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モンティ・ホール問題ト命ノ確率

薄ら笑いを浮かべた男がリビングの椅子に座っている。そこはいつもおかあさんが座っているところだった。ただそれだけで、わたしは無性に腹が立つ。


『ここに三枚のカードがありまぁす。一枚好きなカードを取りなよ。あぁ、表は見ちゃだめだからねぇ』


 無言で一枚カードを引く。


『さてぇ、実はこのカード、三枚中二枚は白紙。一枚はハートが描いてあるんだ』


 空気が重い。泣きだしそうになるのを必死でこらえる。涙を流して解決するのは、男の子との喧嘩だけだと、わたしは知っていた。


『ハートが書いてあるカードを選べたら、君のご両親は殺さず、解放してあげようと思う』


 にやにやと汚らしい笑みを張り付けたまま、男は続ける。


『もちろん、僕はどのカードにハートが描いてあるか知っている。君が今引いたカードかも知れないしぃ、僕の手元に残った、この二枚のどちらかかもしれない』


 そこでだ、と男はおもむろに一枚のカードを破り捨てた。


『今破ったのは白紙のカード。つーまーりー、僕の手元にあるカードか、君の手の中にあるカード、どちらかにハートが描いてある事になるねぇ』


 ちらりと、男が破り捨てたカードに目を向ける。確かに白紙のカードだ。


『ここでぇ、ラッキーチャーンス! なんと今なら僕の手元にあるカードと君の選んだカード、交換する権利を君にあげよう!』


 場にそぐわない明るい声で男は言った。正直鬱陶しい。


『ねぇねぇ、どうするどうする? 変える? 変えない? ねぇねぇ。ねぇねぇねぇねぇねぇねぇ!』


 本当に腹が立つ男だと思いながら、わたしは考えた。

 最初に選んだときは三枚から一枚選んだ……今迫られている選択は二枚から一枚選ぶ……。「当たる」可能性は今の方が高いような気もする。しかしだからと言って、安直に変えてしまってもいいのだろうか。

 こういうのは算数……いや、数学の範囲だ、と思う。テレビでやっていたクイズ番組に似たような問題があった覚えがある。でも、今学校で習っているのは掛け算とか割り算だ。塾で習っている分数が使えそうな気もするが……今ある自分の知識では正しい答えを導き出せそうにはない……。

 だが――――


『決めた』

『いいねぇ涼子ちゃん! 教えてよ! そのかわいーい頭で考えて導き出した、答えをさぁ!』


 ――――直観的に、何が正しいかは、分かる。


『わたしは――――』


「おはようございます、お嬢様」


 射貫くような光が瞼を貫き、私は目を覚ました。あまりのまぶしさに耐えかねて、思わず腕で目を覆う。


「……おはようクイナ」

「……顔色が優れませんね、また例の夢を?」


 私のお気に入りのカーディガンを差し出しながらクイナが問う。


「えぇ、お蔭で最悪の目覚めだわ」

「……お嬢様」

「いいのよ」


 慰めの言葉など必要ない。不快ではあるが、もはやどうしようもないものだと受け入れてもいる。月一のあれみたいなものだ。


「支度をするわ、朝食の準備をお願い」

「かしこまりました」


 クイナを下がらせ、大きく伸びをする。外から子供の笑い声が聞こえた。幼稚園か、はまたま小学校に向かうところだろうか。邪気のない声に当てられ、笑いがこぼれる。最も、部屋の隅に置いてある姿鏡を見るまでもなく、それは苦笑いだったが。


「今日も『品行方正な霧沢涼子』、を演じないとね」


 誰の了承も得ず、今日ものんきに一日が始まろうとしている。



 顔を洗い、制服に着替え、髪を梳き、軽くリップを付けて身支度を整えた私は、鏡の前で笑顔の練習をした後、一階のリビングへ降りた。

 テーブルの上には既に、クイナの作った朝ごはんが並べられていた。今日は……和食か。パンの気分だったけど、作ってもらっている以上口が裂けても文句は言えない。


「今日もありがとう、クイナ。とってもおいしそう。食べましょうか」

「ありがとうございます、お嬢様。ちなみに今日のだし巻き卵は自信作です」

「……その恰好で和食の準備をしていたかと思うと、いつもながらに笑えるわね」


 クイナの恰好は出会った時と変わらず、燕尾服にシルクの白手袋という漫画から出てきたような珍妙な恰好をしている。


「ふふ、これは私の『制服』ですから。致し方ありませんよ」

「執事=燕尾服なんてフィクションの世界でだけのお話よ……まぁもう見慣れちゃったからいいけど」

「なるほど……では普通の執事たちは皆、どのような恰好をしているのでしょう」

「知らないわよ、身近に家で執事雇ってる人なんて見たことないし」

 

 第一私の家に執事がいることだっておかしな話なんだから、と心の中で付け加える。

 私の家は豪邸でもなければお屋敷でもない。よく言って、少し大きめの一軒家、といったところだ。内装だって家具だって、いたって普通。だから家の中でせっせと働く燕尾服姿のクイナは、それはまぁ浮いている。2Dアニメーションの中で一人だけ3Dコンピューターグラフィックスのキャラが動いているくらい浮いている。


 そんな「非日常的な」キャラが私の世話をする執事となった理由。それは全て、あの日、私が「ザッハトルテ」に負けたことから始まる。



『決めた』

『いいねぇ涼子ちゃん! 教えてよ! そのかわいーい頭で考えて導き出した、答えをさぁ!』

『わたしは――――』


 カードを投げ捨てて、わたしは言った。


『こんなゲームはしないわ』


 不愉快な男の目の奥で、何かがギラリと光った気がした。確かこの男、自分のことを「ザッハトルテ」と名乗っていた。


『どういうことかなぁ、涼子ちゃぁん』


 ザッハトルテの粘っこい声が絡みつく。おとうさんが買ってきてくれたザッハトルテはおいしかったのに、嫌いになりそうだ。


『このゲームじゃ、おとうさんもおかあさんも、助からないかもしれないじゃない』

『ほぅ?』

『わたしが選んだカードにハートが描いてある可能性は三分の一。おじさんの手元にあるカードにハートが描いてある可能性は三分の二。おじさんのカードの方が可能性は高いけど、絶対じゃないもん』


 三分の一ということは三回に一回しかおとうさんもおかあさんも助からない。

 三分の二でも三回に二回しか助からないのだ。

 三回中三回、おとうさんとおかあさんが助からないのなら、こんなゲームやる必要はない。


『はははっ、こいつはたまげた!なぁ、涼子ちゃん、ケーキとケーキの箱がセットで三百十円。ケーキの値段は箱よりも三百円高い。百円出してケースだけ買うとおつりはいくら?』

『九十五円。いきなり何なの?』

『まぁまぁ。じゃぁ次ー。農民は常に正直なことを言う。騎士は常に嘘の事を言う。今、騎士か農民かわからないA、B、Cの三人がいたとしよう。Aは「みんな騎士だ」と言い、Bは「丁度一人だけが農民だ」といった。さて、三人の役職は?』

『Aが騎士、Bが農民、Cが騎士』

『これはすげぇや、涼子ちゃん今何歳?』

『先月九歳になったわ』


 いきなり笑いだして、やたらと問題を出してきたかと思えば、今度はいきなり歳を聞いてきた。この人の考えることは本当によくわからない。とりあえず早くおとうさんとおかあさんを開放してほしい。


『ねぇねぇオペラぁ、九歳だってぇ! 九歳でモンティ・ホール問題やら論理問題やらを即答だぜ、この状況で! 信じられるか?』

『論理力……いや、直観力でしょうか……。なんにせよ、傑物です』


 偉そうに座るザッハトルテの後ろに控えた、物静かな女性が答えた。オペラ、という名前らしい。

 虫も殺せないような顔をしているが、つい数分前におとうさんとおかあさんを一瞬で気絶させて縄でしばりあげた光景をわたしは忘れない。


『さてさてぇ。話を戻そうかぁ。こんなゲームはしない? 確かに僕はゲームを降りたらどうする、っていう条件はつけなかったもんなぁ。じゃぁさぁ、涼子ちゃんはどうして欲しいわけぇ?』

『おとうさんとおかあさんを返して』


 目頭が熱くなるのを必死で抑える。弱いところを見せてはだめだ。おかあさんだって、おとうさんと喧嘩するときはいつも強気でいるのが勝利の秘訣って言ってたんだ。


『なるほど、百%助かる条件を出せってことかぁ。ねぇねぇオペラぁ、あれやっちゃっていいかなぁ』

『……お好きなように』

『冷たいなぁ、じゃぁやっちゃおうかなぁ』


 そう言うとザッハトルテは、胸ポケットから一枚の紙を取り出した。


『ここにはね涼子ちゃん、二問、問題が書かれている。そのうちどちらかでも解けたら、お父さんとお母さんは解放してあげよう。ただし、どちらも解けなかったその時は……お父さんとお母さん、後はあれだね、他の親族の人も殺しちゃおう』

『そ、そんなのだめっ!』

『おーっと、やらないってのは、なしだ。やらなかったら問答無用で殺す』


 背中が粟立った。この人は本気だ。本気で殺してしまう。


『……わたしが解ける問題なの?』

 

 解くしかない。そう分かっていてもやはり、聞いてしまった。

 ザッハトルテは依然にやにやしながら答えた。


『あぁ、涼子ちゃんは頭がいいから、ちゃーんと考えればきっと解けるよ』


 ぺらっとした紙が渡される。こんな薄い、ペラペラの紙に、二人の命がかかっているなんて信じられない。非現実的な状況を突き付けられながらも、わたしは問題に目を通した。


問一

A=B、B=C である時 A=C である。

さて、A≠B の時、 A=B を証明せよ。


『あ、あのっ、これ、どういう意味ですか?』


 見たことのない記号に戸惑いながらこわごわと質問する。はたして質問は許されているのだろうか。


『オペラぁ、答えてあげてぇ』

『それは、同じではない、という意味です、涼子様』

『同じじゃない……?』

『はい、つまり、「AとBが同じでないが、AとBが同じであることを証明せよ」という問題です』


 なんだ、それは。同じじゃないのに、同じことを証明する? そんなことできるわけがない。

困惑しながら、次の問題に目を通す。問一と違い、こちらは物語形式になっていた。


問二

ジャックは両親に内緒で妹と二人で山に登った。家では父親と母親が絶えず喧嘩していたから、その気分転換にと思ったのだ。

最初は気分よく登っていた。途中ジャックは持ってきたお弁当をおいしくいただいたし、妹は鼻歌を歌っていた。しかし下山中、ひょんなことから獣道に入ってしまった二人は遭難してしまった。

歩けども歩けども、元の道は見えてこない。両親に内緒で出てきてしまったから、救出は絶望的だ。

数日間、ジャックは歩いた。持っていたツールナイフで行く手を阻むツタを切り裂き、崖を降り、時には見たこともないような大きな虫に叫び声をあげた。それでも歩いた、重い荷物を持って、ひたすらに歩いた。

しかし遭難してから一度も弱音を吐かなかったジャックだが、そろそろ限界が近づいてきた。問題は三つあった。

一つはお腹が空いたこと。もう一つは喉が乾いたこと。そして最後に背負った荷物が重いことだった。

この三つが解消されれば、まだ数日は頑張れる気がした。

周りには食べられるような野草もなく、川も流れておらず、状況は絶望的だ。


さて、どうすればジャックは生き残ることができるだろうか?

ただし、ジャックは知らないが、あと数日歩けば麓に降りられる距離まで彼は来ていた事とする。


 所々分からない漢字をオペラという女性に教えてもらいながら、わたしは問題を読み切った。

 変な問題、と思うと同時に、焦りが生じた。

 わたしには答えが分からなかった。

 わざわざ問題にしているということは、背負った荷物の中にお弁当やお菓子は残っていなのだろう。

 重いと言っているし、調理器具の類はあるのかもしれない、とも思ったが、川がなければ水を汲むことはできないし、第一食べられるような野草はないと書いてある。

 鳥やウサギを捕って食べられるならとっくにそうしているだろうし、その線もない。

 となると、重い荷物を置いて身軽になればいいのでだろうか。

 しかし問題にはあと数日は歩かなくてはならないと書いてある。既に数日飲まず食わずで歩いているのだから、何か口にしなくては動くことができないだろう。


『……っ』


 悩んでいても仕方がない。とりあえず今考えたことは全て紙に書こう。

 テーブルからペンを取り、置き電話の横からメモ帳を取り、わたしはとにかく思いついたことは書いた。問二に詰まったら、問一にも手を付けた。


 A=B、B=Cの時、A=C、これは簡単だ。要するに、A=B=Cということだ。

 ならば、A≠Bの時A=Bというのはどういうことだろう。

 等しくないものが等しい。これは明らかにおかしい。こういうのは矛盾というのだと、おとうさんに教えてもらった。

 なんでも防ぐ盾となんても貫く矛が戦った時、どちらが勝つのか。

 盾が勝つのだという人もいれば、使い手によるのだという人もいる。結局のところ万人が納得する答えは出ていないけれど、うんうん唸って考えるのが大事なんだよ、と。

 その後、そういうことばかりあなたが教えるから、涼子はどんどん口が達者になってしまうのよ、なんておかあさんにたしなめられてたっけ。

 じんわりと涙がにじみ出そうになって、慌てて思考を切り替える。

 今は集中しないと。

 あの時おとうさんは、矛盾の問題に明確な答えは出ていないと言っていた。しかしこの問題は矛盾しているにも関わらず、ザッハトルテは考えれば解けると言う。


『頑張ってください、涼子様……考え方の道筋は間違っておりません』


 そっと囁くように、オペラが言った。なぜ応援してくれるのかは分からないし、おとうさんとおかあさんを縄で縛った人だから複雑だけど、少し嬉しかった。


『オーペーラぁ、助言はダメだよ助言はぁ』

『助言ではありません、応援です』

『お前はどっちの味方なわけさぁ』

『私は可愛い者の味方です』


ザッハトルテは、あっそ、と実につまらなそうに吐き捨てて、続けて言った。


『後一時間くらいで時間切れだからねー』


びくりと体が震える。一時間。もう一時間しか残されていないのか。そろそろどちらかの問題に絞らないといけない。

呼吸が乱れ、思考がまとまらなくなる。じわりと嫌な汗が体から滲み出してきて、それでいて体の芯は冷え切っていく。


まずい。まずい。まずい。

答えが分からない。

一つ目の問題は捨てよう。今のわたしには分からない。二つ目の問題ならチャンスがありそうな気がする。物語に入り込むんだ。ジャック君の気持ちになって、どうやったら助かるかを考えるんだ。

時計の針の音だけが鳴る静かな空間で、わたしだけがうるさい鼓動の音を聞いていた。


『あーと十分ー』


時間が進むのが早すぎる。お願い、誰か時計を止めて。ザッハトルテが見ている全ての時計の秒針を止めて。

考えろ、考えろ。ジャック君の気持ちになるんだ。ジャック君になりきるんだ。ジャック君に、ジャック君に……。


『あ、れ?』


すごく、変な感じがした。

大事なことを忘れている気がした。

そう、確か問題文には、確かーーーー


『あーと、さーんふーん』


ーーーーやはりそうだ。これは問題の印刷ミス? そんなわけない。これは意図的に書いてないんだ。でも、どうして? どうして書いてないの?

ここがキーになるのは間違いない。明らかに不自然だ。でも、もう、時間が


『はーい、しゅーりょー』

『え、まっ……』

『待ーたなーい。約束だったからねー。さてさて、答えは出たのかなぁ?』


紙を取り上げられた。全身から力が抜けていくのを感じる。手足の先まで、冷たい水が流し込まれていくのを感じる。ようやく見つけた重要なキーを解き明かす前に、時間切れになってしまった。


『ふーん、へー、ほー』


書きかけの答えを眺めながら、芝居がかった口調で言う。


『論理的な考えの基礎はできてるんだねぇ、この歳で。びっくりだねぇ、本当に。でもまぁ』


ザッハトルテが、腰にかけたホルスターから、拳銃を抜いた。


『君の、負けだ』


わたしは。


何も言えなかった。

理不尽だと、横暴だと、やめてほしいと、叫ぶこともできず。ただ静かに涙を流した。


『いやほんと、楽しませてもらったよー、涼子ちゃん。十年後? 九年後? まぁそれくらいがすげぇ楽しみだわぁ』


軽くお喋りをしながら、ザッハトルテはおとうさんを殺した。


『思考の方向をさぁ、変えてみる練習とかしてみるといいよ。多分ぐっと物の見方が変わるからぁ』


ソノ次ニ、おかアサンを殺シた。

血ノ臭いガスル。


『おーっし、オペラぁ、切り上げようぜぇ。次行こ次ー』

『……はい』


オトウサントオカアサンの周リガ真っ赤ニ染まってイル。

ツイ数時間前マデ、楽シクオ喋リシテタノニ。


『や、だ』


モウウゴカナイ。


『やだ』


ニドトウゴカナイ。


『やだっ……』


ナゼナラ


『やだよぅ……』


ワタシガ


『いやぁっ……』


マケタカラ。


『いやだぁあああ


その後の記憶は混濁している。

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