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『そこを退けえええええええええ!』

獣の咆哮が空気を震撼させる。

獣の放つ気迫が肌に痛いほど。

跳躍する山犬。後ろ脚に力、こめて。

風よりも疾く襲いかかる(あぎと)を紙一重でかわし、手刀を叩きこむ。

しかし、

「なっ?!」

キン、と響く音は水晶のように硬く澄んで、メイファの斬撃を弾いた。

「硬い!」

鋼鉄をも切り裂くこの爪が弾かれた。

山犬と距離を取るように、後ろに大きく跳躍し、山犬を凝視する。

なにが違う? この間と、何が?

黄金瞳が闇夜に煌めき、そしてメイファは異変を見つける。

月夜に照らされる山犬の体躯。はしばみ色の毛並みが闘気で逆立ち、まるでハリネズミのようにも見える。

「あれか……」

メイファの爪を退けたモノ。それは彼の闘気、気迫、意気地、決意。

そういった強い思いを妖力に変え、全身に張り巡らせることで、メイファの斬撃を防いでいるのだ。

(ったく、ヤなやつ!)

そんなにも金花が欲しいのか、ゲスが。

湧き立つ怒りのままに叫ぶ。

(ほむら)!」

瞬時に顕現する狐火。その数は五十を越える。

標的はただひとつ。大きな獣、人喰い獣。数多の涙と悲しみを作り出した、悪鬼。

す、と息を吸って集中する。

山犬を囲むよう円環状に焔を展開。すき間なく、死角なく配列して。

「焼き尽くせ!」

十重二十重の狐火がわずかな時差を帯びて山犬へ襲いかかる。

爆発、炸裂。

四方に砕け散った土砂が舞いあがり、猛烈な土煙が煙幕となる。

その中を疾走する影ひとつ。

強靭な足腰が飛ぶように山犬に接近する。

閃くのは長く伸びた鉤爪。手首のスナップを利かせ、全体重をかけて。

振りかぶる、一閃。

山犬の胴に叩きこむが、硬い。

「ちッ!」

弾かれる。爪が肉に届かない。

この時点でメイファは攻めあぐねている現状に舌打ちした。

中距離攻撃は効いていない。けれど近距離攻撃にも持ちこめない。

どうする?

逡巡は隙になる。

その刹那、山犬の遠吠えが轟き渡った。

「ウォォォォォォォォォォォォォ!」

低く力強く、どこまでも伸びる声で、彼は喚ぶ。

街を突き抜け山へと迫り、彼が喚ぶもの。それは

「え、ちょっ、なに?!」

喚ぶ声に応えるモノ。それは数えきれないほどの犬、犬、犬。

野犬、飼い犬、大型、中型、小型の犬。

地を蹴り集うモノたちは、皆一様にメイファに対し牙を剥いていた。

「こいつ、同類を操れるの?」

低いうなり声が幾重にも地を這う。その頭数の多さは尋常ではなく、唸り声で大地が揺れる。

その犬たちを統べるように彼らの後方に立つ山犬は、メイファから視線外さずに、一声鳴いた。

それは、攻撃開始の合図。

山犬の声に呼応した犬たちが、一斉に少女に襲いかかる。

「ちっ!」

後ろは守るべき街の壁。下がるわけにはいかない。

瞬時に判断したメイファは、右前方に大きく跳躍した。

満月を背負い、大海のように集まる犬の大群を跳び超える。

妖狐の脚力を存分に活かした跳躍は、彼女を開けた大地に着地させた。

が、しかし。

「えっ、なにコレ?!」

着地した次の瞬間、メイファの足を捉えたものは地中から飛び出し、伸びた樹木の根。

山の、延いては大地の精を糧とする山犬は、地に干渉することができたのだ。

「わ、っとと……!」

それに気づいた瞬間には、もう四方から犬の群れがメイファに襲いかかっていた。

木の根に足を絡め取られ、身動きできないメイファに。

「わわ!」

「グワウッ!」

「ギャオウッ!」

興奮に血走った目が、正気を失った牙が襲いかかる。

「ちょ……っとぉ!」

群れで襲いかかる犬。けれどそれらが『妖怪』でないという理由で、少女は殺傷することにためらいを覚えた。

妖怪は、いい。

だって命をやり取りする理由が決まっている。

『弱肉強食』

単純明快でありながら、絶対の律がある。

弱者は虐げられて当然。そしてその逆も然り。

メイファの中に流れる妖怪の血が、それを『是』と捉える。

けれど。

(この犬たちは操られてるだけ……だったら、殺せないよ)

少女の中に流れる人の血が、妖怪の理を否定する。

二律背反を抱える半妖のメイファは、だからこそ非情になりきれず、妖怪以外を殺傷することにためらいを覚える。

犬たちは自分を害する。分かっていても排除することに抵抗を覚える少女は、逃げに徹した。

「焔!」

小さな狐火で木の根を弾き飛ばし、跳躍。

ガチンと牙の鳴る音を眼前に残し、メイファは再度犬たちから距離を置いた。

もちろん爪先が地についた途端、身体を拘束しようと、大地を蹴破り芽吹いた蔓は焔で焼き尽くす。

けれど焼いた端から幾本もの蔓や木の根が何度でも伸びて、キリがない。

「まったくもう、しつこいんだってば!」

左右から飛びかかってきた犬たちを両拳で殴り飛ばす。

その間にも続々と犬たちはメイファを包囲し、足元からは植物の攻撃が仕掛けられ、息をつく間もない。

(ダメ。姑息な手段だけど、打開策があたしにはない)

絶えず狐火を現出させながら犬たちを殴り飛ばすが、数に押されたメイファの状態はじり貧だ。

「ったく! もう! 卑怯な! ヤツ!」

四方八方から襲いくる犬の大群を殴り、蹴りとばし、あるいは避けて。

終始、焔を操り続けることは、いずれ集中力を途切れさせることになる。

そして、その時こそを待っているのだろう。あの山犬は。

メイファの集中力が途切れた隙をついて、ヤツはとどめを刺しに来るはずだ。

犬の狩りそのままの、消耗戦。

その戦略に気づいたメイファは、即断した。

「ホントは、したくないんだけど、……なっ!」

中段回し蹴りで飛びかかってきた数匹の犬を蹴散らして、ひとつ深呼吸。

幸い今日は満月。

母の血が、妖怪の血が沸き立つ夜だから。

騒ぐ本能のままに、――いま全てを解き放とう。

自制、抑制、人としての道理。父に教えられた全ての理を投げ捨てて。

解放するのは抑圧。解き放つのは、力。

そして、メイファは人の器を棄て、獣身へと変化した。

夜目にも鮮やかな、金毛の獣へと。

『ウウウウウウ……』

苛立つ感情そのままの吐息は地を這うように低く。

金の毛並みが月光を弾き、五本の尾が好戦的に揺れる。

開いた瞳は月より眩い黄金色。

そこに強い苛立ちの色を湛えて、メイファは周囲の犬たちを睥睨した。

「キュウゥン」

「キャン!」

「キューン、キューン」

金のまなざしに射抜かれて。犬たちの生存本能が最大級の警報を鳴らす。

逆らったらダメだ。殺される。

犬たちは耳を伏せ、尻尾を丸めじりじりと後退する。

アレに逆らえば命はない。

「キャウン!」

恐怖に耐えかねた一匹の犬が逃げ出した。すると、あとはもう怒涛のごとく犬たちは逃げ出した。まるでそれは大潮が引くように、跡形もなく。

そして、さほどの時を経ずして、その場にはメイファと山犬の二匹だけとなった。

キンと張りつめた空気は冬のよう。

触れたら切れる鋭さを以て、両者をつなぐ。

ジャリ、と足元の土が動くけれど、もう植物が攻撃してくることはない。

それらはすべて、出現前にメイファが焼き払っているから。

音もなく、熱も光さえもない。けれど彼女の意思を遂行する無色の狐火が。

『グルルルル……』

焦れた山犬が唸り声をあげても、メイファは全く相手にしなかった。

だってアレは格下のモノ。

自分があの程度の妖怪に負けるはずがない。そう確信した彼女は、山犬の挑発など露ほども気にしなかった。

気にするのは、ただ一点。

ヤツに襲いかかる瞬間。そのタイミングだけ。

『グワゥッ!』

山犬が地を蹴る。突進してくる。

勝てないと。妖狐との実力差を肌で感じ、けれど引くことのできない山犬は、捨て身にも思える攻撃に走った。

脚力を活かして突進。残像さえ見えそうな速度に乗った攻撃。

けれどすでに獣態をとったメイファには、あくびが出るほど遅い攻撃だった。

獣の身体は人とは比べ物にならないほど軽く、俊敏に動く。

突進してきた山犬の牙。それを、軽いサイドステップでかわして、無色の狐火を叩きつける。

『ギャオウッ……!』

叩きつけた火球の威力が山犬をはるか側方に吹き飛ばす。

吹き飛んだ巨躯は、里山の木々をいくつも横倒しにしてから止まった。

『グフ……ッ』

胴体を直撃した衝撃に息が詰まる。

それ以上に横っ腹に当たった無色の業火が我が身を舐めつくさんとばかりに炎上する。それを消火するために、山犬は持てる妖力を振り絞った。

(くっ、強い。この半妖!)

パンと音を立てて狐火を身体から弾き飛ばす。焼けただれた身体は痛みを訴えるが、地に足がついてる限り回復は可能。

だから山犬は傷を気にすることなく、大地を蹴った。

突進する。悠々と立つ妖狐をめがけて、木々の間を疾走。妖力を振りまきながら木々の間を走り抜ければ、山犬の後からツタや蔓、植物たちがぞろりと伸びて彼の後を追う。

タン タン タン。

小気味良いリズムで大地を疾駆。

身を低くし妖狐に近づき、射程距離に捉えた時、後ろ脚に力をこめ跳躍。

弾丸のように飛びかかる山犬の動きを、黄金瞳は切り取った絵のように捉え、そしていなす。

わずかに踏んだバックステップ。

鼻先でバキンと閉じた山犬の顎。

着地と同時に後ろ足で大地を低く蹴る。

滑りこむように前進したメイファの身体は山犬の下に。

そして妖狐は首をひねり、牙を閃かせた。

山犬の、喉元へと。

――――マズイ!

殺気に突き上げられ腹の奥が冷たくなる。全身の毛が逆立つ。

(ハルシャ!)

刹那、脳裏に浮かぶのは妻の顔。

その像は山犬に大いなる力を与えた。

(死んで、たまるかああああ!)

迫りくる牙を間近に感じつつ、必死に身体をよじった。

あらん限りの筋力を振り絞って。

それは一瞬にも満たない攻防。

『グ……ゥッ!』

牙が身体に突き刺さる灼熱感。痛みは遅れてやってきた。

『グ……ァウ……』

ギリギリのところで喉笛は死守した。妖狐の牙は首から肩にかけて貫通し、そしてそのまま山犬を引き倒そうと、彼女は激しく首を振った。

山犬が倒れたその時こそ、喉笛を噛み潰し確実に仕留めるために。

山犬に比べれば妖狐の身体は一回り小さい。なのにそのパワーは山犬を凌駕する。

深くがっつりと噛みついた顎で、妖弧は巨躯を誇る山犬を振りまわす。

踏ん張るそばから足が浮く。左右に激しく身体を揺さぶられる。

(マズイ! このままじゃ引き倒されて終わる!)

猛烈な危機感は、けれど山犬に迅速な判断を下した。

それすなわち。

『ギャオウ!』

妖弧のゆさぶりと逆方向に自ら身体を振る。勢いをつけて。

結果、山犬は胸から肩にかけて、大量の肉を失う代わりに自由を得た。

直後に無色の狐火が襲いかかるが、これも間一髪で避けて。

かすっただけでも体毛を焼く焔を気合い一閃、吹き飛ばして山犬は駆けだした。

金花がいる街とは反対方向に。

それは敗走だった。

勝てない。あの妖弧が守る金花に自分は辿りつけない。

(ハルシャ、ごめんハルシャ! 金花は持って帰れないよ……!)

脇目もふらず全速力で駆ける山犬。その脳裏にはもう妖弧の存在などなかなかった。

金花は手には入らない。けれど妻の出産はもう始まっている。

大量の精気を必要としている。

(だったら、俺に出来ることはひとつだけ)

この命のすべてを、君に与えるだけ。

それでも足りないかもしれない。

でも、最後の命の一滴まで与え続ければ。大地の精を吸いながら与え続ければ、あるいは。

そんな可能性に一縷の望みをかけて、オゼンは疾風と化す。

土を蹴り、岩を跳び超え、時に樹木を駆けあがって、最短距離で妻のいる洞窟を目指す。

(待ってて、ハルシャ。君は俺が守るから。絶対に俺が守ってみせるから!)

疾走する身体から細く長く血をたなびかせ、満月の元を疾走する。

固い決意をその胸に抱き、悲壮なまでに一途に。

最愛の妻がいる、洞窟に向かって。



その場に取り残されたメイファは、山犬が全力で逃げ出してしばらくの後、ほぅと息をついた。

高まりきった圧力を体内から逃すように。

(……熱い)

息が、身体が、血が。満月と戦闘に湧きおどるように、熱くて仕方ない。

(これだから、妖怪の血はやっかいなんだよね)

うずうずする。満月に当てられた妖怪の本能が胸の奥で騒いで仕方ない。

殺戮せよ。強奪せよ。己が心の向くままに、敵には死を。邪魔モノには制裁を。

そう、騒いで仕方ない。

気に入らなければ即消去。目触りなモノは皆殺しが当たり前。

そんな妖怪の血がせせら笑うようにメイファに囁く。

((ネエ殺しちゃおうヨ。アタシに歯向かう山犬なんテ))

((さっさと追ってコロシちゃえば、すっきりするシ!))

((目障りなモノ、見たくないデショ?))

『ウウウウウ……』

(ダメ。それじゃダメなの! むかし父さまと約束したんだもん!)

頭をふる。妖怪の本能が、その囁きが強力すぎて、従いそうになる自分を諌めようと。

((コロシちゃいなヨ! ヤっちゃいナ!))

(ダメ、なんだってば!)

((コロそうよ。コロシちゃえ。ジャマなモノぜんぶ、イラないでショ?))

(ヤダってば! 無駄な殺生はしないって父さまに誓ったんだから!)

((ツマんナイ、ツマんなイ。人間キライ、ツマんなイ、不自由イヤ。邪魔モノいやイラナイのニ! 敵は排除すべきヨ!))

必死に抗うメイファを本能が焦れたように責める。

コロセ コロセ コロせ こロセ ココココロコロコロセコロセ!

『う……』

わんわんと木霊する。妖怪の血が、自らの欲望に素直すぎる妖怪の本能が。

満月に酔い、月に狂えと言わんばかりに。

「うるさあああいっ!」

ブンと頭を振ってひと息で獣身を解く。

ブンブンと金茶の髪を振り乱して、メイファは肩で息をついた。

「はぁ、はあ……まったく、これだから妖弧の姿はイヤなのよっ!」

自分が自分でなくなる感覚。それは父に教えを受け、母に育てられた自制心を失うことに他ならない。

自分がコントロールできなくなる獣態を、メイファが嫌う理由はそこにあった。

「はぁ、は……っ」

よく母はこの血を―ひいては自分を―コントロールできたものだ、とメイファは今さらながら感心する。

父と出会う前の母は知らないけれど、父コウと出会い恋に落ちた後の彼女は、それはもう完全無欠なほど妖怪の血を抑え込んでいた。

(そう、まるで母さまは父さまと同じ『人間』みたいに)

それが父を想う母のこころの一端だと、今になってメイファは実感する。

妖怪の本能を捻じ曲げても、母ヨーコは父と同じものになろうとしたのだろう。

『人間の伴侶』と、共に在り続けるために。

「ごめん母さま。あたしにコントロールはまだ難しいみたい」

至らない自分の不甲斐なさにため息をひとつ。

座りこんでいたメイファは立ち上がると、土にまみれた腰をパンパンとはたいた。

「さて」

鼻を利かせる。逃した獲物はきちんと仕留めないと。

それは欲に任せた衝動ではなくて、請け負った仕事の結末として。

目的を履き違えてはいけない。

そうでなければ、自分は生きる目的すらない妖怪の一匹に成り下がってしまうから。

「……う~ん」

スンスンと鼻を鳴らすメイファのすぐ隣に音も気配もなく、いつの間にかシンが立っていた。

「分かるか?」

端的な師の言葉に、しばらく嗅覚に全神経を傾けるメイファ。口の中に未だ残る山犬の血。その香りを探して、辿って、場所を特定する。――あ、見つけた。

「マスター、あいつはこの先の山ふたつ超えた先に逃げたみたいです」

「みたい、では困るのはお前だが」

師の苦言に、メイファはにっと笑って言い直した。

「じゃあ、『逃げました』に言い換えます。これ絶対間違ってないですから!」

胸を張り自信ありげに笑む弟子の背を、シンは無言で軽くはたく。

それは「行くぞ」とメイファには聞こえたから。

「はい、マスター!」

戦意に煌めく黄金瞳で、メイファは暗闇のその先をぐっと凝視し駆けだした。




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