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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
紅い悪夢
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四ノ怪 

 夢と違って気もそぞろ。追い回されていた時には目まぐるしく回っていた頭も、今はどろりとした気だるげな物が支配して、亀ほどの遅さでしか働かない。

 部屋の格子から差し込む月の光。それが籠の中を照らして、わたしと鬼を薄闇から浮かび上がらせている。


「ようやく慣れてきたようだナァ~」


 わたしを膝に抱えて鬼が満足そうに笑ったのが背中越しに分かった。わたしの頭や腕を撫でては、機嫌良く鼻歌を歌っている。


 特に抵抗することも無くされるがままにしていた。心なしか指先の感覚が鈍い。顔の筋肉は動くことを忘れて、代わりに無表情な能面を張り付けている。笑う事もなく泣く事もなく、本物の人形になったようだ。


 鬼はよほど機嫌が良いみたいで、いつもなら人形な態度に口元に笑みを湛えながらも鋭い視線で突き刺さしてくるのに、今はお酒を飲んでいる時と同じくらい上機嫌でわたしをややきつく抱きしめ、毛繕いでもするかのように首筋を舐めてきた。

 それにも無反応な自分に心の底で絶望する。



「そのウチここが居心地良くなって、自ら外へなんて出たくなくなるカナ。ここならお前が怖くて仕方がない妖怪共もいないし、嘲笑あざわらう奴もいない。籠の中にいるなら上等な着物も美味い飯もたくさんやるからナ」


 籠が居心地良くなる。そうなったらどうなるんだろう。飼い慣らされて、鬼の一言一言に大きく一喜一憂して、次第に従順になっていくのかな。

 自分という人格もなくなって、ただ鬼に可愛がられて一生を終えていく。それがわたしの運命なのかしら。

 でも、だとしたら人間でいられても何の意味も無いのかもしれない。籠の中にいるんだから、人間でも妖怪でも、大して変わらない気がする。


 

 暗い考えが心と頭を支配して生きる為の気力が萎えていく。諦めちゃいけないと心のどこかで叫ぶ光が、今ではひどく滑稽に見える。抗うだなんて無駄だと。運命を無条件に受け入れるべきだと。

 頬に髪がかかると、ちりんと首の鈴が鳴いた。


「鈴音は可愛いナァ。そろそろ活きの良い鳴き声が聞きたい」


 鬼が猫にするようにわたしの首を撫でて、耳元で何かを囁いた。


「サァ鈴音。俺を呼べ。声を聞かせてくれ」


 顎をさすりながら鬼が甘く囁く。自分の胸が小さく上下するのを見ながら、わたしは口を開く気になれなくて黙っていた。


「ん? どうした? もう声はでるゾ?」


 横から鬼が覗き込んでくる。きょろりと訝しげな眼差しを投げて促してきた。重いまぶたで目を閉じ、わたしは知らず知らずに首を僅かだけれど左右に振っていた。

 それから薄っすら眼を開けば、目の端で鬼が渋い顔をしたのが見える。鬼は大きく息を吸い込んでわたしを抱え直す。

 

「いいか鈴音」


 鬼がみじろいでわたしを横抱きにすると、自身の胸へ顔を押しつけてひっそりと囁いた。


「籠鳥は主のみに忠誠を誓い、主が手をかざせば当然のようにソコへ留まる。だからお前も俺が呼べばスグに傍へ寄り、鳴けと言われたらさえずる。……ここでのお前の役目カナ」


 わたしの役目。それがわたしの役目か。

 ほとんど意識のない状態で聞いていると、なんだか催眠術にでもかけられているみたい。遠くから鬼の優しい声が旋律のように流れて聞こえてくる。


 紅い手が何度かわたしの頭を撫でる。まるで子供にでも言い聞かせるようにわたしにゆっくり語りかけてくる。


「妖にはしやしない。お前が人間がイイというならそれで良いカナ。……だから鈴音」


 長い指の節を曲げてわたしの顎を上げる。

 視線が上がれば揺らめく紅い瞳と目が合った。


「常闇のことナド知らなくて良い。他の奴らのコトなど忘れてしまえ。籠の外のことなど気にするナ」


 顎に添えられた指が開いて、わたしの顔半分を覆い尽くす。


「お前は俺にだけ鳴けば良いカナ」 





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 布団の上で四肢を放りだしてぼんやりと部屋を眺める。白い格子の向こうには、籠を囲む錦の着物たち。一度も袖を通したことが無い物もあれば、鬼が無理矢理わたしに着せた物もある。


 鬼が望むのは愛想の良い、自分にだけ懐く愛玩動物が欲しいのだろう。与えれば可愛らしく尻尾を振り、可愛がりたい時にすぐ手の届くところにいるペットが。

 わたしが夢に逃げ込むのも、無愛想な人形になるのも、気に入らないのはそのせいか。



 姿見の中に映る、薄紅色に包まれて青白い顔をした自分。鏡にかけていた錦の布は鬼が外してしまった。どうしてそんな事をしたのかは分からないけれど。

 鏡の中にいるわたしは、普通の人が見たらきっと、幽霊だと思って叫ばれてしまうくらい生気を失った顔をしていた。

 

 わたしはもうこの世界に染まり始めているのかしら。まだ人間でいるんだろうか。もしかしたら妖怪でも人間でもない、中途半端な存在になっているのかもしれない。




 鮮明に戻った以前の記憶。あの頃のわたしは怯えていた。籠の外へ出たいと願っていた事もあったが、すぐさま出ることを渋った。外は怖ろしいんだと。

 この世界を怖いと思うことがなくなった時、それはわたしが人でなくなった時なのかもしれない。だから今はもう怯えることも少なくなっている自分に対して嫌悪感を抱くようになった。


 

 肩を落として口を僅かに開けて天井を仰いだ。それからそのままふらりと背中を倒して、畳の上に頭から倒れ込んだ。

 鈍い音を立てて頭に痛みを感じた気がするけれど、どこか遠い。じんじん痛むのは自分ではない、別の人に起こったんだと思えてくる。



 鬼は籠の中でいるなら人間のままにしてくれると言っていた。でも人形のままでいたら、夢を悪夢に変えて追い回してくる。

 目を覚ませと言っていた。人形になるなと。従順な雀になれと。そう言っていた。

 人間のままでいられて悪夢にうなされないで済むのなら、大人しく従うしかないのだろうな。それが嫌なら妖怪にでもなって人の姿を捨てて生きていくしかない。


 でも、それでも、妖怪になっても人形になっても人間でいても、このまま籠の鳥で居続けるのなら……。


 わたしはそのまま目を閉じた。瞼の裏に闇が見える。闇が自分を蝕んで浸食してくる。



 籠に一人。

 このまま出られないのなら、いっそのこと……。


 

 何かに導かれるかのように腰の帯に手をかける。するする帯を解いて、ふらつきながら立ち上がる。

 僅かな動作に大きく息を乱しながら帯の一方を籠の天井に投げて吊るす。そして垂れた端と端を結んで輪を作る。


 いっそのこと……。



 わたしはその帯を感覚のなくなった手で取り、呆然と眺めた。

 輪の向こうに鏡が見える。幽霊がぼんやり佇んで淀んだ目でわたしを見つめ返している。

 幽霊が首を吊るだなんておかしな光景。わたしはちょっとだけ笑ったけど、鏡の中の幽霊は無表情のままだった。



 あぁ疲れた。もう疲れた。

 もう、どうしていいのか分からない。どうすればいいのか、どうしたいのかも分からない。何もかも分からない。

 ぎゅっと輪っかを両手で握りしめる。


 ごめんね。お母さんお父さん。

 ずっと大事に育ててくれたのに、こんな事してしまって。

 でも限界なんだ。限界なんだよ。

 だってわたし……もう頑張れないよ。



 頭に輪をくぐらせる。前髪がひかかって額が露わになり、両耳に自分の指の節が当たった。視界には白いつま先が畳の緑に浮かんで見える。



 ねぇおばあちゃん。

 そっちに行ったら、また手を繋いでくれるかな。

 そしたら今度は、わたし泣かないで着いて行くから。



 わたしはゆっくり手の力を抜いた。

 だらりと腕が垂れる。そして次に、ゆっくりと膝の力を抜いた。


 

 刹那に訪れる浮遊感とちょっとした解放感。

 足が崩れれば、どこまでも暗闇に堕ちていった気がした――






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