外の風にあたる。
『この世界には不思議なことがあってもいい』
そう言ったのは誰だったか。
俺とトラコはしばらく部屋でゴロゴロすると、それぞれ風呂に入った。
風呂から出てきたトラコは、暇だ、外に出て星を見たいと謎のロナンチズムを発動させた。俺はトラコに引きずられるようにして外に出てきた。
「ゲームやってればいいのに……」
「充電器を忘れてきた」
ワーオ。
もう時間は八時過ぎだ。
月明かりを頼りに十分ほど歩いて、跳べば飛び越せるぐらいの小さな川のほとりにやってきた。
川のほとりに蛍の光が舞う。それで、立ち止まったのだ。
蛍というのは六月が見ごろで、盆の時期になると基本的に見られない。
が、今年は涼しかったのと、山奥なのと、まだまだじめじめしているのとで、残っていたらしい。ほんの数匹だが、風流だ。
星の輝き。月の輝き。蛍の輝き。
風がなくて、暑い。天候条件的には、だからこそ、なのだろう。この美しさは。
トラコはドラゴンなので、もちろん暑さなんてものともしない。
一日の終わり。
「この世界には不思議なことがあってもいい」
トラコがつぶやいたのだ。
「そうは思わないか?」
「……そうだな」
俺は一応、賛同する。
誰が言ったのか。
どこかで聞いた言葉だ。
トラコは何故だか言葉の続きを言わなかった。
てっきり『認めたな!言質をとったぞ!』だのなんだの言いだすと思ったのだが。
見てみると蛍を捕まえている。
蛍を服につけて笑う。それから、川の水に手を付ける。冷たい、とつぶやいた。冷たい、冷たい……。
「……妹が、落ちたんだよな……」
俺はふと思い出して言った。
「うん?」
「川に。昔、蛍を捕まえようとして。わんわん泣きわめいてさ。お前は運動神経いいな」
「ふふん。不思議を認めて前払いをする気になったか?」
「ちげーよ」
俺はしばらく黙っていた。
「ドラゴンには、人の感情はあまりよくわからない」
「……なんだよ」
「だが、学習すれば理解することができる。つまりは、文化の違いなのだ」
俺はトラコの顔を見た。
トラコは蛍をじっと見ている。
「人間は実に興味深い。ドラゴンは他の存在との関係性を重要と考えない一族だ。孤独こそ至高と考える一族だ。しかし、その『一族』というものが曲者でな。関係性がないなら、どうして我々は一様に孤独を愛することができる?」
「どうした急に……」
「いや……昔のことを思い出してな」
「昔のこと?」
「一人だったころだ。高い高い山の上にいた。そこではほとんど何も起こらない。風の音しかしなかった。孤独だし、寂しかった。が、その寂しさに耐えることで、自分が途方もないものと向き合っているという実感があった」
「……俺の所に来るまで、ずっとそこにいたのか?」
「いや。とある事情があってある時、そこから別の場所に移らなくてはいけなくなってしまったことがあった。普通の、それこそ、こういうような山の中だよ。山の中は音にあふれている。耳を澄ませば、沢山のな……。ドラゴンの体は大きすぎる。不便だ。人の体が都合よくて、しばらく人間の姿で生活していた。耳を澄ませて、たくさんの音や気配の中で……」
「……」
「何匹かのドラゴンにそのことを話すと、笑ってわかるわかると言っていて、それで私は喜んだ。あぁ、これはいい。これはいい……。そうして元の山に戻ったころには、孤独に耐えられなくなってしまった。というより、今自分が向き合っているものはこんな形では無く向き合えるのではないかと考えるようになってしまっていたのだ。それで、自分の変化した姿であるこいつらはどうなのだろうと、興味の方向はそちらへ向いた……」
俺は、あぁ、と言った。
トラコがこちらを見ている。
「……なんだよ」
「世の中には不思議なことがあってもいい……だろう?」
「まぁ、いいけどさ……」
俺はため息をついた。
「同じことを言ってた奴がいたよ。姉貴だったかな……」
「え?」
「この世界には不思議なことがあってもいいって言ったんだよ。ちょっと違ったかもしれないけど、まぁそんなようなことだ。姉貴が……」
トラコが俺の方を見た。
「ふむ。お前と姉の関係も、変だな」
「そうか?」
「なんというか、普通によそよそしい。でも、まぁ、普通だが。まぁ、姉弟なんてそんなもんだと言われたら納得するレベルの奇妙さだがな」
「外れだな」
「何?」
「血が繋がってねえ。大きいだろ」
俺は笑った。
なんだか少しだけ何か話そうかという気持ちになっていた。
……こいつの作戦勝ちだ。
トラコがじっと俺の目を見ている。
「片方だけ、か?」
「いいや、完全に。うちの両親は元々子供産む気なかったんだよ。でも事情があって姉貴を引き取ることになって、育ててるうちに気が変わった」
ふむ、とトラコが言った。
「……お前は姉のことが好きだったのだな?」
それはただ家族として、という意味ではなく聞いているようだった。
まぁ、そうだな。血が繋がっていなくて、一番身近なのだ。
「そういう時期もあったけど……もうずいぶん昔だな」
「今回連れてきていた男に嫉妬するか?」
「無いね!どんな男か気になるけど、まぁそのぐらい」
「ふむ。しかし、困っていたら手伝ってはやりたいのだろう?」
「まぁ、そのぐらいはな……家族だし」
「距離感に戸惑っているか?」
「戸惑いにも慣れてるよ。どんだけ長い間一緒にいると思ってんだ」
「不思議だ、家族というのは」
ふと、トラコの目線が遠くを見る。
「あれは?」
「あれ?……って、学校か?」
「学校?」
「中学校だ。まだ全然閉校とかにはなってないぞ。現役の――」
「こんな時間まで明かりがついているのか?」
「……宿直室か?」
「いや……」
トラコがじっとそちらを見る。
にやり、と笑った。
「今の話の続き、もっと聞きたいものだな」
退屈させない奴だよ、本当……。