十七ノ怪
「さて鈴音。お前はどうしたい?」
「え?」
籠の中で鬼と二人、静かに向き合って正座する。
わたしは鬼さんの問いかけに眉を寄せた。
「お前はあのガキと、どうなりたい?」
どう……って、そんなこと言われても。
別にどうにかなりたいだなんて思っているわけじゃないけど。
ふいに青年の顔が頭の中を横切る。ほんの少し胸が熱くなった気がして、なぜだか慌てて首を左右に振った。
「わたしは、ただ、このままじゃ青年が、可哀相だと思って」
思ったことを口に出したつもりだったけれど、どうしても歯切れが悪くなってしまう。
両手をもじもじさせながら居心地が悪くて身じろいだ。
どうしてこんなに複雑な気持ちなんだろう、わたし。本当に彼が助かれば良いと思っているはずなのに。
頭の上から、ハァという呆れた溜息が降ってきた。
「ま~た可哀相カ」
「え?」
「お前は友の時と言い、浅い正義感とイヤらしい同情心で動くんだナァ。いつもはビビリの癖に」
浅い正義感に厭らしい同情心? そんな、そんな言いかたしなくたって良いじゃない!
顔を上げ怒鳴ろうとしたけれど、それを鬼さんが手で制してくる。
「それで? 可哀相なアイツと添い遂げたいのカ?」
前のめりになりつつあった身体を起こし、でもなんだか消化不良で悔しくて顔を横に背ける。
「そんなんじゃないです。それに、多分。青年には好きな人がいたみたいだったし……」
「ほう?」
そうだ。あの幻を見た時、青年と月子さんは幸せそうに微笑んでいた。それはとてもささやかだったけれど、幸福と嬉さに溢れていた。
手すら繋いでいなかったけれど、見つめ合うこともなかったけれど、多分、二人はきっと……。
「鈴音」
はっとして気づかないうちに下を向いていた顔を上げた。
やだ。もしかして今、わたし落ち込んでいたの?
自分の感情に驚きつつも、声をかけてきた鬼へと顔を向ける。
「お前、どこマデあのガキのことを知っている? ……俺になにか話していないコトがあるんじゃないカ?」
「えーっと。それはどの――」
「アイツとどこで会ったか。どんな話をしたか。アイツの何を知っているのか。全て話せ」
話すといってもどこから話せば良いんだろう。
それに鬼さんに話して良い事と悪い事を考えて喋らないと駄目だ。どこで揚げ足を取られるか分からないし、不機嫌になられるのも嫌だ。
よく思い出して考えながら話さないと。
「ナァ鈴音」
少し鋭い声色に肩が僅かに跳ねる。あぐらを掻いて頬杖をした鬼が、わたしをじっと見つめている。
「もしお前が全て話していないと分かったら……どうなるか分かっているナ?」
冷え冷えとした笑みに冷や汗が流れた。正直に、全て話してしまうしかないのかな。でもわたしが話してしまったことによって青年が酷い目に遭わないだろうか。
判断に迷って目を泳がせる。
本当に話してしまって良いのだろうか。
「安心しろ」
ふわっと大きな手が自分の頭に被さった。
「正直に話すなら鈴音にもアイツにも何もしやしないカナ」
迷っていた自分の心を見透かされたみたいで目を見開く。それに今言ったのって。
「本当、ですか?」
「あぁ約束してヤル」
約束。
その言葉が何故だか自分の胸の中にすとんと落ちてきた。
鬼さんは約束を破らない。そっか。破らないんだ。
わたしは強く頷いて、鬼さんに自分が知っていることを全て話し始める。
初めて会った時に光の話や青年自身の話をしたこと。遊郭で会ったときに励ましてくれたこと。幻をみたこと。青年の悪夢をみたこと。
鬼さんは黙って聞いてくれた。時折わたしが顔を赤らめながら喋ると、鋭く睨まれて顔を青くすることはあったけれど、基本的に黙って聞いてくれていた。
「成る程ねぇ~」
顎を撫でながら鬼さんは何度か頷いた。
「きっと死んでしまって、けど成仏できない何かがあって、さ迷っていたところを鬼に連れ去られたんだと思うんです」
「いや分からんゾ。あのガキが何かをジイさんに願って、その引き換えに進んで常闇にきたのかも知れン」
そっか。青年が蒼い鬼と契約を結んでこちらに来た可能性もあるんだ。そしたら青年を鬼から逃すのは難しいのだろうか。
でもこのままじゃあ青年はずっと苦しみ続けるんだ。鬼から解放されるまで。永遠に。
「鬼さん……」
「ん?」
「なんとかなりませんか?」
縋るように紅い鬼を見上げる。
わたし一人ではとても解決できない。ましてやただの人間に過ぎない、無力な存在なのだ。常闇にいるのなら尚更。
不本意ではあるが、頼るとしたら目の前の紅い鬼だけ。
鬼さんは目を細めた。妖しい紅がわたしを静かに見下ろし、ゆったりと頬を撫でられた。
「良いのカ?」
「何がです?」
「あのガキが居なくなっちまって良いのか? ジイさんから逃がしてやるってことは、常闇から現世へ戻すこと。……鈴音は良いのカ?」
更に細くなる眼差し。わたしの奥底を、心の中を見透かそうとするかのうようにジッと見詰めてくる。
「それは、正直に言うと寂しいですし、いつまでも青年の琵琶と声を聞いていたいです。でも、それよりも、青年には心から笑って欲しいんです。どこか悲しそうに笑うのは、きっといつも辛いから……」
みっちゃんと同じ弱々しい笑顔。笑っているはずなのに傷ついた眼差し。
もうあんな笑顔は二度と見たくない。
同じことを繰り返したくない。
今度こそ助けたい。闇から救ってあげたい。
「マッタク甘いというか、愚かというか……」
呆れた口調が鬼の口から聞こえてきた。舌の上で転がすようにゆったり呟かれた言葉。
しかし面白そうに口端を吊り上げて、ちらりと牙を覗かせると
「ダガまぁそうこなくっちゃあ、詰まらンからナァ~」
頬にやった手を顎へ移動させてわたしの顔を上げると、視線を合わせてまた深く鬼は笑った。
「お前のその煌々とした眼が俺は好きカナ。そこまでの覚悟と意地があるなら、この俺が手を貸してやろう」
「助けて……くれるんですか?」
「あぁ」
頷いた鬼をみて、思わず顔が笑顔へと変わる。
すごい。鬼さんが協力してくれるならとても心強い!
これなら青年を助けてあげられることが本当に出来るかもしれないわ!
より現実味が出て来てわたしは舞い上がった。
わたしは鬼が嫌いなのも忘れて、鬼さんが手伝ってくれることに心の底から喜んだ。
「それじゃあ、それじゃあまず何をしたらいいですか?」
興奮気味に鬼へと詰め寄れば、額に衝撃が走った。
痛い。
「ちょいと落ち着け」
「あ、ごめんなさい」
小突かれた額を擦りながら苦笑いする。
つい一人で盛り上がってしまった。鬼さんの言うとおり、落ち着かないとね。
頬杖をやめて、改めて向き合ったわたしに鬼さんが腕組する。
「色々調べることがあるんダ。しばらくはいつも通りに過ごしていろ。……いや違うナ。いつも以上に、俺に闇より深く感謝して過ごせばいいカナ」
「分かりました」
鬼さんが協力してくれることに関しては素直に感謝できる。
普段は嫌で仕方ないけれど、鬼さんは一応偉くて顔も利くみたいだし、力も強い。こんな時にはとても頼りになりそうだ。
もちろん……多少の後ろめたさはあるけれど、背に腹はかえられない。
今度こそ闇に呑まれる前に、光の下へ帰って欲しい。
もう悲しい笑顔なんて、見たくない。
もう見たくないの――