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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
黄泉への道標
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七ノ怪

 だめ。やめて。

 再び暗闇から浮かんだ月子さんに嫌な予感を覚えて、わたしは顔を左右に振る。


 白い月夜の下、真っ白な肌着に身を包んで蔵の出入り口に佇む彼女は、既にこの世ならざる者にも見えて今にも消えそうだった。健康だった肌は今目の前にいる彼女にはなく、虚ろな目の下には隈、手足も細くなり指は骨ばっていた。


「清一郎さま……」

 

 おぼつかない足取りで蔵の中に入り、二階へ上がって行く。青白い手には金と赤で彩られた長い帯が握られていた。

 彼女は帯を引きずりながら座敷牢の前まで行き、そっと扉を手前に引いて中へ入った。

そして格子窓に近寄ると、急に咳き込んでうずくまった。


「……薬も、清一郎さまがいないのなら、なんの意味もないのです」


 小さな肩が震えて悲しみを帯びた吐息が空気に消えた。彼女が音も無く立ち上がれば、腰まで伸びた髪が揺れて背中に流れる。

 わたしはぎょっとした。彼女の胸元と手は真紅に染まり、真っ白な肌着は紅い染みが広がっていたのだ。


「どうせ長くないのなら……早く清一郎さまのもとへ参りたい」


 木箱に乗った彼女の細腕によって梁に帯が掛けられ、真下に丁寧な輪が作られる。


「お傍にいったらまた琵琶を聞かせてください。必ず貴方様に会いに行きますから」


 これ以上ないくらい、月子さんは嬉しそうに涙を浮かべながら木箱から足を離した。

 とても静かに、荒々しさも騒々しさもなく、まるで絵画でも見ているかのような風景にわたしは立ち尽くした。


 呆然として固まったわたしに話は終わりだと、手元の灯篭は大きく揺らめいて灯りを消した。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 どうやって鬼さんの屋敷に戻ってきたのか頭に残っていないほど、わたしはしばらく放心状態だった。籠の中で横になるものの、眠る気なんて起きなくて目はぱっちり開いている。でも何かを考えたり何かをしようとする気にもならなくて何度も寝返りを打った。


「だいぶ参ってイルみたいダナ」


 聞こえた声に自然とそちらへ視線が動く。目を上げた先には鬼さん。格子の向こうからわたしを見下ろしていた。


「ま、あんな辛気臭いものみたら仕方ないカ」


 いつも思うんだけれど、どうして音もなく部屋に入ってくるんだろう。驚かそうとしているのかなんなのか。まぁ、どうでも良いんだけれど。


「鬼さんも見ていたんですよね?」


 体を起こしながらわたしは鬼さんに訊いてみた。

 あの時は見えた景色に気を取られて、鬼さんの存在なんて綺麗に忘れていた。


「あぁ、見ていたカナ」


「青年の名前みつけました。これで現世(っていうかあの世?)に行くことが出来るんですよね?」


「まあな」


「あとは蒼い鬼に縛られている呪いを解けば、常闇から出て行くことが出来る……」


 あと一息だ。やっとこれで青年を、清一郎さんを助けることが出来る。

 ……でもどうしてだろう。なんだかモヤモヤする。なにか胸がくすぶるような。嫌ものが胸を締め付けている気がする。



「鈴音」


 顔を上げると鬼さんが籠の中に入ってわたしの前に座ったところだった。


「お前随分消耗しているナ。後は俺に任せて籠で大人しくしていろ」


「鬼さんにまかせて?」


 眉間に皺が寄る。鬼さんに任せるだなんて、そんなこと出来るわけがない。こう言ってはなんだけど、そこまで鬼さんのことは信用していないし。


「きちんと自分で最後までやります」


「あの琵琶ボウズをジジィの所から引っぺがして現世に放り投げれば良いんだろう?」


「そうですけど、でも」


「それとも本当は返したくないんじゃないカァ?」


 意味ありげに意地悪く笑んだ鬼。鋭く真紅の眼を妖しく光らせて口端を吊り上げている。

 あまりにも不気味な鬼のに一瞬怯むが、わたしはすぐに睨み返した。


「残念ながらそんなことは微塵も思っていません」


「本当カ?」


「えぇ勿論」


「返しちまったら、あの娘とボウズが結ばれちまうのに?」


 ――え。

 目を見開いて自分の顔が固まった。


「どう見たってあの女は琵琶のガキを想っていたし、お前の話だとボウズもまんざらじゃあナカッタんだろう?」


「それは……」


「アイツらはめでたく両思いだったってワケだ」


 もちろん、わたしだって二人の気持ちはなんとなく分かっていた。お互いが相手に対する態度が優しくて幸せに溢れていた。見ていてこっちも幸せな気分になれたのに……なのに。どうしてか胸がぎりぎりと締め付けられる。やだな。なにを今更……。 


「でも。でも本当に、わたしは」


「もうどうでも良くナイカ?」


 紅い大きな手がわたしの顎を捉え、もう片方の手の指でわたしの指を絡め取った。驚いて身を引いたわたしに、鬼は追いかけてそっと耳へ口を寄せてきた。


「きっとアイツはお前を利用したんダ。だから優しくしたのサ。お前の崩れかけた心に付け込んで良い様に操り、常闇から自分だけ逃げる。そして現世に戻って想い人と一つになればお前は用済み」

 

 可哀想にナ、と耳元で囁かれると思考と心が停止する。繰り返し繰り返し鬼の言ったせりふが頭の中でこだまする。

 利用、された? わたしが? 青年に?


 鬼がわたしの指をさらに絡めると、同じようにわたしの心も鬼の言葉に幾重にも絡め取られる。


「ナァ鈴音。あのガキの為にお前がこれ以上苦労する必要なんざナイ。放っておけば良い。それより鈴音が望むなら、お前だけの庭を造ってやるゾ? 桜でも藤でも梅でも植えてヤルし、滝の一つや二つ置いても良い」


 わたしが傷ついていたから、青年は慰めてくれて。それで、それで、哀しい顔をしながら微笑んで、わたしを助けてくれて。


「鈴音、俺と楽しく暮らそうじゃナイカ。お前には常闇の空は広すぎる。籠の中で可愛らしく鳴いていれば、いらない苦労も傷つく必要もナイ」


 利用した? 青年のほうが深く傷ついていたのに? 忘れたはずなのに心のどこかでずっと悲しんで苦しんで、月子さんが首を吊った場面に「もう見たくない」と、思い出しかけた記憶から逃げていた彼が、わたしを騙して利用した?


「お前を騙して結ばれたがってるヤツらなんざ忘れて、俺だけ見ていればイイ――」


「違う」


 いつの間にか目の前に迫っていた顔が、ぴくりと震えて鼻先で止まった。


「彼は本当にただただ、苦しんでいました。利用しようだとか、騙そうだなんて。そんな気持ちはどこにもありませんでした」 


 不満そうな顔がわたしから離れる。わたしは顎に添えられている紅い手を、手にとってゆっくりと外した。


「それはお前がすっかり騙されているダケで」


「もし騙されているんだとしても、二人は苦しんで悲しんで死んだんです。そして死んだ後も苦しんでいる。……二人を助けたいと思ってなにが悪いんですか!」


「ほぉ~。ずいぶん御立派じゃあナイカ。そんなにあのガキに惚れたのカ?」


 まだ繋がっていた指に力が込められて、わたしは痛みに眉を寄せた。


「想い返される事もナイのに、それでも助けたいのカ?」


 メリメリという音が聞こえてきそうなほど、鬼の指に絡め取られた指が締め付けられる。自然とわたしの顔が痛みに歪む。


「アイツを忘れて俺と暮らすよりも、あのガキを助けるほうを選ぶのカ? ガキを逃がした後、今度は自由に歩き回れないように俺に足を食われても、他のヤツを見れないように眼をくり貫かれても良いというのカ?」


 残酷な言葉の羅列に背筋が凍った。唇が痺れてうまく喋れない。心臓の音が喉から聞こえてくるんじゃないかと思うぐらい、喉が絞まって鼓動が高鳴った。

 しばらくお互い一言も話さなかった。鬼さんはじっとわたしを見つめて、わたしは乾いた口の中に苦味を感じて、つばを飲み込むために喉を動かす。

 口内に少ない潤いが戻ってくる。いくらか落ち着きを取り戻したわたしは、ガクガク震える顎を動かしなんとか声を絞り出そうと試みた。


「わ、わたし、わたしも、もう見たくないんです。みっちゃんみたいにここに残って、しかも目の前で悲しんでいる人の顔を、見たくないんです。助けたいんです」


 精一杯、目を閉じて喘げながら言った。

 直後、顎から外した手がわたしの胸倉を掴んで、わたしを勢いよく宙に吊り上げた。


「だったら鈴音っ。この件が終わり次第、お前は一歩も屋敷から出さナイからナ! そうすれば見ることもなくなるだろうからナァ!」


 罵声が耳を突き抜けた後、急に解放されたわたしは畳の上に落とされた。打ったお尻の痛みと残った息苦しさに呻くと、鬼さんが少しイライラした雰囲気で籠の入り口に向かって歩き出す。


「まったくなんて頑固ダ。これならあの時縛り上げて足でも折っておけば良かったカナ」


 不穏な独り言を口にしながら籠の外へ出て鍵を掛けた。そしてわたしの方へは一度も振り返らずに、部屋から出て行った。 









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