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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
黄泉への道標
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八ノ怪

 居心地の良い布団の中に潜り込んで息を吐いた。灯篭の明かりは薄暗く、もう見慣れた天井と籠の格子が目に映る。

 わたしは両目を閉じて青年と月子さんのことを考えた。

 月子さんはやっぱり青年のことが大好きだったんだ。怖そうなお父さんに反抗してまで、青年と一緒に居たかったんだろうな。それなのにあんな結果になってしまうだなんて。あんまりだ。


 ……あれ? でも待って。おかしくない?

 青年の思い出した記憶だと先に死んだのは月子さんのほうになっていなかったっけ。だって「もう見たくない」って思ったのは、月子さんが首を吊ったから。でも青年はその前に崖から落とされて死んでいるはず。……実は死んでいなかったとか?

 わたしは寝返りをうって格子の外にある窓を見た。外には紅く細い三日月が煌々と光って妖しい光りを放っている。いつ見ても気味が悪い。

 そういえば青年が月子さんを見たのって窓から覗く形だったような。彼女のいた座敷牢は二階だから、何かを積み上げない限り、窓の外から中を覗くだなんて不可能だ。でも目の見えない彼が、あんな高さまで物を積み上げて上るだなんて出来るんだろうか。


 ……清一郎さんは今どうしているんだろう。まだ無事でいるのかしら。彼に会って話が出来れば一番良いんだけど。

 起きたら鬼さんに相談して、青年の近況を知っているか聞いてみよう。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「酌しろ」


「え?」


 開口一番、起床時の支度が終わったわたしを横に、鬼さんは無表情に言った。


「今起きたばかりですけれど……お酒ですか?」


「そうダ。来い」


 腕をとられて強引に籠から出され、長い廊下を進んでいく。行き着いた場所はいつもの広間だった。そこに朝食はなく、代わりにお酒や肴が用意されて、起きたばかりの空腹にお酒の匂いがきつく感じて、少し気分が悪くなる。

 

 オレンジと金で刺繍された座布団に座らされ、奇妙な形をした酒瓶を押し付けられた。鬼さんは無言でわたしに盃を押し出して、酌を催促する。

 なんともいえない重い空気に胃のあたりが重くなる。ちらりと鬼さんを見ると畳の向こうを鋭い目つきで睨んでいた。

 気分は最悪。と言ったところだろうか。今日は寝起きが悪いのかもしれない。昨日はあれだけ怒っていたんだから仕方がないんだろうけれど。わたしは胸が押し潰されそうな心持で、黙って鬼さんの盃に琥珀色の雫を流し込んだ。


 鬼さんはお酒をかなりの速さで飲み干していった。

 最初の酒瓶はそれこそあっという間に飲んでしまい、二回目のお酒も同様に終わらせ、今は黄緑色のお酒を淡々と飲んでいる。

 

 どうしようかな。青年のことを聞きたかったんだけれど、機嫌がものすごく悪いみたいだし。こういうときは大人しくしているに限るけど、やっぱり早めに事は進めたい。

 それとなく訊いてみようかな。


「鬼さん……」


「黙れ」


 畳み掛けたどすの聞いた声に髪の毛が逆立った。ぎろりと睨まれ、わたしは体が竦んだ。


「お前は今ナニを考えている」


「な、なにも」


「また琵琶のガキのことカ?」


 言うが早いか鬼さんはわたしの腕を力強く掴むと、自分のほうへ強引に引き寄せた。突然のことに受身すら取れなかったわたしは成す術もなく、そのまま鬼の胸板に体をぶつけ、予想以上の衝撃に喘いだ。


「お前はガキのことばかり考えているナァ」


「何を――ぐっ」


 顔を上げた途端に両腕で締め付けられ、知らないうちにわたしは両目を強く瞑った。

 痛いっ。背中や内臓が押し潰される!  


「今のうちに俺の機嫌をとっておいたほうがイイぞ? アイツがいなくなればお前を屋敷から出すつもりはナイ。そしたら誰に会うこともなくなるんだからナァ」


 ギシギシ背骨が軋むのを感じながら薄っすら目を開く。ぼやけた視界に妖しい紅が、外の月と同じように細くわたしを見下ろしていた。

 ふいに締め付けが弱くなり、息苦しさから開放される。すぐさま肺いっぱいに空気を吸い込むが、すぐにその場でひどく咳き込み背中を丸めた。


 鬼さんの考えていることはやっぱり分からない。そんなに大事ではない飼い犬でも、自分以外に興味が移るのは面白くないということなのか。

 鬼さんはわたしが青年と会ってからずっと機嫌が悪かった。それでも青年を助けるのを協力してくれたのは、結局暇つぶしと邪魔者がいなくなれば良いと言う考えからきているんだろう。今はきっと、手助けに飽きてわたしを言いくるめようとしたのに、わたしが頑なに譲らないから腹を立てたんだ。


「逃がしはしナイ。お前は俺のモノだ」


 頭を押さえつけられ、また顔が鬼の胸に埋められる。呼吸が苦しくて顔を無理やり横へ向け、口が塞ぐのを防ぐ。

 鬼さんはいつの間にか肩で息をしているわたしの髪を撫で、背中にその大きな熱い手を這わせた。まるで存在を確かめているかのような手つきに不可解なものを覚え、鳥肌が立った。


「鈴音。お前は何が欲しい?」


「え?」


「琵琶が好きなのカ? 雅な音が欲しいのカ? それとも飽きることのナイ話が聞きたいのカ?」


「別になにも……」


「何も欲しくないのカ?」


 降ってくる視線から逃げるように目が泳がせた。 


 わたしが本当に欲しいのは友達や太陽の光や自由だ。でもそれは以前お願いしたこともあったが叶うことなんてなかった。

 確かに小さめの鏡が欲しいとか軽い衣服があれば良いな、という独り言を鬼さんが聞いていて、高級そうなものを用意してくれることは何度かあった。


 ただ、あまり借りをつくりたくないというか、それこそ鬼に囲われているみたいで嫌だったので、なるべく独り言を漏らさないように今は気をつけて、物を貰わないようにしている。

 それに鬼さんが欲しい物をやるといっても物理的なものばかりで、精神的な支えになるようなものは一切貰えることはなかったし、今後も期待出来そうにない。言っても睨まれるだけだ。


「今頂いているだけで充分です」


「そんなことは無いハズだ」


 背を撫でていた手がわたしの顎をとって上を向かせる。強制的に鬼と目が合わさる。


「ナニか足りないからガキに執着しているんだろう? まさか本気で救い出すことが目的なのカ?」


「ずっとそう言っているじゃないですか!」


「なんの為に?」


「助けてあげたいから」


「それダケ?」


「それだけです」


 鬼さんの眉がこれでもかと歪められる。理解できなくて頭が痛いとでも言いたげな顔だ。


「……鈴音はガキがいなくなってから、どうするつもりだ?」


「どうする、って?」


「アイツを逃がしちまったらもう会えない上に、屋敷からは出られナイ。他の奴らとも会うことはなくなるんダ。……そしたらどう過ごすつもりダ?」


 居心地の悪さに視線を外そうとするが、妖しい紅にまっすぐ見つめられて動けなかった。

 わたしだって今後を考えていなかったわけじゃ無かったけれど、考えたって仕方がないのだ。常闇からも鬼からも逃げられないし、逃げるわけにもいかない。鬼の怒りをかわないように息をつめて生活して、もし考えるとするなら、自分なりに自分を保つ方法を見つけなければいけないぐらいだ。


「鈴音」


 意識を自分へ戻せと顎を軽く揺さぶられる。

 ……何か答えないと。


「わたしは、これからは、お屋敷の中だけで過ごさなければいけないので、なにか手慰みになるものを探したり、考えようかと」


「ほう?」


「それにっ」


 わたしは鬼さんが紅を細めたのを見て、慌てて口を開いて付け足した。


「それに鬼さんとも、その、今後良いお付き合いできれば良いかなって思ったり……だから、良い主従関係が築ければと……思いまして」 


 あぁ~もう何を言っているんだろう。途中から、いや、最初からごちゃごちゃして自分でも何を喋っているのか分からない。

 顎から鬼さんの手が外される。そして再び背中に手を回され、今度はそっと抱き寄せられた。


「俺の側にいる気持ちはあるんダナ?」


「……はい。そういう、約束ですから」


「そうカ」


 浮いた首筋に顔を預ける形で、わたしは大人しく鬼にされるがままになった。機嫌が完全に直ったわけではないみたいだけど、少なくとも不機嫌ではなくなったようだ。


 紅い手に撫でられながら鬼に隠れてふぅと息を吐いた。

 今後を考えれば、正直暗い気持ちになる。この件が終われば籠の中での監禁生活がまた始まるのだ。ただでさえ陽の光がない世界での生活なのに、籠の中で囚われなければいけないのだからこれで喜ぶ人間がいるはずは無いだろう。


 でも、それでも良いのだと思う。

 最初からこれは決められていたことだし、考えようによっては五体満足で衣食住にも困らない日々が約束されている。(……もちろん鬼さんの気まぐれが起こらなければ、だけど)

 友達も無事にあっちで過ごせて青年も助けることが出来るんだから、これで良しとするべきだ。怖がりで優柔不断な自分としてはよく頑張った方なんじゃないかな。


 後は鬼に従って、日々を過ごすことに専念すれば良い。 

 わたしの人生が尽きるまで、明るい記憶を心の拠り所にして。


 それがわたしの、この常闇での務めなのだから。




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