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奇跡のネトゲ廃人

 リューナが窓を拭いているうちに、さっき聞いたような聞かなかったような単語が下の階から聞こえた。

「……!」

 でも、何のことを言ってるのか分からない。リューナがぱくぱく口を動かしながら指さしたのは、さっき拭いた椅子だった。これをどうしろというのかと困っていると、汚い雑巾が頭から滑り落ちてきた。リューナが投げてよこしたのに気づかず、受け止めることもできなかったのだ。

 ぎっちらぎっちらと階段を踏みしめる音がして、下の階からテヒブさんが現れた。顔を覆うリューナと、床の上の雑巾と、僕の顔とを交互に見比べる。やがて床に手を下ろして拾った雑巾を僕に突き出した。

「……!」

 聞こえたのは、さっきのと同じ言葉だった。でも、何のことだか全然分からない。テヒブさんの顔色をうかがったり、一生懸命になってブロックサインを送ってくるリューナの様子を盗み見たりするしかない。

 雑巾を受け取りもしない僕をじっと見つめていたテヒブさんは苦笑いすると、さっきリューナが拭いたばかりの椅子をさらに自分で磨き始めた。何のつもりだか見当もつかなかったけど、ただリューナが僕と目を合わせるのを避けるように顔を背けたのが気になった。

「……!」

 テヒブさんはまた、別の一言をつぶやいた。指さす先には、シーツをきれいに敷いたベッドがある。掃除しろと言われていることは分かったけど、リューナがもうやったところをもう一度きれいにしなくちゃいけない理由が納得できなかった。

 ……仕事が雑だっていうんだろうか?

 そんなら、リューナがかわいそうだ。あんなに丁寧だったのに。

 様子をうかがってみると、心配そうな顔で見つめ返していた。

 ……大丈夫だよ、そんなに難しいことじゃない。

 僕はベッドに歩み寄って、木の部分を何度も何度も力を入れて拭いて、シーツもこれ以上ないくらいピンと引っ張った。リューナのほうを振り向いてみると、少し笑ったようだった。

「……!」

 今度は扉を指差す。駆け寄って拭いていると、また何か言って窓を指差した。リューナのやった通りのことを繰り返していると、最初に聞いた言葉がまた耳の奥に引っかかった。

 でも、今度は指差しがない。どれを掃除していいか分からなかった。テヒブさんの顔色をうかがっても、知らん顔をされる。リューナの方を見ると、ブロックサインがテヒブさんの手で止められたところだった。

 ……自分で考えろってことか?

 僕は椅子を指差した。テヒブさんは目を逸らす。なんだか、意地の悪いゲームにハメられているみたいな気がした。あの村の男たちから助け出してくれたかと思ったらいきなり無視されるなんて、これがいじめだとしたら、遠回しすぎて嫌な気がする。

 でも、テヒブさんのことは嫌いになれなかった。僕の名前を呼んでくれる人は、この世界にひとりしかいないのだ。バカだし何の力もないから嫌われても仕方がないけど、それでも振り向いてほしかった。

「……!」

 椅子を指差しながら、テヒブさんが言ったとおりに声を出してみた。リューナの表情が、ぱっと明るくなる。何か言いたそうだったが、テヒブさんが代わりに答えた。

「……!」

 指差したものは、僕と同じ。そのとき、僕は気付いて叫んだ。

「名前! 名前だよね、それ、物の名前だよね!」

 テヒブさんもリューナも、それを教えようとしていたのだ。2人を疑うなんて、どこまで僕はバカなんだろう。リューナなんか、物分かりの悪い僕にどれだけがっかりしただろうか。

 ……ごめん、リューナ。

 ……すみません、テヒブさん。

 せめて、今までのみっともない姿だけはフォローしたかった。僕はベッドやドアや窓に飛びついては、テヒブさんの口から出た言葉を真似してみた。笑って見てくれていたからたぶん、それでよかったんだろう。でも、隣で見ていたリューナも含めて、その顔つきからはどんな気持ちでいるかまでは分からなかった。

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