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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
黄泉への道標
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十五ノ怪

 倉の外に出ればさわさわと頬を風が撫でる。陽の光で照らされている場所が、暗さに慣れた目にはやはり眩しい。


「さ、行きましょう鬼さん。完全に朝になっちゃいますよ」


 鬼さんの脇を通り抜けてさっさと帰路へと足を進める。

 通りを黙々と早足で歩く。目の端々に朝日に照らされている崩れた家屋が静かに佇んでいて、今はあの暗くて不気味な印象はどこにも見あたらない。

 暖かい風がわたしの腕や肩を掠めて、たまに髪を巻き上げては優しく頬を撫でる。まるでじゃれついているみたいだ。

 思わず春風の誘いに足を止めそうになる。けれど、気が緩みそうになったわたしは我に返り、慌ててそれを振り切ってより足を早めた。


 ようやく常闇に続く狐穴がみえてきて、朝日の光から隠れるようにぽっかりと暗い口を開けてこちらを向いている。

 再度口端をぎゅっと結んで足を進め、出来るだけ無心になって足を動かす。


 早く籠に戻って一人になりたい。

 一人になって、そして――――


「まーったく。呆れたもんダ」


 狐穴の入り口に入って少し進んだところで、今まで黙っていた鬼さんが突然声をあげた。

 ビクリとわたしの肩が跳ねる。


「泣くほど想ってるンなら、手放さなきゃ~良いのに」


 動いていた足が止まる。

 鼻の奥がツンとして、我慢していたものが溢れてくる。指で目尻を撫でて涙を拭うと指先がしっとり濡れていて、鼻をすすれば本格的に涙が出てきて止まらない。

 先ほどから感じる、嬉しいはずなのに何故だか胸がぽっかりした感覚。はっきりとした喪失感。


 あぁ、そっか。

 そうだったんだよね。


 止めどなく溢れ出す滴を手で何度も拭っては、着物の裾が濡れていくのを眺めて頷く。


 うん、そうだ。わたしは自分が思っていた以上に、青年に惹かれていたんだ。彼のことが、とても大好きだったんだ。


 認めて再度頷けば、大粒になったモノが拭いきれなくて、肘まで濡らす。

 

「わたし、後悔していないです」


 深く吐いた息と一緒に呟きを漏らす。肺と声がほんの少し震える。

 いなくなってからこうもはっきりと気がつくだなんて。わたしってば、自分の気持ちにも鈍感だったんだなぁ。


「はぁ~あ、俺なら絶対に手放さないがナァ~」


 背後からぽんぽんといつものように意地悪く笑いながらわたしの頭を軽く叩く。


「わたしは鬼さんと違います」


 未だに赤くなっているであろう鼻をすすりながら、また足早に歩きだす。後ろから鬼さんの「やれやれ」という呆れた、けれどもどこか笑みを含んだ声が追いかけてくる。

 わたしはそれを無視して、なんとか平常心を取り戻そうと躍起になって足をより早めた。

 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 鬼さんに踏みつぶされて壊れた琵琶を蒼い鬼に手渡し、鬼さんは片手をあげる。


「いやーなんというか。ま、スマン!」


 鬼さん、なんでそんな軽いノリで謝るの!

 もっと真面目に謝らなきゃ!


 大きな蒼い鬼の前でわたしは身を震わせて縮こまって、びくびくしながら鬼達のやりとりを見守っていた。


 常闇に戻った後、鬼さんはわたしを連れながらその足でなんと蒼い鬼の砦に出向き、わざわざ蒼い鬼の居場所を尋ねたのだ。

 当たり前だけれど、門番の青鬼達はかなり動揺して、最初は鬼さんの考えが分からないからか、蒼い鬼の居場所を伝えてくれなかった。

 けれども鬼さんがあっけらかんとした感じで『ただ謝りにいくだけ』と伝えると、しどろもどろになりながら蒼い鬼の居場所を丁寧に教えてくれた。


 蒼い鬼の居場所。

 そこは女郎蜘蛛たちが営む遊郭、『水楼』だった。


「スマンて。お前はワシの気に入りを……」


 見事にひしゃげた琵琶を、残念そう眺める蒼い鬼。かすかに目が潤んでいるのは気のせいかしら。


「短い余生の嗜みを奪って悪かったナァ」


「一言余計じゃっ」


 反省の色がまったくみられない鬼さんを涙目でキッと睨んだ後、蒼い鬼は壊れた琵琶を傍らに控えていた青鬼に命じて下げさせた。


「まぁ、ジイさん。そのうち埋め合わせでもするサ。ここはひとまず酒でも呑んで、気晴らししようじゃあナイカ」


 鬼さんは蒼い鬼との間にあったお酒をとると、蒼い鬼の盃へ注ぎ、自分の盃にも並々と注ぐ。


「お前、それ、儂の酒じゃ」


「イヤァ~美味いナ! ジイさん! さすがダナ!」


 なにがさすがなのかは分からない。わたしと同じように呆れた顔をしている蒼い鬼をそっちのけにして、ひとりガブガブ飲み始める鬼さん。

 ……鬼さん、謝りにきたんじゃないの?


「まったく。お前さんには呆れるばかりじゃ」


 節くれ立った手で盃いっぱいに注がれた酒を手にして蒼い鬼もぐびりと中身を飲み干す。


「人間の小娘にられたからと言って儂の琵琶弾きを逃がすなんぞ、お前だけじゃ」


 うっ。なんだか蒼い鬼の言葉が微かに棘のあるモノのように聞こえてしまい、わたしは更に体を縮こまらせて鬼さんの隣で再度固まる。


「しかも聞けば現世うつしよにいる想い人と添い遂げさせて成仏させるとはな。お前さんはいつから仏の真似事をするようになったんじゃ」


「俺じゃなくてこいつが勝手にやっただけカナ」


 あぁ……鬼さん。更に居心地が悪くなるようなことを。気持ちはともかく、わたしの体はこれ以上小さくなれないです。


「ほお。噂通りの小娘じゃな。ちっとも大人しくしないのう」


「俺も手を焼いているカナ」


「そのようじゃな。まあ良い。良い暇つぶしにはなったわ」


 蒼い鬼が手を挙げると部屋の襖が開かれる。そこから数人の華やかな花魁達が艶めかしい微笑みを浮かべ、上品な動作で鬼達の傍にくる。


 あ、わたし邪魔になるかな?

 そっと立ち上がろうと腰を浮かせて、足に力を込める。

が、膝を畳から持ち上げたところで何かが邪魔をした。


「鬼さん……」


 いつの間にか鬼さんがわたしの着物の裾を下敷きにして座っている。

 わざとやっているのか知らないけど、裾を踏まれたら立てないじゃないですか。

 声を掛けようと片膝を立てている鬼を見上げるが、蒼い鬼と話し込んでいる様子で割って入れそうもない。


 仕方ないなぁ。とにかくここをどかないと。

 わたしは着物が伸びないことを祈りながら両手で裾を掴んでグイグイ引っ張る。着物痛んじゃうかなぁ。


 ふと、鬼さんが横目でわたしを見た。蒼い鬼の話を聞きながらも視線が合う。それからチラッとわたしの裾を見る。

 よかった気づいてくれたんだ。わたしは裾が踏まれて動けないと、更に目で訴える。

 でも次の瞬間、鬼さんは目を逸らした。


 え? な、なんで?


 だって今確かにわたしを見て、踏んづけてるわたしの裾を見たのに。気づいていないわけがないはずなんだけれど。何にしても、これじゃ立てない。

 

 何人かの花魁がわたしが鬼さんの傍をどかないからか、冷たい視線をなげてくる。

 そんなに睨まれても。蒼い鬼が話を続けている中、声を上げるわけにもいかないし……えっと、どうしよう……。


「あら紅の鬼様。小雀さんの羽を踏んでおりますわよ」


 背後から、わたしの挙動不審に気づいてくれたのか、蒼い鬼の話の腰を折らない絶妙なタイミングで花魁さんが声をかけてくれる。


「おぉ。気づかなカッタ」


 嘘いいなさいよ!

 鬼さんが身じろいで解放した裾を素早く引き寄せる。そして立ち上がったわたしに注目が集められる中、声を掛けてくれた花魁さんをすれ違い越しに盗み見る。


 あ、あの時の。

 

 見たことある顔だと思ったら、鬼さんに初めてここへ連れてこられたときに見た凛とした花魁さんだった。

 わたしの視線に気づいて目が合うと、ほんの少しだけ、目を細めて微笑んだ。

 それからすぐに艶っぽい笑みにすり替えて、鬼さんの隣へ座る。


「錦の姐さまに代わりまして、わたくしがお酌を」


 あの時と同じように綺麗な手をついて、優雅な仕草で頭を下げる。

 それを合図に宴が再開され、もう常闇にきて恐らく何十回目となる冷や汗をかきながらわたしは部屋の隅で座りなおし、鬼達の派手な宴を眺めつつも、気を落ち着かせることに専念した。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「もう少し飲んで行ったらどうだ?」


「ジイサン、最近太っ腹だな」


「良いことをした後は酒が旨いからのう」


「よっく言うぜ」


 ゲラゲラ笑い転げる鬼達を、睡魔と格闘しつつも呆れた顔で見つめる。今や張りつめていた緊張の糸もすっかり緩んで、頭がぼんやりして気を抜きすぎるとそのまま眠ってしまいそう。

 あれからずいぶん時間は経つのに、鬼達はどんちゃん騒ぎ、延々と呑み続けている。

 紅い鬼も蒼い鬼も酔っぱらって、蒼い鬼は演奏している遊女達に絡み出す始末。相手をしていた花魁さんも気づけば一人、また一人といなくなっていた。

 それにしてもまだ終わらないのかな。足が痛いし、眠い。花魁さん達はもう誰もいないし、お開きにしてもいいんじゃないかな。


「すーずーねぇー」


「あ、鬼さ……わっ!」


 いつの間にか目の前に鬼さんが横たわる。今、頭打たなかった? 鈍い音が鳴ったけど。


「ちょっと鬼さん。ここで寝ちゃダメですよ」


「そうカ~」


 ここで鬼さんが寝たらわたしお屋敷に帰れなくなっちゃう。蒼い鬼もいるし、鬼さんが寝たら気まずいことこの上ない。今は遊女の人に絡んでいるけれど、矛先がこっちにきて変なちょっかい出せれても嫌だし。


「そうかじゃなくて帰りましょうよ」


「そうか~」


「眠りたいなら早く起きて帰らないと!」


「ん~……」


「鬼さんってば!」


 気が引けたけれども、鬼さんの体を強く揺すってみる。鬼さんは仰向けになって目を擦り、むにゃむにゃと口を動かして寝息を立て始める。

 ほ、本気でここで寝るつもりなの!?


「ちょっと鬼さん! 起きてくださいよ!」


 わたしは慌てて今度は遠慮なく鬼さんの体をかなり強く揺すった。鬼さんは唸り声をあげながら気だるい様子で、目元に手を置いたままわたしに顔を向けた。


「あーなんダァ。鈴音は帰りたいのカァ~?」


「当たり前じゃないですか! そもそも長くいすぎです。わたしも眠くて疲れていますし、早く帰――」


 っと、危ないっ。

 喉を詰まらせてわたしはその先の言葉を飲み込んだ。危うく『帰りたい』と言うところだったわ。気が緩むとついつい口にしてしまいそうになる。

 鬼さんのいやらしいところは、『家に帰りたい』じゃなくて『帰りたい』という言葉で契約しているところなのよね。今後も気をつけなきゃ。


 ふと視線を感じて鬼さんの顔を見る。

 置かれている手の隙間から妖しい紅がこちらを見つめて、面白くなさそうに歪められている。


「お前にしちゃ引っかからんナァ~」


 勢いよく起き上がりあぐらをかくと、ひたりとわたしを見据える。

 気がつけば蒼い鬼がいた場所とは襖で区切られ、部屋にはわたしと鬼さん以外誰もいない。

 丸い格子からは紅い月明かりが差し込んで二つの横顔を照らしている。


「鈴音。今宵が屋敷の外最後の時。分かっているナ?」


 一度深く息を吸う。

 わたしもひたりと二つの紅をみつめ、頷く。


「分かっています」


「もう逃げられンぞ」


 鋭い八重歯が薄闇に浮かんで、残酷にあざ笑う。

 自分の中で、ぽっかり口を開けた闇がわたしを内側から飲み込もうと蠢いている。

 いいようのない不安と恐怖がうなじを舐めあげ、体が竦む。


『大丈夫』

『君は大丈夫だよ』


 心身共に強ばっているわたしに、青年の声が心に響く。

 そうだ。わたしは大丈夫。

 青年が、清一郎さんが気づかせてくれた『光』を持っているもの。たとえ思い出して切なく思っても。


 堅くなった表情を緩ませて、目の前の紅の鬼を真っ直ぐ見つめる。


「逃げません」


 逃げたりなんかしない。

 常闇から。籠から。鬼さんから。


「逃げたりなんかしませんよ」


 わたしはそう言って、鬼へ笑って見せた。




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