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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
旋律の青年
20/56

十九ノ怪

 襖が開かれて紅い影が部屋へ入ってきた。のそりとした遅い動作がよけいに不気味だった。

 でも怯んでられない。言わなければならないことがあるんだから。

 

「鬼さんあの」


 わたしが口を動かしたのと同時に、鬼が人差し指を宙で横線を描いた。何をしたんだろうと眉を寄せるが何が変わったのか分からない。

 一瞬動きが止まってしまったが、すぐに我に返って口を開く。


 鬼さん。


 もう一度声をかけた。……つもりだった。

 おかしい。口を開けても喉から声が出てこない。かすれ声も小声も、声という声は何一つ出てこない。喉を押さえて『あー』と言ってみるがやはり出ない。


 声が出ない……?

 今鬼さんがした動作のせいで?


 突然の出来事に軽くパニックになっていると、頭を不意に撫でられ、予想しなかった感覚に体が硬直する。


「お前の鳴き声が聞こえないのは惜しいが、よけいな話は聞きたくないからナァ~」

 

 いつの間に籠の中に入ったんだろう。ゆったりとした口振りに背筋が冷え冷えとしてくる。

 それにどういうこと? わたしが青年のことを懇願すると踏んで声を出せなくさせたの? 

 怯えながら顔を鬼へと向けようとしたが、頭を撫でていた紅い手がわたしの顔を厚い胸板へと押しつけ、阻まれる。上等な手触りが顔を覆い、視界が真っ暗になった。


「呆けないよう外へ出していたガ。やはりイキの良い雀は籠からは出さんほうが良さそうだ」


 籠から出さない。鬼に耳元で囁かれ、血の気が引いて頭がくらくらした。やっぱりずっと籠から出さないつもりなんだ。

 そう思った途端に、頭の端から次々と嫌な言葉が羅列する。

 一生出られない。誰とも話すことなく人知れず朽ち果てていく。死んだあとも籠の中。二度と出られない。

 体が重くなった気がして体重を自分で支えることが出来なくなる。知らずに鬼へ体を預ける形になったわたしの背に手が添えられる。


「まさかお前に想い人がいるとはナァ」


 わたしは紫煙の匂いがする着物に埋もれながら、僅かに残った正常心でふるふる頭を振った。


「でもナァ鈴音ぇ。俺はこれでも嫉妬深いんでナ。お前が他の奴を想っていると考えるだけで腹立たしくて仕方ナイ」


 わたしはさっきより強く頭を左右に振って否定した。

 そんなんじゃない。お願いだから何もしないで。それとも既になにかしているの? 怖い。鬼が彼に何かしようとしているのか怖い。わたしは恐ろしい考えに体を震わせた。


「さてさて。鈴音がい~ぃ子にするなら俺の考えも変わるんだガ。……どうだ?」


 こくん、と頷く。


「俺のそばにいるな?」


 こくん。また頷く。


「お前は俺のものダナ?」


 その通りです。

 わたしは大きく頷いた。


「良い子ダ」


 頭を押さえつけていた手が優しく髪を撫でる。

 これで青年に危害が加えられることは恐らくないだろう。そして青年や籠の外に思いを馳せることもなくなる。

 わたしはひたすら顔を埋め続け、溢れた涙を漆黒の布に染み込ませた。

 もともと、こういう風になるはずだったんだ。鬼に喰われていないだけマシだろう。

 そう。今まで陽炎みたいな希望に縋ろうとしていただけ。端から見ればなんて滑稽だったんだろう。無いものをひたすら求めていたのだから。

 

 これから本来の形に戻るだけ。

 誰かを助けようだなんて驕っていた自分を切り捨てるだけなんだから。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 紅い月明かりが部屋の中にある籠を照らす。

 鏡台の前に座り、気だるげに丸い鏡を覗き込む。

 そこに映るのは無表情な顔に、焦点の合わない腫れた両目。やや垂れ気味の眉。やつれた自分の、鈴音の顔。


 口を開いても声は出ない。出るのは溜息だけ。

 籠の生活からどれ程経ったのだろう。起床七回まで数えてきたけれど、そろそろ感覚が麻痺して起床を数えても無駄な気がしてきた。

 あれからわたしは籠から出されることは無かった。そして声も奪われたまま。何かを手振りで伝えることすら禁じられた。

 

「すーずね」


 陽気な声に、おもむろに目をやる。格子戸をくぐっていつものように鬼が入ってきた。


「うまい饅頭もってきたゾ。鈴音と食べようと思ってナ」


 乱暴に傍らに座ると手の甲で頬を撫でてくる。


「また泣いていたのカ? ほら泣くな泣くな。旨いもん喰えば気分も良くなるカナ」


 口元に白い柔らかな感触が添えられる。それを両手で受け取り口の中へ運ぶ。

 甘い。でもそれだけ。

 美味しいはずなんだけれど、美味しいと思えない。


 顔に影が掛かったかと思うと、赤銅色の手がわたしの頭に触れて離れた。鏡に目をやれば青白い顔に相反する赤い花が髪に添えられている。


「可愛らしいナァ~鈴音は」


 満足そうに口端をあげてわたしの頬を撫でる。

 わたしは目を伏せて首を振った。


「謙遜するナ鈴音。どこぞの姫や仙女にも負けてないカナ」


 わたしは俯いて虚ろな心持ちで甘いものを噛み続けた。

 人形のように大人しくしていれば良い。何も考えないで何も感じなければ恐れることなんて何もない。与えられたものを受け入れて、ただ従えば良いんだから。

 こうしていれば、いつか妖怪に変わっていても絶望する事もない。ただ、流されていれば良いのだから。


「やはり籠の中は退屈だろう。どうダ? 貝合わせでもするカ?」


 鬼が懐から巾着を取り出すと中を畳の上に落とした。カラカラと鳴りながら、ハマグリほどの貝殻達が膝の前に広げられる。貝の内側には鮮やかな色彩で鳥や神獣、仙女達が描かれていた。


「これと同じ図柄を合わせれば良いカナ。……どうした?」


 目を上げて、小首を傾げた。

 なにがどうしたのだろう?


「興味がないみたいダナ。なら根付をやろうカ。珊瑚や琥珀で作った上物があったハズだ。そいつをお前にやろう」


 そんなの、貰っても嬉しくないのに。

 視線を落として俯けば、首元の鈴が涼しげに鳴いた。


「鈴音。そう下ばかり見るナ」


 顎に指を添えられて上を向かされる。

 赤銅色の肌に朱の模様が枝のように張り巡らされている端正な顔。猫の目のように二つの紅が細められる。


「お前はちっとも笑わないナァ。泣いてばかりいたら干からびてしまうゾ」


 ぼんやりと紅を見返す。何も感じないのだから、鬼の目も怖くない。されるがままに、鬼の顔を眺め続ける。


「お前を見せびらかすのは楽しかったが、こうして一人で鈴音を堪能できるのもやはり良いナァ」


 ククッと喉で笑い、わたしを抱き寄せた。カシャカシャと畳の上に広げられていた貝達が膝に押されてぶつかり合う。


「鈴音。お前がこれから先も俺の傍にいるンなら、ずっと人間のままで居させてヤル。籠の中に居る限りずっとお前は人間カナ。嬉しいだろう?」


 何を今更。小さく首を左右に振るわたしを、鬼が抱きかかえれば、熱い首筋にわたしの冷えた顔が合わさる。力強く脈打つ首がまるで生きているみたいに動いて、鬼の言葉を振動させる。

 

「……鈴音は冷たいナァ」


 それは顔が?

 それともわたし自身?


 思案してもすぐさま考えるのをやめる。だって人形は考えたりしない。鬼の望むままに籠の中で着せ替えられて居ればいいのだから。


 温かだろうが、冷たかろうが。

 人間だろうが、人形だろうが。

 もう、どうでも良い……。


 籠の中のわたしにとっては、どうでも良いの……。





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