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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
旋律の青年
2/56

一ノ怪 

 窓の向こうに流れる春の景色。

 暖かな日差しに花たちがより明るい姿を華やかにさせ、わたしの気分も同じように明るくさせてくれる。


「気分はどう? 紗枝」


「なにが?」


「なにがって、あんたねぇ」


 車内に流れるお気に入りの音楽に合わせ、動いていた指が止まる。車のハンドルを握り直し、お姉ちゃんがわたしに横目で呆れた視線を送ってきた。


「これから上京するんだから。緊張するとか、なんかないの?」


「ん~。なんだかまだ実感なくて」


「もうなに寝ぼけてるのよ! そんなんで大学通えるの?」


 そんなこと言ったって。口をとがらせて運転席を見れば、お姉ちゃんが長い前髪を片手でかき分けているところだった。そんなに気になるならピンで留めればいいのに。

 隠れていた耳に光るピアスが見えたところで、わたしはシートにもたれ掛かった。


「あのさ、紗枝」


「なに?」


「あのことまだ気にしてる?」


 軽い感じを装ったのか遠慮しているのか。さきほどの口調とは違って妙に優しくわたしに声をかけてくる。


「あのことって?」


 なんとなくお姉ちゃんが何の事を言っているのか分かっていたけれど、わたしは知らないふりをした。

 お姉ちゃんは少し迷ったあと、今度ははっきりと見て分かるぐらい、難しい顔をしながらわたしに言った。


「その……光子ちゃんのことよ」


 やっぱり。

 目を閉じてから大きく息を吸う。そして吐き出すとともに言った。


「大丈夫。もう大丈夫よ、お姉ちゃん。心配しないで」


 気持ちのざわつきを押さえ込んで、いつもどおり微笑んで見せた。

 いまではすっかり、作り笑いも板に付いた。


「そう……」


 それを境に、お姉ちゃんもわたしも何も話さない。わたしはその無言の空気を特に気にせず、ぼんやりながれる風景を眺めて音楽を聞いていた。

 流れている曲は全部お姉ちゃんお気に入りの音楽ばかり。

 わたしも東京に行ってから、なにか新作のCDでも借りて自分の好きな曲でも集めようかな。


「ねぇ紗枝」


「……なに?」


 赤信号で止まると同時に、お姉ちゃんはわたしをじっとみてひどく改まった顔をした。


「どうしたの?」


 不安になってわたしもお姉ちゃんの顔を見返す。


「あのさ。まだ気にしているようなら、もう忘れたら?」


「え?」


「ううん。むしろ忘れるって私と約束して頂戴」


「どうしたの突然」


 お姉ちゃんのいつになく真剣な口調に驚いて、まじまじとその堅い表情をしている顔を見つめる。


「お母さん達まだ紗枝の事心配してるんだよ。高校だって最初行かないって騒いですごく迷惑かけてたでしょ? なんでって聞いても教えてくれないし」


「う、うん……」


「まったく。頭の良い兄貴たちに感謝しなさいよ」


 信号が青に変わって、お姉ちゃんはいささか乱暴にアクセルを踏んだ。途端にわたしの体が背もたれに埋もれる。


 わたしはこの世界に戻ってきたばかりの頃、あの鬼が迎えにくるんだと思って高校進学を拒んでいた。鬼に連れて行かれるのに受験するなんて無駄だと。


 しかし鬼のことなんて知らない兄たちの、強い説得と協力で、わたしはスタートするには遅すぎる試験勉強を始めたのだった。

 兄たちのスパルタ式の勉強が功を奏したのか、奇跡的に高校試験に合格することはできたのだが、入学後に返された試験結果の点数はどれもぎりぎりで、とてもじゃないけれど見れたものではなかった。


「ずっとこのままじゃ良くないと思うのよ。だからせめてこっちに帰ってくるまでは、あの事は忘れてほしいの」


 イライラしているのか、お姉ちゃんの言い方にはトゲがあり、たまにこちらを見る視線も突き刺さるものがあった。


「忘れる……」


 本当に忘れるなんてできるの?

 わたしはお姉ちゃんの横顔から逃げるように顔を背けた。

 窓ガラスの自分と目が合う。どこか怯えた瞳でこちらに視線を投げているわたし。未だに妖しい紅に囚われている奥底の表情。蘇る鬼の言葉。


「あんなことがあって直ぐにはさすがに無理だけれど。もう四年以上も経つのよ? だからいい加減、あっちに行ったらあの事はもう忘れて欲しいの。約束して」


 叱りつけるようにぴしゃりと言い切る。

 確かにこれ以上、お姉ちゃん達に心配かけられない。鬼は相変わらず現れる気配はないし、あれから不可思議なことは一度たりとも起きてはいない。


 鬼はわたしのことを忘れているのだろうか。それだったら願ったりなんだけれど。


 だけど……


 考え耽っていたところに急ブレーキがかけられる。小さく悲鳴を上げて、考え込んでいた頭も一時停止した。


「紗枝聞いてるの? お姉ちゃん真面目に話してるのよ!」

 

「あ、うん……ごめん」


 お姉ちゃんの鬼のような剣幕に小さくなる。

 忘れるなんて出来るか分からないけれど、せめて安心させるために言うのなら大丈夫よね。それにもう不安にさせたくないし、お姉ちゃんの言うようにこのまま過去に囚われていても仕方がない。

 わたしは顔をあげて、強く頷いた。


「忘れる」


 呟いて、厳しい顔をしたお姉ちゃんに、はっきりと向き合う。


「もうあのことは思い出さないわ。ごめんねお姉ちゃん」


 つり上がった目をしていたお姉ちゃんの表情にいつもの活発な明るさが戻ってくる。嬉しそうに笑ってわたしの頭をくしゃくしゃと撫で回すと

 

「よしっ。じゃあ出発!」


 元気なかけ声とともに車がまた走り出した。周りの風景もゆるやかに流れ出す。


 これからは新しい生活が待っているんだ。この景色ともしばらくはお別れ。よく見ておこう。

 鬼はきっと、きっと私のことを忘れているのだろう。だからわたしも鬼のことを忘れて、前を向かないと。


 陽気な音楽を聞きながら、わたしは窓の外を眺めて暖かな風に揺れる風景を見送った。今から故郷を旅立って、これから迎える日々に胸を躍らせていた。



 しかしこの時わたしはよほど浮かれていたんだろう。

 窓の外を流れる木々の暗闇から、あれほど恐れていた紅い視線が、わたしを鋭く睨んでいるのに気付いていなかったのだから。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「あれ?」


 情けない音が鳴り、お姉ちゃんが声を上げると、大きく揺れて車が止まってしまった。何度お姉ちゃんがエンジンをかけても全く動かない。


「だからオンボロは嫌なのよ~。もう拓兄ぃに代わりの車よこしてもらいましょ」


「うん」


 どうやらエンストしたみたいだ。我が家の車はかなり年季が入っているので仕方ないんだけれども。

 苛立たしげに携帯電話を手に取るお姉ちゃんの声に、わたしも頷いて車から降りた。


 あ、ここは……。


 見上げればあの山道。あの土砂崩れで潰れてしまったお社に続いていた階段。今はお社も新しく建てられ、澄み切った青空と新緑に囲まれている。不穏で不気味な雰囲気は微塵も感じられない。

 わたしは毎週、その新しくできたお社に花を手向け続けていた。意味がないと分かっていたけれども、どうしても何かをせずにはいられなかった。 


「紗枝。忘れるのよ」


「お姉ちゃん……」


 また叱りつけるような声が飛んできた。見るとお姉ちゃんが両手を腰にしてわたしに厳しい目を向けていた。


「これから東京に行って、大学生活始まるんだから物思いに耽っている暇なんてないよ!」


 しっかりしなさいと、また怒った。

 少し間があってからわたしは苦笑し、山道を見上げた後、俯いた。

 これからは新しい生活に専念するんだ。みんなに心配をかけちゃいけない。あの事はしばらく思い出さないようにしないと。紅い鬼のことも忘れないと。

 目を閉じて、そう自分に言い聞かせる。

 

「ねぇ紗枝」


 俯いているわたしにお姉ちゃんは山道の上を指す。


「拓兄ぃが来るまで時間があるからさ、上に行ってみない? どうせしばらく帰ってこないんだろうし、上から町を眺めようよ!」

 

 新しいお社がある場所は今はちょっとした広場になっていた。前のように木々に囲まれているのではなく、お社の後ろには山の深緑が広がり、前には町が見渡せるように木々が伐採されていた。

 おかげで陰鬱だったお社は、今はお年寄りや子供達の憩いの場になっており、お花見や紅葉の時期には人々が集まるようにもなった。


「そうだね。行こっか」


 今まで何度も通っていた所にしばらく行けなくるんだもの。それにまだ早朝の町の風景は見たことがない。

 せっかくなんだからと、わたしは頷いた。


「じゃあ上まで競争!」


「あ、待ってよぉ!」


 駆けだしたお姉ちゃんの後を追って、わたしも木々に囲まれた山道を上り始める。ゆるやかな坂道を駆けて、お社に続く階段を目指して走っていった。







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