ネトゲ廃人、突破口を発見する
暗い森の中をめちゃくちゃに走ったのは、早く抜け出したかったからじゃない。どうしようもなく、気持ち悪かったからだ。
……殺した! 殺した! 殺した!
知らないでコウモリを斬っちゃったときなんかよりずっと、なんかこう、どろっとした、変な、重いものが身体中にたまっていく感じがした。
……いやだ! いやだ! 出ていけ!
でも、走っても走っても、その感じは肌にべっとり広がるだけで、身体の中から追い出せそうになかった。
……感じなくて済むんなら、忘れてしまえるんなら、どんな目に遭ったって!
その願いが叶ったのかどうか分かんないけど、僕は何かに思いっきりつまずいて、びったーんと顔面を強打した。
鼻がツーンと痛い。鼻血が出てないか、唇の上を撫でてみたけど、グェイブの光の中に赤いものは見えなかった。
見えたのは、白いものだけだ。
バラ……しおれかかってるけど。
急がなくちゃいけなかった。立ち上がってみると、周りに木は生えていなかった。森を抜けたんだろう。
ここがどんな場所なのか知りたくて、僕はあっちこっち、きょろきょろした。森を出られたのはいいけど、ヴォクスの城に近づけないんじゃ意味がない。グェイブの光はそれほど強くないから、この真っ暗な中では、そこまで行けるのかどうかってことさえ分からなかった。
でも、そのときだった。
闇の中の高い所に、灯がひとつ、ぽつんと現れたのだ。
……鬼火?
すると、近くにはアンデッド系がいることになる。でも、吸血鬼じゃない。もっと低級なモンスターだ。
ゾンビとかグールとかワイトとか。
はっきり言って見るのもイヤだ。気色悪いし、相手の身体を刺した感じはもう、いやだった。
……どこだ?
できれば、逃げてしまいたかった。でも、どこにいるのか分からなかったら、逃げようがない。出会ってしまったら、戦うしかないのだ。
そう思うと、グェイブを持つ手がぶるぶる震えだした。
……やるしか、ないんだ。
いちばん危ないのは、鬼火の近くだ。とりあえず、そこからは離れようとした。わざわざ自分からモンスターと遭遇しに行くことはない。
……経験値貯めまくりの安いRPGじゃないんだから。
でも、僕はそこから動けなかった。高い所に浮かんだ鬼火のそばに、白い影がいきなり現れたのだ。
……幽霊?
日本のと違って、何かふわふわ浮かんでる実体のないアンデッドが西洋のヤツだ。でも、それじゃないことはすぐに分かった。
ゆらゆらする光の中で、金色の髪がきらめいている。
……リューナ?
やっと分かった。僕はもう、ヴォクスの城に着いていたってことだ。鬼火に見えたのは、リューナが持って歩いているロウソクかなにかの灯だったんだろう。
僕はよく見ようとして近づいた。ロウソクの光は、見えたり消えたりする。追いかけて歩いているうちに、灯はだんだん低い所に下りてきた。
「リューナ!」
思わず駆け寄ったところで、足の裏がズルっと滑った。足下の土が崩れて、身体がふわっと浮いた。
「うわわわわ!」
叫んだときは、ただヒヤっとするしかなかったけど、背中から地面に倒れて、何とか落ちないで済んだ。
そこでやっと気持ちが落ち着いて、しまったと思った。
……見つかる!
でも、リューナが気づいてくれるんならいい。やっと見つかったんだから。もしかすると、こっちを見てるかもしれない。
期待して起き上がってみたけど、さっきロウソクの灯が見えた辺りは、もう真っ暗になっていた。
足が滑ったところに、ぼんやり光るグェイブを突き出してみると、地面がなくなっていた。たぶん、城の周りに堀があるんだろう。
どのくらいの幅があるか気になって、もっと腕を伸ばしてみた。何も見えなかったから、身体を前に伸ばしてみた。グェイブの光は、まだ向こう岸まで届かない。腹這いになって、長い柄を突き出してみた。
何とか、見えた。幅は、ものすごく広くはないみたいだったけど、何か大きな壁みたいなものが城の前に立ててあった。
……跳ね橋?
たぶん、そうだ。これが下りないと、中には入れない。誰かが入ってくるか、出てくるのを待つしかないみたいだった。
でも、そんなヒマはなかった。グェイブを手元に戻してみると、手に持ったバラはクタっとなっている。吸血鬼ヴォクス男爵と戦うための、最後のアイテムがダメになりかかっていた。
「開けろ!」
焦ったせいか、僕は城に向かって叫んでいた。さっき、見つかったらまずいと慌てたばっかりなのに、リューナを助けられるアイテムが限界に来ているのを見ると、そんな心配は頭から吹っ飛んでいた。
「開けろ!」
2回目に叫んだ時はちょっと、ものが考えられるようになっていた。
……もしかすると、何か出てくるかもしれない。
僕は白バラの花を片手に持って、グェイブを振り上げた。橋が下りたら、何か出てくる前に渡りきるつもりだった。先に何か出てきたら、もちろん、片手で戦うしかない。
そのときは白バラが邪魔だけど、しまっておくところがなかった。上着のポケットじゃすぐ落ちるだろうし、服の中に隠したら、トゲは痛いし、花もクシャクシャになるかもしれない。
結局、それは余計な心配だったけど。
跳ね橋は下りなかったのだ。
……どこか、抜け道でもないかな。
ファンタジー系TRPGの常識だと、城っていうのはそういうものらしい。何かあったとき、王様とか殿様が逃げられるようになっているのだ。
とりあえず、城の周りをよく探してみることにした。
堀の周りは土が崩れやすくなってるけど、どこか裏口みたいなのを探そうと思ったら、近づかないわけにはいかなかった。グェイブで足元を照らしながら歩いてみたけど、それでもやっぱり、滑る足はやっぱり滑った。
「お、おおおおお……!」
小声で唸って何とか踏ん張った。また、ちょっとずつ歩きだす。でも、危ないものはやっぱり危なかった。
今度は、思いっきり転んだ。立ち上がろうとしたところで、何でそうなったか分かった。
……崩れて、いく、地面が!
前に出した足が、ずぽっと地面にはまり込んだ。それを慌てて引き抜いて、逃げる。離れたところにへたり込んだ。
……こう暗くちゃ、何にも分からない。
グェイブの光は弱いから、踏む土が固いかどうかなんて分からない。
仕方ないから、這うことにした。右手にグェイブを持って、左手に白バラを握ったまま、腕をズリズリやって前に進む。これで、さっきよりも足の下に安心できるようになった。
そのうち、暗い所に目が慣れてきた。グェイブが光っているからか、ぼんやりとだけど、見えるものがあった。
たぶん、城の壁だろう。じっと見ているうちに、気が付いた。
……穴?
堀の下のほうで、壁がそこだけ丸く、黒くなっていた。
……抜け穴かな?
もしかすると、そこから中に入れるかもしれない。
試しに、石を落としてみた。
……深いかな?
ずいぶん経って、ばちゃん、と小さく音がした。
堀は深いけど、石の落ちたところは浅そうだった。
やっぱり、そこが抜け穴なのかもしれない。でも、そんなところに下りようと思ったら、手や足を引っかけるところがないと無理だ。
地面がなくなっている辺りを見てみると、すぐ触れそうなところに岩が突き出ていた。グェイブで照らしてみると、足を乗せられないことはなさそうだった。
やってみた。
……でも、小さい。
堀の端に座ってみたら、爪先がなんとか乗るくらいだった。
……この下、どうなってんだろ。
グェイブの先を下ろしてみると、同じくらいの岩がいくつも見えた。ここを掴んだり、足を乗っけたりすれば、下りられるかもしれない。
……やるしか、ないか。
バラを口に咥える。グェイブは服の背中に突っ込んだ。




