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短いです。



 寝返りを打つと、見慣れた髭が眼前にあった。

 今はもう「ひぃっ!」と悲鳴を上げることもない。至って普通の、いつもの光景になってしまった。

 髭のない京次は京次じゃないから、仕方ない。それに慣れると、どうってことない代物だった。

 だから、生理的に無理、から、擦りつけて来なければ許す、くらいにまでは譲歩することにした。

 そして髭から少し目線を上げて唇を眺め……わたしは両手で顔を覆う。


 やってしまった……。


 キスってもっと、初々しくてかわいらしいものだと思っていた。まさかあんな、貪り食われるものだったなんて。

 そしてそれに応えていた自分って……。

 だけど不思議なことに、そこから記憶がない。


「気絶したのか……?」


「うぅ……ん」


 わたしの声に起こされたのか、京次がうめきながら目を擦った。寝起きはいつも機嫌が悪いから、なるべく低姿勢でいることにしている。


「ふぁ〜、眠ぃ……」


「おっ、おは、おはよう」


「おはよう……?なんで、顔隠してるの?」


「深い意味はありません」


「浅い意味は?」


 黙っていると、両手を剥ぎ取られた。


「う、あ」


 どうしよう、昨日のことがまざまざと蘇って顔が熱い。

 京次はわたしの反応に、満足げな笑みを描く。


「かわえ〜。これは犯しがたいなぁ」


「お、犯……!?」


「ああ、今はしねぇよ。和菓ちゃんが、今すぐ抱いてって!言うんならおいしくいただくけど?」


 わたしは青ざめ、ぶんぶん首を振った。

 キスだけで限界を超えてへなへなで気を失ったのに、それ以上は絶対に無理だ。


 それにまだおいしくいただかれる謂れはない!


「ふぅん?」


「なにも言っておりません!」


「なんか固いなぁ。昨日あんなに激しく愛し合ったのに」


「語弊がある!」


 両手首を掴まれた状態のわたしの唇を、ちゅっ、とついばんでから、京次はぐっと伸びをした。そして朝食作りに、部屋を出ていく。

 日に日に距離が縮められていく。

 嫌じゃないのが、問題なのだ。

 これでは普通の恋人同士となんら変わらない気がする……と、そこまで考えて、ふと引っかかりを感じた。


「あれ?わたしたちって、付き合ってるのか……?」


 キスしたら即付き合うことになるわけじゃないだろうけど、だったら付き合ってもないのに、唇だけ奪われ続けるのも問題ありじゃないのか?

 しかし、責任取って付き合って、なんて言ったら、その場で押し倒されるのを覚悟しないといけなさそうだし……。

 わたしの心の準備ができるまで、待ってくれる?

 だけどもし、その間に他の子に心変わりしたら?


 というかそれ以前に、わたしは京次のことが好きなのか?


 根本的な問題を前に、わたしは布団に転がったまま頭を抱えた。




**




 バレンタインも終わり、日常に戻った店内で、わたしは奇襲攻撃にあっていた。

 とりあえず今は、ケーキセットと犬用ケーキを運ぶことにだけ集中する。たとえ運ぶ先にいるのが開店と同時に来店してきた妹、千代子であってもだ。


「……お待たせいたしました」


「ありがとう」


 にっこりと完璧な笑顔を作る千代子が、その心の奥でわたしを見据えているのがわかった。

 これでも姉妹。どれだけ他人をごまかせても、素を熟知し尽くしたお互いの、今の感情くらい想像がつく。

 早く食べて帰れ!と目で伝えるも、しれっと流され世間話を始めやがった。


「わたし、一つ上にお姉ちゃんがいるんですよ〜」


「奇遇ですね。わたしにも一つ下の妹がいますよ〜」


 のほほんとした会話だからか、従業員も客も誰も注意してこない。

 美沙子さんがサロン側にいるから、みんなの気が緩んでいる。


「バレンタインに、お姉ちゃんからとんでもないプレゼントをもらっちゃって〜」


「それはよかったですね〜」


「いえいえ。色々あって、しばらく実家に帰れないから、お姉ちゃんのところにお世話になろうかなぁなんて思ってて」


「はぁ?」


 なに言ってんだこいつ。

 昨日のお見合い相手が実家に貼りついてストーカー予備軍になっていようが、千代子ならば適当にあしらう術を持っているというのに。

 だいたいここまでの美人だと、普通の人は気後れする。さっそくアプローチをかけるとか、あのおっさんどんだけ自分に自信があるんだ?

 ものすごく迷惑な話だけど、お姫様扱いされて育った彼女が決めたことは、絶対だ。どうしたってうちに上がり込む気でいる。

 家主じゃないからわたしの一存では無理!と断っても、きっと京次を籠絡して我が物顔で居座るだろう。

 千代子が京次を気に入れば、そのまま何番目かの彼氏になるかもしれない。


 それは、やだな……。


 そんなことはないと思う反面、諦めが染みついたわたしの心は、簡単に人の気持ちを信じられないでいた。


「無理。来ないでよ」


 おぼんに隠れて周囲に拾えないかすかな声で訴えると、千代子も手で口元を隠すようにして、わたしの耳にこそっと囁き返してきた。


「わたしが行ったら、まずいことでもあるの?」


「ぐぬぅ」


「たとえば、男と住んでたり?」


「……」


「うっそ!本当に!?」


 千代子が声を荒らげ、はっとしてからなんでもなかったかのように微笑みを繕うと、店内がほっと和む。

 みんななぜ騙されるんだろうか。美人は得すぎるだろう。


「お願いだから、絶対に、来るな」


 わたしはそれだけ言い残して業務に戻った。誰の言うことなんて、聞くような子じゃないと誰よりもわかっていても。



 そしてわたしの願いむなしく、千代子は家にやってきた。

 数日分の荷物とモカと、美しい笑みを湛えて。



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