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言葉がなくても心は……

 ……畜生、こっちが無抵抗だと思ってやりたい放題やりやがって。

 普段は絶対に口に出さない乱暴な言葉を腹の中で喚き散らしながら、僕は仰向けに転がった身体を起こそうとした。

 動かない、というか動けない。

 地面に手をついただけで、全身に激痛が走る。腹筋の辺りが痙攣する。あの村の男たちのサンドバッグにされたんだから当然だ。意識が遠のくぐらい、頭から腹から散々に殴られ、足は脛から股間から蹴りまくられるなんてことは、現実世界だってなかった。

 中学生の頃、財布から500円たかられたことはあったけど。

 逆に言えば、異世界に転生しなかったら暴力の危険性や被害はその程度で済んでいたってことだ。改めて綾瀬沙羅を恨んでもみたけど、もうあんな女、どうでもよくなっていた。むしろ、異世界を甘く見ていた自分が情けなかった。


 そりゃ、現実世界での僕はみじめだった。小学生の頃から漢字もあんまり読めないし、計算遅いし、習ったこと覚えてられないし、体育なんか全然ダメで、みんなの笑いものになるか足手まといになるかのどっちかだった。

 でも、オンラインのファンタジーRPG始めてから、僕は本当の頭の良さとか体力とか関係ないところで好きなことができるようになった。そこで出てくる情報が分かるようにエルフとかモンスターとかの本を図書館で読むようになって、なんとか文章が分かるようになった。

 地元の高校にもなんとか入れてから、ちょっと自信がついた。僕が悪いんじゃなくて、教え方が悪かったんだと思うと、授業が分からなくても平気だった。住む世界が違えば、僕だって活躍できるんだという気がした。

 だから、文化祭でファンタジー系の劇やったときも、僕は全くあてにされてなかったけど気にならなかった。小道具なんて一番楽なところだと思ったから引き受けて、何にも知らないで分かったようなこと言ってるシロウトに、外野からツッコんでやるのが楽しかった。そのほうがあいつらのためになると思ったからだ。どうせ学芸会だし、ファンタジーなんか全然分かってない連中がやってるいい加減なもんなんだから、剣とか盾とか、リアルに作ったって意味がない。センセイが最後に百均かなんかで買ってきてくれることぐらい、計算に入ってた。

 僕は本当は凄いんだって思ってた。この世界が僕に合ってないだけで、もし異世界なら話は違うはずだった。

 でも、転生したって、僕はせいぜいこの程度だった。

 

 灯が斜めに差してきたのを感じながら、僕は土の上で身体を転がした。現実世界では全然できなかった腕立て伏せの要領で身体を起こすと、やっぱりあちこちが痛かった。それを我慢して肘と膝をつくと、乾いた地面に汗がぼたぼた落ちた。

 起き上がって、鼻の下を拭いてみた。さっき殴られたとき、なんかヌルっときて、鼻血が出たなと思ったからだ。でも、指についてきた血はもう、カサカサに乾いていた。

 ……止まってるならいいや。

 リューナはどうしているだろうかと探してみると、そんなに離れてないところに突っ立って、葉を摘んでいた。さっきのオバサンたちは別のところに行ってしまったのか、見当たらない。そんなことは別にどうでもいいけど。

 問題は、この暑いのに倒れそうになって頑張っているリューナだ。昨日はあのサウナ(入ったことないけど)みたいな部屋の中に1日閉じ込めておいて、今日はコキ使う。吸血鬼に襲われたんなら太陽の光にも弱いかもしれないのに。こいつら、人を何だと思ってるんだろう。

 手伝おうかと思ったけど、さっきみたいなことになるといけないから黙って見ていることにした。身なりはみすぼらしいけど、リューナはやっぱり可愛かった。三角巾の下に隠れてるけど、初めて会った朝に輝いていたあのブロンドが忘れられない。別に髪の色がどうこういうんじゃなくて、そのくらい、彼女のいいところに誰も気づいてないってことだ。

 僕だけが、リューナの美しさを知っている。吸血鬼から守ってやれるのも、たぶん。

 そんなことを考えていると、その姿はもうすぐ近くにあった。摘んだ葉の清々しい匂いが分かるくらいだ。やがて疲れたのか、その場に腰を下ろした。髪を挙げた首筋は褐色に焼けているけど、その襟の奥に除く肌は白い。ほんの少し見えただけなのに、僕の心臓はドクッと鳴った。

 その日に焼けた肌の上に、ぽつんと黒い点が見えた。ちょろちょろ蠢いている。何か虫が止まったんだと思ったところで、そいつは褐色から白の境目を越えて、服の中に入ったかと思うと、また出てくる。

 リューナは気づいていないようだった。僕はどうにも放っておけなくて、思わず駆け寄ると袖の辺りを払った。

 その瞬間、手の甲をこっぴどく叩かれた。飛んでいく虫に気を取られていると、いつの間にか立ち上がったリューナが僕を見つめていた。怯え切った顔の半分が、夕日に照らされている。

 ……まずい。

 やらかしてしまったみたいだった。

 リューナは何かにハッと気づいたように、そそくさとその場を立ち去った。誤解を解きたくて追いかけそうになったのを、ぐっとこらえた。言葉が通じないのに、分かってもらえるわけがない。

 何をする気もなくなって、そのまま暑い夕日にも構わずうずくまった。それでも、このまま嫌われたくもなかった。

 リューナは、そんなに離れていないところで仕事に戻っている。近づいて、それとなく手伝うことぐらいはできるだろうと思った。葉を摘んで籠に入れてやるだけのことだから、難しくもきつくもない。

 あのミントみたいな匂いのする辺りまで近づいてみたけど、気づかれてなかった。このまま、後ろからそっと草の葉を摘んでやれば、悪いと思ってることも分かってもらえるんじゃないかという気がした。

 仕事に集中しているのか、リューナは振り向きもしない。僕はゆっくりと、彼女が摘もうとしている葉に手を伸ばした。

 その結果は、大失敗だった。

 彼女の背中がびくっと震え、その姿は壁のように生い茂る草の葉の列をぐるりと回って、その向こうに消えた。僕はただ、そこに突っ立っていることしかできなかった。日は、また少し低くなったようだった。

 リューナに許してもらえないのはどうしてだろうかと考えてみた。村の人からひどい扱いを受けている彼女をすこしでも助けたかったんだけど、その気持ちも伝えられないんだろうか。

 ……諦めたほうがいいのかもしれない。

 じゃあ、とりあえずどうしようかと考えたとき、そもそも何をやらされていたのかを思い出した。

 草むしりだ。

 最初に連れて来られた場所に戻ってみると、ほんのちょっとほじくり返された畑の土が、途中で放置されたままの状態で乾ききっていた。確かに、自分の仕事を放りだして人助けも何もないもんだ。

 せめて日が暮れるまでは、自分に任せられた仕事をすることにした。やることは単純で、草を掴んで引き抜き、それができなかったら根っこから掘り返すだけだ。ただし、道具がないから手でほじくり返すしかない。

 これが結構、面倒臭かった。すぐに気力が尽きて、そこにしゃがみこむ。この辺りは、現実世界でも異世界でも変わらない。僕は指先ひとつ動かしたくなくなって、辺りを見回した。

 リューナの姿が見えた。何かを重そうに両手で持って、畑の方に運んでいる。桶みたいだった。やってきた方向を見ると、あの井戸があった。たぶん、日が暮れる前にできるだけ多くの水を畑の作物にやっておこうというんだろう。

 大勢でやれば早いのに、リューナひとりが大変な思いをしている。それどころか、その場を離れて帰る女も何人かいた。

 ……ふざけるな!

 そいつらを呼び止めて引き戻したくなったけど、言葉も通じないし、そんな力もない。ただ、こんな目にあわされているリューナを放っておいて、こんな奴らに言われるままの仕事をする気にはなれなかった。

 僕は草むしりを放り出して、井戸に向かうリューナの方へ向かった。駆けだす力はなかったので、とぼとぼと歩くしかなかったけど。

 彼女を追ってたどりついたのは、水を汲んでいる姿のすぐ後ろだった。引き上げたつるべの先の桶から手元の桶に水を移すのも重そうだった。空になった桶が再び井戸の中へと落ちて、リューナは再びつるべに手をかけた。それを引く細い腕が震えているのを見ると、相当疲れてるんだろう。

 もう、見ていられなかった。僕は最後の力を振り絞って、再び彼女が引き上げたつるべを強引に掴んだ。

 その瞬間、厚い日差しに晒されてきた身体が一気に冷えた。

 リューナが、つるべの桶で汲んだ井戸水を頭から浴びせかけたんだと気付いたとき、その姿は消えていた。

 ……ここまでされるようなこと、僕、何かやったか?

 心が、完全に折れた。日はまだ沈んでいなかったけど、もう、絶対に何もやるもんかと思った。僕はちょっとでも日差しを避けるために、さっきの木陰までふらふら歩いて行って横になった。

 ふてくされて寝転がって、どのくらい経っただろうか。

 僕にもようやく、そろそろ薄暗くなりはじめた周囲を見渡してみようという余裕ができた。

 それでも、身体はだるい。それをこらえて起き上がらなくちゃいけない。最初の一歩を踏み出すのは、気持ちの上だけのことだ。それでも、めんどくさいのが嫌いな僕には大変なことだった。

 その踏み出した足の先に、ふと目に付いたものがあった。

 日本語だった。

 慌てて屈みこむと、こう書いてある。

 〈周りをよく見るのです〉

 ……周り?

 まだ残っている女たちが、水汲みを終えたらしいリューナの周りに集まって葉を摘み始めていた。他のこともしなくてはならなかった彼女の仕事が遅れているのも無理はない。

 ……だったら最初から水汲みぐらいやってやれよ。

 そんなことを考えながら見ていると、女たちのリューナに対する行動には一定のルールがあるに気付いた。

 背後から近づくときは、必ず声をかけている。それから、首すじに触れないようにしているのも分かった。身体が近づきそうになると、わざわざ間を取って離れる。何か取ってほしいときには、ゼスチャーで示す。

 そこまで注意していても手が当たってしまったら、過剰なくらいに謝っていた。

その度に、自分の目の前で手を打ちあわせたり、自分の頬を叩いたりしていたのは、この世界の謝罪の仕方らしかった。

 ……そういうことか。

 僕はようやく、自分の間違いに気付いた。

 背後から近づいてはいけなかったらしい。それから、首筋に触ってはいけなかったらしい。

 その理由は、誰に説明されなくてもファンタジーRPGの知識で分かった。

 たぶん、吸血鬼が背中から襲いかかって首筋に牙を立てるからなんだろう。リューナが僕に怯えたのは、この恐怖が蘇ったからに違いない。

 ……ごめん、リューナ。

 袋叩きにされて当然だ。この村人もそれを知っているから、僕をただで置くわけにはいかなかったんだろう。

 恥ずかしいのと申し訳ないのとで、穴があったら入りたい思いだった。井戸に飛込めばできないこともないけれど、村人に迷惑がかかる。かといって、自分で掘るだけの体力など残ってはいない。

 同じ土をほじくり返すならと、草むしりを再開することにした。そうしないと、自分がみっともなくてやっていられない。だけど、それほど器用でない僕にとって、慣れないことは単純作業でも大変なことだった。

 自分の影が少しずつ長くなっていくのを見ながら、僕は草をむしり続けた。作業はなかなかうまく行かず、始めた場所から1mも進んでいなかった。こういうのを見ると、やると決めたことでも気分が萎える。僕は背中に照りつける日差しの熱を感じながら、黙々と手を動かし続けた。もちろん、それは言葉も通じない、話し相手もいない、そういう状況だったからなんだけど。

 どのくらい手を動かしただろうか、目の前の長い影が突然、二重映しになった。振り向いてみると、丘の向こうに沈む夕日が畑越しに見えるだけだった。木のせいかと思って向き直った頬を、誰かの人差し指が突いていた。

 リューナだった。

 こうすればよかったのよ、と言わんばかりに目の前でしゃがみこんだリューナを前に、僕はうろたえた。謝るには、絶好のチャンスだった。

 でも。

 ……やり方を間違えたらどうしよう。

 これだけルールというかマナーというか、何もかもが違うんだから、下手をすると余計に傷つけることになってしまう。

 とりあえず、頭を下げた。

 リューナは首を傾げて、困ったような顔をしている。

 ……やっぱり、ダメか。

 うつむいたまま、草むしりが途中までしか済んでいない畑をじっと見つめるしかなかった。

 その時、耳元にくすぐったい感触があった。顔を上げると、リューナが僕の顔の横に手を伸ばして、緊張した面持ちで僕を見つめていた。たぶん、この異世界では落ち込んだ人のフォローをするとき、耳を撫でることになってるんだろう。

 僕は笑ってみせた。そうすることしかできなかった。こればっかりは、世界が違っても伝える気持ちは同じだろう。

 ………許し、感謝、好意、それから。

 ……愛ってやつ?

 リューナも笑ってくれて、僕はほっとした。怯えさせたことを許してくれたんだろうと思った。ところが、彼女の顔つきは急に険しくなった。

 ……え? 他にまだ何かあるの?

 心配することはなかった。

 その手は、凄まじい勢いで雑草を抜き始めた。疲れている彼女に余計な仕事をさせるわけにはいかない。僕も慌ててそれに続いたけど、とても及ばなかった。

 辺りはだんだん暗くなっていった。でも、日が沈む前にはほとんど、リューナの手で草むしりは完了していた。

 やったね、と言わんばかりにいたずらっぽく笑ってみせたリューナは、今度は明らかに雑草でない葉を掴んだ。

 ……え、それ、ダメだろ。

 止めようと慌てて手を伸ばすと、わずかに早く土から抜かれていたのは、何かカブみたいな赤くて小さい球のような根っこだった。アメリカのアニメで、なんか猫やネズミのキャラクターが食事のシーンでかじってたやつだ。

 わけもなくおかしくなって、僕たちは声を立てて笑った。すっかり日が暮れてしまう前に、同じものを引き抜いてリューナの籠にいれた。

 鼻をくすぐる、あのミントみたいに澄んだいい匂いがした。

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