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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
旋律の青年
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六ノ怪

 

 まるでメリーゴーランドにでも乗っている感覚。

 うーん……ふわふわするし、くるくる視界が回って見える。


 下に流れていた木目調が消えた途端、ふっと急降下した気がして胸からお腹にかけて冷えたものが走った。そして頭がひんやりとした心地良い感触に包まれる。


 なんだろうこれ。


 うつ伏せになってその何かを掴む。四角いけど角っこが丸い。やや固めだけれども嫌な感じはしない。あぁ、そっか。これは枕だわ。自分が布団か何かに横たえられたんだ。

 火照った顔に冷たい枕が気持ち良い。無意識に枕を抱き寄せて顔を埋める。すごく落ち着くわ。


 ふと喉が鳴った。

 そうだ。わたしお水が欲しかったんだ。お水が欲しい。

 喉が渇いていたことを思い出し枕から顔を上げる。

 そして――固まった。

 

 えっと、ここはどこ?

 

 鮮やかな暖簾に囲まれた小さな部屋。枕元に淡い明かりのついた雪洞ぼんぼり。いつの間にか羽を広げた蝶のように掛けられた紅葉の長襦袢。そして広い真っ白な布団に、錦糸で刺繍された掛け布団。わたしはその上に横になっていたのだ。

 

 ……もしかしてここは紅い鬼の寝室? 鬼はどこ?

 

 雲がかった意識で未だに揺れている感覚が抜けない体を起こす。高い天井から水墨画と思われる絵が、派手な暖簾の上に被されている。これは鬼の趣味かしら。

 見上げていた暖簾の一つがめくられ紅い手が覗く。そこには小さなお椀が手のひらに置かれている。


「気分はどうカナ」


 まだハッキリしない意識で見ていれば、ゆっくりとした動作で鬼が入ってくる。鬼は笑みながらわたしを見下ろして、手に持っていたお椀を差し出してくる。

 上体を起こして中を覗くと透き通った水。わざわざ持ってきてくれたのかしら。なんだか意外。

 わたしは突き出されたお椀を怖ず怖ず受け取り、水を少しずつ口に含んだ。冷たい。渇いた喉に水が通る度、火照りも消えていく。

 まだ少し酔いが残っているけれど、ずいぶん良くなったわ。大きく息を吐くと、肩の力も抜けた。


「お前に酒の良さは、まだ分からないみたいだナァ」


 紅い鬼がわたしの横に腰掛けると、厚みのある布団が揺れて振動がわたしに伝わる。ぼうっと皺ができた布団を眺めてお椀を持ち直す。

 ……あぁ、そうだ。お水のお礼、一応言った方がいいよね。


「あの……ありがとうございます。お水」


 お椀を返そうと差し出して、無意識に笑い掛ける。

 お礼を言うときは笑顔で。おばあちゃんからの教えだったんだけれど、それがすっかり癖になってしまってつい紅い鬼にまで笑ってしまう。

 何してるんだろうと思わず苦笑いするわたしに、紅い鬼はほんの僅かに目を見開く。そして手の甲でわたしの頬を撫でて「あぁ」と笑った。

 ……別に頬は触る必要ないんじゃないの? 眉を寄せながらそっと触れてきた鬼の手から顔を離す。


 ん? あれ。ちょっと待って。


 はたと気づいて部屋をきょろきょろ見回す。

 布団の上にわたし。横に紅い鬼。そして二人っきり。


 ……。

 …………。


 もしかしなくてもかなり、まずい、状況?


 真っ赤だった顔はあっという間に青ざめた。酔いも一気に吹き飛んで慌てて立ち上がる。

 すでに酔いは完全に醒めていたけれど、緊張からか足下がふらついた。気持ちよかったはずの布団は、今や鬼に用意された食べ物を乗せる皿にしか思えない。この場から逃げないと。一刻も早く脱出しないと。


「どうした鈴音」


 はうっと変な声を出してしまう。歩きだそうとしたわたしの手首をがしり掴まれたのだ。同時に心臓も掴まれたような錯覚が起き、息苦しくなる。


「あ……いえ……。少し気分が悪いので、籠に戻ります」


 硬直したまま口だけ動かす。緊張のあまり上擦うわずった声が出る。


 と、とにかく早くここから出ていかないと。

 じゃないと……じゃないと……

 

 嫌な想像にごくっと喉が鳴る。


「そうツレなくするな」


 掴まれていた手首が後ろに引かれる。受け身をとる間もなく、わたしは大きく背中から鬼のほうへ倒れ込んだ。持っていたお椀は宙を舞って乾いた音を立てながら隅に転がっていった。

 紅い鬼は倒れてきたわたしを容易たやすく受け止め、胸の下に逞しい腕をするりと這わせた。まるで大蛇にでも巻き付かれているみたいで瞬時に肺が苦しくなる。


「離してください!」


「そう怖がることはナイ。可愛がってやる」


 なっなにそれ。嫌だっ。冗談じゃないわ! 

 本格的に身の危険を感じて、なんとか赤銅色の腕を剥がそうともがくが例の如く意味はない。暴れるわたしを紅い鬼は耳の後ろから首筋まで舌を這わせた。ずるり嫌な感触がまたわたしの髪と神経を逆撫でた。


「いやっ」


 気持ち悪さとぞくっとする妙な感覚と嫌悪感。それらがわたしの中でせめぎ合っている。頭を振って鬼の舌から逃れようとするがしつこく追いかけてくる。


「やめて! 離して!」


「口を閉じろ鈴音」


 紅い鬼が片手を離し顔に向けて伸ばす。押さえ込まれる! わたしは目にしたその手に、恐怖からおもいっきり噛みついた。


「おっと。鈴音はじゃじゃ馬だナァ」


 なんで? 神経が通っていないの? 口の中で熱い肌に歯が食い込んでいる感触があるのに。鬼の平気な口振りに動揺してしまい、ますます青ざめるわたしをよそに鬼が噛み付くわたしの口から手を引こうと身じろいだ。

 

 今だわっ。

 

 鬼の腕が緩んだところで素早く立ち上がり転がるように抜け出すと、すぐ後ろの暖簾をめくる。が、鉛のように重くて動かない。

 これは出口じゃないの? 出口はどこ? 暖簾に視線を走らせるがどれが出口なのか分からない。紅い鬼が入ってきた暖簾じゃないと駄目ってこと? そうだとしたらあれが出入り口なの? でも肝心の暖簾は鬼の背後にあって通れない。


「そう怖がるナ。少し落ち着け」


 息を弾ませて取り乱しているわたしに、鬼はゆっくり立ち上がって口角をあげた。

 余裕そうな三日月が三つ、こちらへ投げかけられて再度身震いする。


「来い鈴音。快楽ってやつを教えてやろう」


 さぁっと血の気が引く。

 暖簾ぎりぎりまで下がって鬼から逃げるが、狭い空間だからそんなに距離は開かない。


「いいですっ。知りたくないです」


 何度も何度も、首を左右に振る。

 食べられるのも殺されるのも嫌だけれど、だからといって遊ばれるなんて! なけなしの意地で泣くのだけは堪えるが、もう目から涙が零れそうになっている。


「なんで、どうしてです? わたしには興味は無かったんじゃないですか?」


「あの時はお前を可愛がってやれる暇がなかったからナァ……。それに、今のお前なら美味そうだ」


 紅い舌がちらりと覗く。

 それはどっちの意味でなんだろう。どちらにしろ食べられるなんて嫌。でも、もう後ろには下がれない。どうしたら良いの。


「俺がわざわざ飼ってやってるんだ。悪いようにはしないサ。おいで鈴音」


 残酷なまでに優しく微笑み、猫なで声でわたしに甘く囁く。紅い手が幽霊のようにヒラヒラ手招きした。


「絶っ対に嫌ですっ」


 どうしよう。どうしよう!

 鬼の目はいつになく妖しく光っている。このままだと本当に食い尽くされる。なにか、なにか良い逃げ道は……

 もう一度下がろうとかかとを引くが、重い暖簾に阻まれるだけ。背中はぴったりと水墨画に張り付いていてこれ以上は本当に下がりようがない。


「知らないからそう思うだけカナ。さぁ来いっ」


「ま、待って下さい鬼さん!」


 手を伸ばして捕らえようとした鬼に反射的にきつく眼を閉じ、両手を突き出して待ったをかける。そしてその格好のまま、来るであろう暴力に全身を強張こわばらせて、わたしは固まった。

 頭の中では伸ばされた手が自分を捕まえて首筋に喰らいついているイメージが一瞬にして浮かぶ。歯を食いしばって痛みに耐え切れるか不安と恐怖に息が止まる。


 ……あ、あれ?


 急に静かになった様子に恐る恐る眼を開ける。

 いつの間にかしゃがみ込んで顔を背けていたらしく、眼を空けた先に鬼ではなく自分の足が見えた。それからゆるりと顔を上げれば、信じられないことに鬼の手がわたしに触れる寸前で止まっていた。


 よ、良かった。……じゃ、なくって何か言わないと。

 興味深げに見つめる鬼。わたしが何を言うのかと、自らもしゃがみ込んで楽しそうにこちらを眺めている。

 何か良い言い訳はないかしら。なにか、なにか。えっと……あぁ、そうだ。もうこれでいこう! わたしは半ばやけっぱちで思いついたことを言うことに決め、顎を引いた。


「あの、お、鬼さん。私を飼っているって事は私をペット……だから、私たち人間が猫や犬を飼うのと同じって事ですよね?」


 あぁーもう、なに言ってるんだろう。もっと上手い言い訳はなかったのか! 言った傍から後悔してしまう。

 しかし鬼はわたしの予想を裏切って満足げに笑った。


「あぁそうだな。俺はお前を飼っているんだからナ」


 わたしの顔のそばでふらふらと遊んでいた手を引っ込めて、自慢げに腕を組む。よ、よし。もしかしたらいけるかもしれないっ。わたしは意を決してまた口を開いた。


「ということは鬼さん。わたしは、いま、鬼さんがしようとしている事の対象では無いって事ですよね?」


「うん?」


 ぴくっと鬼の眉が動く。笑みが消えて真顔になった鬼に背筋が寒くなる。も、もしかして怒ったのかな? でもだからと言ってここで主張をやめるわけにはいかないわ。


「私はあくまで鬼さんに飼われるという契約をしただけであって、その、だから、えっと、ああいう行為をする関係を結んでいるわけじゃ、ない……ですよね」


 自信がなくて語尾が下がってしまった。とても屁理屈にしか聞こえないけれど、一応屁理屈だって立派な理屈なはず。というか、この際助かるなら何でも良い! 祈るように胸の前で両手を結んで、びくびくしながら下から見上げるように鬼の反応を伺った。


「……なるほどナァ」


 鬼はふむと顎に手をやるが、すぐニヤリ笑んで


「しかしお前は犬猫でなく人間で、俺は人間でなく鬼だがナ」

 

 うっ。そうきましたか。確かにその通りですけれど……。

 完全に言葉に詰まってしまって返す言葉がない。ダラダラと滝のように灯や汗を流し押し黙ってしまう。


 しばらく沈黙が続く。ほんの数秒だったかもしれないけれど、わたしにとっては数分にも感じた。

 もう駄目かも知れない。また泣き出しそうになったところで鬼さんがふむと頷き、立ち上がる。


「……まぁ良いカナ。お前の言いたいことは分かった。それもいいだろう」


 え、本当に? 

 鬼の言葉が信じられなくて顔を上げる。


「本当に分かってくれたんですか?」


 半信半疑の眼差しを向けるわたしに、鬼はニヤリ笑んでもう一度頷いた。なんだかあっさり通ってしまって、思わず拍子抜けしてしてしまう。


「だったらまた新たに契約するまでカナ」


「えっ?」


 契約?! と、思わず素っ頓狂な声を上げた。正直に言ってそれはなるべくしたくなかった。前にこういった事をして碌な目に遭った事がなかったからだ。きっと複雑な表情を浮かべているであろうわたしに、鬼は人差し指を立てて提案した。


「お前が『帰りたい』と言ったら契約完了というのはどうだ? 鈴音がそれを口にしなければ、俺は手を出さないと約束しようカナ」


 『帰りたい』って言わなければいい。それなら大丈夫そうだけれどなにか引っかかる。でもこの契約を蹴ったら、鬼に襲われてしまうだろうし。

 背に腹は代えられない、か。

 うんうん思案した後、わたしは覚悟を決めて鬼に向き直った。


「わ、分かりました。契約します」


 言わなければいいんだもの。そうよ、簡単だわ。はっきり大きく頷いた。鬼はそれを満足そうに、三日月のような紅を細ませる。


「ならそれで決まりカナ」


 鬼はそう言ってわたしの腕を掴み、悲鳴を上げる暇も与えず後ろを向かせると、そのまま腕に閉じこめてくる。


「手は出さないって」


「犬や猫を膝に抱えないのか? 鈴音は」


 それは、しますけれど……。

 何も言えなくなって、紅い腕に拘束されながらただ身体を小さくさせた。鬼の手つきがどこか感じ悪くて、髪を撫でられる度に背筋がぞっとする。


 でもこれで鬼に喰い尽くされる心配は取りあえず消えたわ。あとは『帰りたい』って言わなければ大丈夫。

 そう安心したはずなのに、どこか不安感が拭えない。わたしは気持ちが晴れずにもやもやしたまま、眠る時間がくるまで鬼に抱えられていた。


 




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