、昼にもの凄い勢いでリューナに何か喚いてた女のひとりだったんだろう。その割には表情が全くなかったのけど、それがかえって不気味だった。何をされるか分からないと思ったのだ。

 でも、それは一瞬だった。

 何とかしなくちゃいけないってことは分かってたけど、どうすればいいか分からなかった。リューナはハタキなんか持ってたけど、そんなもので身を守れるわけがない。ホウキだって、思いっきり叩きつけられたら痛いのだ。

 中学生の頃、同じクラスのヤンキーが休み時間の教室で、ホウキと丸めた雑巾でよく野球をやってた。その時、バットの代わりに振ったホウキはよく僕の頭を直撃した。あいつら、「悪い悪い」なんて言いながら、絶対にホウキで野球をするのはやめなかった。ただし、先生が来る直前には上手に証拠を隠滅してたけど。

 それはともかく、僕はリューナを守ることしか考えていなかった。

 どうやって女を追い払おうか?

 逃げ込んだ部屋の隅から見て真っ先に目についたのは、台所に置き忘れられた包丁だった。これで脅せば、絶対に逃げ出すだろうと思った。取りに走ったときは頭の中が真っ白だったけど、気が付いてみたら僕の前で女はホウキを持ったまま固まっていた。

 ……何で逃げないんだ? 

 たぶん、怖くて動けなくなったんだろうと思った。それならそれでいいけど、僕も動けない。こっちもガチガチに固くなってて、包丁を持ってる手なんかもう感覚がなくなってた。

 ……さっさとあっち行ってくれないかな。

 そう思ったとき、家の戸を蹴り開けて飛び込んできた人がいた。それが、テヒブさんだったのだ。

 ……やった、助かった!

 これで代わりに女を追っ払ってもらえると思ったんだけど、甘かった。

 目の前に降り立ったテヒブさんが武器を向けたのは、ホウキを持った女じゃなかった。

 手に持った包丁を離したくても離せない僕だったのだ。

 ……何で?

 刃の先は、すぐ鼻の先まで突きつけられている。僕は慌てて包丁を捨てようと思ったけど、感覚のなくなった手は握った形のまま固まっていた。

 ……まずい。

 よく考えたら、刃物を女の人に向けてる僕の方が悪者だった。いくら昼間、リューナにひどいことを言った女だったとしても、テヒブさんが守ろうとするのは当たり前だった。

 このままじゃ、僕がテヒブさんに殺されてしまうかもしれない。言い訳しようにも、言葉が通じないんじゃどうにもならない。

 オタオタしてしてるうちに、テヒブさんが何か小さな声で言った。

 ……え?

 聞こえないし、もともと意味なんか分かんない。女の人がヨタヨタと出ていったので、そうしろと言ったんだろうと思った。

 何にしても、助かってよかった。ほっとして、背中でかばったリューナの方へ向き直った。

 顔を引きつらせて、リューナが逃げた。現実世界で、僕が近づいた時の女子の反応と同じだから慣れてはいたけど、結構、凹んだ。

 ……助けたのに、何で?

 そこで突然、テヒブさんに腕を掴んでねじあげられた。

「痛い痛い痛い!」

 思わず叫んだけど、通じるわけがない。力は抜いてもらえないで、そのまま床に押さえ込まれた。

「ちょとギブギブ、ギブ!」

 プロレスみたいに床をバンバン叩いてみたけど、掴まれた手首は折られるかと思うくらいの力で絞めつけられる。感覚のない指までが力任せにこじ開けられた。

 ……あれ?

 ということは、何か掴んでいたものがあったはずだ。かたんと床で音を立てたものを見て、僕はぞっとした。

 包丁だった。

 こんなものを向けられたら、逃げるはずだ。嫌われたんじゃなくてよかったと思ったけど、これが原因でそうなるかもしれない。いや、絶対そうなる。

 ……リューナはどうしているかな。

 床に転がされたままそっちを見ると、僕がさっきまでいた部屋の隅で突っ立ったまま、今にも泣きそうな顔をしていた。涙がぽたぽた倒れているのが見える。

 明らかに、空気がおかしい。

 完全に、悪者は僕だ。

 キレて刃物なんか持ち出して、女の人と女の子を怖がらせて、大人の男の人にねじ伏せられて、凶器を取り上げられる。

 もう逃げようかと思った。この姿勢じゃ無理だけど。

 リューナは手で顔を覆って泣き出した。

 僕から手を離したテヒブさんが、何か言った。

「……!」

 分かんないから答えない。動きたくもない。何もしたくない。言いたくない。

 僕なんかどうなってもいいから、もう勝手に何でもやってよ。

 完全無視することにしたけど、テヒブさんはそれを認めてくれなかった。僕の首根っこを掴んで、強引に顔を上げさせた。

「……!」

 背中を震わせて泣いているリューナを指差して、同じ言葉を繰り返した。

「リューナ」「……!」、「リューナ」「……!」 

 何をやってるのかさっぱり分からなかったけど、しばらく聞いていたら気付いた。

 さっきのアレと同じなのだ。

 指さしては、物の名前を繰り返す。それを僕にリピートさせる。

 名前が指すものを覚えさせるために。

 だから、僕はテヒブの言葉を真似た。

「リューナ」、「……」。

 そう言ったとき、泣いていたリューナが首を横に振った。これは、「はい」のサインだ。

 そのとき、僕の頭の中で閃いた日本語があった。

 「悲しい」……。

 リューナは、僕を嫌ったんじゃなかった。僕がこんな風になっちゃったのが悲しかったのだ。

 胸の奥が、何だかジンとした。初めての感覚だった。どうしてこんな気持ちになったのか分からない。

 分かるのは、誰かがこんなに心配してくれたことなんかなかったってことだ。

 すごく、嬉しかった。だから、リューナを泣かせたままなのが、すごくつらかった。

 テヒブさんに掴まれたところが痛かったけど、僕は、自分の手足をを突っ張って立ち上がった。

 言葉なんか通じなくてもいい。リューナには泣くのをやめてほしかった。

 だから、僕はできる限りのことをした。

 テヒブさんの言葉を、名前だけ変えて繰り返してみる。それは、たぶん、こんな意味になったはずだ。

「リューナ、悲しい、シャント、悲しい」

 これが伝わったかどうか。

 振り向いてテヒブさんの顔つきで確かめようと思ったら、家の戸口を出るところだった。

 追いかけようかと思ったとき、背中にのしかかるものがあった。

 温かく、柔らかい感触。

 しがみついてきたリューナの胸だと分かったけど、別にいやらしい想像は浮かばなかった。胸は熱くなったけど、興奮したわけじゃない。何だか、身体の底から湧いてくるものがあった。

 僕はその気持ちを、現実世界の言葉でリューナに告げた。

 伝わらないだろうけど、言わないではいられなかった。

「テヒブさんじゃない、リューナを守るのは僕だ」

 もちろん、言葉は帰って来なかった。でも、背中から抱きしめられて、僕は身動きひとつできないまんま、リューナが解放してくれるまでその場に突っ立っていた。 

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