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シャルの稽古が終わり夜も更ければ、シンが母子の自室に新たな結界を張る。

それを確認したのち、メイファは妓楼の天辺へと登った。

「月が近いなぁ」

濃藍色した夜空の端には十三夜の月。

昇り始めの月は大きく映るから、手を伸ばせば届きそうな気がした。

思わず広げた手のひらを月に向ければ、こころ委ねられる気配がひとつ。

そして少女の大好きな、低く安定感のある声が鼓膜を震わせた。

「変わりはないか?」

「はい、今夜も有象無象が周囲を囲んでますけど、狐火だけで応戦できる程度です」

そう告げる端から、地上のあちらこちらで青い狐火が上がりナニカを燃やしている。

「焔の結界か」

あらかじめ妓楼を囲むようにメイファは罠を仕掛けていた。仕切りの線を踏んだ妖怪は顕現した狐火に焼かれるように。

地上を歩く妖怪はこれでほぼ打ち取れる。あとは空を飛ぶモノ、跳躍力のあるモノ、影を伝うモノなど、取り零したモノを直接この爪で切り裂けばいい。

そうやってメイファはこの三日間を乗り切ってきた。

もっともシャルの金花はほぼ満開に近く、その強烈なまでの香気は日に日に引き寄せる妖怪の数を増やしていたけれど。

それも、間もなく終わるだろう。

「明後日には満月か。シャルの金花もそこまでだろうな」

「はい。多分、満月がピークです。翌日には一気に散るでしょうね」

そこまで護衛すれば、後はもう安泰だろう。妖怪がシャルを狙う理由がなくなるから。

だからこそ。

「数が多いな」

シンは眼下を見遣る。尽きることのない狐火は、それだけ多くの妖怪を焼いているのだろう。しかも宙からも絶えず無音の爆発音が空気を震わせている。

メイファが宙を飛ぶモノたちを撃墜しているのだ。

尋常じゃない数の妖怪。その多くは低級すぎて欲望に飲まれたモノ、中級であるが故に上昇志向が強いモノだろうが。

「大物はいないが、尋常じゃない数だな……手伝うか?」

大波のように押し寄せる妖怪どもをひとりで相手するのは少々荷が勝ちすぎるだろう。

そう思い提案したシンだったが、メイファは思いのほか強い口調で断った。

「いえ、マスター。シャルちゃんの護衛は、もともと受けた仕事にも関係しますし、あたしひとりにやらせて下さい」

確かにこの街の失踪事件が妖怪の仕業なら、(くだん)の妖怪もまた金花を狙いに来るだろう。

しかし、とシンは疑問に思う。

それにしてはメイファのやる気が尋常じゃないことに。

「あの親子と、何かあったか?」

核心をついたマスターの問いに、メイファは一瞬だけ息を飲む。

――それを口にするには、まだ胸の痛みを伴うから。

詰めていた息を吐き、平静を心掛けながら言葉を口にする。隠しきれない哀愁が滲むのは仕方ないとしても。

「パーラさんの話を聞いたんです。彼女、シャルちゃんの命を守るために、大好きだった人の傍を離れたって。……シャルちゃんさえいれば、自分はどこでも生きていけるって」

噛みしめるように呟く少女の姿。その小さな身体に刻まれた過去を思い、シンはそっとメイファの肩を抱き寄せる。

抗うことなく収まる華奢な身体には、一体どれだけの痛みが、どれほどの決意が詰まっているのだろう。

昔、メイファがまだ幼かったころ大妖率いる妖怪の群れに、彼女の両親は殺された。


道士だった父は、残り少ない命の欠片を呪符に込め、娘を殺戮の地から遠ざけた。

九尾の狐だった母は、最後の一滴まで妖力を振り絞り、娘と夫を守った。


最愛の娘を守るために、二人とも文字通りの死力を尽くして。

そうして、メイファは命を繋ぎ、復讐を誓った。

愛し愛された分だけ、幼い彼女に残された傷は深く。

復讐を糧にしなければ、当時のメイファは生きていくことも叶わなかったから。

そんな経緯のあるメイファがパーラの思いに同調しないわけがなかった。

だからシンはメイファを抱きしめる。彼女が独りではないことを知らしめるように。

「分かった。手助けが必要なら言うがいい」

あたたかな、声。あたたかな抱擁。

その心地よさに目を細め、少女は「はい」と呟いた。

その時。

「っ、来る!」

全身の毛が逆立つ。

来る。ナニカ、それは力。それは狂気。それは狂喜。

金花に狙いを定めたナニカが、突進してくる。

猛烈な勢いはまさに弾丸。

道中にある全ての邪魔者を、競争相手になるだろう他の妖怪たちを蹴散らしながら。

「マスター、結界の強化を! ヤバいのが来る!」

中腰に重心を落とし、警戒レベルを最大に。

全知覚を研ぎ澄ませて闇の奥、その奥の奥を探る。

この妓楼に一直線に駆けてくるのは――犬の妖怪。山犬か?

風上に立っているせいで匂いが届かない。詳細は分からない。

でも分かる。あの妖怪は確実に金花を狙っている。

ギラギラとした欲望が、メイファの肌を突き刺し、悪寒を誘ってやまない。

「来るっ!」

(いかずち)の如き疾さで獣が跳躍する。

小山を思わせる体躯なのになんて素早さだ。

瞬時につめた距離。ガッと開いた(あぎと)がメイファに迫る。

「ふっ!」

右足を一歩後ろに。捻った身体すれすれを通り過ぎる牙。

反撃。白銀の輝き宿す爪、瞬時に伸びて山犬を切り裂く。

浅い。

身を反転させて逃れた獣。うすく裂いた尾部から伝うは赤い筋。

初手で互いの力量を推し量った少女と獣は、すぐさま距離を取る。

(手強い、こいつ……中級、いや上級妖怪か)

まずい。この獣の放つ気に当てられて、他の妖怪たちがざわつき、活気づいている。

ざわざわと、金花を狙ってわいてくる。

「ったく、うっとうしーなあ!」

苛立を込めて、手のひらを宙へ。

即座に展開した無数の狐火が、少女を青白く照らす。

「いっけえええええ!」

振り下ろす腕。放たれる焔は、流星のように数多の妖怪を打ち抜き、あるいは燃やし尽くす。

けれど、

「っち、ダメか!」

疾風の如き動きで焔をくぐりぬける山犬。遠距離攻撃はダメだ、効かない。

判断は一瞬で。その時にはもう、メイファは屋根を蹴って眼下へと急降下していた。

ランランと輝く瞳は戦意に応じて黄金に変わり、頭頂には金茶の毛も眩しい獣の耳。そして風を切る少女の後ろには、揺れる五本の尾が現れた。

「っふ!」

半妖そのままの姿で狙うは頚部。

頭さえ落としてしまえば、話は早い。

鋼鉄さえ一刀両断する妖狐の爪が一閃する。

振り下ろす、振り抜く。重力と全体重をかけて。

スパン、と音を立てて斬れたのは、妓楼前の大路。

深く抉れたそれは、まるでクラック。けれど獲物の首も胴もない。

仕損じた、その一瞬で攻守が変わる。

「ちぃっ」

地面を、壁を蹴って肉薄する山犬。バネを存分に活かした高速襲来。

ひと噛みでその牙は確実に肉を抉り、骨を断つだろう。

でも、それだけだ。

メイファは視神経に注力した。

戦意に煌めく黄金瞳(おうごんどう)は、羽虫の羽ばたきすら克明に映しだす。

迫る山犬。赤い紅い顎が眼前に迫る。

避ける。

首を傾け、重心をずらして。

攻撃。がら空きになった胴に手刀一閃。

「なっ?!」

()った! その確信は驚愕に打ち消される。

振り下ろした手刀。その手首に巻き付き、自由を奪ったのは山犬の尻尾。

掴まれた手首を軸に身体が反転。宙を舞う。

のけぞる喉元。

(ダメ! 急所さらした!)

受身の取れない姿勢で、宙に浮いた状態で晒してしまった急所。喉元。

獰猛な牙が迫りくる――――

「あっ……ぐうッ!」

悲鳴、寸前のところで噛み殺して。

ムリな体勢からむりやり首を横に倒した。筋が過伸展の痛みを訴えたのは一瞬。すぐにそれは右肩に感じた灼熱感に打ち消された。

「く、うぅ……!」

肩。右肩。右半身。腕と肩と胸、腹の一部までに食い込んだ牙。巨大すぎる顎!

ヤバい。ヤバい、ヤバい、ヤバい。半身、持ってかれる!

ゴリ、と骨を砕く音が体内に響いた瞬間、

「爆ぜっ……ろ、焔……っ!」

痛みに拡散する意識を必死にまとめ上げ、メイファは焔を喚ぶ。

爆ぜろ、焔よ。山犬の口内で!

焔の顕現に指向性を持たせて。

爆発するように現出した狐火は、山犬を吹き飛ばし、メイファの身体から弾き飛ばした。

「っは……はぁ……はっ……っつぅ」

がくりと膝をついて、でも周囲を一瞥。ここで襲われたら、たぶん死ぬ。

だからと、警戒したメイファは、周囲の妖怪がことごとく消えているのに気づいた。

「あ、れ……?」

どくどくと流れる血。右肩が千切れかけているせいで、腕が重い。

それを左腕で押さえながら、メイファは一瞬不思議に思い、そして理解した。

「マスター、ありがと、ござい……ま、す」

肺に穴が開いたせいで息が苦しい。ひゅうひゅうと空気が漏れて、声も出しづらい。

そんな状態でも律義に礼を述べれば、帰ってくるのは簡素な言葉。

「目の前の戦いに集中しろ。雑魚は相手にするな」

そう、シンはメイファの相手である山犬以外をすべて一掃していた。

その手の中の『蒼月刀(そうげつとう)』で斬り伏せて。

いつの間にか、この場には妖怪どころか蟻一匹すらいなかったのだ。

シンとメイファ。そして未だ戦意喪失していない山犬以外には。

「はっ……い!」

シンに促された通り、意識を山犬に集中する。

そして自分の損傷具合にも。

腕、千切れかけてる。肺も、やられてる。内臓は――大丈夫。

接近戦はムリ。じゃあ、やっぱり。

「焔!」

最大の攻撃力を誇る肉弾戦を封じられたメイファは、焔を喚ぶ。

痛みで気が遠くなりそうだったから、特大の狐火はもう喚べなかったけれど。

赤児くらいの大きさの焔を五つ。

「敵をっ……焼き、尽くせ!」

射出時間をわずかにずらして連射。

山犬の左右と頭上。逃げ道を封じるように射かける。

先ほどの口腔内爆発で、山犬の視力と嗅覚を奪っているのは確認済み。

(これで、決める!)

そう意気込んで射出した業火だったが、山犬は五つすべてを勘のみで避けきった。

「ちぃ!」

手早く意識を再度集中して。焔を現出させる、その直前で。

後方へ大きく飛んだ山犬。そして奴はそのまま猛然と撤退していった。

(あいつも限界、だったのかな)

山犬の姿が見えなくなり、更に匂いも完全に消えたところで、ようやくメイファは詰めていた息を吐いた。

もっとも損傷した肺では、うまく吐き出せなかったけれど。

なにはともあれ立ち上がらないと。ここにいると混血児特有の(におい)につられて妖怪たちが大挙してくる。

「……よいせ……っと」

失血のせいで重く感じる身体を叱咤して立ち上がる。

その、途中で。

「へ……?」

ひょいと抱き上げられ、気づけばシンの腕の中にいた。

「無駄な体力は使うな。戦闘が終わったなら、治癒に専念しろ」

そう宣言すると、シンは少女を横抱きに抱え上げ歩きだした。

「マスター」

見上げても視線は交わらない。まっすぐに前を向き歩く師匠の姿をしばし見つめて。

やがてメイファの口元はほのかに緩んだ。

(マスターって、過保護だよね。こういうトコ)

戦闘中は決して手を差し伸べない。それはメイファが成長するために必要だから。

どれだけ瀕死の重傷を負うとも、彼は加勢しない。――そもそも、メイファの実力では到底敵わない相手は、最初から宛がわないから。

だからこそ、彼は弟子に任せた戦闘に加勢も助言もしない。

けれど、いったん戦闘が終われば、こうして過保護にも思える行動に出るのだ。

たとえば、このお姫様だっこみたいな。

(しんどいけど、歩けないほどじゃないんだけどなぁ)

伊達に妖怪の血は引いてない。これくらいの傷なら一晩もあれば完治できる。

けれど、彼は甘やかすのだ。戦闘を終えた少女を、それこそ手中の珠のように。

そしてそれを心地よく感じてしまうのは、否定できないから。

「……えへへ、マスターだいすき」

温かな胸にほほを埋め、身体の力を抜いて。

メイファは、思う存分甘やかしてくれる彼の腕に身を委ねた。



走る。奔る、はしる、走る。

闇雲に、がむしゃらに走る。

巨躯に見合わぬ俊敏さで大地を駆ける獣は、焦りと悲痛、そして怒りに身を任せて走っていた。

その背後に、おびただしい量の『人血』を流しながら。

(くそ、クソッ! 力、失ったチカラを、もっと!)

満月が近いせいか、月が天頂に昇っても、今宵は至る所に人間の匂いがする。

酒に酔う者。花街帰りの者と、それを見送る女たち。ならず者に、定住する地を持たぬ者。

そういった人間たちの匂いを頼りに大地を駆けては――襲いかかるオゼン。

「う、うわああああああああああああああ!」

断末魔がまたひとつ上がる。即座に物言わぬモノとなった骸を食い散らかして、損傷した顔の修復に努めるオゼン。

こんな有り様、ハルシャには到底見せられない。臨月の彼女に余計な心労など与えたくはないから。

それに――狙った獲物(ジンファ)は手に入らなかった。

(クソ……くそっ! なんだアレ。なんなんだ、あいつは?!)

オゼンの邪魔をしたモノの存在を思い出すだに腹立たしい。

「ぎゃああああああああ!」

またひとつ、断末魔を奏でて。

食い散らかした残骸には見向きもせず、更に力になりそうな人間を探して月夜を疾走する。

(あいつは混血児だった。俺とハルシャの子供と同じ、混血の匂い)

混血児なのに。

同じように親を殺して生まれてきた存在だろうに。

「なぜ、俺の邪魔をする?!」

親の苦しみを知らないのか? 親の苦悩を知らないのか?

思考のすべてが「何故」に染まる。その一語しか思い浮かばない。

そしてその答えを知らないオゼンの胸は、苛立ちが募る一方で。

激情に駆られたまま、跳躍。

一足飛びで捕まえた人間の悲鳴が発せられる前に噛み砕く。

喰って、喰らって、失った力を溜めるために喰らい続ける。

チカラ。力を手に入れなければ、勝てない。

あの小娘を食い殺し、金花を手に入れるために。

すべてはハルシャのために。

煌々と輝く十三夜の元、オゼンはひたすら人間を探しては、喰らい続けた。






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