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トルダンの街で起きた大量殺人事件に、街中が震撼した日から一夜が明けて。

すっかり元通りになったメイファは朝から気合十分だった。

「パーラさん、今日一日、出来たら明朝までシャルちゃんには結界の中で眠っていてもらおうと思うんですけど、いいですか? シャルちゃんの金花が今夜、満開になるので」

妖怪たちが大挙してくる、とは言葉にしなくても伝わった。

なぜならこの数日間、パーラは常に妖怪の脅威に晒される娘を見てきたからだ。

それは昼夜を問わず出没し、シャルに襲いかかる。その度にシンの結界に阻まれ、メイファに退けられていたが、正直パーラは生きた心地がしなかった。

青い顔で黙りこくるパーラ。そんな彼女を僅かなりとも慰めようと、メイファは言葉を繋ぐ。

「その、眠っていれば、シャルちゃんが怖い思いをしなくて済むと思うんです。……イヤなことって覚えていない方がいいですしね」

そう言って務めて笑顔を作る。頼もしく見えるように、朗らかに。

そして待つことしばし。パーラは青白い顔色はそのままに、それでも瞳に痛切な懇願を込めてメイファを見つめた。

「あの、今宵限りで娘が狙われることはないと、信じてもよいのですね?」

「はい。それは絶対に。金花は満開を迎えたあと、散るのが早いんです。一度満開を迎えたら半日と持ちません」

「では、本当に今日限りで娘は、安全に……!」

悲痛な声が呻くように絞りだされる。

祈りを捧げるかのように、握りしめられたパーラの両手。その手が色を失くすほど強く握られるのを見て、メイファはそっとその手に自身の手を重ねた。

「がんばりましょう、パーラさん。シャルちゃんは絶対に守りますから」

「あ……」

重ねられた手は、少女のものにしてはずいぶんと硬い。

肥厚し、硬くなった手の皮がパーラに教える。メイファが普通の少女とは一線を画した生活を送ってきたことを。

「……あなた」

「ん?」

にこにこと、人当たりの良い笑顔を浮かべるメイファ。その姿はまだ充分若いと言える。

その若さでこんな手のひらを持つ少女が、なんの責もないのに我が子を守ってくれる。

その破格の厚意に、今さらながら気づいたパーラは疑問を口にした。

「なぜ、あなたは私たち親子を守って下さるんですか? 一昨日、あなたは大ケガを負ったと聞きました。そんな目に遭ってまで、どうして……?」

ためらいと困惑に揺れるパーラが目にしたものは、やや翳りを帯びた笑みのメイファだった。

「あの?」

美しい面差しの女性。その彼女が見せる母性は、メイファのこころの奥、一番やわらかい場所を刺激してやまない。

大切な、大切な宝物。突然奪われ、壊された宝物。だからこそ、それが他人のものであれ、目の前でむざむざ壊されるのを見るのはイヤなのだ。

「あたしがそうしたいから。理由なんて、それだけです」

にっとメイファが笑う。それは一見明るく見えるが、その実色んなものを飲みこんだ、切ない笑顔。

(ああ……この娘も、数奇な人生を歩んできたのね)

笑顔ひとつでそれくらいの情報は読みとれる。そんな生き方をしてきたパーラだったから、彼女はそれ以上の詮索を避けた。

そしてパーラはそっとメイファの手を取ると、強くその手を握りしめた。

「あなたを信じます、メイファ。娘を守って下さるとおっしゃる、あなたの言葉を」

思いを込めて丁寧に言葉を紡ぐ。この胸にある感情を余すことなく、メイファに伝えられるように。

祈りにも似たパーラの言葉に、その仕草に、メイファはふと表情をゆるめ、そしてその手を握り返した。

「うん、信じて。シャルちゃんは絶対に守ってみせるから」



パーラの了承を経たメイファは、その足でシンの元に戻り彼に依頼した。シャルに護身と眠りの結界を張ってくれるようにと。

そして弟子の願いは即座に叶えられ、幼い少女は母の胸に抱かれながら眠りに就いた。

「お前の依頼どおりの結界を張った。これで金花の子供は何があっても翌朝まで目覚めない」

妓楼の天辺に立つメイファの隣にシンが降り立つ。

ふたりが見上げる空は茜色のすそ野に藍色が混じる。

「まもなく夜ですね」

呟いたメイファの視線の先、東の空に浮かんだ月は欠けた所がなく、美しいフォルムを保つ。

それは見ているだけで妖怪の血を沸き立たせる。ふつふつと湧き上がる高揚感に、じっとしていられなくなる。

狂乱の調べを目にしたメイファの姿形が、ゆらりと陽炎に包まれたのち変わった。

頭上に生えた三角の大きな耳が、絶えず小刻みに動いては周囲の音を拾い。

腰から伸びた五本の尻尾はゆらゆらと好戦的にゆらめく。

そして瞳。元は琥珀色のそれは戦意にきらめき、黄金へと変化した。

半人半妖ならではの姿で、メイファは押し寄せる妖怪たちを睥睨していた。

「大した力はなくても、これだけいるとすごい光景ですね」

さしたる感慨もなくそう口にすれば、シンもまた「有象無象の輩だ。意味はない」とさくりと言い捨てた。

金花の匂いにつられ集う妖怪は得てして低級、中級の妖怪が多い。

上級妖怪ともなれば、さほど妖力の肥大化に欲を見せないのが普通だから。

それもあってメイファ達の前に集う妖怪は、そのどれもが小粒と評してよいモノばかりだった。

「とりあえず焼くかな」

メイファの意に沿い、瞬時に展開されるのは青い狐火。

大小様々なそれは顕現したものの、

「お前は山犬の相手に専念しろ、メイファ。雑魚は私が引き受ける」

シンに押しとどめられ放つこと叶わない。

「マスター、でも」

シャルを守ると約束したのは自分だから。

そんな意思を込めて師を仰げば、彼は透徹した双眸でメイファを見据えた。

「目的を履き違えるな。お前に課せられた仕事は人を喰らう妖怪を退治することだ。金花の子供は、そのついででしかない」

「あ……」

師の指摘は正確無比にメイファを貫いた。

もともとこの街に呼ばれたのは、失踪事件の主犯である妖怪を狩るためだ。

その途中でパーラたち親子の因縁に遭遇したせいで、完全に主眼を忘れていた。

あるいは――私事にとらわれ過ぎたかも知れない。

「……そう、か」

思い出し、しばし言葉を失うメイファを横に、シンは静かにこの花街全体に結界を張った。

弟子である少女はまだまだ未熟だ。ゆえに戦闘に熱くなれば周囲を見渡す余裕がなくなる。

だからこそ彼は、少女が周囲の建物に被害を及ぼさないよう街全体に結界を張ったのだった。

「ひと気は完全にないようだ」

結界を張り終えたシンが、結界内に取り込んだ感触を独りごちる。

その呟きを耳にしたメイファもまた、狐の耳をぴょこぴょこと揺らしては人の気配を探る。

「ホントだ。街中に誰の気配もないですね」

たしかに、今夜一晩は花街を閉ざすようにとカリンガに願い出たメイファだったが、ここまで完璧に人っ子一人いない状態を作り出せるとは思わなかった。

「よっぽどこの街の人に信頼されてるんですね、カリンガさんって」

そう感心したように呟けば「そうだな」と短いが実感のこもった声が返ってきた。

準備は万端。迎撃態勢は整っている。

あとは、あの山犬がここに来るのを待つだけ。

あれほど金花に執着して見せた山犬のことだ。来ないはずはない。

ましてや今日は満月。妖怪たちの元より少ない自制心が吹き飛ぶ月の具合だ。

「来ないはずがない。……早く来い、山犬。今度こそ、仕留めてやる」

やはり満月の影響か。気が昂って仕方ない。

全身の毛を逆立てるメイファの横で、シンが軽い嘆息をついた。

「ほどよく肩の力は抜いておけ。その状態ではとっさの時に遅れを取る」

そう言いながら彼は愛刀をその手にする。

蒼月刀。それはシンの一部であり、手足の延長である。彼の肉体を鞘とするそれは柳葉刀の形状だが、その刀身は青水晶のように透きとおった輝きを放つ。

月光をうけ蒼銀の輝きを放つそれを一振。生み出された閃光は、無慈悲な輝きで以て妖怪たちを切断する。

四方に放たれた衝撃波で迫る妖怪たちを一掃するシン。

その隣でメイファは目を閉じ、聴覚に意識を集中していた。

探る。収集する。世界に溢れる音の中から、目指すものを探り当てる。

まだ、来ない。ヤツはまだいない。

月が中空に座したいま、妖怪たちの恍惚とした奇声ばかりが耳を打つ。

今宵なら、この月の元なら己が願いも成就するだろうと、月の光に踊らされ、金花の香りに惑わされたモノたちが、絶えることなく殺到する。

そこで待つものが『死』だと知っていても。

『ギャアアアアア』

『ギイイイイイイイイ!』

『キシャアアアアアアア』

四方からあがる断末魔。シンの作りだす尖鋭なる軌跡に切り裂かれて。

切られ、斬り裂かれ、離断し、霧散する。

おわりが見えたとしても今の妖怪たちに後退の文字はない。

ただ命終わるそのときまで、彼らは前進するのだ。魔性の花である金花を目指して。

そうして、積み重なる屍さえ蹴散らして無尽蔵に妖怪たちが押し寄せるなか、メイファの耳は目指すものの音を拾った。

遠く、かすかに響くそれは地鳴りに似て。

濃藍色した空の下を疾走する、それは獣の足音。

必殺の意をこめた足音は重く力強く、禍々しく。

どれほどの決意を秘めているのか、メイファが垣間見るのに十分だった。

「来る」

ヤツが。あの獣が。

腰を落とし、重心を下へ。

耳をすませ、距離を測る。

鼻を利かせ、方向を定める。

そして曲げた膝に力をため、跳躍。

そのひと跳びでメイファはゆうに建物の五つは跳び超えた。

「こい、山犬。あたしはおまえを許さない!」

跳躍力に任せて駆ける。

大小様々な建物を跳び超え、駆け抜け、降り立った場所は花街の外れ。

この花街を囲むようにそびえ立つ、高いたかい塀の上にメイファはいた。

山向こうから来る山犬をここで彼女は迎撃するつもりだった。

もう一歩たりともヤツをこの街に入れたくはなかったから。

「絶対に、もうこの街の人は襲わせないんだから」

メイファの脳裏に浮かぶのは、引きちぎられた腕、噛み千切られた足。

苦悶に歪む悲痛な顔。ずるりと流れ落ちた、人のハラワタ。

そのどれもが生前は誰かの大事な人だった。

そして誰かを大事にしていた人だった。

彼らが持つ絆を情を、たった一瞬で奪ったヤツのことを、自分は決して許さない。

すらり。

白銀に輝く爪が伸びる。刃物のように鋭利で、長く。

それはただ、命を狩り取るために。

「こい、山犬」

鳴動が近くなる。空気に混じる山犬の意思は、肌を刺すほどに重く強い。

けど、負けない。

意思の強さで、自分が負けるはずがない。

「父さま、母さま見てて。これが、あたしの選んだ道です」

妖怪たちを狩り続ける。いつか、あの日の敵に当たる日まで。

人間でも、妖怪でもないのなら。自分で道を選び、それを進むだけ。

グッと膝に力をためて、メイファは襲いかかった。

小山のような体躯をもつ、山犬の妖怪へと。



「っふ、ふぅ、はっ……ぁ、く……ううっ」

その時、山の頂上付近にある洞窟内ではハルシャが荒い息で壁のくぼみを掴んでいた。

とうとう産気づいたのだ。

当初は出産まで保たないと思われた彼女だったが、オゼンからの精気を受け今日まで永らえてきた。

けれどそれも限界を迎えようとしていた。

大きすぎる力の発露に――出産に――人間の身体が耐えられそうになかった。

「オ……ゼン……どこ、あなた……っあ、うぁ!」

脈動する力。異質な力。それは一息ごとに彼女の命を削る。

削り取られる。それは腹の子が望むとも望まないとも関わらず。

出産に必要なエネルギーは母子共に尋常じゃないほど必要で。

だからこそ、子も辛く苦しい思いをしながら必死にがんばる。

この世に生まれ出ようと。

そしてそれこそがハルシャの願いでもあったから。

「っは、はぁっ……が、んばるの、よ……っく、う……」

がんばって。無事に生まれてきて、愛しい児よ。

この命が必要なら、いくらでもあげるから。あなた以上に大切な命なんて、ない。

だからお願い。無事に、生まれてきて。

母であるハルシャは襲い来る激痛に耐え、苦痛に息も絶え絶えになりながら、それだけを祈った。

その片隅で、今この時、夫が傍にいてくれたらと詮なき願いを抱きながら。

(オゼン、どこにいるの、あなた)

いま、傍にいて欲しいのに。

本音をいえば心細い。初めての出産は分からないことばかりで。

傍にいて、手を握って。

聞くだけで安心するあなたの声を、聞かせて。

(がんばれって、励まして)

傍にいて。何もいらないから傍にいて。

――――あなたがいてくれたら、死ぬことだって怖くないのに。

「弱い、お母さんで……っつ、う……ごめんなさい、ね……っはぁ!」

ハルシャは絶える。産みの苦しみに。

そして、命を削られる痛みに。

たった、ひとりきりで。



(ハルシャ。ハルシャが産気づいた! 時間がない!)

妻の様子が朝からおかしいと思った。けれど、それが何を示すのか、最初オゼンには分からなかった。

何度かお腹が痛いと言った。そしてやたらと落ち着かず、洞窟内の整理を始めた彼女。

昼過ぎには食事も喉を通らず、うとうとと浅い眠りに就いては、時折腹痛で目が覚めていた。

それが産気づく兆候だと、オゼンは気づけなかった。だってそうだろう? 初めての経験なのだから。

そして、夜も更けハルシャが眠りに就いたあと、オゼンが狩りに出掛けようとしたその時。

「……あ、あぁ……っ!」

変化は劇的に訪れた。

「ハルシャ?!」

腹を抱えてうずくまる妻の姿。尋常じゃない苦しみ方に、オゼンの背に冷や汗が流れる。

「どうしたの、ハルシャ?! どこが苦しいの?!」

妻の背を抱き、その頬を包み込む。

――冷たい。こんなにも汗をかいているのに、その肌は氷のようだ。

手のひらから伝わる温度にぞっとするオゼンに、苦しい息の下、妻は告げた。

「あ、オゼン……うま、産まれる、こども、が……ああ!」

「ハルシャ!」

それは異常な姿だった。とうてい容認できない事態だった。

だってハルシャの命が今までの比でなく削り取られていく。

急速に吸い取られていく、誰に? 腹の子に!

生まれ出でるために必要なエネルギーを、腹の子が彼女から奪っているのだ。

「あっ、う……ああっ!」

ダメだ、足りない!

強いつよい焦躁がオゼンを突き動かす。

「ハルシャ!」

苦しみに悶える妻に覆いかぶさるようにしてぎゅっと抱きしめる。

いま自分が渡せるだけの精気を彼女に与えて、オゼンは次の瞬間立ち上がった。

「待っててハルシャ、絶対に君を助けるから。少しだけ、ごめん!」

言葉は強い風に掻き消えた。

それは彼が立ち去った証。

強靭な意志のもと、駆け去った山犬が起こした風だったから。

「ま……って、オゼン、オゼン……っはぁ、く、おね、がい……」

そばにいて、と紡いだ言葉は届くことなく、ハルシャは独り残された。




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