膠着と新たな使命と
壁の付近での小競り合いは、ほとんど終わっていた。あっちこっちで、松明をかざした軽武装の兵士たちが、ぐったりと疲れ切った村人に縄をかけている。男も女も、老人も構わない。
まさに、多勢に無勢というヤツだ。僭王の使いから「殺してはならない」と命令が出ていたとしても、人数にものをいわせればどうにかなるものなのだろう。
それでも屈強な男が何人か、棒や鎌を手にして暴れている。ささやかな抵抗であるが、村人の捕縛が終わって手の空いた兵士たちが駆け寄っていくところを見ると、抑えられるのも時間の問題だろう。
手足を縛られて転がされている村人たちの様子を見渡してみると、それほどひどい怪我はしていない。村長などは皮肉なことに、かつてシャント…山藤やリューナにやったのと同様、手足に枷をはめられていた。僭王の使いは暴動の首謀者を、ご丁寧にも見せしめにしたのだろう。
これで、国家権力に逆らえる者はいなくなった。ここに捕まっていないのはせいぜい子供くらいのものだが、たぶん、家の中で親の帰りをじっと待っているのだろう。それを思うと、なんだか気の毒になった。
やがて、最後の1人が数人がかりで地面に押し付けられた。拡大してみると、シャント…山藤に手枷で殴られた、あのカギ男だ。最後まで抵抗するとはなかなかタフな男だと言わざるを得ないが、そいつも後ろ手に縛り上げられて、かつてシャント…山藤と同じ姿勢にされた。
村長と同様、因果応報とはこのことだ。
しかし、カギ男は村長ともシャント…山藤とも違った。足首もまとめてくくられながら、大声で尋ねた。
《テヒブが見つからなかったらどうすんだ?》
誰も答えない。一兵卒に、そんなことが分かるはずはない。
だが、答えはすぐに返ってきた。松明をかざした兵士と、長柄の斧を手にした護衛に伴われて、鎧とマントを身にまとった僭王の使いが現れたのである。
闇の中から、あちこちで漏らされた低い怨嗟の呻きが聞こえてくる。だが、僭王の使いにとっては耳元を拭きすぎる夜風ほどの意味もないようだった。ゆったりと歩を進めながら、捕らわれた村人全員を見渡して断言した。
《見つからぬはずがない》
だが、縛り上げられた村人の群れの奥で声を上げる者があった。
《死んだと言っておる》
村長だった。臆病で自分からは何もしないくせに、最悪の事態になると急に責任者面をする。人のせいにするよりはまだマシだが、よく分からない爺さんである。 だが、騎士は理屈に対して証拠で対抗した。その背後にいた人物を、斧を持った兵士が引き出したのである。
松明の炎に照らされて、金色の髪が燃えるように輝く。
僭王の使いが証人に引き出してきたのは、リューナだった。
《生きていると、この娘が言っているではないか》
力尽きたはずの村人から、罵声が上がった。
《裏切り者!》
《せっかくヴォクスから守ってやったのに!》
《血い吸われて死んじまえ!》
その場は弱々しくも騒然となったが、僭王の使いは黙ったまま、抑えようともしなかった。敬遠を通り越して憎悪の対象となったリューナも、既に吸血鬼となったかのように冷然と村人たちを見つめている。
疲れに諦めが上乗せされたのか、非難の声は次第に収まっていった。やがて、辺りが再び静まり返ったとき、村長はカギ男と同じことを、今度は長々と尋ねた。
《こんなことになっても、テヒブは現れん。ワシは死んだと思っておる。探すのは勝手じゃが、見つからなかったらどうする? そのまま帰ってくれるか?》
最も知りたかったいことは、しまいに述べられた一言だろう。前置きは長かったが、そこは年の功というもので、村長なりに礼儀を以て筋道を通したのだろうと思われた。
僭王の使いもまた、全権を委ねられた者として真摯に答えた。だが、その言葉は村長のものと比べて簡潔だった。
《村長と娘のみ王都に拘禁する》
しばしの沈黙があった。
村長が大きく目を見開いているのは、意を決して尋ねたことがヤブヘビだったからだろう。
リューナはといえば、松明の炎のせいもあってか、口元が微かに歪んでいる気がする。そこには、諦めとも自嘲ともつかない笑みがあった。
だが、村人たちはというと、急に活発な意見を交わしはじめた。
《それでよくねえか?》
《あの吸血鬼が他の娘を襲うぞ》
《いや、リューナの代わりは》
《仕返しに来るかもしれん》
てんでに勝手なことを口にする連中に脱力感を覚えて、俺はスマホのウィンドウから目をそらした。
だが、その瞬間、視界の隅で何かが動いた気がする。
再びスマホ画面に目を遣ると、村人たちの群れから遠く離れた向こうに木の茂みがあった。その辺りで、ひとつ、またひとつと動く小さな影がある。
……子供?
親が心配で夜道を歩いてきたのかと思うと、胸が少し痛くなった。あまり積極的に助ける気にもならない大人たちだが、子供のこういう健気な姿を見ると、何とかしてやろうという気になる。
だが、俺が何をしようにも、動かすべきモブがいないのだ。
僭王の使いは論外だし、兵士たちも仕事モード全開の当事者だろう。試しにマーカーを置いてみたが、3人ともダメだった。
すると、頼みの綱は沙羅だ。
シャント…山藤の扱いをめぐっては対立する立場だが、子供たちのことを思うと、そんなことも言っていられない。
俺は沙羅にメッセージを送った。
〔見てるか?〕
返事は即座に来た。
〔遅い! 山藤君は?〕
編み髪を不機嫌にせわしなく揺らす姿が、目に浮かぶようだった。だが、俺はこう答えるしかない。
〔どうにもなんねえ〕
〔何やってたの!〕
どうにもならないものはどうにもならない。俺がスマホの中に自分で助けに行きたくても、できはしないのだ。もし、あの「Yes」「No」ボタンが画面上に現れたら、俺は迷わず異世界転生して子供たちを守るほうを選んだだろう。
代わりに俺は、沙羅への不満を一言でぶつけた。
〔リクエスト多すぎんだよ!〕
シャント…山藤のフォローをしてリューナも助けて、でも直接手は出せない。その上、眼の前にはいたいけな子供たちまでいる。
もっとも、沙羅は気にもしていないようだが。
それだけに、このメッセージには腹が立った。
〔何にもしないからじゃない!〕
どの口で言うか! ……まあ、指で打ってるんだが。
自分でツッコんでおいて、口とか指とかいうキーワードによからぬ妄想が湧いたのは疲れのせいだろうか。
沙羅の唇や、しなやかな指のイメージをぶんぶん首振って吹っ飛ばすと、俺は妙なうしろめたさから、文字をムキになって打ち込んだ。
〔使えるモブいなかったろ〕
どいつもこいつも使命感に燃えてケンカの当事者をやっていたので、マーカーで押さえられる「その他大勢」はひとりもいなかったのだ。
それでも、沙羅は偉そうに、かつ無責任に答えた。
〔そこを何とか〕
字面だけ見れば卑屈なぐらいに哀願する言葉にもみえるが、物事は前後関係を見て判断するものだ。
こっちの都合も考えずに一方的に言いたい放題まくたてるのは、アプリのメッセージでもリアルでもそんなに変わらない。もういい加減放っておいて子供たちの心配をしたかったのだが、それでも俺は逆襲に出た。
〔じゃあ、そっちはどうなんだよ〕
本音を言えば、何もしていないのなら沙羅にも協力してほしかった。せめて、こんな危険なところにまでやってきた子供たちだけは安全に家まで帰したい。
だが、沙羅には沙羅の言い分があった。
〔兵隊全部出払ったのよ〕
つまり、手駒にできるモブが手元になかったということである。俺と同様、歯がゆい思いをしながら黙って見ているしかなかったということだ。
それは同時に、お互い手も足も出ないことをも意味している。俺は深い失望感に捉われるのをこらえようと、悪態を書き送った。
〔人のこと言えるか〕
もっとも、そんな逆捩じを食らわされたぐらいで怯む沙羅ではない。これまでの無法な要求も俺の反撃もなかったかのように、話を強引に本題へと戻した。
〔とにかく、テヒブとリューナ助けなかったら恨むからね〕
こんなもの言いに丁寧な理屈をこねてやることはない。俺は再び、一言で返答してやった。
〔無茶言うな〕
それっきり、メッセージは返ってこなかった。しばらく待ってみたが、スマホの画面には、縛られたまましゃがみ込んだ村人たちが疲れ果ててもたれ合う姿が映っているばかりである。沙羅は兵士たちに連行されていったのだろう、もういなかった。
事態は悪くなりこそすれ、何一つ良くなってはいない。
……勝手なこと言いやがって。
子供たちはというと、相変わらず木々の陰から様子をうかがっていた。




