一ノ怪
オレンジ色の光が道行く旅人を照らしてゆらゆら揺れる。前に来た頃と変わらずの賑わいで、大小様々な影が通りを行き来している。
鬼さんと一緒に笠を被って通りを歩く。
ここでも鬼さんは有名人(いや有名鬼?)らしく、色々な妖怪から挨拶されたり頭を下げられたりして、その度に鬼さんは片手を挙げる等をして適当に返していた。
鬼さんが言うには、まず青年が呟いた「朧村」という村について心当たりがありそうな人物を訪ねるのだそうだ。
妖怪が人間の村を知っているのか不思議ではあったけれど、ほんのちょっとでも良いから何か手掛かりになれば良いと思い、わたしも着いて行きたいと駄目もとで鬼さんにお願いした。
……まさか本当に連れ出してくれるとは思わなかったけれど。
こうもあっさりと外へ出してくれると、あの一時の鳥籠生活が嘘みたい。
後から思えば正直、鬼さんが青年の救出作戦に力を貸してくれるのも、ちょっと裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。
でも、だけど。
鬼は嘘をつかないって、約束は守るっていつかの鬼さんは言っていた。何故だかその言葉だけは不思議と信じてしまう。
なんにしろ、今は鬼さんを頼ることしか私には出来ない。鬼さんの守ると言った約束と、わたしが望んだ約束が同じ意味であることを祈って鬼さんの背中を追う。
鬼さんが一軒の店の前で立ち止まった。ここが心当たりのある人のお店なのかな。
通りにある店は皆二階建ての古風なお店で、ここも違わず時代劇で見たような作りだった。
ただ店先は少しお洒落に、四角い格子に可愛らしい小さな花が飾られていて、格子の隙間から明るい店内が伺えた。
「ここが目的地ですか?」
鬼さんを見上げた目の端に、軒下に吊り下げられていた提灯が目に入る。その灯りには「朧」と達筆な字で書かれていた。
「はい。いらっしゃ――」
明るい声が暖簾をくぐって聞こえてくる。見えた顔は色白の顔に黄金色の髪を結い上げた可愛らしい女の子だった。
……それにしてもまさかこの世界でブロンド髪を見るだなんて。いや、金髪よりちょっと色が暗いのかな。通りの灯りのせいでそう見えるだけなのかしら。
その子はわたしと鬼さんを見るなり、目を見開いて口を開け閉めした後、わたし達が声を掛ける間もなく店の中へ慌てて戻っていった。
ここはどうやら妖狐が営む店で、金箔や銀箔をふんだんにあしらった店内に、上品な簪や帯留めが桐の棚に陳列していた。
店の奥へ通され、先ほどの店内とは違ってとてもシンプルな座敷でお茶を出される。…… 鬼さんにだけ。
ま、別に良いけどさ。もう慣れましたよ。
ちょっとやさぐれながらも、飾り気はないけど艶やかな床と黒い光沢を放っている柱や、床の間にある渋い水盆に綺麗な花が浮かんでいるのを見て文字通り見惚れてしまう。
華やかなのも良いけれど、やっぱり実生活はシンプルが一番だよね。
「どうした?」
あんまりわたしがきょろきょろしていたからか、鬼さんが声を掛けてきた。
「いえ。とても綺麗な落ち着いた部屋なので、つい」
「お前はこういう部屋が好きなのカ?」
「特別好きって言うわけじゃないですけれど、こいうシンプルな部屋も嫌いじゃないですよ」
わたしの部屋は北欧デザインの家具で揃えていたけど、おばあちゃんの和室も大好きだったし、お姉ちゃんの(ちょっと派手だけど)キラキラした部屋も好きだった。
それぞれ良いところがあるから、これだけが好きっていうのはあんまりないのよね。
「そんなものカ」
興味をすぐになくしたようで鬼さんはわたしから顔を逸らす。部屋にも興味がないらしくぼんやりとしてる。
鬼さんにとってこういう部屋は地味にしか映らないのかな。
でも思うに鬼さんの性格からしたら、マイブームに対して熱心になったりならなかったりするのだと思うのよね。そういう意味では、鬼さんもどれも特別好きというわけではないのかもしれない。
「これはこれは鬼の紅い大将ではないですか」
襖が開かれると同時に黄色い顔が覗いた。
一瞬なんでこんなところに狐が! なんて思ったけれど、藍色の着物に身を包んでいる姿を確認すると妖狐だったということを思い出す。
「変わらず繁盛しているようダナ」
「へぇ。これも紅い大将のおかげでございます。ありがとうございます」
人の手の形に似たこげ茶の両手を揉み合いながら、鬼さんへ頭を下げた。
「それで今日は何用でございましょうか? 根付なら錦の紅葉が入ったばかりですが、いかがでしょう? その――」と、言ってわたしをちらりと見て「可愛らしい人間様の簪も取り揃えておりますよ」
狐の主人の口振りからすると鬼さんはこのお店のお得意様みたいね。だったら部屋は興味がないんじゃなくて、元々知っていたということか。
「いやソレより、お前さんに聞きたいことがあってナァ」
「あっしに、ですか?」
はてと狐の主人は小首を傾げながらそわそわと手を動かし始める。
鬼さんに見つめられて居心地が悪いらしく、狐の主人は不安げに目を泳がせて、手と同じ色をした耳を次第に伏せさせていた。
よほど鬼さんが怖いみたいだ。
「お前、朧狐だったナ?」
「へ、へぇ。あっしの一族は朧峠の朧狐ですが、それがどうかしやしたか?」
「人間の里で朧村という、村を知っているカ?」
狐は顎に手を当てて「朧村、朧村」と何度か口にして視線を下げたかと思ったら、何か思い当たったみたいで「あぁ」と大きく頷いた。
「それなら知っておりますがぁ、あの里ならずいぶん前に廃れてしまったはずですよ」
「廃れた?」
「へぇ。今じゃあっしら狐でも近寄らんです。情けない話ではありますが、夜には人間の化け物が出て近寄れないんでさあ。おぉ~くわばらくわばら」
そう言って狐の主人はぶるぶる震えながら両腕をさすった。
それにしても……
「人間の化け物? 化け物ってどういう意味なんですか?」
思わず狐の主人に訊いてしまったわたしに、鬼さんの射抜かんばかりの視線が後頭部に突き刺さった。痛い。
「すまんナ、躾がなってなくて」
「いえいえ滅相もない! 威勢の良い人間様でなによりです、はい」
両手と顔を大げさに振って狐の主人は愛想のよい笑顔を浮かべた。
その必死な感じに、呑気にもこの狐の主人も大変だなぁと思ってしまう。
「で、化け物とはどういうことダ?」
「いやそれが大層不気味な奴でしてね。ありゃきっと幽霊ってやつでさあ」
「ん? 人間の、 女の、幽霊ってことカ?」
「えぇ、えぇ。今は人間が近寄らない峠ですからあっしらにとって貴重な山なんですがね、あんなのが出るせいでせっかくの一族の山も台無しでさあ。……まったく、どうにかならねぇか」
へえ~、妖怪なのに幽霊が駄目なんだ。
忌々しげに息を吐いた狐の顔を見ながらわたしは意外に思った。やっぱり生きていないものに対しては、妖怪も苦手とするのかしら。
「その里の場所はどこダ?」
鬼さんの問いかけに狐のご主人はしかめた顔を元に戻すと、少し訝しげな表情を浮かべた。
「あっしらが昔使ってた朧神社の近くにある狐穴からいけますが、一体どうするんで?」
狐の主人が恐る恐る訊ねると、鬼さんは目を細めて
「ちょいと肝試しにナ」
と、悪戯っぽく笑った。
鬼が肝試しって……。
わたしと同じ事を思ったのか、狐の主人もぽかんとしていた。