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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
旋律の青年
21/56

二十ノ怪

 昔と違って子鬼が騒ぐ音も聞こえてこない。まるでこの鳥籠の部屋だけ外界からくり貫かれてしまったような気がしてくる。


 布団に何も掛けずに横たわり、天井を向いているお腹の上に両手を置く。


 わたしは自分が分からなくなってきた。

 今自分が何をしなければならないのか、何をしたいのか。諦めたいのか諦めたくないのか。強がりたいのか弱音を吐きたいのか。何も分からない。

 鬼に連れ戻されてから、その場その場で感情が牙をむいてわたし自身を蝕んできた。


 わたしは既に狂っているんじゃないのか。

 もしかしたら常闇に戻ってきた時からおかしくなっているんじゃないのだろうか。


 鬼に口付けされて戻った記憶が再生されるたびに疑問が湧き出てくる。

 連れ戻されて間もなく宴が開かれた時、初めてこの世界に来た時に比べればずいぶん落ち着いていたわたし。怯えるのもそこそこに、騒ぐ妖怪達に目を投げて呆れたり怒ったり。


 ススキの宴の時だって、あれだけの妖怪達を前に感情を露わにしたかと思ったら年甲斐もなく大泣きして。

 青年のこともみっちゃんのことも。一人勇んだかと思えば、簡単に忘れようとしたり。



 戻ってきた記憶はこんなんじゃなかった。

 怯えながら迷って泣ないて、それでも助けられながらでも、道を見据えて真っ直ぐ歩いていた。

 それが今はどうだろう。今のわたしはその頃よりも不安定で自分自身が全く見えていない。考えるのも悩むのも放棄して人形に成りすがろうとしている。

 

 でもそんなわたしに代償として与えられたのは残酷な悪夢だった。毎日毎日、懐かしかった日常たちが闇のせいで歪み、古いビデオテープのように再生されて目の前に形を作る。


 そう、だから今から見る夢だってまた悪夢なんだ。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「ねぇねぇ、これ見た?」


 雑誌の一部を広げてわたし達に広げてみせる美紀。新しい夏服の特集がずらりと掲載されて、もう夏なんだと教室の窓を眺める。

 まだ夏本番前だというのに差し込む日光は鋭い。半袖の制服からみえる肌は油断するとすぐに焼けてしまうだろう。


「あたしさ、この水玉のワンピースが欲しいのよね! 夏休みに叔母さんの民宿手伝うから、お駄賃で買う予定なんだ」


「いいなぁ、働き口があって。うちなんか毎日家事やっててもお小遣いアップしないってのに」


 隣で口をとがらせて春香が背もたれに寄りかかれば、二つに結んだ髪が背中へ流れる。


 懐かしい教室。懐かしい友達。そして窓辺にはあふれる太陽の光。眩しさに目を細めて窓の外を見れば抜けるような青空が広がる。

 窓に近寄って日光に肌をさらすけれど、いつもならギラギラとする焼けるような熱さは全く伝わってこない。


「春香」


 振り返って気だるげにしている春香に声をかける。

 でも春香はわたしを見ないで机に身を乗り出す。


「そういえばさー、次の授業数学じゃない? マジ数学嫌いなんだけど」


「ねぇ春香」


「あたしも数学きらーい。三谷先生の国語なら良いけど」


「春香、美紀……こっち見て。わたしが分からないの?」


 交互に二人の顔を見て、懇願する。肩を揺すろうと手をかけるが、いつものようにすり抜けてしまう。

 

「うっそ。美術の沢村先生のほうが良いよ」


「ねえ美紀! 春香!」


 わたしは二人の前で叫んだ。

 すると突然、教室の中が赤く染まり夕闇に包まれる。あれだけ眩しかった太陽は姿を変えて、物悲しいオレンジ色の光を放つ。一瞬にして時間が経過したんだろうか。


「……そろそろ帰ろっか。今日塾なんだ」


「大変だねぇ。あたしこの間のテストやばかったからさ、塾に行けってお母さんがうるさくって」


 机に投げていた鞄を持って春香達が立ち上がる。


「待って!」


 手を伸ばして春香の腕を掴もうと手を伸ばす。しかし、やはり煙のように彼女の腕を通り抜けてしまい掴むことができない。


「ねぇ待ってよ! 春香! 美紀!」


 教室から出ていく彼女たちに叫んで後を追う。彼女たちに続いて教室から出ようとしたが、無情にも鼻先で教室の扉が閉まった。

 急いで取っ手に手をかけるが動かない。窓ガラスから廊下を眺めると、あの時と同じようにたくさんの同級生や先生達が挨拶を交わしたり、楽しげに話している。


「ねぇ! わたしここにいるよ! 誰か!」


 バンバン激しく扉を叩いているのに、誰一人わたしの方を見ようとしない。誰も気づいてくれない。


「誰か気づいて! ねぇ! お願い……」


 涙で視界が霞む。嗚咽が喉から漏れると、わたしは肩を落として目を閉じた。ポロポロと涙がこりもせずに頬を伝って足下に落ちる。

 どうして誰も気づいてくれないの?


「鈴音ちゃん……」


 背後から透き通る声が聞こえ、びくりと肩を揺らす。


「だ、誰?」


 素早く振り向くとさっきまであった教室は無く、暗い暗い薄気味悪い森が広がっていた。辺りを用心深く見渡せばただ暗闇ばかりが広がり、はっきりと見えるのは自分の足下から延びる一本の砂利道だけ。まるでわたしを奥へと誘うかのように森の向こうへと続いている。


「誰か、いるの?」


 恐々と聞こえた声を探して尋ねる。


「鈴音ちゃんがいるのはそっちじゃないよ」


 森の奥から声が聞こえた。木々のざわめきに紛れて優しい艶っぽい声が流れる。


「こっち……こっちだよ……」


 追い風が背中を押してきて、一歩踏みだそうとした足に力を入れて踏ん張る。


「そっちは違う。わたしがいる場所はそんな暗くて寂しいところじゃないわ!」


「もうそっちには戻れないんだよ。……私たちは」


 くすくす笑う女の声。生暖かい風に乗ってわたしの耳元で囁く。


「おいで鈴音ちゃん。鬼様を困らせちゃダメ……悦ばせて差し上げないと。……大丈夫。怖くないよ」


「鬼を悦ばせる? 何を言ってるの?」


「それが役目でしょ……約束でしょ……」


「どういうことなの? あなたは誰なの?」


 暗い森を見渡すけれど何も見えない。聞こえていた女の声も、もう耳には聞こえない。


 何がどうなっているの? 早く、早く帰らないと。家に帰らないと。後ずさりながら教室の取っ手を探った。すると突然、その腕をひねりあげられわたしは苦痛に悲鳴を上げた。


「どこにいくつもりダァ?」


「鬼……さん……」


 振り返れば紅い鬼。

 口を三日月のように吊り上げれば、いつも見てきた鋭い八重歯が薄闇に浮かび上がる。


「お前の居場所はこっちじゃないダロウ?」


 鬼がわたしの首に手を添えれば、ちりんと応えるように鈴が鳴る。


「さぁ帰ろうか」


「やだっ……嫌っ」


 手首をとられて強く引かれる。

 引きずられながら真っ暗闇の森の中へ連れていかれる。振り返れば場違いな教室のドアが、四角い光を零れさせ次第に小さくなっていく。


「助けて美紀! 春香!」


 闇に覆われて光が見えなくなる。前を向けば、二つの妖しい紅が猫の目のように細められていた。


「もうお前は戻れないんだゾ? まだ駄々をコネるのカ?」

 

「わたしは帰れるわ! 光だって持っているもの!」


「光ぃ?」


 これ以上無いほど紅が細められた。その下から、また別の三日月がパックリ開くとそこから見えた赤い物が何かを舐めとった。


「それならさっき喰っちまったがナァ」


「え?」


 紅がきょろりと何かを見て顎をやる。その先を追って顔を向ければ、その先に何かが見えた。


「あれは何?」 


 尋ねても返事はない。その代わりに手首が解放される。仕方なく答えてくれない鬼に背を向けて、その何かに駆け寄った。傍まで寄って目を懲らすが暗闇のせいでいまだよく見えない。

 思い切って震える手でその何かに触った。


 冷たい。

 それに濡れている?


 眉を寄せてよく見ようと屈み込んだ。途端にわたしは目眩に襲われる。

 白い肌を染める真っ赤な血。傍らに転がる二つに割れた琵琶。いつも閉じていた目は見開かれ、虚空を見つめている青年の姿。動かない彼の姿。黒い地面に深紅の血が花のように広がっている。



「い、い、嫌っ! 嫌っ!」


 うそ。嘘よ。

 信じない。こんなの信じないっ!


「助けて! 誰か助けてぇ!」


 もうやめて! 頭がおかしくなる! 両手で頭を抱えてぎゅっと目を閉じる。上も下も分からない。どっちが左でどっちが右かも分からない。わたしはありったけの声で叫んだ。誰に聞こえなくても構わない。とにかく叫び続けないと。



 助けて!


 たすけて!



 タ ス ケ テ !





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「鈴音っ!」


 名前を呼ばれてはっと深く肺に息を吸い込んだ。

 薄闇の天井に浮かぶのは白い格子と二つの紅。一瞬ここがどこか分からなくて何度も目を動かした。


「悪い夢でも見たか?」


 そっと額に手を置いて、眉を寄せながらわたしを見下ろす鬼。夢から覚めたんだと分かった途端に、がくがく顎が震えた。


 やめて!


 口だけで叫んで額に置かれた鬼の手を乱暴に払った。人形になるんだと決め込んでいたはずの心が悪夢にあっけなく崩され、久しかった感情が沸き上がり爆発する。 


 乱暴に枕を引っ掴んでそこに顔を埋める。相変わらず声なんて出ないけれどそんなことは別に良い。構わず涙を溢れさせて心を叫ばせる。


 もう嫌だ! 鬼に手を出されなくても、綺麗な着物を着られても、自由がなければ、友達も家族もいなければ意味なんて無い! 

 ……家に、家に帰りたいよ!


 鬼が傍らにいるのも忘れて泣きに泣く。今この時ならひと思いに食べられても良いと本気で思った。飼い殺し生活なんてもう耐えきれない!

 喉から苦しげな呼吸音が唸り、出たり入ったりを繰り返す。そして時折むせては咳込んだ。


「そう泣くナ」


 頭に大きな手が添えられゆったりと撫でられる。


「しかしお前を籠から出すわけにもいかないし、他の奴を会わせるのも気が進まんしナァ」


 ふむ、と鬼が唸る。わたしは枕からそろりと顔を出して滴のついたまつ毛を上げた。鬼は顎に手を当てて斜め上を睨んで考えている仕草をしている。


「物やっても喜ばん。美味い物もダメ。どうしたものカナ……。いや、まぁイイ」


 生暖かい舌が目元を撫で、涙を拭い取る。


「時間はあるんだ。ジキに慣れる」


 そう言ってわたしの頭をぐしゃっと撫で回した。



 鼻をすすりながら目を何度かぎゅっと閉じる。それから息を深く吐いて枕を胸の前に抱き寄せた。


 だめ、だめ。人形に戻らないと。感情を捨てないと。

 何も感じない。何も思わない。何も望まない。わたしがこの世界で出来るのはそれだけ。


 心に刷り込ませるように何度も何度も自分に言い聞かす。二度と泣き叫ばないように、夢の中でも傷つかないように。

 心の中にまた自分を閉じこめる。そうすれば興奮して上がった熱も意識も、波のように引いていく。かわりに虚ろが忍び込んで心に広がり覆いつくす。


 こうすれば、もう大丈夫……


「鈴音」


 閉じていた目を鬼の舌で無理矢理こじ開けられる。既に人形に戻ったわたしが抵抗もせずに大人しく従えば、顎に指が添えられ顔を上げられる。


「目を閉じるナ。俺を見ろ」


 言われたとおり瞳を鬼へと向ける。

 白々しく笑んだ口元とは真逆に、二つの紅は妖しくも冷たく煌めいている。鬼がそっとわたしの頬を撫でて、耳元に口を寄せてきた。


「お前が例え人形になろうが妖になろうが俺は手放さない。鈴音はずっと俺の雀よ」


 わたしが抱きしめていた枕を取り上げ傍らに放ると、おもむろに感覚が鈍くなった体にのし掛かってくる。


「この先お前を味わえなくとも、傍に置き続けるサ……」



 首筋に顔を埋められれば、熱い吐息が掛かる。

 背中に腕を回されれば、己の身の軽さが分かる。

 体に体を寄せられれば、鬼の紫煙の香りが自分に移る。


 

 でもわたしは人形。鈴音という名前の人形。だから何も感じない。なにも思わない。


 もう人間じゃない……。




 わたしは心を捨てた。自分を捨てた。

 鬼にならずとも闇に蝕まれて、わたしは闇の中へ堕ちていった。








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