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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
紅い悪夢
30/56

八ノ怪

 ピントの合わない視界。これじゃあほとんど見えないに等しい。雲ひとつ無いのに薄暗い冬の空も、他の人が見えればさぞ眩しいんだろう。

 旅の人が言っていた家々は粗末かもしれないけど、そこから豪快に笑うお爺さんや、憎まれ口を叩き合いながらも、背中合わせになった途端にくすりと笑う夫婦が居るのを知っていれば、暖かいものに見えてくる。

 ここの村の人達は寒い地に似合わず心の底から暖かい人ばかり。わたしは思わず微笑んで、それから一つくしゃみをした。うーん北風が強いわ。凍えちゃいそう。


「ねぇねぇ」


 不意に声をかけられて振り返る。あっと。危ない危ない。そうだ、目は閉じておかないといけないんだった。不気味がられちゃうからね。

 わたしは何気ないふうを装ってそっと目を閉じた。


「またお話きかせてよ」


 この元気で生意気そうな声は吉太郎だ。でも妹の春ちゃんの声が聞こえないなぁ。あの舌足らずな可愛らしい声が頭の中で再生される。いつも兄ちゃん兄ちゃんと吉太郎の背にくっついている幼い声。耳を澄ませても聞こえない。

 顔に出ていたのか吉太郎が元気な声を上げた。


「あ、春? あいつはおっ母ぁのとこだよ」


 へぇ珍しい。でもまぁ、甘えたい盛りだもんね。吉太郎だってたまには子守から解放されたいだろうし。わたしがよしよしと頭を撫でてあげると、吉太郎が「何するんだよ」と手を払いのけてきた。でもその声はどこか照れている。可愛いなぁ。


「あー! 吉太郎ずるいっ」


 向こうの方からよく通る声。これは三吉だ。


「オイラにも聞かせてよ! ずっと待ってたんだからな!」


 どんと小さな身体が横っ腹に当たる。それからぎゅっと無邪気な温かさに掴まれて、わたしは笑いながら三吉の頭にも手を置いた。

 次から次に道の向こうから落ち着かない足音がこちらに走ってくれば、たちまち幼い声たちに囲まれて、歌をせがまれる。

 嬉しいな。待っててくれたんだ。わたしは片手に持っていた琵琶を撫でて、子供たちに微笑んだ。



 さぁ今日は何を話そうかな……




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 喉の渇きで目を覚ます。視界も体調も相変わらず最悪。浅く息を吐けば胸元の汗が浴衣との間に摩擦を起こして肌に張り付いてくる。

 

「良い夢だったな……」


 元気で無邪気な子供たちの夢。顔こそ見えなかったけれど、声が聞こえるだけで笑顔を見たような気持ちになる。とても幸せだった。


「どうした?」


 予想しなかった声にビクッと肩が跳ねた。び、びっくりした。


「鬼さん。なんでここに」


 枕元に眠る前と同じ姿勢で座っている鬼さんの姿に目を丸くする。違うとするならいつもの晩酌セットがあるくらいだ。


「なにしてるんですか?」


 お酒飲むなら自分の部屋で飲めばいいのに。わざわざ寝込んでる人間の隣で飲まなくたって。


「ナニって。お前の看病」


「お酒飲んで何言っているんですか」


 また頭が痛くなってきた。


「目が覚めたならちょうど良い。お前も飲んでみろ。身体が温まるカナ」


「お酒ですか?」


「あぁ。温めてあるからよく効くゾ」


 ん~。本当に大丈夫なのかな。温かいと言ったところから鬼さんが今飲んでいるのは熱燗かしら。


「あの、その前にお水下さい。喉が渇いてしまって」


 鬼さんが近くに置いてあったお椀を手に取るとわたしに差し出した。中にはいつもの透き通った水が入っている。わたしはくらくらしながら体を起こして水を飲むと、鬼さんもまたお酒を飲んだ。

 

 お互いに口から飲み物を口から離しても、黙ったままだった。あの後一悶着あったから仕方ないのだけれど、この手の沈黙は痛い。気まずさにまだ濡れているお椀の中に視線を落とした。


 わたしが何気なく琵琶の青年のことを言ってしまったがために、鬼さんの機嫌がまた悪くなった。すぐさま籠から出て行こうとした鬼さんの脚にしがみついて引き止め、なんとか行なわれるであろう凶行を止めることには成功した。


 これから鬼さんと向き合って話をしないといけないのは分かっているんだけれど、具体的に何を話せばいいのか全然わたしには分からない。

 鬼様第一です! って宣言すれば良いわけじゃないだろうし、いつものようにお酌だけすれば良いのも違うだろうし。……鬼さんについてなにか質問すればいいのかしら。


「あの」


「ん?」


 紅い目がきょろりとわたしを捉える。


「鬼さんの趣味って何ですか?」


「趣味ぃ?」


 お見合いじゃないんだからって自分でも思った。だけど他に質問することが見当たらなかったんだから仕方ない。


「趣味ナァ。色々したからナァ」


「色々ですか?」


「前は天狗と蹴鞠したがスグに飽きちまってナァ、ちょいと前には一つ目と将棋したんだがコレも飽きちまって。囲碁も牛鬼とやったんダガ、あいつ俺が勝ちそうになった途端に碁盤ごとひっくり返しやがったから、頭ふっとばしてヤッタ」


「そ、そうですか」


「まぁ囲碁もそれからやってないカナ」


 結局どれも飽きてしまったのね。気まぐれ性格だから趣味も長く定着しないのかな。


 ぐびりと鬼さんの喉が鳴ってまた沈黙してしまう。

 えーっと……



「お酒いつも飲まれているみたいですけれど、どれが一番好きなんですか?」


「お、そうだナァ」


 眉間にずっとあった山脈みたいな皺が消えて、嬉しそうに考え込み始めた。鬼さんはやっぱりお酒の話題が一番好きなんだ。覚えておこう。


「五月雨も良いガ……宵闇も良いナ。いや銀鳴きも捨て難い」


「今飲んでいるのは何ですか?」


「これか?」


 そういって徳利を振った。


「これはミチヅキという名の酒だ」


「ミチヅキ?」


「蔵主の話なら満月の光だけ浴びさせた酒らしいカナ」


「満月……」


 口にして瞬時にあの時見えた光景がまたフラッシュバックする。

 青年の幻の後に見た夢。ううん、見えたと言うよりも感じた。わたしじゃない誰かの感覚を疑似体験した妙な感じ。


 確か目の前は真っ暗だった。……いや、ちょっと違う。暗かったと言うよりも、何も見えなくて、部屋の暗さも分からない感覚だった。

 頭で格子とその中に人がいるって何故か分かった。でも格子の向こうにいたのは誰だか分からない。頭で感じたのは籠の格子じゃなかった。どこか、別の場所。別の格子。それから何か思い出したんだ。


 ……そうだ。月だ。朧月って。

 それから朧村って頭に浮かんだ。もしかしたら、あの感覚の主は青年?

 だったら彼は記憶を少し思い出したのかも。それにさっき見たばかりの夢だって彼の物かもしれない。



 某探偵の、謎解きが解明した時に出る効果音が頭の中で高らかに鳴り響く。名推理だと確信したわたしだったが、次の瞬間には肩を落として頭を振った。

 

 ……待って。ちょっと落ち着くのよ、わたし。

 もしそうだとしても、どうして突然彼の気持ちが分かるようになったというの? 夢だってわたしの脳が勝手な解釈をしてでっち上げた物かもしれないのに。

 そもそもあの時見た青年だって、わたしの見間違いかもしれない。部屋の中に誰にも気づかれないで入れるはずないんだし、錯乱状態のわたしが見たのを考えれば、ただの幻だと言うほうがまだ現実的だ。

 もう少し整理していかないと――



「鈴音」


「あ、はいっ」


 しまった。また考え込んじゃった。

 慌てて顔を上げれば、再び眉間に山々を連ねた鬼の顔がこちらを向いている。


「またナニか悪巧みでも考えているのカ?」


「ち、違います」


「ほぉ~」


 痛い視線を受けながらそそくさと布団の中に逃げ込む。また青年のことを感づかれたら色々まずい。考えるなら一人の時でないと駄目だ。鬼さんがいる時は鬼さんに集中しなくちゃ。


「待て鈴音」


 低い声で言ってからわたしの襟首を鷲掴んだ。そしてそのまま引っ張られ、わたしは居心地の良い布団から引きずりだされた。

 寒いっ。抗議よりも素足にまとわりつく冷気に体を抱えて震える。


「そんなびっしょり濡れていたら気分悪いダロウ」


「まぁ、はい……とても」


「なら風呂に入れ」


「え?」


 驚いて目を見開く。


「籠から……出してくれるんですか?」


「汗くさい雀にはそろそろウンザリなんでナ。ひとっ風呂浴びてこい」


 やった! お風呂に入れるなんて! お風呂に入れば体の芯から温まれるし、何より汗を流せる。汗くさいは余計だけど、思わぬ言葉にわたしは素直に喜んだ。


「ありがとうございます」


 傍にあったお椀の底に、破顔した自分の顔が映っている。やっぱりお風呂は大事だわ。喜んだ顔は汗で濡れてしっとりした髪がおでこに張り付いていた。


「そうやって笑っているんなら、いくらでも良くしてやるのにナァ」


 呟いた声に目を移す間もなく、わたしの視界は目まぐるしく回転した。熱のクラクラしたものも加わって、籠から出た後も、しばらくは鬼さんの肩に担がれているという事に気が付かなかった。


 目下に流れる薄暗い板目と暗さに、わたしはちょっと泣きそうになった。

 

 籠から出られた。

 

 その事実はわたしが思っている以上に、わたしの胸を震わせていたのだった。






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