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 仕事を終えて帰宅すると、居間からものが少しだけ消えていた。

 そっか……。わたしが働いている間に、おばあちゃんは無事退院して、息子さん夫婦のところに行ったんだ。

 大きな荷物は、もうしばらく落ち着いてからになるんだろうか?

 そのときにまた会える。そう思うことで、なんとか涙を堪えた。

 京次は息子さん夫婦の家まできっちり見送ってきたのか、帰ってくるなりこたつでしんみりしていたわたしに覆い被さってきた。


「ちょ、鬱陶しいっ……!」


「ばあちゃん、行っちゃったなぁ……」


 そのしおらしい態度とため息をつく様子に怯んでしまい、わたしは抵抗をやめた。


「……うん」


 これまで当たり前にここにいた人がいなくなるのは、やっぱり寂しい。

 おばあちゃんのためにはこれでよかったのかもしれないけど、京次がいるならわざわざ息子さん夫婦のところに行かなくてもよかったんじゃないかと、今さらどうしようもないことを思ってしまう。

 だけど段差の多いこの古民家よりも、バリアフリーの家の方がお年寄りに優しい。当たり前だ。

 また転んでしまって、今度こそ打ち所が悪かったら?と考えると、これでよかったんだと納得するしかなかった。

 悔しいけど、変態でも京次がいなかったら、今頃寂しくてたまらなかったと思う。


「泣いちゃいそうだったら、いつでも枕を持って部屋に来ていいからな?一晩中慰めてやるよ」


 そこまでは必要ない。誰がのこのこと狼のねぐらに行くものか。

 だいたい毎晩人の布団に潜り込んでいるのは京次の方だ。

 不毛な会話をやめるために、わたしは話を切り替えた。


「京次。そこにある、見覚えのないパソコンは?」


 こたつの上に、スタイリッシュな黒いノートパソコンが置かれている。新品ではないけど、よく手入れされていて、キーボードに埃が溜まっているなんてことはなかった。

 それでもパソコンなんて、この家にはかなり浮いている最先端な電子機器だから、帰ってくるなりすぐ目についたものだった。


「ああ、それ?俺の私物。仕事してないときは使ってもいいよ。エロ動画とかは見ないでね」


「見るか!……じゃなくて、あれ?仕事してたの?」


 求職中じゃなかったのか?もう見つかったとか?早くない?

 なんて理不尽な国なんだ。


「出勤、とかは?」


「たまにあるかもだけど、だいたいは在宅勤務。ほら、家主やらないとだし?だけど忙しくなると、和菓ちゃんの相手をしてやれないのが辛いな……」


「毎日へとへとになるまで働けばいいのに」


「疲れると性欲が増――」


「睡眠を大切にしろ!」


 くつくつ笑いながら、京次は背中から離れていった。

 もうお風呂に入って寝るんだろうか。

 疲れているなら初めからそうすればいいのに、いちいちちょっかいをかけに来る。

 人恋しい気持ちはわからなくもないけど、ところ構わずべたべた引っつかれては暑苦しい。

 ただ、京次は変態だけど、それでもギリギリのラインはわきまえている。

 たとえばお腹や足はがんがん撫で回されるけど、胸やおしりには絶対触れてこない。頬擦りしても、キスはしない。


 だからこれは、じゃれ合いなんだ。

 過剰なスキンシップ。……それだけだ。


 どうせその内飽きる。どこかでいい人を見つけて、わたしなんていなかったかのように、そっちへと乗り換えるんだろう。

 男なんてそんなものだ。男じゃなくても、そんなものだけど。

 わたしは京次がお風呂から上がってくる前に部屋へと避難し、静かで、ほんのり切ない眠りについた――のはずだったのに、毎度のごとく京次がわたしの部屋に我がもの顔で入ってきた。


「……起きてる?」


「起きてるから、今すぐ出てけ」


 廊下のある外を指差したのに、京次は畳の上をひたひた近づいてくる。


「傷ついた和菓ちゃんを慰めに参りました〜」


「お呼びでない!やだ、布団に入るな!」


「だって寒いもん」


「かわいこぶるな!」


「ふぅ、ぬくぬく」


 人が必死に体温であたためた布団の熱を、京次がなにも努力せずに享受していく。


「和菓ちゃん冷え性?」


 京次が足の指を無理やり絡めようとしてきたから、軽く胸を殴った。


「水虫が移る!」


「水虫じゃねぇし。踵ガサガサな和菓ちゃんよりも、綺麗な足だと思うけど?」


「ぐぬぅ」


 ストッキングが踵に引っかかってすぐに破れてだめにするわたしには、なにも反論できない。

 うなりながら、京次に背を向けた。


「和菓ちゃんがつれない。新婚早々すれ違いだ」


「いつ結婚したんだ!?」


 新婚さんごっこという新しい遊びなのか、これは。


「愛情が足りねぇよ」


「よそで摂取して来い変態」


「俺がどっかの美人と仲良くしてたら、和菓ちゃん寂しくて泣くだろう?」


「泣くか!」


 京次は反論に一切動じず、わたしを仰向けにさせると、片肘をつきながら小さな子供にするように、布団のお腹あたりをとんとんと叩き始めた。


「ほらほら、目を閉じて想像してみろ。俺が台所で朝食を作っています」


 なんだかんだで従順なわたしは、一応目を閉じた。

 わざわざ想像しなくても、過去見た映像を記憶から引っ張り出してくる。京次には台所の高さが合っていないから、使い勝手が悪そうだ。

 元々料理好きというわけではなく、必要にかられてやるようになったらしい。

 きっとおばあちゃんの味が、恋しかったんだろうな……。


「たちまちいい匂いが漂ってきて、俺は階段から二階へと呼びかけて、台所へと戻る」


 京次の声は低いけど、二階までよく通る。笑い声とか、よく響く。


「しばらくすると軽やかな足音が下りてくる。台所で味噌汁をよそった俺を見て、起こされたことに少しだけ拗ねていた足音の主は、苦笑しながらおはようと微笑むんだ」


 窓から降り注ぐ朝の光に、自分のために用意された朝食。味噌汁のいい匂い。どんな幸せな夢をじゃまされて起こされたとしても、たちまち笑顔になってしまかもしれない。


「その顔を見た俺は満足して、こう言う。――おはよう、雅美ちゃん。って」


「……え?」


 閉じていたまぶたをぱちりと開けて、わたしはぼんやりと京次を見上げた。

 その顔は、してやったりというように、にやけている。


「ほら。今、俺が朝飯を作る相手は、疑いもせずに自分だと思っただろう?それで自分じゃなかったことを、寂しいと思わなかった?」


 ああ……そっか。わたし、はめられたのか。


 騙されたことが悔しくて、だけどそれ以上に……悲しくなった。

 京次の作り話で、思い出してしまった。おばあちゃんと出会う前の、あの頃を。

 心臓がどくどくと鳴る。目の前が、真っ暗になる。


「ちなみに雅美ちゃんは、お袋の名前。びっくりした?」


 わたしから反応がないことで、怪訝に思ったのか、京次が顔を寄せてきた。

 この男も、わたしの前からいなくなるのか。そう思ったら、その頰を平手で打ちつけていた。

 乾いた音が鳴る。手のひらがじんと痺れる。京次が、瞬く。

 だけどきっと、わたしの方が、驚いた顔をしていた。


 なんで、殴っちゃったんだろう……。


 これでは京次の思うつぼじゃないか。

 混乱して布団から抜け出すと、わたしはこたつを今日の寝床にすることに決めて居間へと逃げ込んだ。

 膝を抱えて丸くなり、こたつ布団を頭からかぶる。

 どこもまだ、おばあちゃんの匂いがしている気がした。包まれていると、ほっと安心する。

 

「おばあちゃん……」



 たぶんわたしはまた、一人ぼっちに戻るのが、怖かった。



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