昼休みの、ヒーローとモブ
実際、山藤……シャント・コウが畑でやることは、とても仕事の手伝いにはなっていなかった。
俺の家はこの町でもかなり田舎の方にあるが、オヤジは町外にある会社につとめているので、俺自身も畑仕事の経験はない。それでも、このシャントがやることは素人目にも見られたものではなかった。
どうやら、手伝っているのは野菜の収穫らしい。だが、役に立っていないのは明らかだった。というか、足手まといにしかなっていない。それどころか、明らかに損害を出している。
つくづく思うに、ネトゲにしか適性のないヤツである。
まず、キャベツの葉を1枚ずつ引きちぎり始めたのには驚いた。いくら土に植わっているのを見たことがなくても、スーパーやなんかで売ってる玉状のものは……みたことがないからこういうことをしちゃうんだろうな、たぶん。
さすがに女たちのひとりがすっ飛んできて止めるや、襟首を掴んで別の小さな畑に引きずっていった。
呆れて見ている俺を不審に思ったのか、画面をちらりと見た沙羅は即座に弁解した。
「何にもしてないからね」
それは疑っていなかった。たとえ異世界の人間だって、これだけドン臭くて邪魔っけなヤツを見たら、誰でもそうするだろう。ここに沙羅の仕掛けるご都合主義の入り込む余地はない。
山藤……シャント・コウも、自分がまずいことをしたのを悟ったらしい。しばらくの間は、何もしなかった。ただ、リューナをはじめとした女たちがキャベツを収穫するのをじっと見ている。
キャベツは包丁みたいな刃物で根から切り取られていったが、やがてシャントも畑にあった全体に白く細かい毛の生えた1mくらいの高さの植物に手をかけた。それは、釣鐘みたいな形をした淡い紅色の小さな花を、小さな畑一面に咲かせている。
何をするかと見るや……その植物は一気に根から引き抜かれた。
するとさっきとは別の女が走ってきて、シャントの横っ面を思いっきり張り倒した。呆然と見つめるシャントには通じてないとは分かっているのだろうが、それでも口から出た、カラスのような声の意味不明の言葉には、ちゃんと吹き出しで翻訳がついていた。
《何てことすんだい!》
シャントの手から植物の茎をひったくって慌てて埋め戻す女は、背中を丸めて肩を怒らせ、掘る道具のない土の穴を手で少しでも深くしようとしているようだった。
沙羅はいつの間にか背中を屈めて、俺の顔に頬を寄せていた。それに気づいているかどうかは分からない。二人して眺めるスマホの画面には、異世界の言葉で怒鳴る女の声を翻訳した文字が並んでいる。
《いい金になるんだからねえ!》
「ああ、コンフリーか」
沙羅がつぶやいたのは、その植物の名前らしかった。何でそんなことに詳しいのかと思って横目で見れば、俺の視線に気づいたのか、編んだ髪の房をさっと揺らして身体を起こした。
いったん視界から離れたスマホが再び目の前に突き出されたときには、ネット上の百科事典が画面に映っている。小さな画面の上の長い文章をを目で追うのは、なかなか大変だった。
「……ええと、打ち身に、ただれに……」
「要するに、根っこや葉っぱが傷薬になるのよ」
「……肝臓悪くするって書いてあるぞ」
「たくさん食べればね」
こんなもんで腹一杯になりたがるヤツがいるとは到底思えないが、なんでシャント……つまり山藤がここまで殴られるのかは納得できた。
ついでに聞いてみた。
「で、何でそんなこと知ってるんだ?」
「子供の頃から勉強してきたの。いつか必要になる、って気がしてたから」
そういえば、沙羅は反乱の戦火を逃れて転生してきた異世界のお姫様なのだった。すると、薬草についての知識を独学で調べてきたということは、元の世界へ戻って戦おうと思っているということか。
そんなことを考えていると、沙羅がぼやいた。
「あ~あ、またやっちゃった」
再び見せられたのは、実にちまちました情けない光景だった。しゃがみこんで地面から出ている細いネギを一本ずつむしり取っている有様は、実に暗い。だが、何がまずいのかは分からなかった。
沙羅が説明してくれた。
「これ、エシャロット」
しなやかな指でちょいちょいと撫でた画面が俺の前に突き出されると、そこにはラッキョウみたいな細長くて白いものが映っていた。言わんとすることは、それだけで分かった。
「食うのはこっちだと」
もう言葉もなく見つめるしかない画面では、さっきとはまた別の女がシャントを押しのけて地中の球根を掘り出し、更にその周りのをてきぱきと、ネギみたいな葉を掴んで引き抜き始めた。
俺は何だかどっと疲れを感じて、見るのをやめた。
「ああ、使えねえ!」
「限度ってもんがあるわよね」
これは沙羅も同感だったらしい。
「俺でも分かるぞ」
調子に乗ってまくし立てた悪口雑言だったが、「人を呪わば穴二つ」のたとえ通り、それは俺自身に返ってきた。
「じゃあ、名前全部言ってみてよ」
沙羅は画面上の女たちが収穫している作物をいちいち指を広げて拡大してみせた。
「キャベツと……コンフリー、と、エシャロット、と……」
「それから?」
初めて見るものがほとんどだった。分かるわけがない。何だかムッときて見上げてみると、沙羅が意地悪く微笑んでいた。
休み時間だというのに異様に静まり返った教室の中で、俺たちはしばし無言のまま、睨み合うというか見つめ合うというか、奇妙な感じで視線を交わした。
その静寂を破ったのは、聞きなれない男子たちの声だった。
「あ、沙羅ちゃん!」
「また来たよ!」
今朝、ちらっと見た他クラスの男子たちだった。沙羅を至近距離でべったりと取り囲むのに俺の頭を押しのけているのは、気が付かないからなのか、敢えて無視しているからなのか。これは無意識にしろ冗談にしろ、さすがに度が過ぎている。
「俺が話してんだよ」
何やら一斉に沙羅に話しかけている男どもは、誰ひとりとして抗議に耳を傾けなかった。
完全に無視されている。たぶん、意図的に。
平凡と平穏を好む俺だが、ここまでされて黙っている気はなかった。
「お前らな……」
声をなるべく抑えて、俺の頭を小突く肘を押し返す。小うるさそうにしかめられた顔が見下ろしてくるのを睨み返すと、その険悪な空気を察したのか、沙羅に向けたその場の男子たちの無意味なアピールが一瞬、止んだ。
沙羅が要領よく、即座にフォローを入れる。
「で、何?」
授業中に見せる眩しいばかりの営業スマイルを向けられると、それがただのパフォーマンスと分かっていても言葉に詰まった。
「いや……」
沙羅に群がるその他大勢の男子どもの視線が俺に突き刺さる。もちろん、さっきの無礼な振る舞いを後悔している様子は微塵もない。早い話が、嫉妬の眼差しだ。
男のは女よりもタチが悪いという。無用のトラブルは未然に避けるのがいちばんいい。世界最強の格闘家といえども、刃物を持った暴漢に襲われたら、真っ先に考えるのは逃げることだという。
「悪い、宿題忘れてた」
俺はやにわに立ち上がった。さっきまでじっと見つめてきていた男子たちは、一瞬だけ驚いたようだったが、すぐにそれぞれの視線を、再び沙羅にまとわりつかせた。
沙羅は沙羅で、そんなものは全く気にもならないようだった。
「ちょっと、八十島君?」
俺は呼び止める声に振り向きもしなかった。魂の抜けたクラスの生徒たちがせっせと自主学習に励む、異様な雰囲気の教室をさっさと抜け出す。行き交う生徒たちの中に紛れて歩きだすと、教室の中から聞こえる他クラスの男子たちの軽い無駄口が、廊下の奥へと遠ざかっていった。