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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
紅い悪夢
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五ノ怪

 朱い夕暮れ時。懐かしい童謡が聞こえる山道に大きな影と小さな影が細く延びている。

 カラスが真っ赤な空を横切り物悲しい鳴き声を頭上から響かせ、よりわたしの不安を煽らせた。


 早く帰らないといけないのに。でも足が痛くてもう歩けない。気持ちばかりが焦って、思うようにならなくて。

 もう嫌だよ! ついに叫んで立ち止まり、滝のようにぼろぼろ涙を流した。


「うわーん! 疲れたよー! お家に帰りたいぃっ!」


 情けない声を上げて他人がいないことを良いことに、あらん限りの声で泣き叫んだ。わたしの声に驚いてか、鳥が何羽か茂みから羽ばたく音が聞こえた。


「あら、どうしたのお?」


 ぐしゃぐしゃな顔に影がかかる。そっと指の隙間を作れば、その間から柔らかい表情が見えた。大泣きするわたしの頭に温かい手が優しく撫でる。


「おやおや。そんなに泣いて」


「だって、疲れちゃったんだ、もんっ」


 おばあちゃんに宥められながら、山道の真ん中で肘まで濡らすぐらい泣きじゃくる。本当はその場に座り込んでしまいたかったけど、一度座ったら二度と立ち上がれないんじゃないかと思うと怖くて座れなかった。

 嗚咽を漏らして鼻水と涙で地面を黒く湿らす。自分の足下だけ雨が降ったようだ。


「帰りたいけど、足が、痛いんだもん。で、でも早くお家に帰りたい、し」


「そ~お。それじゃあ一休みしましょうね」


 おばあちゃんののんびりとした言葉に慌てて顔を上げる。


「でもでも、もうすぐお日様が沈んじゃう。もう間に合わないよ! 暗くなっちゃうよ!」


「ふふ。だいじょ~ぶ」


 おばあちゃんは優しく微笑むと、少し曲がった腰を草の上に下ろしてわたしを引き寄せた。

 座ってる場合じゃないのに! 

 そんな心配をよそにおばあちゃんが良いからと傍らに促してきた。


「疲れたときは一休み。絶対に焦っちゃダメよ」


「あ、歩かないの?」


 このままだと真っ暗になって、なにも見えなくなっちゃうのに。そしたら怖いお化けとか出てきて食べられちゃうかもしれないのに!

 小さなわたしは結局座ったものの、落ち着かなくておばあちゃんの膝にしがみつく。


「今は疲れちゃってるから、すこ~しお休みしましょう。少し休んだら、また歩きましょうねぇ」


 鼻をすするわたしの背中をおばあちゃんがさすって、また童謡を口ずさむ。風がないから草も木も花も動かなくて、わたしと一緒に静かにおばあちゃんの歌を聞いていた。


「……もうお家に帰れないの?」


 何気なく不安を呟いた。もう泣いていないけど、確かにやってくる暗闇が無性に怖くてぎゅっと膝を抱えた。


「ふふ、帰れるわよ~。そんな顔をしちゃあダメ」


 しわしわの顔をもっとしわしわにさせて、おばあちゃんはわたしの頭をまた優しく撫でた。それから涙でびっしょり濡れた両手を乾いた両手で包んでくれる。


「いい? 疲れたときは一休み。一休みしたら一度大きく深呼吸。それからゆっくり、また歩きましょうね」 


「うーん。……それ、おばあちゃんのおまじない?」


「ふふ、そうだねぇ。おばあちゃんの、おまじない」


 おどけながら涙の跡が残る頬に指を軽く押し当てて、にこっと歯が抜けた笑顔を見せてくれた。


「あはは! おばあちゃんおもしろいの!」


 腫れた目が笑えばちょっとつっぱった感じがしてなんだかしみる。不思議とおばあちゃんの笑顔をみると元気になって不安も怖さもどこかに行ってしまう。わたしの中では一番強いおまじないだ。


「やっと笑ったねぇ。……さてさてもう歩けるかい?」


「うんっ」


 よっこいしょと呟いておばあちゃんが立ち上がる。わたしはおばあちゃんの手をぎゅっと握って、真っ赤な夕焼けを見上げた。どこまでも広くて赤い空。雲も山も道も、おばあちゃんもわたしも真っ赤っかだ。

 横を見ればおばあちゃんが優しく見下ろして、またにっこり笑った。


「さぁ歩きましょうねぇ……」


 そう眩しく笑った。


 



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 遠くなっていく天井。すっぱり切れた帯の先に白い格子と、その向こうに緑色の小さな影がひとつ。ぼやけながら目に映るすべてが驚くほどゆっくり動いている。

 自分の黒髪が左右の視界を防いで青白い不健康な指先が宙を浮くのを眺め、ようやく背中に衝撃があったと時、いきなり全てが元の速度に戻された。


「あ……ぅ……っ」


 喉から呻き声が漏れる。久しぶりに声が出たせいでむず痒く感じる。 

 何がどうしたって言うの?

 薄っすら目を開ければ籠の天井で子鬼が何かを喚いている。きぃきぃと叫んでいるけれど何を言っているのか分からなくてわたしは眉を寄せた。

 チッと舌打ちの音が聞こえ、小さな影が素早く動いて天井の一部を外しその中に消えていく。


 意識も視界も水面のように歪んで目が回る。それにしても……痛い。痛すぎる。背中も頭も痛いっ。

 何度か呼吸をするも苦しい。手も足も痺れてうまく動かない。わたしの体、どうなってるんだろう。頭の回線がうまく繋がっていないのか自分が何をして何が起こったのか状況が掴めない。

 

 じたばた藻掻いて混乱していた時だった。部屋の格子から微かに旋律が聞こえてくる。荒い呼吸を繰り返しながら、ぐらぐらする頭を月の光が射し込む格子の方へ強引に向けた。


「え……」


 思わず目を見開いた。その瞬間だけわたしの時間が止まった。

 

 そこに、籠のすぐ傍に青年が佇んでいた。

 いつも抱えている琵琶は無いのに、あの悲しげな旋律がぼやける聴覚に漂ってくる。

 青年の顔がなぜか悲しいほど歪んでいて『泣かないで』と呟いている。けれど言っているその本人が泣きそうだ。


「無事……だったんだ……ね」


 わたしは呟いて笑った。

 青年が格子の中へ手を伸ばしてくる。わたしも石みたいに重い腕を上げて伸ばされた手に指先を伸ばす。袖が肘まで下がればまた咲いた灰梅のあざが覗いた。

 透き通った繊細な指が、わたしの震える青白い指を絡めとる。


 青年の指はとても冷たかった。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 格子の向こうの青白い娘さん。泣いている娘さん。元気を出して。また琵琶を弾いてあげるから。


 朧月のような、儚げなを寂しさを持つ月の人。



 朧月……。

 おぼろ……朧村……。


 お願い。どうか、死なないで……。




 モウ ミタク ナインダ




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 氷点下の冷たさに指先がかじかんだ。

 脳に冷たさが伝わると同時にわたしの霧がかった頭も晴れていく。

 体は重い。息も苦しい。でも驚くほど意識がはっきりしてくる。


 白昼夢から醒めてさっと手を上げた先を見る。青年は、いない。あれも白昼夢だったの? それにしてはあまりにも現実味があった。青年に触れたはずの指先が今も冷たくなっている。

 宙に浮いたままの手を引き寄せて、片方の手でさすりながら一人ごちる。このまま横になっていても仕方ない。とりあえず起きあがらないと。

 のろのろ上体を起こせば胸元にだらりと帯が垂れ下がってきた。なんだろう? 首を傾げて次の瞬間、ざっと血の気が引いた。



 そうだ。わたし……!

 自殺……しようとしたんだ。首を吊って。

 

 自分のしたことに背筋が冷えた。何を考えていたんだろう! よりによって死のうとしただなんて!

 慌てて首に掛かった帯をとって畳に投げる。冷や汗がだらだらと全身に流れた。


 いや、まさか。自分が自ら死を選択するだなんて。少なくとも今まで何があっても明るく生きてきたつもりだったのに。というか、これでも明るさだけが取り柄だったのに。

 バクバク鳴る心臓が、逆に生きているんだなと実感して妙な気分になる。



 漠然とおかしいおかしいとは思っていたんだけれど。どんどん気分が暗さに流されていって、自分がどこからおかしくなっていたのか、全く見当もつかない。

 とにかくわたし、正気に戻ったんだよね? 意識もずっとはっきりしているし、大丈夫よね?

 

 両手を見て、足を見て体を見る。別段、やせ細って不健康そうな肌と灰梅の痣以外異常はない。鱗も角も毛皮もない。

 良かった、一応まだ人間なんだ。

 安堵から盛大に息を吐いて肩の力を抜いた。どっと疲れがでてその場で大の字になる。



 はぁ、なんだろう……意識は戻ったのになんだか熱っぽい。背中が痛い。正気に戻った反動なのかな。


 息苦しさに喘ぎはじめたところで、ピシャーンと勢いよく襖が開かれた。あまりにも大きな音だったから驚いて体が金魚のように跳ねる。端から見れば感電でもしたのかと思われたに違いない。

 乱暴に歩く音がこちらに近づいてくる。重い頭を起こすと紅い鬼が珍しく目を見開いて、口を僅かに開けて呆然とこちらを見下ろしていた。

 

 



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