霧沢涼子ト云フ人ハ
旅行をしたら、彼氏ができたら、恋をしたら。
世界が変わったと友達が言う。
そんな反吐の出るような言葉に、私はそうなんですが、と笑って答える。
本当は、その後にこう付け加えたい。
その程度で世界が変わるなんて、よほど浅い人生を送ってきたのですね、と。
世界が変わる、価値観が変わる。そんなセリフを吐けるのは、本当の変化を知らない人間だけだ。
あの日家族が死んでから、私の人生は一転した。
頼もしかった父、優しかった母、尊敬すべき叔父と叔母、仲良しだった従兄弟。
私の世界を構成していた大切な人々が理不尽にも奪い去られた時、私という人間は一度初期化された。
初期化されて数日は、ただ茫然としていた。言葉の通り、何もしなかった。
かつて慈しみと愛情に満ち溢れていた部屋で、置物のように座っていた。
しかし数日が経つと、何もしないわけにはいかなくなった。
成長過程にある幼い体は空腹を訴えてきた。喉の渇きも感じるようになった。睡眠をとる必要もあるだろう、外に出て太陽の光を浴びることも必要だ。
頭では分かっていても、体は動かない。空っぽの私はまだ、生きる必然性を見い出せていなかった。
そこから、さらに数日。
朦朧とする意識の中、ただなんとなく思った。
死ぬのは嫌だ。
あぁ、そうだ。死ぬのは嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
「死」ほどつまらないものはない。
だが生きる意義も見いだせない。
だって、今の私には何もない。このままではきっと、生きることもつまらない。
欲した。
私の世界を構築する、新しい何かを。
暖かくなくてもよかった。
優しくなくてもよかった。
ただ苛烈で、劇的で、私を染め上げてくれるくらい鮮やかであればよかった。
だから。
「ふ、しゅ、よ、う」
何日も声を発していなかったから、からからに枯れた、もはや音に近い声で私はつぶやいた。
「ふくしゅ、し、う」
何度もつぶやいた。
「ふくしゅう、しよう」
ちゃんと自分に聞こえるように。それが生きる意味になるように。
「復讐、しよう」
私の両親を殺したあいつらに復讐しよう。どんな手を使ってでも。
そう心に決めた瞬間、私の世界は変わった。
基準も、原理も、感性も、感情も、全てが色を変えた。
「承知いたしました」
いつからいたのだろう。知らない男が、そう答えた。
パーティー会場でしか見たことのないような燕尾服に身を包み、手には白いシルクの手袋をしていた。立ち姿も美しく、おまけに上品な顔つきをしていたから見ていて不快感はなかった。
善人でも悪人でもどうでもよかったから、私は叫ぶこともせず、あなたは誰?と質問することもせず、ただ簡潔に質問した。
「手伝ってくれるの?」
椅子に座った、百二十センチにも満たない私を見上げるように傅いて、男は言った。
「お嬢様の仰せのままに」
「そう」
ならいいか、と思った。使えるものは使っていこう。そうしなくては、復讐など夢のまた夢だろう。
椅子から降り、力が入らない足でゆっくりと部屋を横切り、カーテンを開いた。何日かぶりに浴びた太陽の光はとてもまぶしくて、なんだか下品に感じた。
この日から。
私、霧沢涼子という人間は、実に単純な行動原理に従うようになる。
「ザッハトルテ」と名乗った、すべてを奪った組織に復讐する。
ただそれだけが、私の生きる意味となった。
ただそれだけが、私の世界を染め上げた。




