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京次が下品な冗談を言っています。ご注意ください。
行きも帰りも京次の送り迎え。
うんざりするけど、素直に車に乗り込むのは、そのままおばあちゃんのところに乗せて行ってくれるからだ。
それともう一つ。京次が毬ちゃんたちに余計なことを言う前に、職場から引き離したいというのもある。
「面会時間、ギリだな……」
病院につくと京次が、時計を見て呟いた。
「京次は朝に会ってきたんだよね?わたしはちょっとでも元気な顔が見れればいいから」
家族でもないし、と続けると前を歩いていた京次の背中に衝突した。
「ぐふぇっ!」
なんで急に足を止めた!
ぶつけた鼻を押さえて睨むと、京次が目を細めて嬉しそうな顔で振り返った。
「今……京次って、名前で呼んてくれた?」
「変態的な言動をしなければ、わたしだって普通に接するし……。名前で呼ばれたかったら、まずセクハラをやめろ」
「セクハラじゃなくて、深ーい愛情表現なんだけど?」
そう言った先から肩を抱いてくる。
これがセクハラじゃなくてなんなんだ。
『深い』じゃなくて『不快』なんじゃないの?
病院だから、大声も上げれないし。
「京次って、誰にでもこうなの?」
「こうって?ぎゅっとしたり、頬擦りしたりとか?」
「頬擦りは知らん。いつしたんだ」
「和菓ちゃんが無防備に寝てるとき。その柔らかいほっぺに頰と、ついでに顎の髭を擦りつけた」
「だからやたらと頬がヒリヒリするのか!」
悪びれもせず笑う京次に、怒った方が負けだとわかっていても言い返さずにはいられなかった。
「そういうことは、彼女とかにしろ!」
「今彼女いねぇし」
「だったら適当に見繕って来たら?……その辺から」
京次を見つめて浮き足だった看護師さんたちをちらっと一瞥して示した。
京次はそちらに視線を流してから、顎を撫でつつ口元を手で隠して、ぽつりと小さくもらした。
「俺さ、注射苦手なんだよなぁ……」
「ふはっ」
こんなにでかいのに注射が苦手!?
衝撃告白につい噴き出してしまった。
なんだ、かわいいところもあるじゃん。
「和菓ちゃんは平気そうだな?」
「そりゃあ、大人ですからね」
ふふん。と、つまらないことで勝ち誇っていると、京次が意味深なニヤリとして、わたしの耳に唇を近づけてきた。
「じゃあ今度、お医者さんごっこしような?」
瞬時に青ざめたわたしは、自分の身体を守るように抱きしめ、距離を取った。
「やだっ、変態!」
「お注射、好きなんだろう?」
「言い方がエロオヤジ!それにそこまでは言ってない!」
「大丈夫大丈夫。痛くしないから」
「もうやだぁ、おばあちゃーん!」
病室に飛び込むと、運悪く看護師さんに見つかり、こっ酷く叱られた。
京次のせいなのに、納得いかねぇ!
元凶はくつくつ笑っておばあちゃんと和んでいる。
看護師さんに平謝りして解放されると、おばあちゃんに泣きついた。
「おばあちゃん〜!この人ずっとふざけてるんだけど」
「ごめんねぇ。京次は昔っから、好きな子をいじめては泣かせる子で」
「成長してねぇな、俺」
思い出話しに花を咲かせてあははと笑う二人に、どこからどう突っ込めばいいかわからない。
だいたいわたしが好きな子扱いな意味もわからない。
また京次の膝に乗せられて、拘束された。
わたしは人間イスじゃなくて、パイプイスに座りたい。
こんな京次の子供時代なんて、正直まったく想像がつかないな……。
「昔からそんなにでか、……大きかったの?」
「背?まぁ、普通だったんじゃないか?中高で急激に伸びたけど」
「そうだったそうだった。背が伸びた途端、チョコレートの数が増えてねぇ!」
「あー、あったなぁ。懐かしい……。チョコは好きだけど、本当に好きな子からはいつももらえないんだよなぁ」
「当たり前じゃん。いじめて泣かすんだから」
好きならいじめなければいいのに。
男心はよくわからん。
「日本のおいしいバレンタインは久しぶりだし、今年は和菓ちゃんがチョコくれると嬉しいな〜」
京次がにやけ面でひょいっと、顔を覗き込んできた。わたしは避けるように顔を背ける。
「よそでいっぱいもらってきたら?」
この男は、なぜわたしにこだわるんだろう。
理解不能だ。
「じゃあ俺から和菓ちゃんに渡そうかな?愛情たーっぷり入れたチョコを」
なでこんなごつい男から、なにが入ってるかもわからないような危険なチョコをもらわないといけないんだ。
それに――。
「わたし、チョコは苦手だから」
普通に言ったつもりだったのに、自分の声が固い。思わず顔をしかめた。
しつこく食いつかれたらいやだなと思っていたけど、「ふぅん?そっか」と、京次があっさり流してくれて、心底ほっとした。
「じゃあ、たいやきは?」
「……たい、やき?」
突然なんの前触れもなく飛び出してきた和菓子に、すぐ返答できずにきょとんとしてしまった。
たいやきって……毎日毎日鉄板で焼かれて嫌になっちゃった、あの有名なたいやき?
「……好き、だけど」
「え?俺のことが?」
「何でだ!いつたいやきに生まれ変わったんだ!」
「和菓ちゃんに好きだって言われたくて、つい」
つい、ってなんだ。
げんなりして脱力すると、京次の胸に後頭部がこつんと当たった。
ああ、そういえば、抱きしめられてたんだった。
たいてい抱きついてくるから、うっかり慣れかけている。
「和菓ちゃんは、怒ってるときの顔がかわいい」
京次はそう囁いて頭を撫でてきた。
なにかを察して、この男なりに気を遣ったらしい。
変態だけど、悪いやつではないんだよな……。
「だから、かわいくないって」
「憎まれ口も、かーわいっ」
「……変態」
人間って、こうして絆されていくのかとか思いながらも、鬱陶しい京次の腕からなんとか逃れた。
それからしばらく他愛ない話をして、壁にかけられた時計をちらりと見遣った京次が、残念そうに呟いた。
「もうそろそろ時間だな」
「え、もう?……おばあちゃん、またね」
「二人とも、仲良くね」
にこにこ手を振って見送ってくれたおばあちゃんが、帰り際にそう言った。
ああ、そっか……。明日退院して、息子さん夫婦のところに行ってしまうんだった。
隣町だからちょこちょこ会えるけど、ずっと毎日顔を会わせていたから、わかっていても寂しさが込み上げてくる。
「うん。……仲良くするから、安心して」
わたしがそう笑いかけると、京次が少し驚いたような顔をしていた。
「京次。和菓ちゃんのことを頼んだよ」
「ああ、任された」
にかっと笑った京次はおばあちゃんに、「明日また」と言い残して、私の手を引いて病室をあとにした。
二人とも黙りこくっていたが、ナースステーションをすぎたあたりでわたしは一言呟いた。
「手」
「手?」
「離して」
「無理。迷子になると困るし」
「子供か!」
「あれぇ?仲良くするんだろう?嬉しかったなぁ、あれ」
「別に京次のために、言ったわけじゃない」
ふんとそっぽを向くも、京次はやけにご機嫌だ。頰が緩みきっている。
「和菓ちゃんはさ、俺がいない間、代わりにばあちゃんのことを大事にしててくれたんだろう?そのことが、嬉しい」
京次はやっぱり、おばあちゃん子だ。
「ばあちゃんとはたまに連絡取り合ってたんだけどさ、いつも和菓ちゃんの話をしてたもんな〜。庭の草むしりを頼んだら植えたばっかの花壇の花も抜いちゃったとか、ばあちゃんが作ったご飯がうまいからって食べすぎてよくお腹を壊すとか、アイドルのダンスを真似したらターンに失敗して、こけてタンスの角で頭ぶつけたとか――」
「まともな話がない!」
これまでの黒歴史がすべて筒抜けだったなんて!
おばあちゃん、なんてことを……。
「だから和菓ちゃんとはさ、初めて会った気がしないんだよなぁ」
そりゃあ、それだけ私生活がだだもれていれば、初対面の気はしないだろう。
ちなみにわたしはおばあちゃんから、孫がいるということだけは聞いていた。遠くにいることも。
だけどてっきりあの息子さん夫婦の子供のことだと思っていたし、おばあちゃんはわたしを慮ってか、自分の家族の話はあんまりしなかった。
話してくれても、別によかったんだけどな……。
「ばあちゃん、和菓ちゃんを孫みたいに思ってたみたいだ」
それを聞いた瞬間、じわ、と視界がにじんだ。
「……わたし、も」
わたしも、おばあちゃんを家族みたいに思っていた。
本当の家族みたいに――。
「俺と結婚すれば本当に孫になるけど?」
さらっとそう言って笑った京次のせいで、わたしの涙は行き場を失ってしまった。
「どさくさに紛れて変なことを言うな!感傷が薄らいだ!」
人が怒ってるっていうのに、京次はまったく反省する様子もなく、いいことを思いついたとばかりにニヤニヤした顔を寄せてきた。
「ああ、そうだ。せっかくだからばあちゃんのために、今夜から一肌脱いで仲良くしようか?」
「もうやだ、変態!むしろ着込め!」
「もこもこの男なんか、かわいくないだろうし……」
「もこもこしてなくてもかわいくない!」
そうやってなんだかんだで仲良く言い合いをしながら、わたしと京次はまっすぐ、同じ家へと帰るのだった。
歩いて帰ったみたいな表現ですが、ちゃんと車で帰ってます。