苦難の連続……そう、僕はどうせオタク
村はずれにある巨大な石垣まで、山から切り出した丸太を運んだまではよかった。でも、それが限界だった。
朝から駆り出された仕事に、僕はとうとう挫折した。
……暑すぎる。全身の水分抜けてる。なんかスポーツドリンク欲しい。
……塩分多めのヤツ。最近ほら、あるじゃん、夏限定の、糖分ゼロの炭酸とか。
そんなコンビニ妄想の彼方にある石垣は、丘の崩れたところにある道をもう完全に塞いでいて、その高さは3メートルくらいになっていた。
それを支えるための丸太は、それなりに大きくて、重かった。村の男が一方を担いではいたが、もう一方をかつぐだけの体力はなかった。
……無茶言うなよ、人見てもの言えよ!
……僕の身長見りゃ分かるだろ、150cm台なんだぞ!
……下手すると女子より低いんだぞ、腕なんかお前らよりずっと細いだろ!
あれこれと心の中だけで文句言ってるうちに、自分が情けなくなってきた。ろくな仕事もしないですぐに目を回して倒れてしまったのは、そのせいもあるんだろう。
男たちは僕を荷車に載せて運んだ。仰向けに寝かされた腹の上へ夏の太陽がじりじり照りつける上に、石ころだらけの道で車輪がガタガタ揺れるもんだから、あっというまに車酔いで吐いた。道端で下ろされて透過光をぶちまけると、また荷車に載せられる。やがて連れて来られた場所で、僕は地面に放り出された。
……あ、ちょっと涼しい。
ありがたいことに、木陰だった。荷車が遠ざかっていく音がぼんやり聞こえる。ここはどこだろうと思う間もなく、全身に疲れが覆いかぶさった。意識がだんだん遠のいていく中、僕を見下ろす誰かの顔が見えた。
……誰だっけ、え~っと。
……なんか、この弾力っていうか、気持ちいいのは、あれ?
頭の下には、柔らかい感触がある。それが誰かの膝だというのに気付いた時、僕の口の中に冷たい水が満たされた。次第に意識が戻ってきて、やがて分かったのは、リューナの膝枕の上で革袋に入った水を飲ませてもらっているということだった。
……え? こんな、え? いいの? 太腿?
……いやこれ、ダメなんじゃあ、でも。
……あ、ひやっとして、すっとして、気持ちいい。
その水がなくなると、リューナは僕の頭をそっと草の上に下ろして、どこかへ駆けていく。後ろ姿を目で追うと、どうやらすぐそばにある井戸から汲んでいるようだった。
……あ、だから冷たいんだ。
何度となく水を飲ませてもらって、やっと身体が動くようになってきた。木の幹にもたれて上半身を起こすと、青々と葉の茂った畑が見える。そこには、何か野菜を収穫しているリューナがいた。
離れたところから見ても、服にはいくつも継ぎが当たっているのが分かった。その布だってずいぶん色あせている。土と汗で汚れた三角巾をかぶった頭がときどき、つらそうに揺れる。
……そんな仕事の合間に、僕を?
……なんか、ごめん。
気にしてくれているのだろうか、リューナがこっちを見た。
……気がした。
目が合った。僕を見つめている。
……と思った。
彼女が微笑んだ。励ましてくれてる。
……ように見えた。
本当にそうだったかは分からない。もう少し木陰で彼女を見ていられたら確かめられたんだろうけど、そうはいかなかった。
もたれた幹の向こう側から大柄な女がぬっと現れて、僕の襟首を掴んだからだ。
……何すんだよ! さっき倒れたばっかりなのに!
……離せよ、その手!
もっとも、思っても口にだせる僕じゃないし、そもそも言葉が通じない。
……どこ連れてくんだよ、また倒れちゃうだろ!
……あれ?
そうやって涼しい木陰から引きずられていった先は、リューナのすぐ近くだった。
……よかった。まあ許すよ、オバサン。
だけど、そう感謝した相手は地面にしゃがんで、葉の大きな作物の間に生えた雑草の葉をむしったり、それを掴んで根っこまで引き抜いたりする。
……大変だね。
そう思って見ていると、他人事じゃなかった。
オバサンは急に立ち上がって、草むしりで掘り返された地面の乾いた土を指差す。
……畑仕事しろって? このカンカン照りの下で?
どうやら、石垣での力仕事には役に立たないもんだから、こっちに回されたらしい。正直、また倒れるんじゃないかと思うと指先ひとつ動かす気にはなれなかったけど、すぐそこでリューナが働いてると思うと、サボるのも格好悪い気がした。
僕は、オバサンがやったことを、そのままマネするしかなかった。
リューナが何をどう摘んだり採ったりしているのかは、やっぱり見てもよく分からなかった。ただ、僕の目に映ったのは首筋に流れる滝のような汗だ。
……とにかく、できることは何でもしたい。
よせばいいのに、僕は野菜の収穫にまで手を出すことにした。
結果は惨憺たるものだった。見よう見まねでやったことは全部、空振りに終わったのだ。
さすがに、これには落ち込んだ。
……見当外れのことばかりやっていた僕がいけないんだ。
……ごめん、リューナ。
でも、本当に済まないと思ったのは、女たちに罵られる僕の前に駆け込んできてくれたことだ。
それは、かばってくれたってことだろうが、結局、女たちの怒りは収まらなかった。リューナは、僕と一緒に頭からギャアギャア喚かれる羽目になった。
僕は僕で、それでも何を言われたのかさっぱり分からなかったから、その場に座り込んでいるしかない。
リューナはといえば、その場で固まったっきり動かなかった。女たちの言葉は、彼女にとってもよっぽどひどいもんだったんだろう。
……いい加減にしろよ、いい大人がこんな女の子ひとりによってたかって!
僕は自分の持ち場に去っていく女たちの背中を見ながら、足下の石ころをぶつけてやりたい気持をぐっと抑えていた。
やがて、リューナは真夏の太陽が輝く空を見上げた。
一瞬ふらついたのは、吸血鬼に襲われた身体だからだろうか。それでもまた仕事に向かおうとするとき、振り向いた顔には間違いなく笑顔が浮かんでいた。
それは夏の太陽みたいに眩しかったけど、見ていると余計に胸が痛んだ。
……無理するなよ、つらかったら泣けよ。
言いたいことがあっても伝えられないまま、リューナは女たちから離れたところで何かの葉を摘みはじめた。
今まで気づかなかったけど、腰には小さなカゴが下がっていて、摘んだ葉はそこに入れるらしい。継ぎや縫い合わせのある粗末な服は、やっぱり暑そうだった。
ひとりで働くそんなリューナの後ろ姿が痛々しくて、僕はつい目をそらして地面を見つめた。
……見ちゃいられない。
……夜になったら、また閉じ込められるんだろ?
だが、僕はそこで信じがたいものを再び目にすることになった。それは、日本語でこう書かれていた。
〈あなたの味方をいたわりなさい〉
辺りを見渡したが、日本語が書けそうな人は誰もいなかった。ここにいるのは、リューナと僕を除けば畑仕事の女たちだ。
……間違いない。
……誰かが、僕を見ている。
それが誰かは分からなかったけど、詮索するのは余計な手間だという気がした。
今、僕にできることがある。
リューナの後ろから近づいた。何て言えばいいのか分からなかったから、黙ってるしかなかった。彼女の身長よりちょっと高いくらいに伸びたの草の葉を摘む手元から、スッとするいい匂いがした。ミントの香りに似ていた。僕はリューナの背中から手を伸ばして、代わりにその葉を摘もうとした。
そのときだ。
声にならないのにはっきりと聞こえるような気がした「嫌」の一言に、僕の身体は凍り付いた。
結構、この一言はトラウマだったりする。
子供の頃から女の子には縁がなかったというか、好かれてはいなかったのは自覚している。どっちかっていうと、嫌われていた。
それは仕方がない。だって、僕は遅くとも小学5年生からもうオタクだったから。
ファンタジー系のRPGにハマって、キャラの台詞を真似したり、呪文や必殺技の設定考えたり、そいつを先生にもクラスの生徒にも誰彼構わずしゃべり倒して……。
周りのヒト、全員引いた。そうでないときは、笑って受け流された。いや、スルーしてもらえたって言うほうがいいか。
とにかく、そのくらい分かってる。
イタい僕は嫌われていた。そうでなければ、いないことにされていた。それはそれで諦めてた、というか、開き直ってた。
オタクがひとりでオタクやって何が悪い、って。
だけど、こんなに分かりやすく、嫌がられたことはなかった。
声にならない悲鳴まで上げられて……。
あまりの扱いに、僕は絶対に伝わらない日本語で叫んでいた。
「な、何にもしてない! 何にもしてないったら!」
やったことといえば、地面のメッセージに従ったくらいだ。
〈あなたの味方をいたわりなさい〉
この異世界で、僕の味方と言えばリューナしかいなかった。昨日、お互いの部屋の壁をノックしあってから、僕は彼女に不思議な親しみを覚えていた。それだけじゃない。一昨日、吸血鬼の襲撃を受けてから、僕たちは命に関わる危険さえ共にしていた。
それなのに、リューナはその場にしゃがみこんで、ガタガタ震えている。明らかに、何かに怯えていた。それがいったい何なのかは見当がつかなかったけど、少なくとも僕が原因だってことは間違いなかった。
パニックを起こしたリューナに気を取られていた僕だったが、視界の隅で女たちが畑を出て、道を走っていくのは分かった。
……確か、あれは石垣のある方向だ。
……すると、男たちを呼びに行ったんだろうか?
……今の、見られてた?
どっちにしても、気にすることはない。ここから逃げようと思えば逃げられないこともないけど、この村のことをほとんど知らない僕なんかはすぐ捕まってしまうだろうから。いや、そもそも、やましいことなんか何にもしてないからだ。
しばらく待っていると、リューナも落ち着いてきた。振り向いたその顔は、くしゃくしゃに歪んで濡れている。その涙を一生懸命、指で拭おうとしている様子を見ていると、たとえ言葉が通じなくても、吸血鬼に襲われた後の運命を僕の力で何とかしようという気持ちが心の底から湧いてくる。
リューナは、いったん歪んだ顔に精一杯の笑顔を浮かべた。僕たちは、確かに見つめ合っていた。そのままどれほど時が経っただろうか。ものすごく長かったような気もするし、ほんの少しの間だったかもしれない。
どっちでもよかった。
気が付くと、僕は思いのほか早くやって来た男たちに取り囲まれていた。リューナが何か言う前に、男たちの拳が雨あられと降り注いだ。。




