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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
黄泉への道標
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九ノ怪



「ちょっと良いですか?」


 険悪な空気も幾分柔らかになり、いつものようにお酌をしながら鬼さんへ口を開いた。


「わたし気がついたことがあるんです」


 注ぎ終えた瓶を盃から離し体を起こす。鬼さんはお酒を口に運びながら目で先を促した。


「以前お話したと思うんですけれど、青年は月子さんが死んだ所を見て苦しんでいたんです。でもそれっておかしいですよね? だって月子さんは青年が死んだのを見て後を追ったんですから」


 青年が生き返りでもしない限り月子さんを見ることなんてありえない。

 どうやって青年は月子さんの死を見ることが出来たんだろう。


「ん~。実はナァ、俺も気になったことがあってナ」


「なんですか?」


「崖のあたりから何か気になる気配があったんダ。まぁお前が放心状態だったから帰って来ちまったんダガ。一度村に行って調べたほうが良さそうだナ」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 支度をした後、わたし達は朧狐達にまた案内をお願いして再び村を訪れた。

 空がほんのり白んできて朝が近い。


「あまり時間がナイな」


 忌々しそうに空を睨んで鬼さんは呟いた。やっぱりいくら鬼さんでも太陽の光には弱いのかしら。

 鬼さんは足早にわたしを連れて離れへ歩いていった。一度しか行っていないのにずんずん先へ進み、無事に離れの前に到着する。よく道順覚えているなぁ。

 離れの裏側に回りこんで崖の下へ行ってみる。ここも昔は手入れをしていた形跡があるけれど、今は雑草に埋もれてピンク色の花が顔を覗かせているだけだ。


「ここからカナ」


 顎に手をやって鬼さんが崖の真下に立つ。


「何かあるんですか?」


 わたしも鬼さんが見下ろしている場所を見るが、土砂崩れの残骸があるだけで特に変わった所はない。首を傾げて土砂と鬼さんの顔を交互に見ていると、鬼さんは鋭い爪で土砂を掘り返し始めた。

 何か埋まっているのかな。わたしは覗き込みかけてハッとした。

 ……まさか。


 棒立ちになりながらしばらく見守っていると、ふいに鬼さんが体を起こしてわたしを手招きした。ごくりと唾を飲み込む。


 泥にまみれた場所に一枚の茶色く汚れた紙があった。手にとって見ると下半分以上がひどい染みのせいで字がぼやけている。

 良かった。骨かと思って冷や冷やしちゃった。


「かなり年代の入った紙ですね」


 端々が切れていたりするものの、土砂の中にあったのにも関わらずなんとか一枚の紙として存在している。なんの紙だろう。


「紙から琵琶のガキの気配がする。それと蒼鬼のジジィのもナ」


「え……」


「こいつで探ってみろ」


 鬼さんの手をみるとあの灯篭。両手でそっと灯篭を受け取り、紙を見た。

 これでなにか分かれば良いんだけれど。

 私の心配を知ってか、灯篭は音もなくゆっくりと回転を始めて、やがて軽快にくるくると回り始めた。



・・・・・・・・・・・・・・・・


 灯篭が浮かばせたのは数人の男と、月子さんのお父さん。そして青年。

 崖の下で頭から血を流して倒れている青年の体を男達が薄汚い布で包み担ぎ上げる。


「山にでも捨てておけ」


 吐き捨てた言葉。汚いものでも見るかのような目が冷たく鋭い。


「これで月子も大人しくなるだろう。この男もやはり娘を狙っていたというわけだ。まったく卑しい限りだ」


 風景が捩れて山を映し出す。

 ボロボロに朽ちたお社の裏に青年の遺体は文字通り捨てられた。

 埋葬されるでもなく、弔われるわけでもなく、適当に掘った穴に適当に放り投げられ、適当に埋められる。壊れてしまった愛用の琵琶も一緒に。

 男達が去った後、ちらちら雪が降ってきた。小さな粒がやがて大きくなり、あっという間に青年が埋められた場所が分からなくなる。日も暮れて、目印も無い青年の遺体は、もうどこにあるのか検討も着かない。


 ふと、雪の中に動く影があった。

 一瞬雪が変なふうに舞ったのかと思ったけれど、徐々に輪郭がはっきりしてきたので人影だと気づいた。

 

 ……あれは、青年だ。

 清一郎さんだ。


 なんだかぼんやりとして辺りを窺っている。それからふらふらと移動し始めた。頭をかいて首をかしげいてるのを見ると、死んでいるのに気づいていないみたい。


 青年だけを浮かび上がらせたまま、風景が変わる。

 ここは鬼さんと通った村の大通りだ。しんしんと雪が降る中、村のあちこちから子供の泣き声が聞こえてきた。みんな親にたしなめられて泣くのを堪えているけど、どうしても嗚咽が漏れてしまう。そんな感じだ。


「ごめんください」


 青年が一軒の家の戸を叩いた。しかし誰も出ず、中に居る家族の誰一人青年の声に気づいていない。


「ごめんください。僕です。清一郎です」


 青年は気づいていない。戸を叩いても、戸が音を立てていないのだ。青年は首傾げて他の家もあたった。でもどこも同じで反応が無かった。


「これはどうしたことだろう。何故みんな出てこないんだ。……子供たちはなぜ泣いているんだ」


 青年がとぼとぼ道を歩いていくと、意図してか無意識かは分からないが地主の家にたどり着き、見えないのに大きな門を仰ぎ見た。


「月子さま……」


 なにか逡巡して溜息を吐く青年。そして手がピクリと動いて気づいた。


「琵琶が無い」


 青年は慌てて元いた場所に引き返した。

 灯篭は青年だけを浮かび上がらせた背景は瞬く間に流れ、あの青年の遺体が埋められている場所まで戻った。


「あれ? なんでここに戻るんだ? 琵琶はどこに……?」


「琵琶ならあるぞ」


 地響きのような声がお社から聞こえた。

 この感覚は。あの時の、鬼さんと同じ……。


「渡してやっても良いが、一つを聞かせてくれんか? なんでも良い。好きなものを弾いてくれんかのう」


 人の良さそうな猫なで声。目の見えない青年が社へ振り向くと、その手に琵琶が陽炎のように青く揺らめいて現れた。

 いきなりの感触に青年も驚いたんだろう。ぴくっと目蓋が動いて、恐る恐る手にした青い模様の琵琶を撫でて困惑している。


「さあ弾いてくれ」


 この時点で青年は相手が人間じゃないと悟ったのかもしれない。顔は緊張で引きつっているし、幽霊なのに冷や汗でもかいている表情だ。


「分かりました」


 頷き息を吐いて琵琶を奏でる。あたりの景色に似た、静かな透明感のある旋律。しんしんと積もる雪に吸い込まれあたりに染み渡り、そして消えるときもまた、静かに雪の中へ溶けていった。


「……見事だ」


 感慨深い声がお社から響く。

 青年は恭しく頭を下げて「恐れ入ります」と返した。


「どうじゃ若いの。わしの下へ来ぬか?」


「え?」


「お主も気づいているようじゃが、わしは人ではない。お主がわしの所へ来てその類稀なる琵琶の才を思う存分披露してくれるのなら、一つお前さんの願いを叶えてやろう」


「……神様、なのですか?」


「いや。神ではないが、人より神に近い業をもつ者よ。 ……して、どうする? 来るのならば願いを言うが良い」


 青年は迷っているみたいでそわそわと頭を振っている。しばらく息を吐いたりして悩んでいたけれど、意を決したみたいで青ざめた顔を上げた。


「この村の月子さまという女性の顔を一度でいいから見たいのです。出来れば琵琶を聞かせて喜んでさしあげたい……それが出来るのなら、この身が消えても構いません」


 既に死んでいるのに自分の命がなくなっても良いって。やっぱり青年は自分が死んでいることに気がついていないんだ。

 ククッとお社から嫌な笑い声が聞こえた。


「それなら安いことだ。どれ、こっちに来い」


 青年が宙を漂いながらお社前に近づくと、古びた小さな扉から青い煙が手の形を成して青年の目蓋に触れた。


「さぁて。これでお主の願いは叶う。膳は急げと言うしな、わしがお主の想い人のところへ連れて行ってやろう」


 青い煙があたりに立ち込めて青年を覆った。わたしが持っていた灯篭の灯りも大きく揺れて、またあの崖を映し出す。

 蔵の前には青年。まだ慣れていないのか、目をうっすら開けて両手で宙を探っている。


「月子さま……?」


 青年が目を上げる。そこにはあの格子窓。ふらふらとたゆたう格好で二階の窓へ近づいていく。

 そして……


「あ、あああああ!」


 青年の目が見開かれ絶叫が響いた。灯篭の灯りがゆるりと揺れる。


「月子さま! 月子さま! どうして! 一体なぜ!?」


 青年の瞳には青白くなった月子さんと、紅く染まった白い着物。滲んだ目に二つがハッキリ映っている。

 そうだったんだ。青年を追って死んだ月子さんを、死んだことに気づかない彼は鬼の力を借りて月子さんに会いに行き、そして見てしまったんだ。

 清一郎さんを思いながら死んだ月子さんを。


「嫌だ。こんなもの……違う。見たくない。見たくない!」


 両手で顔を覆い、髪を掻き毟りながらもだえる青年。そんな彼に、鬼の声が優しく囁いた。


「おぉ辛そうじゃのう。見えるものが全て良い物とは限らぬものじゃ。……さぁ、わしと共に来い。名と記憶をわしが貰い受けよう。そうすればお主に穏やかに琵琶を弾き語る日々を与えてやろう」


 声が響き渡り、青い鬼火が青年を包み込む。


「穏やかに……」


 力で強張った指と腕がピタリと止まる。


「そうじゃ。苦しむことはもう無い。……お主、名は何という?」


 しばらく沈黙が続いたが青年の口元が僅かに開き、


「清一郎」


 と蚊の鳴くような声で呟いた。


「そうか、そうか。良い名じゃ」


 わたしには鬼が喉で笑ったように聞こえた。あの蒼い年老いた鬼が意地の悪い笑顔を作って、うんうんと頷いている姿が頭の中で浮かんで見える。


「では行こうか。これからお主の琵琶の才を好きなだけ堪能できるとは、楽しみじゃ楽しみじゃ」


 青い鬼火が燃え上がり彼の姿が見えなくなる。大きな火柱があがり、やがて細くなれば、わたしが持っていた灯篭の灯と同時に消えてしまった。







  

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