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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
黄泉への道標
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十一ノ怪

 足が痛い。息も肩も弾んで呼吸が苦しい。

 わたしは膝に両手をついて、とうとう足を止めた。


「ちょ、ちょっと……待って下さい」


「んあ?」


「速いですって」


 蒼い鬼の砦に入ってから小一時間走りっぱなし。蒼い鬼が留守の間に青年に会わなければいけないのだから、急がないと駄目なのは分かってるけど。普段から運動不足なわたしにはキツイ。


「だから俺が掃除した後をのんびり歩いてくればイイだろう」


 今しがた鬼さんに気絶させられた覆面の青鬼を足で脇に除けながら、鬼さんは眉をひそめた。


「途中で起きたり、新手が来たらどうするんですか」


「そうならんようにお前を背負わずに、いちいち丁寧に仕留めているんじゃナイカ。それにココはジジィがたまに使う離れみたいなもんダ。もともと人手は薄いカナ」 


 あぁ、そうだったんだ。

 息を整えながらいくらか楽になった呼吸を繰り返して屈んでいた上体を起こす。


「でも良いんですか? 蒼い鬼がいない間に、こんなことしちゃって」

 

 わたしは当初、こっそり忍び込んで誰にも気づかれない様に青年のところまで行くんだとばかり思っていたんだけれど。鬼さんはいきなり門番を殴りつけて気絶させ、次から次へと会う鬼会う鬼、床に沈めていった。

 これじゃあやってることは強盗だわ。


「ヨイヨイ。俺が許す」


 手をひらひら躍らせて鬼さんはまた歩き出す。

 俺が許すって……。

 呆れてしまうがここでぼけっとしていても仕方がない。今は先を急がないと。無事、青年に会わなければ意味がなくなってしまう。青年が元気だと良いんだけれど……。


 高い天井の廊下を鼻歌交じりで歩く鬼さんの後を追いかける。

 青年がどこにいるのか分からないので、とりあえず見えた襖や部屋を窺って青年がいる場所を探した。牢屋にでも入れられているんじゃないかと思ったけれど、鬼さんが言うには蒼い鬼が彼を大事にしていたのを見れば、どこか離れみたいな場所に押し込んでいる可能性のほうが高いと言った。


「蒼い鬼さんは青年のことを気に入っているんですね」


 T字の曲がり角を窺いながら、反対側を覗いている鬼さんへ声をかける。


「いやまったく気色悪いカナ」


「……多分、青年が演奏する琵琶が好きなんだと思いますよ。その、変な意味じゃなくて」


 わたしの言葉にも鬼さんはペロッと舌を出して嫌な顔をした。あ、でも、もしそっちの意味でも好きなんだとしたら、うーん。確かにちょっと気持ち悪いかもしれないわね。

 鬼さんがちょいちょいと手招きをする。青年の居場所が分かっているわけじゃないけど、蒼い鬼の所へはなんどかお邪魔しているみたいだから、ある程度の目星はついているらしい。わたしは頷いて、鬼さんの後をついていった。


「うん?」


 いくつかの廊下を曲がったところで、鬼さんが突然足を止めた。危うくぶつかりそうになったわたしは、いささかつんのめる形をとって体に急ブレーキをかける。


「どうしたんですか?」


 見上げれば鬼さんが目を細めて、薄暗い廊下に妖しい紅を左右に走らせている。それからフムと唸ってしばらく考え込むと、また歩き出した。


「こっちカナ」


「え? もしかして、青年の場所が分かったんですか?」


「あぁ。わずかだが冷たい奴の気配がするナ。そうとう弱っているようダガ」


「具合が悪いの?」


 心配で訊けば、「さあな」とぶっきらぼうな返事が返ってくる。

 やっぱりあの後、蒼い鬼に痛めつけられたんだ。ただでさえ心が傷ついていたのに追い討ちを掛けられたなんて。

 青年は、清一郎さんは無事なんだろうか。


 嫌な汗がじわりと浮き出てきた感覚に包まれながら、鬼さんの後をひたすら着いて行った。

 鬼さんはもう道が分かっているようで、迷うことなく進んでいく。わたしは早足になった速さに少しばかり息を弾ませながら、青年の無事を祈って黙々と足を動かしていく。


「ここだ」


「ここ?」


 鬼さんの背から前をのぞきこむ。どう見ても行き止まり。

 長い年月を連想させる染みだらけの板壁があるだけで、ほかに目印も飾り気も扉もない。染み以外みごとに何もない。


「この壁の向こう側にいるんですか?」


「そうだナ」


「だったら引き返して出入り口を探さないと」


 まさか壁に穴を開けるわけにいかないし。あ……鬼さんだったらやりかねないか。でもそんなことしたら確実に警備の鬼達がここに集まってきてしまう。今だってもしかしたら気絶した鬼たちを他の鬼が見つけて、大騒ぎになっているのかもしれないのに。


「早く行きましょうよ」


 焦りを声に滲ませて鬼さんに急ぐよう促す。しかし、鬼さんはじっと壁を見つめて口端を吊り上げた。


「イヤイヤ。ここが入り口カナ」


 鋭く目を細めれば妖しい紅が不気味に光り、鬼さんが息を吸い込んで吐けば吹き出た紫煙が壁に吸い込まれていく。

 何が起こるんだろう。わけが分からなくて眉を寄せながら壁を見守る。

 すると壁の表面が一瞬ぐにゃりと歪み、からくり仕掛けのようなカクカクとした動きで板目と板目がずれていく。わたしが口を開けて唖然としている間に、中央から広がるように畳まれた壁達は隅へと消えていった。


「うわ……」


 どんな仕掛けなんだろう。思わず感嘆の声が漏れたわたしに、鬼さんが目でついて来いと促す。

 部屋へ目をやるが中は暗くてよく見えない。恐る恐る部屋に入った瞬間、ぞくぞくとした寒気が体にまとわりついてくる。足元が見えないせいでただでさえ足が竦むのに、背中や首筋を撫でる冷気がじわりとした汗を滲ませる。


「こっちダ」


 薄闇に浮かぶ二つの紅を頼りに足を進める。目を凝らせば向こうのほうに月明かりが差し込んでいる窓辺らしきものが見えた。灯りの小ささから部屋の奥行きがかなりあるのだと分かる。かなり広い部屋みたいだけれど、ここに青年がいるのかな。


「おい」


「なんですか?」


 掛けられた声に応えると、闇に浮かぶ紅が僅かに上へずれて動く。おそらく顎で向こうを指したんだろう。わたしは促されたまま先を見た。


「あ……!」


 月明かりで四角に浮かぶ床。そのすぐ隣の暗がりにきれいに正座をして俯く影。目を凝らさずともその優しい物腰で分かった。急いで駆け寄って彼の前で膝をつく。


「大丈夫!? 怪我してない? なにか酷い事された?」


 必死で青年に声をかけるけど青年から返事はなかった。ピクリとも動かない彼に、具合でも悪いのか、それともやっぱり何かされたのかと伏せられた顔を覗き込む。

 異様な表情だった。彼は呆然とした顔で、蒼く揺らめく両目をカッと見開いて、瞬きもせずただ自分の手元を見つめ続けている。

 

「鬼さん、これは、どうなっているんですか?」


 自分の声が震えている。よく状況が分かっていないはずなのに、何故だか焦りのようなじりじりとしたものが胸を締め付けている。


「正気を失っているんだろう。ジジィになにか吹き込まれたんじゃナイのか?」


「どうやったら戻るんです?」


「知らン」


 突き放すような物言いに思わず眉間に皺が集まる。わたしの顔を見て鬼さんが僅かに睨み返してきたけれど、わたしが視線を逸らさずに返せば、やれやれと言いたげな溜息を吐いた。


「見たところ呪いが強まったワケではナイみたいカナ。だとしたら、コイツ本人が自分の闇に呑まれたんだろうヨ」


「闇……」


「自分の闇に喰われただけカナ」


 前から何度も聞いた『闇』という言葉。去ったあの人も、行ってしまった友達も、追いかけてきた影も。みんなわたしには分からないと言っていた『闇』。きっと目の前の彼も、今それに呑まれてしまっているんだ。


 ――もう二度とあんな哀しい想いはしたくない。させたくない。

 

 わたしはその場に座り、一度大きく息を吸ってゆっくり息を吐いた。強張っていた体から力が抜ける。それからまっすぐ彼を見つめて、未だに顔を伏せたままの青年の両手に手を伸ばした。

 冷たい。

 人の手とは到底思えない凍てつく冷たさに指先がかじかむ。でも今はそんなことはどうでも良い。

 彼に、伝えないと。

 

「……清一郎さん」


 一瞬、彼の肩が揺れた。

 思わず口をつぐんで彼の様子を見守るが、また微動だにせず静かにしている。

 わたしはもう一度口を開いた。


「清一郎さん。月子さん、待ってますよ」


 再び訪れる静けさ。青年は相変わらず動かないし声も出さない。

 なのに、彼がまとう冷たさが変わったのか、ふわりと冷気がわたしの頬を撫でた。 


「つ……き……」


「え?」


 掠れた消えそうな声に目を見張った。するすると握っていた手が離れて、伏せられた顔に当てられる。

 

「あぁ……あぁ……」


 呻き声とも泣き声とも取れる声を絞り出して青年は、背中を丸めた。


「嫌だ……もう……もう……」


 苦しそうに床に額をこすりつけて呻く様子に、わたしは彼に手を伸ばした。きっと月子さんのことを思い出して辛いんだ。あんなひどい光景を見れば仕方がない。


「大丈夫。もう彼女も」


 するといきなり、その手を掴まれた。



「モウ、ミタクナイ」





   

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