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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
紅い悪夢
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三ノ怪

 湿った空気が頬を撫でる。途方に暮れながら辺りを見回す。

 暗い木々が生い茂る森の中。ずいぶん奥まで走ってきたのか、砂利道どころか拓けた道すら見当たらない。


 久しぶりの夢の中。見たくもない悪夢の中。

 まだ鬼さんの姿は見えないけど。とにかくここから離れた方が良さそう。じりっと慎重に足を動かしたその時。


「どうダァ? 久しいだろう?」


 悲鳴も上げられないくらい驚いて、素早く振り返る。起きているときよりも、細めた眼を妖しく光らせてこちらを見つめる。


「鬼さん……」


「ずいぶん眠るのを拒否していたナァ。起きている鈴音は人形みたいで可愛らしいが、ちと面白味に欠けていけないカナ」


 ズサッと落ち葉を蹴って一歩踏み込んでくる。わたしはそれに合わせて、一歩後退する。


「いけない雀ダァ~。嘘は吐く、言いつけは守らない、飼い主以外の奴に簡単にさえずる」


 ゆったりとした歩みと口調。それでもどす黒い気配をじわじわと漂わせ、笑っていない目を更に細める。


「俺には懐かないクセに。困った雀カナ」


 震えが止まらない。手を握り合わせるのさえままならなず、膝も笑って上手く立っていられない。自身を抱きしめるように抱えて目を伏せる。


「閉じるなっ」


 言ったとほぼ同時に顔を押さえつけられ、まぶたをこじ開けられる。


「人形になどさせないゾ鈴音。ここで喉が裂けるマデ鳴き続ければイイ!」


「離してっ」


 鷲掴みする手を剥がして鬼の束縛から抜け出す。


「そんなに……そんなに他の人と話したのが、いけなかったんですか? 本当に鬼さんだけと、は、話さなければ、ならなかったんですか?」


 顎が震えて呂律が回らない。いちいち舌を噛みそうになりながら声を抑えて紅い鬼に訴えた。


「と、常闇のこと、だって。どうして、教えてくれないんです? ここで暮らすのなら、むしろ、知っていても良いはずなんじゃ、ないですか?」


 そうだ。どう喚いたって藻掻いたって常闇で暮らすほか道はない。だったら少しでもこの世界のことを知って、いかにして過ごしていくか学ばなければいけないはずだ。

 その辺については鬼さんだって快く思ってくれたって良いのに。


「それを決めて良いのは俺だけカナ」


「理由になっていませんっ!」


 あらん限りの声で叫び返す。そうでもしていなければ、夢の中にいるにも関わらず失神してしまいそうだ。

 やれやれとでも言いたげに紅い鬼は肩を竦める。


「勘違いしていないカ? そもそも俺はお前を味わう為に飼っているんダ。お前を他の奴らと仲良くさせる意味なんざ、マッタク無い」


「そんな……」


「お前を喰らわないのも約束を守っているに過ぎん。俺はお前ら人間と違って、約束は違えん」


 また一歩踏み出してくる。


「アァ、だが今は夢。何があっても覚めれば元に戻る」


 暗闇に紅が浮かぶ。


「……ソウ、ナニガアッテモ、ナァ?」


 見えた牙に、瞳に、夢の中で意識が飛びそうになる。後ろへよろけて転びそうになりながら、わたしは駆けだした。


「そうダ逃げろ逃げろ! 簡単に捕まえてしまってはツマらん! もっともっと走れ!」


 鬼さんは狂ってる。話ができるとは到底思えない。もともと変だとは思っていたけれどそんなレベルの話ではない。異常としか言いようがない。



 

 いくつかの木の根を飛び越えて茂みをかき分け進んでいく。息も絶え絶えになった頃、わたしは限界に達して足を止めた。辺りを見回す。

 

 あそこなら大丈夫そうだ。

 近くにあった大きな古い木の後ろへ隠れ、草陰で息を潜める。そして紅い息遣いに怯えながら目を凝らして道らしき物がないか暗い視界に視線を走らせた。


 あの砂利道をとにかく探さなければ。ただ自分が見ていた夢とは違って鬼に塗り変えられてしまっている。道があったとしてもあのドアがある確証はない。そもそもあったとしても狂った鬼さんから、この悪夢から逃げれられるのかどうかも分からない。


「はぁ。それにしても……」


 鬼さんはどうしてあんなにおかしくなってしまったんだろう。夢の中にまで現れて。

 泥だらけの足を抱えて深く息を吐くと、肺と共に心までしぼんだ気になった。ぬるい風が汗ばんだ肌を撫でてより悪寒を酷くさせる。


 鬼さんがおかしくなった原因はなんだろう。

 現実でわたしが人形になって無反応を決め込んだからか。それとも青年と話したことが気に入らなかったからだろうか。ううん、もしかしたら全然別の事かもしれない。


 何にしても鬼さんがあんなんじゃ、話し合いなんて出来そうも無い。捕まったら夢の中を良いことに何をされるのか分からない。想像しただけでも生きた心地がしないわ。でもどうにかしないと……


「さぁ~てぇ。どこに行ったカ」


 思案していた頭が強制的に中断される。体を伏せて息を潜めた。今にも鳴りそうな歯を食いしばって体を小さくさせる。


「まったく何を怖がるンだ鈴音。お前が望んでいた事をしてヤロウというのに」


 独り言をぶつぶつ言っているのを見たところ、まだ気づかれてはいないみたい。すぐそばで落ち葉を踏みしめる音がする。隠れている木の向こうに鬼がいるんだろうか。

 息が早くなるのを必死で堪えて両手で口を塞ぐ。自分の脈打つ音がやけに響いた。耳元で太鼓でも鳴らしているみたいだ。


「色恋がしたかったんだろうナァ」


 舌を舐める音がする。自身が舐められたわけでもないのに、耳にしただけで全身が粟立った。


「それなら俺が直々に相手をしてヤルのに」


 色恋? 聞き慣れない言葉に眉を寄せてみる。えっと、恋愛がしたい……というよりも艶っぽい事をしたいとか、そういう意味なのかしら。

 だとしたら鬼さんは勘違いしている。わたしはそんな事は望んでいない。青年に対してだって一度たりとも思ったことは無い。もしその勘違いが原因だとするなら、なんとかして誤解を解かなければ。


 でも今はこのままやり過ごして、道を探さないと。耳を澄ませていると次第に足音が遠のいていく。わたしは低姿勢のまま、じりじりと茂みに沿ってその場を離れた。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「あ……った……」


 やっと見つけた。正直本当にあるなんて思っていなかった。薄暗い空間に浮かび上がる灰色の道。ふらふらしながら砂利道に近寄ってその先を見据える。


 どっちが正しい行き先なんだろう。前と後ろの道を交互に見比べる。

 光が溢れていた教室のドア。再びそこへ駆け寄ったら今度こそ、ドアはその向こうへわたしを受け入れてくれるのだろうか。


 顔を上げて砂利道をゆっくり歩き始める。そして何かに急き立てられるように、わたしは駆けだした。


 もうごちゃごちゃ考えたくない。とにかくあそこに、あの教室の入り口に行かないと。考えるのはそれからだ。

 両横を暗い木々が流れてわたしを見送る。時折ざわざわとヤジを飛ばしても、わたしは構わず走り続けた。

 

 一心不乱に走り続けてようやく見えてきた物に眼を見開く。闇に紛れて見えた教室のドア。一度立ち止まって肩で息をしながら、けれども瞬きもせずに、変わらず光が溢れているそれにゆっくり近寄った。

 教室の入り口は開かれたまま。あの時締め出したドアは、わたしが目の前に立っていても静かに入り口の隣に佇んでいる。


「わたしを入れてくれるの?」


 ドアに語りかけて一歩近づく。入り口の向こうは夕暮れで朱く染まり、遠くで喧噪が聞こえるも誰の影もない。


「帰って……いいの?」


 そっと入り口の枠に手をかける。

 ドクンドクンと心臓がわたしの胸を内側から激しく叩く。


「鈴音ちゃん」


 聞こえた声にぎくりとして振り返る。

 またあの声。女の人の、澄んだ声。


「なに……?」


「逃げるの?」


 ドクンと一際大きく心臓が鳴った。咎めた響きが確かに耳に入った筈なんだけれど、振り返った先には誰もいない。ただ暗い森が不気味に広がるだけ。


「……誰? なんなの? 誰か、いるの?」


 訊ねるも返事をする者はいない。生温い風が髪と頬を悪戯に撫でてきて、それがより恐怖心を煽る。

 わたしはしばらくその場に佇んで呆然とした。



 逃げるの? 


 

 何度も言葉が鼓膜に反響する。

 ううん。もちろん、もちろん逃げて良い訳が無い。わたしはここに残らなければいけないんだから。そう、自分で決めたんだから。

 ふらりふらりと、よろめきながらドアから離れる。

 

 そうだ。ドアの向こう側。もうわたしがいて良い場所では無い。戻って良い場所じゃない。だって……もう誰かが傷つくのは嫌だから。たとえ仲の良い友達でなくとも、わたしの事を忘れているとしても。

 そう、分かってる。わたしは分かっている。けれど……だけど……

 俯けばポロリと涙が滴り落ちた。


 帰りたい。覚悟はしていたし、その気持ちに嘘は無かった。でも、どうしても今の状況に耐えられなかった。

 疲れて疲れて。すべて無かった事にして、家族のいる家に帰りたかった。友達に会いたかった。明るい場所に戻りたかった。

 けれど、今は全て叶わない。


 もう、叶わない。

 ……叶えちゃいけない。


「良い子ダ」


 背後から、紅い鬼の声。

 肩を落として立ち尽くすわたしを、這うように赤銅色の腕で腹の前を交差させ、鎖みたいに絡めとる。


「そうサ、お前のいる場所はそっちじゃあナイ。ようやく分かってきたジャアないカ」


 きつく抱きしめられたら吐息と共に気力まで絞り出される。夢なのに、籠の中にいる時と同じように思考がぼやけて霧がかってくる。


「おいで鈴音。ご褒美に起きたら甘ぁ~い水をやるからナ」


 鬼がわたしの首筋に顔を埋めるのと同時に、わたしは意識を涙と共に闇の中へ落としていった。











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