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言葉の通じない重労働の一日

 結局、吸血鬼を追い出すのに、僕は何の役にも立たなかった。

 あのまま部屋に閉じ込められて考えたのは、また馬小屋に逆戻りだなということだった。ここの村人にとって、僕はムダ飯食らいの奴隷に過ぎないのだ。

 ……もうどうなってもいいや。

 ヤケを起こして藁のベッドでフテ寝していると、無駄に終わった大立ち回りのせいか、どっと疲れが襲ってきた。いつしか意識は遠のいて、僕は夢も見ないで眠ってしまったようだった。

 目が覚めたのは、ドアを激しく叩く音が聞こえたときだった。

 とうとう、来たか。

 覚悟を決めて部屋の窓の戸を押し上げると、朝の冷え冷えとした空気が流れ込んでくる。眩しく、また暑い夏の日差しが部屋のなかを照らしたとき、カギの開く音の後で夕べ見た男たちの誰かがやってきて、ドアの辺りを指差した。

 部屋を出ろっていうんだろう?

 熱気のこもる夏の馬小屋で送ることになる垂れ流しの毎日を想像すると、もう生きているのも嫌になった。あんなSNSのゲームアプリで僕をこんな運命に陥れた綾見沙羅も、その顔はすでに記憶の彼方にかすんでしまって、恨もうにも恨めない。

 仕方なくドアを開けた。

 どうせ、外にはもう1人待ってる……そこでまた、あの手枷をはめられるんだ。

 そう思っていたら、誰もいなかった。部屋の中を覗いてみると、男がどこかに持っていたらしい大工道具で、部屋の格子を外していた。

 これはもう、ここを使うことはないという意味か……。

 出てきた男は部屋にカギをかけることもなく、階段を降りていった。僕は覚悟を決めて男の後に続いたが、ふとリューナの部屋を見ると、カギがかかっていた。

 まだ、閉じ込められているんだろうか?


 下の階は台所といくつかの椅子に囲まれた大きなテーブルのある部屋で、壁にはいくつか扉がある。たぶん、その奥で村長や男たちが寝泊まりするんだろう。

 手枷のほうは外へ出たところで覚悟したが、男は馬小屋へは行かずに道へ出た。そこには、僕が石を運ばされた時の荷車が、数人の男に囲まれて置いてあった。 

 ……こっちか。

 逆らっても仕方がないので自分からその横棒を握ったけど、予想に反して、手が括りつけられることはなかった。ただ、後ろから押されるままに、男たちと一緒に歩いて行くだけでよかった。積まれているのは、金具のついた太い縄と、僕を除いた人数分の斧だった。


 次第に日は高くなり、身体はそれにつれて汗びっしょりになった。この道は荷車がすれ違える程度には広い。村のメインストリートなんだろう。道端の家ははまばらで、左右に広がる畑には緑一色で、作物も実ってるようだ。三角の頭巾をかぶった長いスカートの女たちが、せっせと収穫に励んでる。

 ふと、その中で小さく手を振る姿に気が付いた。よく見れば、リューナだった。

 部屋から出してもらえたんだ! 

 ……よかったな。

 そう思うと同時に、こうも考えた。

 思った通り、リューナは日中、作業には駆り出されるらしい。

 ということは?

 吸血鬼の襲撃や吸血鬼化が夜にだけ起こることは村人も知っているのだ。 

 じゃあ、昨日一杯、部屋に閉じ込められていたのは?

 そうか……あの朝、彼女のせいで僕が大騒ぎしたと思われたんだ。

 だとすると、悪いことをしたな。

 手を振ってもらえたことが、何だか胸を締め付けた。手を振り返そうかとも思った。

 ……待てよ?

 リューナにちょっかい出してると周囲に思われたら?

 また同じ騒ぎになるかもしれない。結局、笑いかけるだけにしたけど、あっちから見えたかどうか。


 ずいぶん歩くと、小さな川にかかる橋があって、それを渡り切ると古ぼけた小さな水車小屋があった。ごとん、ごとんと音がする。

 小麦粉を挽く石臼が回っているからか……?

 さっきの畑に麦はなかったけど、ファンタジー系RPGやってるときに仕入れた知識によれば、小麦の刈り入れはもう終わってるはずだ。

 道はその前を通って大きく曲がると荷車くらいの幅になり、川をさかのぼるように続いていた。黙々と歩く男たちに従うと、道に沿って流れる川の水面に大きな岩が見えてきた。

 ……だんだん浅くなっている。

 ……幅も細くなっていく。

 ……ずいぶん山奥まで来たんだ。

 谷川の向こうには、葉の生い茂る大きな木々が鬱蒼と立ち並んでいた。上から漏れてくる日の光が当たる下草は、対岸の斜面にもびっしり生えている。

 男たちは、斧やロープを手に、その川から離れて道沿いの斜面を登っていった。荷車を置いて後に続くと、こっちの木は少なかった。ところどころ生えている細い木々の間には、古い切り株がいくつも見えた。

 日の当たる斜面をしばらく登ると、男たちは立ち止まった。見上げると、そこから先はまだ木が伐られていない。振り向いてみると、木の切り出された山の斜面からは、村をいっぺんに見渡すことができた。

 家はそれほど多くなかった。どっちかというと、まばらだ。途中で見た家は小さくて粗末な平屋ばかりだった。

 ……そんなに豊かそうな村じゃないなとは思ったけど。

 こうして見ると、畑には鮮やかな緑が広がっている。さっき通ってきた広い道は、低い丘に囲まれた狭い村の真ん中を貫いている。水車小屋の反対方向へ行くと、村はずれにある、あの無駄な抵抗の石垣へとつながっている。

 その向こうには、遠くに古い城らしいものが見えた。小高い丘の上に、石造りの城が建っている。夏の日差しに白く輝いているのは、4つの塔だ。

 ……あれが、吸血鬼の城なんだろうな。

 あんなところからリューナを襲いに来るには、空を飛んでくるしかない。村の人は吸血鬼が夜にしか現れないことを知ってる割に、その辺は思いつかないようだった。

 ……ひょっとすると、空を飛ぶという発想自体が頭の中にない?

 別に、不思議なことじゃない。この中世ヨーロッパっぽい異世界で、たとえば神様のいる空へ行こうなどとしようもんなら、いや、そんなことを思いついただけで、火あぶりにされるかもしれない。


 さて、僕が駆り出されたのは、切った木を運ばせるためだったらしい。

 男たちは斧を手にすると、それぞれが選んだ太い木に叩きつけた。カーンカーンという音が、立て続けに耳の中に響く。僕は耳を押さえてうずくまった。

 ……ちょっと、こんな近くで!

 ……勘弁してよ!

 やがて倒されたその木々は、ロープを括りつけられた。男たちはそれを、斜面に対して立てた木が滑り落ちていくのにブレーキをかけるようにして、左右から2人一組で引っ張り上げる。

 当然、僕も有無を言わさずにその端っこを握らされた。

 ……重い!

 ……半端じゃない!

 最初の一瞬はロープが掌で滑った。

 ……痛い!

 火傷したような感じだった。もう一方のロープを持つ男が踏ん張りきれず、斜面を落ちていく丸太に引きずられる。別の丸太に付いていた男の一方が相棒に両方のロープを任せて、僕が離した方を慌てて片手で掴んだ。

 丸太が止まる。

 その瞬間、男に横っ面を張り倒された。転んだ時に斜面についた手が、また痛んだ。

 ……どうして?

 よく見れば、生命線だの感情線だの何だのが分からなくなるくらい擦りむけた掌に、べっとり血が滲んでいた。

 あっと思う間もなく、僕はゴワゴワした手に襟首を掴まれて、またロープを握らされた。

 ……やりますよ、やりますって!

 そうはいっても、僕の筋力なんかたかが知れている。斜面で踏ん張る足が滑るたびに、頭をガンガン殴られた。

 ……殴んなよな、仕事させたいんなら。

 川沿いの道まで降りてくると、男たちが荷車までかつぐ丸太の下へ押し込まれる。積んだ丸太を括ったロープを荷車の下に通して金具で固定する。

 ……はいはい、また僕の出番ですね。

 掌の痛みをこらえて、その血でべとべとする横棒を掴んで歩き出す。


 でも、僕の体力には限界があった。材木は重すぎたし、サンダル履きでも石ころだらけの山道は歩きにくいし、日はどんどん高くなってくる。

 ……暑い。

 僕はとうとう、水車小屋の辺りで力尽きて倒れた。

 男たちも仕方がないと思ったのか、それともこれを口実に休憩しようと思ったのか、水車小屋のカギが開けられた。逞しく汗臭い腕に抱えられて放り込まれたのは、ごとんごとんという音だけが響く部屋の中だ。

 ……動けない。

 ……指も動かせない。

 ……身体の中に、熱が溜まってる。

 床の埃を舐めて、ペッと吐き出すのが精一杯だった。

 それでも横目で見えるのは、風通しを良くするためか、押し開けられた窓だ。その壁際では、男たちが積まれた布の袋にもたれて汗を拭いたり、居眠したりしているのだ。

 ……何だ? あの袋。

 ……たしか、チャットでTRPGやるとき資料で読んだっけ。

 ……たぶん、挽く前の小麦だ。

 ……ここは、その前に積んどく場所なんだろうな。

 その割には壁際に1丁、大きな斧が置いてある。山仕事の中継地点になってるからかもしれない。

 しばらく経ってからやって来た女がひとり、戸口で何か厳しい口調で言った。

 ……さぼってるの見つかったのかな。

 男たちはしぶしぶ立ち上がったけど、僕はもう立ち上がる気力もなかった。でも、足音が近づいてきて僕を取り囲む。

 ……脅したって無駄だ。動けないものは動けないんだから。

 さっきの掌の痛みがだいぶん引いてきたといっても、かさぶたでパリパリだ。ここまでコキ使っておいて手当てもしないなんて!

 だいたい、何だよ。か弱い女の子が吸血鬼に襲われたからって馬小屋に閉じ込めたり、カギかけて監禁したり!

 僕が吸血鬼を追い払えるって知った途端に馬小屋から出したり解放したり!

 ……虫が良すぎる! 

 ……何で自分たちでリューナを守って戦わないんだよ!

 そんな恨みつらみを腹の中で並べ立てているうちに、気が付いた。

 ……あ。

 そんなことができれば、僕なんかいなくていいわけだ。馬小屋に閉じ込められなかったら、ニンニクをかじることもなかったわけだから。

 やがて、男たちはドヤドヤと水車小屋を出ていった。

 ……諦めたんだろうか? 

 いや、いくら何でも都合が良すぎる。そんなにすぐ、タダでお手軽に使える僕を許すはずがない。

 ……さて、いったい何を考えてるんだろう。

 床に横たわったまま、しばらく様子を見ることにした。

 だが、何も起こらない。男たちが僕を放り出していったんなら、荷車の音ぐらいするはずなんだけど、相変わらずの水車と臼の音のほかには、壁の向こうのせせらぎしか聞こえない。

 いや、誰かの足音が、他の壁の辺りから聞こえた。確か……斧のあった辺りだ。

 嫌な予感がして、寝たふりをしたままこっそり見上げると、窓からの逆光で表情が影になった男が1人、斧を振り上げている。

 ……やります!

 僕が跳ね起きると、他の男たちが太腿をペタペタ叩いて鳴らしながら戸口から入って来た。この世界では、手を叩くという習慣がないみたいだが、そんなことはどうだっていい。

 ……こいつら、僕が斧を見て逃げ出したときの用心に、外で待ち伏せてたんだ。

 そのやり方のいやらしさにはムカついたが、多勢に無勢、逆らっても仕方がなかった。僕は大人しく外へ出て、荷車の横棒を掴んだ。


 水車小屋の前から橋を渡り、あたまのてっぺんまで昇った夏の太陽の下をじりじりと、重い丸太が載った荷車を引いて歩いた。男たちは、代りばんこに後ろから押してくる。あまり遅いと、押す人数が増えて、勝手にスピードを上げられるのだ。その度に僕はつんのめり、男たちはゲラゲラ笑った。

 ……いわゆるイジメだな。最低だよ。

 しばらくそんな思いをした後に、さっきの畑のそばを通りかかった。

 そこで一休みする女たちの辺りを通り過ぎるとき、ちらっと見たら汗を拭くリューナと目が合った。何となく心配そうな顔つきをしてたで、また笑ってみせた。

 ……今度こそ、見えたよな。

 そう思うと強制労働で荒れた心がようやく落ち付いて、荷車を引きながらでも考える余裕ができた。

 手枷がなくなったことといい、横棒に縛り付けられなくなったことといい、僕はどうやら、少なくとも奴隷ではなくなったらしい。あのカギと窓の「井」の字が取り外されたのも、たぶん、こういうわけからだ。すると僕は、夜中でも自由に歩き回れるようになったことになる。

 ……でも、どうして?

 理由は全然分からなかったけど、原因は見当がついた。夕べ、僕がリューナを助けに行ったことと、そのリューナが僕を抱きしめたことだ。思い当たるのは、これしかない。


 考え事をしながらでも、男たちが怒り出す前に足を速める要領は分かっていた。蹴つまずきもつんのめりもしないで僕がたどりついたのは、あの村はずれの石垣だった。今日の仕事は、吸血鬼が村に入ってこられないようにするための石垣を支える、木の切り出しだったというわけだ。

 穴を掘ったり、そこで立てる丸太を縄で組み合わせたりという作業が始まったが、僕は何一つできなかった。そんなに体力はないし、器用でもない。指差して示されるままに、僕は1人で担げそうもない丸太を引きずって、右へ左へと歩くしかなかった。

 その間に、ずっと考えていたのはリューナのことだった。

 ……また、夜中に閉じ込められるんだろうか。

 何とかしたかったけど、言葉一つ通じない身ではどうすることもできなかった。

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