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黙々とクリームシチューを食べる。
冷めているから口の中を火傷する心配はない。
無になれ。二人の話なんて聞き流せ聞き流せ聞き流せ……。
「だから、お姉ちゃんはわたしの侍女みたいな存在だでしょう?彼氏とかがいると構ってくれなくて不便じゃん。さっきもみかん剥いてくれなかったし」
聞き流せねぇ!なんて傲慢な女王だ!
「残念だけど、俺は彼氏じゃなくて旦那だからね?」
あんたはただの家主だろ!いつ結婚したんだ!
「いつもならちょーっとにっこりするだけで、喜んでわたしの下僕になるのに、おじさん目、悪いんじゃないの?」
千代子が京次へと、下まぶたをとんとんと叩いて挑発する。
京次は変態だけど大人なので、もちろんそんな安い喧嘩は買わない。
しかし、だ。そんなことよりも、わたしは千代子の話を聞きながら、一人衝撃を受けていた。
わたしの好きな人たちは、そんな理由で落とされ奪われていたという、その事実にこそ、動揺が隠せない。
てっきり、わたしのものは自分のもの、というガキ大将じみた発想の元、次々に籠絡されていったと思っていたのに、千代子の独占欲の矛先がわたしに向けられていたなんて……怖すぎるだろ!
初恋の男の子とか、憧れの先輩だとか、わたしが遠くから眺めてるだけで千代子に目をつけられた彼らが、その後どうなったのか申し訳なさすぎて聞けない……。
「おじさんだからさ、和菓ちゃんくらいじゃないと目がチカチカするんだよなぁ」
「なに言ってるの?お姉ちゃんだってわたしにはだいぶ劣るけど、そのへんにいる町娘たちよりはましな容姿してるじゃん」
なんの悪意もなく、千代子は素でそう思っているらしく、不思議そうに小首を傾げた。
そのときようやく、千代子を恨んでいたわたしが、どうしようもない大ばか者だったんだと気づかされた。
こんな性格が構成される前に、どこかでわたしが、姉として止めなければいけなかったのに。
千代子によくしておけば両親の機嫌もよかったせいで、わたしはこの子を甘やかしすぎたのかもしれない……。
「お姉ちゃん、なんで泣きそうなの?顔、切なすぎるよ?あはは、そういう小動物、テレビで見たことある〜」
「あ、本当だ。かわいいなぁ〜。食べちゃいたい」
見るな見るな!
わたしはクリームシチューの皿ごと、彼らの生ぬるい眼差しから逃れた。
そして綺麗に食べきってから、咳払いをして、切り出した。
「……千代子、さ」
「なに?」
「京次がいいって言うなら……ここにいてもいいけど?」
「え?お姉ちゃんに許可なんかもらわなくても居るつもりだけど?」
わたしはがくっと頭を垂れた。
こういうやつだった。
「和菓子ちゃんがいいなら俺は構わないよ。だけどそうなると、ところ構わずいちゃいちゃできなくなるなぁー……」
「そう言いながらテーブルの下で足をなぞるな!」
京次のつま先に脛がくすぐられて、ぞわっと震えた。
「元はお姉ちゃんのせいでしょう?それにパパとママも怒ってたよ。面目丸潰れだーって」
「知るか。ハゲたおっさんとお見合いさせる方が悪い。千代子だって、知っててそれに荷担したんだから、少しぐらい責任取れ」
「わたしはお見合いだなんて知らなかったんだもん。知ってたら当然こっそり覗いてたし。ママが三人で話したいって言うから、気を遣って遠慮したのに。ねー、モカ?」
千代子が足元をうろちょろしていたモカを抱っこして、アイコンタクトで会話する。
だけど本当に千代子がなにも知らなかったのなら、ちょっと悪いことしたと思う。本当に、ちょっとだけだけど。
「お見合いって知ってたら俺が乗り込んで、颯爽と和菓ちゃんをかっさらっていいところを見せたのに。残念だなぁ」
「……でも、京次は……来てくれたし」
ぽそりと言うと、京次が目を細めた。
「かわいい」
「……かわいく、ない」
「ちょっと、見せつけないでよ。お姉ちゃんはわたしの侍女でしょう?こたつでアイス食べたいから、買ってきて」
「モカの散歩がてら自分で買ってこい!」
千代子の不満の声だけは、心を鬼にしてことごとく聞き流すことに決めた。
*・*・*
千代子が押しかけてきて数日。
甘やかさないことで耐えきれず出ていくと思っていたけど、意外としぶとく居座っている。
しかし今現在、わたしの問題は千代子ではなく――。
「ねぇ、和菓ちゃん?あの、窓際の席の夫婦、なんか怪しくない?さっきから、和菓ちゃんのこと凝視してるし……」
毬ちゃんに袖をくいっと引かれて柱の陰へと連れ込まれたわたしは、その怪しい夫婦を苦々しい思いで眺めた。
ペットカフェなのに、ペット連れでない。それは別に珍しいことでもないのだが、いかんせん目つきが鋭く剣呑だ。
動物を愛でる雰囲気は皆無に等しい。
「……気のせいじゃない?」
「そう、かなぁ……?」
毬ちゃんは終始訝っていたけど、わたしはなんでもない素ぶりをしてどうにか切り抜けた。
あれ、うちの親です、とか言えないし、言いたくない。
だいたい休日とはいえ、開店から閉店まで粘ろうとか、どんな暇人だよ。
げんなりしながら、もう何度目になるかのコーヒーのお代わりを、手が空いてしまったわたしが運ぶことになった。
「和菓子」
「……なんでしょうか、お客さま」
「チョコちゃんはあんたのところにいるの?」
また千代子のことか。
あの子、どうせなにも告げずに家を出てきて、連絡も入れてなかったんだろうな。
だからってこの人たちは、わたしが絶縁状を叩きつけようが、お構いなしなのか。人の職場にまで来て。
暴れないだけましなのか?
もう感覚が麻痺して、普通がわからなくなってきた。
「いますよ。その内飽きたら帰るんじゃないですか」
父も母も、そこでようやくおそろしい形相をほどいて安堵の息をついた。
娘の職場までそんなくだらないことを聞きに来るなんて、やっぱりどこかイカれている。千代子だって、もう未成年じゃないんだから。
さっさと戻ろう。
背を向けると、背後から信じられない言葉が追いかけてきた。
「ところであんたは、どこで暮らしてるの?」
そのとき思わず、は、とかすれた笑い声がもれた。
――なんだそれ。
わたしは別に、引っ越しを繰り返したりなんかしていない。家を出てからずっと、あの下宿に住んでいる。
千代子でさえも、わたしがどこでどう暮らしているのかを知っていたのに。鬱陶しかったけど、あの子はわがままなりに、わたしのことを知ろうとしてくれたのに。
なのに、なんだ。仮にも自分のお腹を痛めて産んだ子が、家を出てからどこに住んでいたかを……知らない?
放任主義もそこまで来るといっそ清々しいわ、本当。
「……は、ははっ……」
奇妙なものでも見る目がわたしへと向けられた。
だけどもう呆れ果てて、わたしは笑うことしかできなかった。
両親絡むと重くなる……。




