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こたつの中は息苦しくて、すぐに頭を出してしまった。
うじうじしててもしょうがない。そう思い立って、おばあちゃんが調理用に使っていた焼酎とグラスをこたつテーブルに置いた。冷凍庫に枝豆があったから、それも解凍して持って行こう。
こたつで一人、枝豆をつまみながら、慣れない酒を豪快に煽り、でき上がってきた頃に京次が静かに謝罪に訪れた。
「和菓ちゃん、ごめん。俺が悪かった。でも嫉妬しなくても、心配しなくてもいいからな?」
今は口も利きたくなかったけど、わたしが嫉妬して怒っていると勝手な解釈がされそうで、渋々口を開いた。
「嫉妬じゃない。京次のことなんて、好きじゃないし」
「……ふぅん?でも俺は和菓ちゃんのこと、好きだよ」
一瞬だけグラスを持つ手が止まった――けど、
「嘘つきは、針千本飲まされるんだから」
わたしがそんなざれごとを信じると思ってるのか?
こういう無駄なやり取りが、今は鬱陶しく感じるし、疲れる。
なんでそっとしておいてくれないんだろう。
あー、なんか頭がぐらぐらしてきた。
顔が熱い……。
「俺が調子に乗ったことは、本当にごめん。だけど、嫉妬じゃないなら、なにが和菓ちゃんを傷つけた?言ってくれないとさ、直しようがねぇだろう」
言う?なにを?
結局悪いのはわたしで、京次はただ気づかずに地雷を踏んだだけの話なのに?
直す直さないの話じゃない。それを言うなら、直すべきはわたしの方だ。
なのに自分が直すとか……ずるい。なんで変態なのに、そんなに大人なんだろう。
子供みたいに拗ねたりして、恥ずかしい。いい加減大人になりたいな、わたしも。強い、大人に。
それでもわたしの心はまだ、未熟な子供で止まってしまっている。
「みんな、嫌い。大嫌い」
「みんな?」
枝豆の殻を、神妙な顔をする京次へとぶつけた。
「あんたもどうせ、同じだから……」
「なにと?」
水分を大量に摂取したせいか、ぽろぽろ涙があふれてきて、苦し紛れにグラスになみなみ注いだ酒を一気に呑み干してから、京次をキッと睨みつけた。
「変態は雅美ちゃんと勝手によろしくやってろ!」
「だからそれは、お袋の名前だって。和菓ちゃん酒、弱すぎだろう……。急に泣きながら絡み酒だし、それ、料理酒代わりの焼酎だし……」
「嘘つきは黙れ!わたしはかわいくないから、美人じゃないから、誰にも愛されないことぐらいわかってんだよ!ちゃんと見てくれたのは、おばあちゃんだけだって、わかってる!なのに……ついこの間知り合っただけのあんたになにがわかるんだ!なにが好きだ、ふざけやがって!髭むしるぞ!」
「たち悪ぃ……。もう呑むな呑むな」
グラスと一生瓶が奪い取られた。
「美人じゃないやつは呑むなって言うのかっ!醜いやつは泣きながら酒も呑んじゃいけないのか!」
「美人とかそうじゃないとか、関係ねぇって。だいたい、和菓ちゃんは自分の顔、ちゃんと見たことねぇだろう」
「はぁ?」
毎日鏡を見て一番知っているというのに、なにを言ってるんだこいつは。
呆れた京次が、「はいはい」と適当に相槌を打って、わたしの頭を胸へと引き寄せた。
変態と罵り、まったく力の入らない手でぽかぽか叩く。
「触るな変態。適切な距離を保たないと――」
「好きになっちゃう?」
その返しがあまりに……ばかばかしくて、あり得なさすぎて、呆れて拳がほどけて落ちた。
「……ならん。男なんて、嫌い」
「やっぱり百合じゃん」
「そういうのとは違う。……好きとか、すぐに消えてなくなる不確かなものは、いらないっていうこと」
「すぐになくなるかなんてさ、神様にしかわからねぇよ。みんな必死に相手の気持ちが離れていかないように努力してんの。和菓ちゃんだけじゃねぇーの」
こつんと額を突かれた。
説教か、と思ったけど、なんとなく頷いた。
わたしだって、自分だけが辛いなんて悲劇のヒロインぶったことは思っていない。
みんなそれぞれに悩みがあるだろうし、わたしの辛い思い出なんて、他人から見たら酒のつまみにもならないつまらない話でしかないんだから。
こうしてめんどくさい酔っ払いを投げ出さずにいてくれる京次が奇特なんだ。
「俺だって、和菓ちゃんに懲りもせず求愛し続けてるだろう?」
求愛?どうせ、じゃれ合いの間違いだろう。
「……髭は生理的に無理。変態はもっと無理」
「直球だなぁ……。そのフラれ方は、初めてだわ」
傷ついた様子も見せず、からからと笑う。
そういえば京次もおばあちゃんみたいに、いつも笑っている。わたしが理不尽に八つ当たりしても、暴言をはいても、……殴っても。
家系、なのかな。
笑っていたら、嫌なことなんて全部、忘れてしまえるのかな?
全部笑い話にできたら、わたしももっと楽に生きられるんだろうか。
「……寝ちゃった?いたずらしていい?」
「いいわけないだろ!」
こんな軽薄な男を、一瞬でも見習おうと思ったわたしがばかだった。
「焦らすとあとで大変なのは和菓ちゃんの方だよ?」
なにをする気なんだ!
「あ。りんごほっぺ、かーわいっ!」
京次に頬擦りされて、顎の髭がたまに当たってちくちくした。
うぅ……、髭でマーキングされている気分だ。
嫌がってもどうせ離してくれないけど、一応否定だけしておく。
「……かわいくない」
「いいや、かわいいね。かわいくて、好き」
京次はなにが愉しいのか、目を細めて、わたしの顎を取って顔を近づけてきた。
「きもい!」
精一杯肘を伸ばして、これ以上距離を詰められないように突っぱねる。
「ちゅーしたい」
ごつい髭男のキス顔が眼前にみるみる迫ってくる。
まずい。酔いで身体に全然力が入らない。
唇が奪われかける寸前、急激に胃の腑から吐き気が込み上げてきた。
「うぇ、吐きそう……」
真っ青な顔で口を両手で押さえると、血相を変えた京次によって、わたしはトイレへと運ばれた。
文句も言わずに介抱してくれる京次に、ずっと背中を撫でられ続け、わたしはいつの間にか深い眠りについてた。
しばらく京次に、頭が上がりそうにない。
**
二日酔いの頭痛で顔をしかめていると、
「和菓ちゃん二日酔い〜?やけ酒?あ!もしかして、あのちょいワルイケメンにふられちゃった?」
嬉しそうに毬ちゃんがおぼんで小突いてきた。
あばらが痛い。
「それ以前に、まだ付き合ってないから」
「まだ?まだってことは、これから?えぇー。ずぅるぅい〜!絶対のろけ話は聞かないんだからねっ!」
ぷいっと毬ちゃんがそっぽを向く。
だけどそれがポーズだと言うことは、ちらちらこっちを窺うその目で明らかだった。
というか、そんなことより……。
『まだ』なんて、そんなはずないのに、わたしはなにを口走ってるんだろう。
これじゃあまるで、京次と付き合う可能性があると、わたし自身が認めているみたいじゃないか。
それに気づかないふりをして、客が席を立ったのを機に、毬ちゃんから逃れてお会計の対応をした。
バレンタインデー用のチョコも売れ行き上々。今日は休日だからか客足も伸びている。
持ち帰り用のチョコの補充をしていると、毬ちゃんがいち早く客に気づいて接客に向かった。
「いらっしゃいませ」
毬ちゃんの声につられて、一拍遅れてわたしもいらっしゃいませ、と言いかけた。けれどその客を目にして、わたしの言葉は中途半端に止まってしまった。
愛犬のモカを抱いて来店したのは、先日話題に上がったばかりの美人常連客、千代子だった。
彼女のぱっちりとしたその目と、目がかち合った。
――ひ・さ・し・ぶ・り。
モカの頭の被毛に隠して、形のいい艶やかな唇がそう動いた気がした。
わたしは視線を外して雑貨の整頓を始めると、オーダーを厨房へ伝え終えた毬ちゃんが、つつっとこちらへとやってきた。
「和菓ちゃんって、あの人のこと苦手だよねー?」
わたしは毬ちゃんの目線の先にいる、千代子を一度だけ盗み見た。
整った愛らしい小顔でスタイルがよく、ブランドものの、着る人を選びそう服をさらっと着こなして、愛犬と一緒に座っている。それだけで、店内がさっきよりも華やいで見えた。
男性陣は、客従業員問わず、浮かれている。
みんなに、大事に愛されて育ったとばかりの、自信に満ちあふれた笑顔。わたしとは正反対すぎて、なんだか無性に笑えてきた。
「あ。そういえば。あの人と和菓ちゃんって、名字がおんなじだ」
毬ちゃんが大発見とばかりにおぼんを打った。
「佐藤なんて、よくあるメジャーな名字じゃん。クラスに絶対、一人か二人はいるし」
「それはそうだけど――あ、いらっしゃいませ」
新たな客の来店に、わたしと毬ちゃんの話はそこで途切れ、わたしはその隙にそそくさと厨房に引っ込んだ。溜まった洗いものでもしておこう。
小さな安堵の息をこぼしながら、スポンジを泡立てる。
よかった。毱ちゃんは気づかなかった。
和菓子であるわたしと、千代子である彼女との、名前の共通点には。
和菓ちゃんの本名は、佐藤和菓子といいます!
さとう、に、わがしです。くどいくらいに甘い名前だったりします。
京次の名字も決まっているけど、こっちは出す機会がないかなぁ……。