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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
紅い悪夢
31/56

九ノ怪

「あ~生き返る」


 ひのきふちに腕を重ねて顎を乗せる。それからたゆたう湯気をぼんやり眺めた。


 てっきり以前入れた露天風呂に通されるのかと思ったら、見事な木彫りの装飾に囲まれた木造りの浴室に連れていかれたのだった。

 深く息を吐いて天井を見上げると寄木細工の菱形がわたしの頭上に広がり、ぐるりと見渡せば、小川に似た雲の欄間と、壁ごとに華々しく咲き誇る木彫りの花がその美しさを競い合っていた。


「大きなお風呂が二つ。鬼ってお風呂入るんだぁ。鬼さんはお金持ちなのかな」


 我が家のお風呂はもちろん一つだ。こんな老舗旅館並のお風呂には家族旅行で一度しか体験したことがない。視界を正面に戻してもう一度くるりと見回す。真四角の浴室の隅に翡翠の石桶と、柄に藤模様の木彫りがある柄杓がある。何に使うんだろう。


 四隅に鬼さんが灯したと思われる紅い灯に照らされた肩を見る。

 先ほど体と髪を洗ったときに気づいた肩の痣。人間が常闇の妖気にあてられると現れる痣。鬼さんの話に寄れば、人によっては特別な能力が備わるが、この痣が目に行き届けば妖怪の仲間に近づいてしまう、と言っていた。

 

 初めて常闇にきた時、わたしに備わった力は『他人の視点』だった。

 

 自分ではない他の人の考えや、視界を感じることが出来た。でもそれは自分の意志でしたわけじゃなくて勝手に感じるような形となって現れた。

 だからやっぱりあの時も。あの感覚は青年のもので間違いないはず。

 

 でも、と水面下に口を沈めてぶくぶく空気の泡を作る。

 いまいち自分の確証を信じきれない。自分の状態が状態だったし、第一どうやって彼が籠の部屋に入れたのかが未だ分からない。それに今もその便利な能力が自分に備わっているのかも不明だ。……お風呂から出た後、鬼さん相手に試してみようかしら。


 成功したら余計なことまで知ってしまうかもしれないけど、このまま何もしないよりは良いはず。何かしら情報を集めて、いざという時にいつでも動けるようにしなくちゃ。

 わたしは鼻から大きく息を吸い込んで、そのまま頭のてっぺんまで深く浴槽に潜り込んだ。


 



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 

「風呂はどうだっタ?」


 上機嫌に聞いてきた鬼さんに、わたしは頷いた。


「とても良かったです」


 籠じゃない部屋で鬼さんと向かい合って話すのは久しぶりだった。着物は重いけれど暖かで、寒さを感じない。だるさや熱っぽさも嘘のように治まっていた。


「アレな、お前用に用意したんだ」


 さらりと言った鬼さんに、わたしは持っていた湯呑を落としそうになった。


「わたし用!?」


「そうダ」


 人間一人の為にお風呂一個作るって。どういう発想なんだろう。庶民とはスケールが違うわ。


「鬼さんはお殿様なんですか?」


 鬼さんはちょうど顔を上げてお酒を飲もうとしていたが、その姿勢のままで固まるなり、次第にひくひく肩が揺れ始めた。どうしたんだろう?


「どうかしましたか?」


 ゆっくり酒瓶を傍らに置き、片手に額をやって俯くと、堰を切ったようにゲラゲラ笑い出した。 


「鈴音は本っ当に面白いことをいうナァ!」


 膝をバシバシ叩いてしばらくの間大きく笑って、やっと満足すると深く息を吐いた。

 一体、なんだっていうのよ。


「殿様ねぇ~。いやいやそんな堅苦しいもンじゃないサ」


「でも偉いんでしょう?」


「まぁ~ナァ~」


 そこは否定しないのね。

 内心呆れながらも、いつになく機嫌が良いのにわたしはホッとした。まだ鬼さんに追い回された感覚が抜け切らなくて、心のどこかで緊張してしまう自分がいたのだ。


「それじゃあ、鬼の元締め的な存在なんですか?」


「間違ってはないカナ」


 常闇のことはよく分からないけれど、他の妖怪の態度や建物からして位置的に偉いひとだとは思っていたんだけれど。人間一人の為にお風呂一個作るとは思わなかったな。しかもあんなに凝ったお風呂作るなんて……いつから作っていたんだろう。

 あ、そうだ。それはいいとして。


 ちらっと鬼さんを盗み見る。今日は向かい合って話がしたいとかでお酌を自分でしている。

 さっそく試してみようかな。


 わたしは目の前にいる紅い鬼に神経を集中させる。

 じーっと見つめて、相手の思考を探った。


 …………。

 ………………。

 ……………………うーん。


 全っ然、分からない。


 はっきりとしたものは端から期待していないとはいえ、まったくと言って良いほどなんにも感じ取れない。他人の視点が自分に流れ込む感じも、相手に憑依する感覚も、何かしらの違和感もない。何かコツがあるのかな。条件とか色々――


「おい」


「はっはい、何でしょう!?」


 思い切り間抜けな声と一緒に顔を上げる。鬼さんがのんびり傍らに置いてあったお酒を選びながら、声だけをこちらに向ける。


「寒さはどうだ? まだ熱っぽいカ?」


 どくどく鳴る胸を押さえてわたしは首を振った。


「いえ。お風呂に入って温まったのが良かったみたいで、ずいぶん楽になりました」


「そうか。指先は冷たいカ?」


 指先? 言われて恐る恐る自分の指と指を重ねてみた。触れてみるがほんのりと温かでなんともない。

 なんでだろう。何故だか消えた冷たさに寂しさを覚えて、自分が籠の格子越しに青年に会った確かなものが消えてしまったような気がしたのだ。


「その様子なら、もう平気みたいだナ」


 意味ありげな物言いに目を上げた。口の中で青年という単語が転がる。

 何か彼と関係があるの? 聞きたいけどそれは良くない方向に向かってしまう。今は耐えなければ。わたしは俯いて口を結んだ。


「よし。コレならお前も飲めるだろう」


 一つのお酒を手にとってわたしの目の前にくると、わたしが持っていた湯飲を取り上げ、代わりに手の平ほどの朱色の盃を掴まされた。


「酒は百薬の長ってナ」


 桃の形をした変った酒瓶を傾けて盃に注いだ。


「まぁ一口飲んでみナ」


 普通の人が鬼さん並に毎日飲んだら、百薬どころか百厄になるんだろうな。

 中には薄桃色の液体がわたしの顔を映していた。ほのかに桃の甘い香りがする。んー、ちょっと抵抗あるけど、一口だけ、飲んでみようかな。

 好奇心も手伝って顔に盃を近づける。

 わたしはほんの一口と、恐る恐るお酒を口に含んだ。


「……美味しい」


「だろう」


 とても甘いし、お酒特有の変な匂いも味も無い。本当にこれ、お酒なのかな。なんかジュースみたい。

 も、もうちょっとだけ、飲んでみようかな。


「ナァ鈴音」


「はい」


 返事をしながらお酒を口にちびりちびり喉に流し込んだ。やっぱり、これ美味しい。本当にお酒なのかな。


「お前は琵琶の青年を好いているのか?」


 どストレートな言葉に激しく噴出し、危うく鼻からもお酒が出そうになる。咳込みながら手を振った。


「で、ですから想い人じゃないですって」


「好いているか、いないのか聞いているんダ」


 まっすぐ見つめられて気まずさに自然と視線が落ちる。薄桃色の滴を見下ろして、重い口を開いた。


「好き、だと思います」


 口にした途端に鬼さんが息を吸った音が聞こえた。だからわたしは直ぐに顔を上げて、何か言われる前に慌てて口を開いた。


「でも人柄がいいとか、良い人っていう意味で好きなんであって、まだ男の人として好きだとかはよく分からないんです」


 こうもハッキリ口にしてしまうと、ごちゃごちゃしていた気持ちがまとまってくる。わたしは自分の気持ちを探りながら話を続けた。


「だって、ちょっとしか知り合ってないし、他に気楽に話せる人がいなくて。それにわたしのことを人として扱ってくれるのは青年しかいなかったから。……だからわたし、彼と話せて嬉しくて」


 慰めてくれたのも、元気づけてくれたのも彼だけだった。見下すこともなく、優しく笑いかけてくれた。とても嬉しかった。


「わたしは青年が好きです。傷ついて欲しくないです」


 だんだん目の前が霞んでくる。こんなに簡単に感情がたかぶるなんて。やっぱり今呑んでいたのはお酒だったのかな。

 歪んで目元が熱いなって思ったときには、薄桃に透明な滴が混ざった。


「みっちゃんみたいに……闇に染まって欲しくない……」


 頭が痛い。悲しい。認めたときにはぼろぼろ雨みたいに涙が落ちた。

 鼻をすすれば、綺麗な指先が目尻をなぞる。


「泣くナ」


 よく通る低い声に顔を上げれば、目の前に赤銅色が広がった。熱い体温に包まれると体の芯が氷点下に冷え、それと同時に温まったハズの指がまた凍えた。








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