13
わたしが自嘲していたときだった。
「和菓ちゃん」
「お姉ちゃん」
毬ちゃんの、いらっしゃいませのあとに、重なった二人の声が聞こえた。
モカを連れた京次と千代子が、仲良く並んでこちらへと向かってくる。
あまりに近すぎてこれまで気づけなかったけど、周囲の反応から、二人は案外お似合いらしい。
京次がわたしを好きで、千代子が自分を好きでも、そうやって一緒にいると、わたしだけ置いていかれた気分になる。
疎外感を感じる。
「チョコちゃんったら、もうっ!連絡もしないで!」
一人寂しさを感じていたところで、母が千代子を叱った。
わたしが家を出ても関心がなかったのに、千代子が数日外泊しただけで、それか。
「千代子、それでそちらの彼は誰だ?」
父は千代子の外泊よりも、目の前にある男連れという問題の方が気になるらしい。そこは男親らしくはある。
まず見た目はクリアしているのか、父の物腰は穏やかだ。
京次はこう見えて綺麗好きだから、清潔感に問題はない。強いて言うなら、髭が邪魔なだけだ。
背はでかいけど、にこにこしていれば威圧感を与えることもない。
母が気を利かせて席を移動し、二人に相席を勧めた。
これから品定めでも始めるつもりか?
京次、お気の毒に。
「ご注文は?」
これは両親の伝票に追加してやろう。
「わたしはいつもので。モカには……野菜のケーキを」
はいはい。千代子は、ロイヤルミルクティーで、モカはキャロットケーキね。
京次は?と目で問うと、彼は意味深なにっこりをした。
「俺は、スマイルを」
スマイルね、スマイル……って、ねぇよ!
ここはただのペットカフェだ!
「……ご、ご注文の方は、いかがなさいましょうか?」
口の端をぴくぴく痙攣させながら、わたしはなんとかマニュアル通りに対応する。
「だから、スマイル。笑顔をください」
だめだ。無理。諦めよう。
「ロイヤルミルクティー二つと、キャロットケーキ一つですね。少々お待ちください」
わたしはさっさとオーダーを取って、その場を離れた。
しばらく忙しく働き、少し余裕ができたときに、ちらっと彼らの様子を確認した。なんだかんだで京次は、あの両親とでも和んで話をしている。
京次は人見知りとは無縁そうだし、よくも悪くも性格に裏表がない。その屈託なさで、相手の懐にするりと入ってしまうところもあるからだろう。
変態だけど、優しいし。あったかいし……。
みるみる頰が熱を持ち始めて、慌てて指先で冷やしていると、毬ちゃんにバックヤードに引きずり込まれて壁ドンされた。
「なにあれ!和菓ちゃんの彼氏じゃなかったの!?修羅場!?というか、お姉ちゃんって、なに!?」
「それは……一言では語り尽くせない、根深い事情があって……」
しどろもどろになってもごもご弁解していると、なんの前触れもなく、母のヒステリックな甲高い声が耳に届いた。
勘弁してくれ……。
わたしは額を押さえてうめいた。
「ああ、もう……!毬ちゃん他のお客さんへのフォローお願い!」
「う、うん」
わたしが駆けつけたときには、さっきまでのほのぼのした雰囲気はもうなくなっていて、混沌としていた。
まず目に飛び込んできたのは、頭からコーヒーをかぶった京次と、空のコーヒーカップを持ち、えらくお怒りの母だった。
びっくりしたモカが吠えていて、他のお客さんの犬たちもわんわん騒ぎ始める。
人の職場でなんてことを!いい加減にしろよ!
クビにされたらどうしてくれるんだ!
すぐにおしぼりをいくつか抱えて戻り、気休めにもならないが京次へと差し出す。
「お客さま、火傷などはございませんか?」
京次の顔にかかった茶色い液体をおしぼりで拭きながら尋ねると、彼は苦笑しながら平気だと言った。
理不尽にコーヒーかけられて、なにが平気だ。……ばか。
「お客さ……お母さん。京次に謝って」
母はやり過ぎたとはこれっぽっちも思っていないらしく、罪悪感どころか嫌悪感を強めて眉をひそめた。
「この人がチョコちゃんを貶したから悪いのよ」
子供か!なんだその言い分は。
「貶していません。ただ、千代子さんよりも和菓子さんの方が、愛らしくてかわいくて、好きだと言っただけで」
争点が想像以上にくだらない!よそでやれ!
「チョコちゃんの方が愛らしくてかわいいわよ。あなた、そうでしょう?」
「ああ、そうだな。だけど千代子がかわいいのは当たり前のことだから、誰かと比べること事態がおかしいだろう」
脳内千代子しかないのアホ夫婦に、普通の会話を求めるのが無理な話だった。
「千代子、モカは大丈夫?」
千代子はびくびくしているモカを抱っこして、毛をかき分けながら怪我がないか念入りに調べていた。
自分が一番大好きな子だけど、千代子にとって、モカだけは特別な存在なのかもしれない。
そしてモカが大丈夫だと判断したところで、彼女はキッと母を睨みつけた。
「ママ!モカのこの綺麗な純白の毛並みに、茶色の染みでもできたらどうしてくれるの!?」
わたしはがくっと肩を落とした。
トリミングしてもらえ。予約頼んでおくから。
なんか、この人たちと血が繋がっているってことだけで、泣きそうになってきた。
「……京次、ごめん」
「うん。髭にちゅーで許す」
そのたわごとは聞かなかったことにして、千代子の機嫌を取ろうと猫撫で声でなだめかかる母に、もうお引き取り願おうと思って向き合った。
「他のお客さまにご迷惑になりますので、お話でしたら外の方で――」
「大丈夫。静かな声で話すから」
暗に、帰れ!と伝えているのに、まったく届かないこの一方通行感。
それなのにまた京次が場をかき乱す。
「和菓子さんを俺にください」
なぜこのタイミングで言う!?
さっきまでうるさかった両親、主に母が、水を打ったように、しぃん、と静まり返った。
もちろんわたしも、例外ではなく。
「和菓子……を?」
「えぇと、千代子ではないのか?」
「和菓子さんです。かわいい俺の恋人の」
いつ恋人になったんだ!
「かわいい……?」
「かわいい……か?」
両親が顔を見合わせてから、奇異な眼差しで京次を眺めた。
わたしはかわいくない方の娘だから、理解が追いつかないんだろうな。
そんなことを気にすることなく、京次はにっこりとして、かわいすぎますね、と両親をさらに戸惑わせた。
なんのショック療法だ。
「和菓子を、欲しいというのはつまり……結婚したい、ということか?」
「結婚したい、というか、結婚します。俺のなんで」
「いつからあんたのになっ――」
「待ってよ、お姉ちゃんはわたしの侍女でしょう?」
「あんたが混ざると余計めんどくさくなるから黙ってろ!」
「あんた、チョコちゃんになんて口の利き方するの!」
出たよ。お決まりの、チョコちゃんに〜、が。めんどくさい。
「お義母さんこそ、俺の和菓ちゃんにあたらないでください。いらないなら、今すぐにでもかっさらいますよ」
「いらないなんて言ってないじゃないの!」
母がばんっとテーブルを打った。
わたしはその音ではなく、母の一言に驚いた。
え。……わたし、いるの?
母が口走ったことが、正直まったく信じられない。
だけど今は――、
「お客さま、これ以上騒がれると営業妨害です。どうぞ、お引き取りを」
わたしの怒りを込めたにっこりに怯んだ隙に、四人丸ごと、店から追い出してやった。