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また京次が下品な……すみません。



 店の前で待ち伏せされていなかったから、完全に油断していた。

 呼び鈴が鳴り、玄関を開けた先に立っていた千代子は、にっこりしてから当然のようにキャリーケースを引きずり、ずかずかと室内へと侵入してきた。


「勝手か!――ちょ、千代子!」


「あ、いい匂い〜!クリームシチューだ!ねぇ、わたしの分は?」


「あるわけないだろ!コンビニでおにぎりでも買ってこい!」


「えーやだ。寒い。お姉ちゃんが買ってきてよ」


 わがまますぎる!


 千代子は居間にモカを放し、キャリーケースを置くと、ちらっと台所を仕切るすりガラスの戸を見遣った。そのタイミングで、向こう側から京次の声がかけられる。


「客?誰?」


「き、気にしなくていいから!今すぐ追い返すから!絶対こっち覗くなよ!――絶対だからな!」


「お姉ちゃん口悪すぎー」


「誰のせいだ!お願いだから出てって!」


「やだ」


 千代子は捕獲しようと奮闘するわたしの腕を、嘲笑うかのようにすり抜けると、コートを脱いでこたつに入った。

 わたしの定位置を横取りした千代子は、うなだれるわたしへと、手にしたみかんをずいっと突き出してきた。


「ネイルしたばっかだから、これ剥いて。筋は綺麗に取ってね?」


「あんたは女王なのか!」


 わなわな怒りに震えていると、ガラス戸が開いた音がして、はっと顔を上げた。

 あれほど言い聞かせたのに、京次がひょいと顔を出している。その手には、湯気の立つおたまが握られていた。


「覗くなって言ったのに!」


「いや、和菓ちゃんが荒れてるから、気になって……」


 そう呟いて千代子へと向きかけた京次の目をめがけて、わたしは機敏な動作で飛び上がる。ふくらはぎをぷるぷるさせながら背伸びをして、なんとか両手で京次の視界を遮ることに成功した。


「見るな!石にされる!」


「……ゴーゴン三姉妹でもいるのか?」


「お姉ちゃん、ゴーゴン三姉妹ってなに?美人姉妹みたいな?うちは二人姉妹なのに?」


 ああ、もう!一人一人でも扱いがめんどうなのに!


 美人という言葉に反応した京次が、目を覆っていたわたしの両手首を掴む。そしてそのまま容易く目元から外してしまった。

 遮るものをなくした京次の瞳に、千代子の可憐な姿が映り込む。


「おっ、すげぇ美人」


「こんばんは。おじゃましてます〜。和菓子の妹の、千代子です」


 自分の見せ方を最大限に知り尽くした妹の、完璧な角度からの小首を傾げて上目遣い。

 普段は呆れるだけなのに、なぜだか今は胸がざわついた。

 こんなの見せつけられて、いい気にならない男なんていない。

 ばかはバレてもかわいければ大抵許される。むしろもっと愛される。

 千代子にじっと見入る京次に無性に腹が立ったわたしは、急所に膝蹴りをお見舞いした。


「くっ……!」


 苦悶に満ちたうめきをもらして、でかい京次があっけなく頽れた。

 一応手加減したつもりだったけど、脂汗までかいてうずくまるその様子に、わたしは急に怖じ気づいてしまった。


 それってそんなに、痛いものなの?


「だ、大丈夫……?」


「うぅ……使いものに、ならなくなったら……ど、うすんだ……」


 弁償できるものでもないし、わたしだって膝が気持ち悪い思いしたし……。


「お姉ちゃん、それはやりすぎでしょうー」


 京次に駆け寄り介抱の手を差しのべた。自分から人のために動くような子ではないのに。


 まさか、京次を気に入ったの?


 京次も千代子の手を借りて、なんとか立ち上がろうとしている。


「……もう勝手にしろ!不能になれ!」


 わたしは子供じみた呪詛を浴びせかけて、部屋を飛び出した。

 自分の部屋に引きこもり、布団にくるまる。


 あんなにわたしにしつこくしてたのに、千代子にでれでれして!


 がむしゃらに枕を殴りつけて力尽きると、急激に頭が冷えてきた。


「なに怒ってるんだろう……。こんなの、いつものことなのに」


 いつかはこうなる予定だったじゃないか。

 京次からの押しつけがましい愛情表現がなくなるからって、なんだ。住むところを追われるわけでも、ましてや死ぬわけでもない。

 だけど京次が千代子といちゃいちゃしているのはムカつくし……見ていたくないな。

 目を閉じていても、耳を塞いでも、階下にいる二人を気にする自分がいる。

 今頃きゃっきゃと、クリームシチューに舌鼓でも打っているんだろうか。


「京次の変態……。クリームシチュー、わたしだって好きなのに……」


「誰が好きだって?俺?」


 なんか、幻聴が聞こえた

 下にいるはずの京次が、すぐ近くにいるらしい。

 音を立てずに部屋に侵入してくるとか、忍の者なのか?


「和菓ちゃん?拗ねてるのはわかったけど、普通の男なら、いい女がいたら見ちゃうよ。性だもん。だけど一番大事でかわいくて好きなのは、和菓ちゃんだけからさ、怒ってないで、一緒にご飯食べよう?」


 かけられた言葉があまりに優しくて、べたべたな甘やかし声で、暗闇からちょっとだけ這い出てみた。

 まだ冬なら冬眠し直そう。

 布団から顔を出したわたしを、京次は怒ることなく、よしよしと撫で回した。


「千代子は……?」


「ああ、下でクリームシチュー食べてる」


「そうじゃなくて、その……」


 言い淀むと、京次がにたぁーと笑った。


「かわいいなぁ。妹に俺を取られると思ったんだ?」


 かぁっと顔が紅潮する。図星だ。

 すかさず穴蔵に戻ろうと後退するも、引きずり出されて、あえなく捕獲された。

 あぐらをかいた足の間に閉じ込められて、無駄な抵抗だと頭では理解していても、足をばたつかせて離せと訴えた。


「ん?足を愛でてほしいっていう、アピール?」


「違う!違うから、や、触るなっ……!」


 ジーンズ越しでも、むくんだふくらはぎをほどよい力加減でマッサージされれば気持ちいいもので……。

 やわやわ揉まれて、変な声が出そうになる。慌てて口を結んで、京次のシャツにすがりついた。

 その絶妙で的確なツボ押しに、わたしの身体があっけなく陥落する。


「……っ、」


「顔真っ赤で声殺しながら悶えるとか、やばい。けど……あーよかった。不能にはなってなかった」


「ひぃっ!」


 悲鳴を上げて京次の膝から飛び退いた。


「あはははっ!冗談だって」


「たちが悪い!」


「え?それは和菓ちゃんが蹴ったから――」


「やだもう変態!お願いだからしゃべらないでくださいぃ〜!」


 なかば土下座のように伏せると、大笑いしながら覆いかぶさられて、またつんざくような悲鳴を上げた。

 京次の愛情表現はしつこすぎて鬱陶しい。だけどまだそれがわたしに向けられていることが、どうしようもなく……嬉しい。

 それでも軽々転がされて両手を布団に縫い止められたところで、身の危険を感じて冷や汗がたらりと流れた。


 この状況は、まずいのでは?


 髭が擦りつけられて嫌々したところで、突然、スパーンとふすまが開け放たれた。

 まずいタイミングで来てしまった妹は、わたしと京次の今の状況を脳内でどう解釈したのか、目を剥いて部屋に乗り込んで来た。


「ちょっと!なにしてるの!」


 ああ、自分じゃなくてわたしが構われてるから、不機嫌なんだなと考えていたのに、千代子はなぜか京次の脇腹を、容赦なく蹴り飛ばした。


 これは……自分をかわいがらない男への制裁か?


 京次が本日二度目の物理攻撃に、うめいて横へと転がった。いや、吹っ飛んだ。


「お姉ちゃん嫌がってるじゃん、この変態がっ!」


 うん?


 今のは、聞き間違いか?ちょっと理解が追いつかない。

 女王然として腰に手を当て、仁王立ちした千代子は、わたしをびしりと指差し、尊大に言い放った。


「これはわたしのだ!」


 おい。わたしはいつからあんたの所有物になった。


 うろんな目で妹を見上げていると、今度は京次が腰の負傷に顔をしかめつつも、勝ち誇ったような顔で言い返した。


「いいや、これは俺のだ。悪いけどすでに、俺のものだという印がつけてある」


 印……?


 ニヤリとした京次はわたしを反転させてうつ伏せにすると、服の裾を掴んで豪快に捲り上げた。


「ぎゃー!やめろ、変態!」


 わたしの背中になにがあるんだ!


「うわ……」


 千代子!青ざめながら手で口を覆うな!その反応が怖すぎて、わたしの背中になにがあるのか聞きたくなくなる!


「いやぁー、浮気防止にキスマークつけまくったかいがあったな〜」


 そうだとは思ったけど、やった本人の口から素直に犯行を自供されては、どこにも現実逃避ができない。

 わたしは意を決して、おそるおそる首をひねった。

 外気に触れた素肌には、まんべんなく赤い痣が散っている。

 わたしは普段、背中なんて意識しなければ鏡にも映さない。そしてこの家に、全身を映すような鏡はない。

 この男は、わたしが気づかないと確信していたに違いない。


「ひぃぃぃ……」


 トラウマになりそうな狂気じみたその光景に、涙がじわりとあふれてきた。……怖い。


「和菓ちゃん眠りが深いから、なにしても起きないし」


 毎晩なにされんるんだ!


「うわぁーん!もう絶対にお嫁に行けないー!」


「責任取ってやるから、泣かない泣かない」


 頭を撫でてくる京次の手を叩いて、わたしは穴蔵に逆戻りし、傷ついた心と身体を慰めた。



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